第五十九話 復活
私とジルがカナを奪還してから、三週間がたった。
その間に起こった出来事といえば……。
私とジルで奴隷売買が違法である事をギルドに説明。ワルザック一味が犯罪者としてお縄につくことになった。即刻、ギルドのネットワークを使って国王様に報告され、王都へ連れていかれたらしい。
ギルド職員は皆、カットマン領の出身で奴隷制度が当たり前だったらしく、私たちが告発するまで奴隷は普通の事だと思っていたとか。冒険者たちも、『この領では特別に奴隷が許さているんだろう』程度の認識だった。
ワルザックはその罪の重さから、国王様直々の審判が下る事になった。
街にいた奴隷たちも、正当な報酬が貰える『労働者』として再雇用される事になった。私たちの活躍を知った元奴隷の一部が、冒険者になろうとギルドに登録しに来ているなんて話もあった。
そして、カットマン男爵。
彼は違法な売買を黙認、どころか自らも売買に加担していた事が国王様の耳に入り、貴族の爵位を剥奪されてしまった。街から奪い取った側室だけでなく、奴隷たちも開放されるとか。
代わりに男爵へと陞爵し、この土地を任されたのが、フィーバジェイ名誉男爵。この周辺一帯の街道を建設、管理していた建築家で、その功績から名誉男爵の称号を貰っていた人だったけれど、このたび晴れて正式に男爵になった。
それまで危険だったカットマン領周辺に警鐘を鳴らし、自ら街道を設備するような人格者で、カットマン時代よりも良い統治になりそうだともっぱらの噂。
私が安全にこの領まで来れたのも、フィーバジェイ名誉男爵、改め男爵のおかげ。……とはいっても、あの時は護衛対象であるジル本人に襲われたんだけどね。
そのジルはというと、ヘッダだけでなく、周辺からも噂を聞きつけた人が次々とやってきて、ジルの治療を受けて『竜神教』に入信。よりホクホク顔になっていた。枯渇していた魔力も徐々に戻ってきている。
そう、ジルが人々に与える《治癒》や《病巣治癒》といった奇跡も、彼女自身の魔力を使う。信者から集めた魔力を使わないと、新たな信者と魔力を獲得出来ないなんて、まるでマルチ商法の末端会員みたい。……彼女自身が教祖なのにね。
§ § § §
そして何よりも、カナ――。
三週間で、三年前のような元気な姿になった。
魔族ならではの強い生命力は、この三週間で彼女をほぼ全快させた。
それでも最初の一週間は、普通の食事すら受け付けなくてパンがゆ生活だったけど。
「それまでまともな食事が出来ていなかった者は、胃が食事を受け付けませんの。カナさんの食事はしばらく、パンがゆだけにしておきなさい」
ジルの助言でカナは快方に向かった。まあ、その後……。
「余った分のお肉は、私が食べて差し上げますわ!」
なんて言わなければ、本当に素晴らしい『聖女』様だったのに。
カナは今ではもう、飛んだり跳ねたり出来るようになった。
元から羨ましいくらい細い子だったけど、奴隷として扱われていた頃の骨と皮だけのような状態から、ちゃんと肉がついて健康的な体型になっている。
その名通りの愛らしく可憐な声も取り戻していた。
ころころと響くような声を、今日も私たちに聞かせてくれる。
宿屋に借りたローブをまとって元気に笑って走り回るカナを見て、私たちまで笑顔になった。
「さて、そろそろですわね?」
「そろそろ?」
「ようやく私のMPも貯まりましたし、カナさんの古傷も消して差し上げますわ」
ジルが、私にそうしたように、カナの傷痕も治してくれると言う。
私は宿の裏庭ではしゃぐカナを部屋に呼び戻す。
カナが戻ると、ジルはカナをベッドに座らせ、例によって胸から錫杖を取り出した。瞳を閉じて集中し、高位の奇跡魔法を使うための聖句を丁寧に唱え始める。
やがて詠唱が終わると、ジルの錫杖から光が放たれ、カナへと降り注いだ。
「《再生》――。これで、古傷も全て消えましたわ」
「応! ありがとな聖女サマ!」
あれからカナは、ジルの事を『聖女サマ』と呼ぶようになった。
三週間も病人、怪我人を治し続けている姿を見れば、誰でもそう呼ぶのは確かだけど……あの食欲を見てもまだ聖女と呼べるのは、きっとカナが素直だからだろう。
「ですけど……流石に、角までは元に戻りませんでしたわ。魔族の角は魔力の塊ですもの……。角まで治すには、私のMP……魔力が足りませんでしたの」
「エムピってなんだ?」
「なんでもありませんわ」
やっぱりこの世界の人にはエムピーという概念は分からないらしい。
