第十話 怪物
私たちの目の前に現れたのはキメラ。
子供二人など、一瞬で丸呑みにしてしまえる程の大型の魔物。
合わせて六つの目が、私たちを獲物と認識して睨みつけてきた。
「こりゃ、やべーな……」
「カナもそう思う?」
「ああ」
「逃げちゃおっか?」
弱気な私の提案を否定するように、カナは腰の短剣を取り出して臨戦態勢。
片目を閉じて私に合図を送りながら答える。
「なぁに。ライオンに山羊に蛇。三つの肉がいっぺんに手に入るぜ?」
強くなったよね……カナ。
つい先日、熊に怯えて悲鳴を上げていた女の子とは思えない。
私が感慨にふけっている間に、カナは隠し持っていたもう一本の短剣を出して、二刀流になっていた。
逆手で構える姿がヒーロー的で格好いい。
「アタシが足を斬り付ける。その隙にアリサは、飛び上がってどれでもいい……頭を狙え!」
「わかった!」
手短に作戦を決めると、二人でキメラの下へと駆け込んだ。
カナは先行して、私は呪文を詠唱しながら走る。
まずは、カナが獅子の鋭い鉤爪を躱し、二本の刃を突き立て、前足を斬り裂く。
その巨体が怯んだ隙に、私はキメラの近くの木を蹴って、頭の上まで飛び上がり、叫んだ。
「《剣創世》っ!!」
右手に輝く魔法陣が現われ、魔法陣から現れた剣を引き抜く。
その剣を握り込んで、思いきり振り下ろした。
「えぇいやあああぁぁぁっ!!!」
私の着地と同時に、獅子の頭も地面に落ちて転がる。
倒せたと思ったその刹那、傷付いたままの足に蹴られ、私は吹き飛ばされた。
「――っああぁっ!!」
大木に叩き付けられて、飛んでしまいそうになる意識。
ここで気を失う訳にはいかない……気力を振り絞って立ち上がると、そこには信じられない光景が広がっていた。
頭を斬って落としたはずのその傷口が、激しく脈打ち盛り上がって、あっという間にもう一つの獅子の頭を作り上げた。
「再生してやがる!!」
カナが驚愕の声を上げる。
斬ってもまた生えてくるなんて……もう、どうしたらいいか分からない。
ひとまずカナの下へと走って、互いを庇い合う。
「どうしよう……」
「どうしようったって。やるしかねーよ」
「でも……」
私たちが悩んでいる間にも、キメラは攻撃の隙をうかがって、じりじりと近寄って来ている。
いつの間にか、カナが付けた両足の傷もふさがっている。
完治したキメラが凄まじい咆哮を上げる。
その大音声にびりびりと空気が震え、風圧が私たちを襲う。
その圧に気圧され、怯んだところに巨大な爪を振り下ろしてくるキメラ。
私たちは左右に飛んで、かろうじてそれを躱した。
そこから獅子の牙が、山羊の角が、蛇の毒牙が次々と襲いかかってくる。全ての頭をやり過ごした先には、二本の太い前脚から繰り出される鋭い鉤爪が閃光を放つ。
避けるのに精一杯で、どうすれば反撃が出来るかの目処がまったく立たない。
その全ての攻撃が一撃必殺の危険を孕んでおり、一度たりともそれらを食らうわけにはいかなかった。
私とカナ、二人の息も荒くなり、疲れが腕の痺れ、足のもつれとなって現れる。
これ以上避け続けるのはもう厳しい。このままでは二人共、この怪物に食い殺されてしまう。
そう思った刹那、キメラの爪を避けながらカナが叫んだ。
「アリサ!!」
私はカナの方へ振り向いて、耳を傾けた。
「いいか? アタシ達、魔族を含めた魔物は、ここ。ここをやられりゃ、どんな奴だって死んじまうんだ!」
カナは親指で、自分の左胸を指しながら言った。
「魔石だ。魔石を狙え! それで一発だ」
「でも、あんなに大きくちゃ届かないよ……」
四メートルを超える巨大な怪物の心臓を、ただの長剣で仕留めるなんて……とても無理な話だ。弱気になる私に、カナは語りかけた。
「イメージしろ。イメージ次第でどんな剣でも出せる。それが魔法だ!」
「うん……でも、本当?」
「ああ、アイツのどてっ腹を真っ二つに出来る長い剣を想像するんだ!」
「わかった、やってみる。……カナは時間稼ぎ、お願い!」
「応!」
二手に分かれて、カナは短剣でキメラの体に傷をつけながら、《火球》で牽制した。たいした傷にはならないし、すぐに塞がってしまう。それでも、威嚇するには十分な攻撃だった。
その間に、私は《剣創世》の呪文を唱える。間違わないように、でも……出来る限り早く。
頭の中で、斬馬刀――その長さから馬を斬って捨てたという言い伝えのある刀。それを思い浮かべながら必死に唱えた。
呪文を唱える間も、カナの体が何度も木に、地面に叩き付けれられた。
そのたびに血を吐き、うめき声を上げるカナ。
