第六十九話 孤児院
「あのう……アリサさん、折り入ってお願いがあるのですけど……」
ジルが、もじもじと照れながら私に頼み事をしてきた。
彼女がご飯以外で『お願い』なんて珍しい。
――ここは、ゴレンジ男爵邸。
私たちは男爵のご好意で、しばらく彼の屋敷に宿泊させて貰っていた。
でも、ここでの生活があまりに快適過ぎて、元の旅暮らしに戻れなくなってしまう前に、ここを出発しようと話していたところ、ジルがこうして『お願い』をしてきたのだ。
「どうしたの?」
「次の目的地、なんですけど……」
目的地。
私たちは一度、かなり南下してから北へと逆戻りしている。
ここから旅をするなら、また同じ街の道のりを繰り返すか、行った事のない真南に向かうかの二択になる。
「もう少しだけ北に戻って、ナックゴン村に行きたいのですけど……」
ナックゴン。まだ離れてから何ヶ月も経ってないけど、懐かしく感じる。
思いがけない第三の選択肢だった。
冒険者やギルド、それに孤児院の皆は元気にしてるのかな。
「……いいけど。私は『冒険者』として困った人を救えるなら、場所はどこだっていいし、カナも自由の身になったばかりだから、特に目的もないしね」
元々、ジルの布教についていくだけの旅だったし。
それでも、ジルがどうして一度布教を終えた村に戻りたがっているのか、わざわざ『お願い』とまで言っているのか、そこが少しだけ気がかりだった。
ナックゴンでやり残した事でもあるとか?
「でも……どうして、ナックゴン?」
「あの、目を治してあげた子が居たでしょう?」
「うん。アミちゃんね」
孤児院に住んでいた盲目の少女だ。
以前、ジルが奇跡魔法で彼女の失明を癒やしていた。
「魔法で視力が戻った人間は……その環境に慣れる事が出来ずに、体が『見える』という事を拒否して、また見えなくなってしまう……というケースが多いんですの……それで、経過を見にいきたいのですけど……」
遠慮がちに戸惑いながらも、真剣な眼差しを私に向けてくる。
「駄目……かしら?」
ジルは、やっぱり優しい聖女様だった。
私と戦ったあの時に言った言葉――。
『あれは、貴女が依頼から帰って来るのを見計らって、見せつけてやっただけですわ。そうすれば、貴女は私を信用するでしょう?』
……は、嘘。
あの時の彼女の言葉が嘘だった事に、私は少し嬉しくなった。
「いいわよ。じゃあ、ナックゴンにしましょう」
「やりましたわ! ずっと心配でしたのよ!」
飛び上がって喜ぶジル。
そんなジルにちょっと悪戯心が湧いて、私は少々いやらしく尋ねた。
「あれえ? 『見せつけてやっただけ』……じゃなかったの?」
ほのかに桃色だったジルの頬が、真っ赤に染まった。
体も小刻みに震えている。
「もうっ! 意地悪ですわっ!!」
いきなり錫杖を出して、私に向かって振り下ろすジル。
軽く避けると、それまで座っていたベッドが柔らかな音を立てた。
私を追いかけてまた錫杖を振るジル、避ける私。ジルが疲れて落ち着くまで、私たちは何度も追いかけっこを繰り返していた。
§ § § §
「到着しましたわ、久しぶりのナックゴン!」
村の入り口で両手を広げ、くるくると踊りながら喜んでいるジル。
「私とアリサさんが、出逢った場所でもありますわ!」
そう言われてみれば、確かにそう。
ここでジルと逢ったのが私とジルの旅の始まり。
今ではカナも一緒で……女三人、楽しい旅を続けている。
「へー……ここが、そうなのかー」
カナも物珍しそうに、入り口から村の中を眺めている。
私も懐かしい気持ちで、胸が一杯に……なんて暇も与えてくれず、ジルとカナは通りの屋台を見つけるなり、村の中へと走っていってしまった。
……二人共、想い出よりも食い気なの?
次々と屋台の料理を平らげていく二人。
あれ? ジルはともかく、カナも大食らいだっけ?
「カナさん、こっちも美味しいですわよ!」
「おっ……うめーな」
「ほら、こっちも!」
「こりゃ、いくらでも入るな!」
ちょっと、いつまで食べてるのよ!
そんなに食べたらお金足んなくなっちゃうでしょ!
§ § § §
――二人が屋台の料理に舌鼓を打ったところで、まずはギルドに挨拶。
「あっ……アリサさんっ! お久しぶりですっ!」
元気で仕事はしっかりしているけど、少しだけ抜けてる受付のお姉さんは健在だった。何年も空けてた訳じゃないから、当然といえば当然だけど。
それでも、忘れずにいて貰えていた事は嬉しい。
「おや……これはこれは……」
カナを見るなり、普段の営業スマイルではない、嬉しそうな、とても楽しそうな笑顔を見せるお姉さん。口に手を添えながら、私にだけ小声で尋ねた。
「アリサさんの、大事なお友達ですか?」
お姉さんが自身の首元をちょんちょんと何度か指差して言う。
「お揃い、ですよね?」
カナの首飾りを見て、私とカナの関係を察してくれたお姉さん。
ちょっとした飾りにしか見えないものにまで気を配ってくれるなんて。
少し照れくさいけど、気付いて貰えた事がとても嬉しい。
「うん……!」
私は照れ隠しと喜びで、少し返事の声が大きくなってしまった。
「どうしたんだ、アリサ?」
「ううん。なんでもない」
カナには悪いけど、お姉さんと私の秘密。
だって、なんだか照れくさいから。
……村付きの冒険者たちも皆、怪我もなく元気みたいだった。
剣聖様の凱旋記念だ、なんて言って陽気に酒盛りを始めている。
ジルは早速、酒盛りに参加して、冒険者の奢りで飲み食いしている。
「ジル、そろそろ行くよ。アミちゃんに逢いに行くんでしょ?」
しばらくして声をかけると、ほとんどの冒険者たちが酔いつぶれている中、まだ呑み続けているジルの姿があった。流石は真竜、正にうわばみだった。
適当な所で切り上げさせて、三人で孤児院へと向かう。
§ § § §
孤児院に着くと、建物から少し暗い雰囲気が伝わってきた。
いつもなら庭で子供たちが遊んでいるはずなのに、誰も外に出ていない。
門を抜け、ドアを開けても、来客の気配に誰も反応しない。
雨戸が一つも開いていない建物の薄暗い廊下を抜け、部屋を一つ一つ確認しても人っ子一人いなかった。ただ一つ、明かりがついた奥の部屋だけを除いて。
確か、奥の部屋は管理人室。
この孤児院を管理しているシスターが寝泊まりする部屋だ。
部屋に入ると、子供たち全員がベッドの周りを囲んで、必死に祈っている。
ベッドの上には、苦しそうに呻くシスターの姿。
「一体、どうしたの……?」
思わず疑問が口から突いて出た。
私の声に気付いて、子供たちが私の方へ一斉に振り向く。
そして、全員が泣きながら私の下へと駆け寄ってきた。
「おねえちゃん!」
「アリサおねえちゃん!」
「けんせいのおねえちゃん!」
私の足に抱きついて、わんわんと号泣する。
「あのね……せんせいがね……」
先生……シスターの事だ。
「おびょうきになっちゃったの……! おねえちゃん、せんせいをたすけて!」