……まあ、私も知らなったんだけど。
ジルから聞いた話によると『マジック・ポイント』の略で、魔力を数値化したものらしい。ジルが元いた世界では魔力を数値化出来たとか。
そして、傷痕が綺麗に消え去ったカナに残った問題は、首輪と奴隷刻印。
「これ、どうしよう……」
じゃらじゃらと音を立てて、歩くのにも邪魔な鎖が付いた首輪。
魔族を捕える鎖という事で、ご丁寧にも鉄ではなく鋼が使われている。
「面倒だから、アタシはこのままでもいーぜ?」
「大事な親友が奴隷扱いだなんて、私が嫌なの……!」
魔法剣を創り出し、ああでもないこうでもないと、斬る角度や力加減を考えるもお手上げだった。以前助けた奴隷の女の子と一緒で、この首輪を斬ろうとすると、カナの首まで切れかねない状態になっていた。
「アリサ、ちょっとその剣貸せよ」
「いいけど、どうするの?」
「こうさ……!」
カナは首輪から延びた長い鎖を、数個程度残して切り落とす。
「これでまー、目立たなくはなったろ? ローブで隠せば十分だ」
昔からそうだったけど、カナは本当に大雑把な性格だなあ……。
私はこの首輪自体が嫌なのに。
「カナさんが、そう仰るならそれで良くはなくて?」
「そういうものなの?」
「そういうものですわ。チョーカーか何かと思えば気になりませんわ」
……もう一人の友達も大雑把だった。
「それよりも、奴隷刻印ですわね……」
「そうね……」
「ん? なんか問題でもあんのか?」
大した事がなさそうな顔をしてカナが首をかしげる。
思わずジルと私は、きょとんとしているカナに視線を向けた。
「大問題ですわ」
「そうよ」
「この刻印がある限り、主とした人間に逆らうだけで、呪いによって奴隷に激痛が走りますの。……場合によっては死に至る場合もありますのよ。もし手違いで、悪い人間がカナさんの主人になってしまったら、大変な事になりますのよ?」
「えっ……そうなの!?」
お腹に変な印が残ってしまうという心配だけをしていた私は、そこまで知らなかったし、考えてもいなかった。驚く私に、今度はジルとカナの冷たい視線が注がれた。
「アリサさん……」
「アリサ……」
呆れはてた二人の声。
二人共、まるで可哀想な子を見るような目で私を見ている。
「と……とにかく、この刻印を消さないと……」
「そうですわね。ですが、先日もアリサさんにお話した通り、この刻印を消すのは不可能……厳密に申し上げるなら、私が真の姿に戻る以上のMPを使ってしまいますので無理……ですわ」
「そうなの?」
「ええ。出来なくはない……ですが、今は不可能……という訳ですわ」
「うーん……」
腕を組んで悩む私とジルの二人。いくら腕を組み直しても、頭をひねっても、いい考えは浮かばなかった。時間ばかりが無駄に過ぎていく。
そんな折、カナがジルに疑問の声を投げかけた。
「なー、その主人っての、どうやって決まるんだ?」
「ええと、そうですわね。この世界の隷属魔法でしたら、主となる相手の体に口づけをしますの。それで主従契約が完了し……」
ジルの説明半ばで、カナは私に向かって身を乗り出して――。
§ § § §
いきなりの事に、のけぞって口元を押さえる私。
ぺろりと自分の唇を舐め上げるカナ。
平然としているカナに対し、私は多分、耳まで真っ赤になってしまっていた。
「やってしまいましたわね……!」
ジルが驚いて声を上げた。
そのジルの呟きにほんの少し遅れて、カナの奴隷刻印が光る。
この光が契約完了の証……なのだろう。
「へへっ……」
悪戯っ子のような顔をしてカナが笑う。
数秒後、やっと思考力を取り戻した私は、今度は腹立たしさで赤くなって、カナを怒鳴りつけた。
「カ……カナ……なんて事してんのよ!」
「駄目だったか?」
「だって、このままじゃ……カナが本当に奴隷になっちゃう……! 私たち友達なのに! なんで……なんで、こんな……!」
カナの突然の行動に、しどろもどろになってしまっている私。
本当は親友のはずのカナと私の間に、あってはならない上下関係が生まれてしまった事に涙があふれる。
「だって、アタシは絶対アリサに逆らったりしねーからな! 丁度いいだろ?」
「だからって……」
「よろしくな、『ご主人サマ』っ!」
「もうっ……! カナっ!!」
まるでなんでもない事かのように冗談まで言うカナに、私が拳を振り上げて怒ると、カナは頭を隠して怖がるふりをした。
魔法によって、私達の間に強制的な『絆』が出来てしまった。
こんなの……どうしたらいいんだろう?