第七十一話 夜の森
二人は村を抜け、薬草が取れる森へと向かった。
満天の星々と大きな満月が二人を照らし、探しものをするのに困らない明るさを二人に与えていた。……もしかしたら、女神様が二人を助けてくれているのかも、なんて思ってしまう。
この森は、入り口付近なら安全に薬草を採取出来る場所で、以前は私も結構お世話になっていた。ただし、今夜二人が向かうのは森の奥。珍しいとされる魔香草探しだ。
現在、この森だけでなく王国内の森林では、治安を維持する『狩猟者』が不在になってしまっている場所が多く、この森でもジャイアントオーガが出現した事がある。元『狩猟者』であるカナなら大丈夫だとは思うけど。
私は二人に見つからないように、距離を取って見守る事にした。
懸命に魔香草を探す二人。傷薬用の薬草は沢山生えているけれど、魔香草らしき植物はなく、私の目にもそれらしき草は確認出来ない。
「ないね……」
「そーだな。もう少し奥に行ってみっか?」
「うん」
こういったやり取りが繰り返され、二人はどんどん奥へと入っていく。
探しては奥へ、探しては奥へを繰り返している内に、私がジャイアントオーガを倒した地点まで来てしまった。ここまで深入りすると、魔物も大ネズミやオオカミ程度では済まされない。
私は思わず止めようと近付いたけれど、二人の真剣な表情を見て、それ以上近付く事をやめた。……もう少しだけ、見守っていよう。
例え魔物が出たとしても、カナの実力なら十分だし、いざという時は私もいる。
そうして二人が探す事、数時間――。
「あった! あったよ、お姉さん!」
「どれどれ……? おー、これだこれ。よし!」
カナは目を閉じ、魔法名を唱える。
「《剣創造》」
カナの手のひらに、とても小さな漆黒の短剣が現れる。
十年以上ぶりに見た。カナの《剣創造》
私も、あの剣に命を救われたんだっけ。
その黒い輝きは、魔族特有の魔力の証。
私が何度やろうと試みてもその色にはならなくて、昔、よくカナに愚痴を零していたな……と思い出す。
「ホラ、これを使いな」
カナはアミちゃんに、その短剣を手渡す。
あくまでカナはお手伝いで、主役はアミちゃん。カナらしい気配りだった。
「ありがとう、お姉さん」
「さっさと採っちまって、『先生』を治してやろーぜ」
「うん!」
少し苦労しながらも、魔香草を採るのに成功したアミちゃん。
尻餅をついてお尻が汚れてしまっていたけれど、えへへと笑ってカナにその成果を見せている。
「よくやった」
カナも微笑み、アミちゃんの頭を撫でている。
「じゃ、帰るか――」
そう言った矢先、気配を感じたカナが振り返る。
私もその気配が放つ殺気に気付いて、同じ方向を見る。
バキバキと細い木を倒す音を立てて、近付いてくるその気配――いや、魔物。
「……梟熊!!」
私とカナは離れた場所で、同時に叫ぶ。
梟熊――その名の通り、フクロウの頭を持った褐色の熊。大きさはヒグマ程度で、その体高は二、三メートル。私とカナで倒した大熊に比べたらやや小さい。
それでも、普通の人間では数人がかりでも敵わない程の腕力と脚力を持っている。その太い腕の一撃は、たったのひとなでで大人の頭を吹き飛ばし、その脚の速さは時速六十キロにも達し、どんなに全速力で逃げても追いつかれてしまう。
「カナっ……!」
叫びながら駆け寄る私に、カナが微笑む。
まるで私がつけていたのを知っていたかのよう。
「アリサ、手伝ってくれるか?」
「うん! でも……なんで……?」
「『狩猟者』ってのは、目も耳もいいんだ。アリサの気配くらい、何十メートル離れれても分かるさ」
「もうっ……。知ってたなら、言ってくれればよかったのに……」
悪戯な笑顔で笑うカナ。つまり、私は水を差さないように配慮したはずが、逆にカナから配慮されていた……という訳。
「きゃああぁっ……!」
アミちゃんが叫ぶ。梟熊は一匹だけではなかった。後ろからも横からも、梟熊が現れる。私たちは気がつくと、総計五体もの梟熊に囲まれていた。
「こりゃ、ちょっときついな」
「でも……思い出すわね。あの日の事」
「ああ……」
「あの日もこんな満月で、こんな熊に襲われてたよね」
十二年前の、あの出逢いの日に思いをはせる。
でも、あの日とは決定的に違う。あれから私たちは成長した。
熊の一匹や二匹、もう怖くない。
二匹どころか、五匹もいるけど……。それでも全然怖くない。
私だけでもなんとかなるけど、カナがいる。それがとても、心強い。
……それでも、梟熊戦隊。
どうして、この世界は私を差しおいて戦隊を組んでくるんだろう?
