プロローグ
コツ、コツ、と乾いた音が響いていた。
日の差し込まない薄暗い部屋の中、ランタンの灯りのみを頼りに、男は石筆を用いて幾何学模様と文字からなる図形、魔法陣を描いていた。
魔法陣が描かれた机--錬金術の作業台と呼ばれるそれは、天板に魔法陣を描くことで、それに対応した効果を作業台に置いた物に付与することができるものだ。
やがてコトリという音を最後に、男は石筆を置く。そして片手に持っていた羊皮紙に描かれた魔法陣と、今しがた机に描いていたそれを見比べ、男は満足そうに頷いた。
机に描かれた魔法陣は羊皮紙のそれとは些か異なった物であるが、しかしそれは男が意図的に改変したものだ。
「これで全ての準備が整った。」
と男は嗤った。
続けて作業台の上に蒸留機や薬草、魔物から剥いだ素材などを置く。蒸留機の中には赤い液体が満たされており、胎児の様な小さい肉塊が魔石を抱くようにして浮いていた。男は胎児を注視し、それが生きていることを確認すると、最終確認とばかりに周りを見渡した。
床に大きく描かれた魔法陣。その上に置いた作業台とその上の素材。
完璧なはずだ、と思う。
以前生成した胎児は魔力を持たず、さらには蒸留機から取り出した瞬間から衰弱していき、そして死んでしまった。今回はそれを反省し、改善したはずだ。
男は元宮廷魔導師としての経歴とそれに見合った魔法の知識と実力を自負している。しかし、それでも不安を拭うことはできず自然と肩を震わせていた。
なにしろこれから行うのは自分の命を賭けた試みなのだ。同様の事を行ったという話を聞いたことがなく、当然成功例などない。
だが、後は自身の覚悟のみだ。自分なら成功する。間違いはないという確信を持てばいい。
そうして男は意を決して魔法陣の上へと進み、床上の魔法陣へと魔力を篭める--その直前に作業台の魔法陣のみが発光した。
「……ばかな、有り得ん!」
目の前の光景に、男は思わず驚愕した表情を浮かべて叫ぶ。
なにしろ作業台に描いた魔法陣である召喚陣は、対になる転移陣とセットになって起動するはずなのだ。そしてその対になる床上の転移陣は未だ起動していない。
しかし現に召喚陣は発光しており、徐々にその眩い光が輝きを増していた。
--このままでは全てが破綻してしまう。
そう気づいた男は悲鳴を上げるかのように「やめろ、止まれ!」と叫ぶがしかし、それも叶わず光が視界を埋め尽くしたと共に、カッと一瞬その輝きを強め、続けてバキャンと何かが割れる音がした。
次第に召喚陣が輝きを収め、男が視界を取り戻す。そして今までそこにいなかったそれを認識した。
「いっつつ……、一体何が起きて……?」
そう声をあげた黒髪の青年がこちらを認識するのと、男が驚愕の表情を憤怒のそれへと変えるのは同時であった。