そして、肩に山羊の鋭い角が深々と突き刺さって一際高い悲鳴を上げた。
強靭な魔族の体でも、もうこれ以上は耐えられないだろう。
カナが限界だと気付いたのか、山羊の角でカナを刺したまま、獅子の瞳が眼光を放ち、その首を私に向けた。それを見たカナは、山羊の頭を蹴り上げてむりやり角を引っこ抜き、獅子の頬を斬りつけて言った。
「テメーの相手は、アタシだ……」
……ごめん、カナ。もっと急がなきゃ。それでも、この魔法を失敗させる訳にはいかない。だから丁寧に、もっと丁寧に。そして速く……もっと速く。
やっとの事で詠唱が終わり、カナに向かって叫んだ。
「お待たせ、カナ! 《剣創世・斬馬刀》っ!!!」
大声で剣の名を呼ぶと、私の両手に余る程の長大な日本刀が出現した。
強く握りしめ、キメラの腹の下へと駆けこみ、下から上へと弧を描くように振り上げる。
狙うは心臓部……『魔石』
重い。魔法の剣をもってしても貫き通せない硬さを誇る、怪物の皮の硬さ、そして厚さ。
「行っ……けええぇぇーっ!!」
太刀筋に全身全霊をこめて振り上げ、振り下ろし、光の軌跡が三日月を描くと……刀身がキメラの体を通過した。
数拍遅れて、キメラの体が前後、真っ二つになり、それぞれの方向へと倒れる。
「……やっ……た」
「ああ……」
へたり込んで、二人で顔を見合わせる。
緊張が解けると何故か笑いが込み上げ、二人で笑い合った。
§ § § §
ある程度、気力も体力も回復し、ギルドに持っていくために二人でキメラを縛り始めた。
そんな中、カナが不思議な事を言う。
「こりゃ『結晶化』だな」
「結晶化?」
「ああ、さしづめ『クリスタル・キメラ』っていったトコか」
カナがキメラの唇をめくり上げて、その牙を私に見せた。
「ホラ、牙とか爪が水晶みたい光ってんだろ?」
確かに水晶のように透き通って、きらきらと光っている。
「魔物ってのは二種類あるんだ。一つはアタシら魔族みたいな、最初から心臓が魔石で出来てる奴」
「もう一つは?」
「普通の動物に魔力が凝り固まって……うーん。最初から説明すんな? まず世界には、至る所に魔力ってのが散らばってんだけど……」
カナは空中で指をくるくると回して、ここにありますよという仕草を見せる。
「この魔力が、動物とかの体の中で凝り固まっちまうんだ。これを『結晶化』って言うんだ」
回していた指を折って手を握りしめ、拳で固まりを表現した。
「結晶化すると、その魔力が暴走して……こないだの熊がそーだな」
「あー……カナが可愛い声上げてた奴」
「言うな!」
真っ赤になったカナは、ごまかすように説明を続けた。
「魔力が暴走して、動物が強力な力を得る。魔力で頑丈さや速さが上がったり、体が大きくなったり、角や爪を手に入れたり……だな」
「それだけなら、メリットだけよね?」
「ああ。そうして出来た魔石は、段々と心臓に置きかわる」
カナは、また自分の心臓を指差す。
「心臓だけじゃなく、骨や歯、最後には肉まで。結晶が刺さりながら置きかわってく痛みは、その動物に地獄の苦痛を与える。理性なんて吹き飛んじまう程の痛みをな」
それで魔物って凶暴なんだ……それまで私は、魔物だから凶暴なんだって漠然と思っていた。カナに逢うまでは、魔族に対しても怖ろしいだけの種族だって偏見を持っていたし……。
そして、キメラの半分になった胴を見ながら、カナは言う。
「ひょっとしたら……コイツもそんな苦痛から、救いを求めてアタシたちのトコにやって来たのかも知れねーな……コイツも元はただのライオンか山羊、だったのかもな」
「可哀想だね」
「可哀想だからって、アタシたちが食われるワケにはいかねーよ」
「だね……」
憐れみを込めてキメラの亡骸を見つめる、私とカナ。
しばらくしてカナが短剣を腰から取り出して、キメラの牙を二本折り取った。
「どうしたの? カナ」
私が尋ねる。
それにカナは片目を閉じ、舌を出しながら答えた。
「んー……ナイショ」
少しだけ照れた頬と、嬉しそうに緩んだ口元。
何か面白い事を考えているんだろうな……という事だけは分かった。
「まー、どーせ心臓の魔石以外はたいした魔力もねーただの光る石だから、売っても金になんねーし。有効活用させて貰おーかと思ってな……」
「ふーん」
内緒と言うからには、私に言えない何かがあるんだろう。
深くは詮索しないでおこう。魔族なりの活用法でもあるんだと思う。
それから私たちはキメラを縄で引きずって、ギルドへと向かった。
ギルドでは、またオヤジさんが腰を抜かしたのは言うまでもない。