私は、一瞬女神様を恨んだ。
(――私のせいじゃないです!)
女神様の声が聞こえた気がしたけど、多分、気のせい。
さあ、アミちゃんを護って、二人で熊退治だ。
§ § § §
「《剣創造》! もう一本、《剣創造》っ!!」
叫ぶと、カナの手に二本の短剣が握られる。
これも久しぶりの、カナの短剣二刀流。
その小柄で華奢な体型によく似合った戦闘スタイルだ。月明かりに映える愛らしい横顔と短剣が、息を呑む程の神秘さを醸し出していた。
「きゃああっ!」
カナの姿に気を取られている隙に、アミちゃんが後ろから来た梟熊に襲われる。鋭い熊の爪が、彼女に振り下ろされようとしていた。
せっかく採取した魔香草を投げ出して、うずくまってしまうアミちゃん。
間一髪、カナが駆けつけて、梟熊の一撃を短剣で受け止める。
「大丈夫か!?」
「うん……! ありがとう、お姉さん!」
もう片方の短剣で梟熊の豪腕を斬りつける。その痛みに、思わず腕を引く梟熊。
普通、人間が使う短剣やナイフ程度の刺突では、熊にとってはかすり傷にすらならない。その分厚く頑丈な毛皮、それに体脂肪、筋肉がそれを阻むからだ。
しかし、カナの一撃は魔族のそれ。角が折れて、その力の大半を失ってしまっていたとしても、人間とは比べ物にならない程の身体能力、筋力を備えていた。
「《火球》……!」
のけぞった梟熊に追加の一撃。よろよろとしりぞくその巨体に向かってひとっ飛び。首を斬りつける。
私が十二年前にやった、あのとどめの一撃をカナが再現した。
……私も見惚れているだけはいけない。この中でもっとも弱いアミちゃんを、梟熊は集中的に狙ってくる。私は、その一匹の爪を受け止めた。
流石にこれだけの魔物相手では、咄嗟に出した剣では切れ味が足りない。
「《剣創世》! ……もう一本、《剣創世》っ!」
魔法名を唱える事で威力の高い魔法剣を創造。
受けていた剣で熊の手を払ったと同時に、それを投げ捨て、二本目の高威力剣を空中の魔法陣から受け取る。
私も、カナと同じ二刀流に。
右、左、右とたて続けに三撃、熊を斬りつけると、私が作った三つの筋から血を吹き出して、地響きを立てながら後ろに崩れ落ちた。
あと三匹……。その前に、アミちゃんを抱えて木の陰へと走る。
「ここで待ってて。すぐに終わるからね?」
すぐさま戦場へと戻り、私はアミちゃんを隠した木を背にしながら、梟熊に剣を向けて大きな声で挑発する。
「さあ、かかって来なさい! ここからは、私の……私とカナのヒーロータイムの始まりよ!」
§ § § §
大暴れする梟熊たちを全て片付け、私とカナは背を預け合って地に腰掛ける。
「なんとか……なったね」
「ああ……」
「私とカナのコンビ復活ね」
互いの表情は分からないけど、多分、私もカナも最高の微笑みを背中ごしに投げかけていた。心地よい疲れと、安堵感。背中から伝わる温度が、体にも心にも温かい。
一息ついて立ち上がり、土埃を払ってアミちゃんを呼んだ。
「アミちゃん、もう出てきていいよ」
おそるおそる木の陰から顔を出すアミちゃん。全ての魔物が倒れているのを確認すると、泣きながらカナの胸に飛び込んだ。
「お姉さんっ……!」
「……怖かったよな。もー大丈夫だ」
抱きしめて、頭をなでながらアミちゃんを優しくなだめるカナ。
ひとしきり泣いた後に、アミちゃんは一番大切な事を思い出した。
「あれ……、まこうそうは……?」
突然の戦闘ですっかり忘れていた、魔香草。
三人で手分けをして探し始める。
小一時間探すも見つからず、もしや……と思って、梟熊をどける。
すると、その背中の下敷きになって、ぐしゃぐしゃに潰れた魔香草が……。
「ああっ……せっかくのまこうそうが……! どうしたらいいの……!」
安心から一転、悲しみの涙を流すアミちゃん。
カナが必死になだめるも、一向に泣き止む事はない。
泣きじゃくるアミちゃんをカナが背負って、私たちは失意のまま村へと戻る事になった。




