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健忘症の私が書くホラー

作者: 田村 雄二

小説を書くのは初めてです。

お手柔らかにお願い致します。


 夜分遅くにこんばんわ。私の名前は田村 雄二です。

 どこにでもありそうな名前ですよね、忘れてしまいそうですよね。でも忘れないでくださいね。私の名前は田村 雄二です。

 突然自己紹介されて驚かれたでしょうか。驚いたのでしたら、申し訳ございません。私の名前は田村 雄二です。ですが、これにはれっきとした理由があるのです。

 この私……つまり私の名前は田村 雄二なのですが、実は健忘症を患っているようなのです。弱冠、三十二歳にしてです。私の健忘症は、健忘症の中でも若年性健忘症という分類らしいです。そう診断された時は驚きました。驚きのあまり、私は自分の名前すら忘れてしまいそうになりました、そうです、私の名前は田村 雄二です。三十二歳です。忘れないでください。

 実際のところ、若年性健忘症というのは、十代からでもかかる病気らしいです。物を忘れたり、人の名前や約束が思い出せなかったりといった症状が起こるようなのです。私ははっきりと分かりません。症状があること自体忘れているのでしょうか。自覚はないのですが、そう診断されました。

 ああ、話がそれてしまいましたね、すいません。いっつもこうなのです。話の流れがどこかに流れて、戻ってこれなくなって、それで、いつの間にか本題を忘れてしまう……どうかご容赦ください。そして大丈夫です。ちゃんと話は進みます。ああ、そうだ、名前。名前、覚えていますか。私の名前ですよ、田村 雄二。

 それでは、本題に入らせていただきます。私、今まで小説を書いたことはありませんでした。読んだこともないんです。ポイントなんて今まで入っていないし、ブックマークなんかもないんです。だから読んでも書いてもいないんです。間違いありません。大丈夫です。私は健忘症ではありません。

 そんな私が突然、何かを表現したいという欲望に襲われたわけです。そうです、小説です。小説を書きたくなったのです。小説を書くと、脳が活性化されて、私が患っている健忘症も少しは緩和されるようになるのかもしれませんね。そういう目論見があって、私はホラー小説を書くようにしました。

 でもホラー小説って難しいですよね。人をびっくりさせなくちゃいけないんです。びっくりしないホラー小説なんてありませんよね。ホラーは恐怖という意味だと、お医者さんから伺いました。ホラー小説を書くと頭が良くなるので、私の健忘症は治るでしょうか。いいえ、それは誰にも分からないことです。

 話を戻しましょう。すいません。毎度のことです。ご容赦ください。でも、よくあることじゃありませんか。他者の小説を見てみたりしましたが、誤字脱字があったり、文章の意味が通らなかったり、余計な描写があったり、設定が矛盾していたり。だから大丈夫なんです。私だけじゃありません。健忘症にかかっているのは、私だけではなく、他にも大勢いるんです。そう、これを読んでいるあなただって例外じゃあないんです。

 それで、ホラー小説の書き出しが難しくて、こうして語り部の私が自ら出ているというわけです。そうです、田村 雄二ですよ。忘れかけていたでしょう。思い出してくださいね。田村 雄二ですよ。三十二歳です。

 それでは私の実際に体験した怖い話をこれからします。


 あの夜、私は病院から帰宅する途中でした。病院というのは脳の病院です。その当時の私は健忘症を患っており、薬を使って進行を食い止めていました。

 暗がりの道を歩いていると、目の前に真っ黒い人影がありました。人じゃないのです、人影なのです。それは本当に全面が真っ黒でした。前なのか後ろなのかも分かりません。人影の本体になるはずの人はいません。影が実体を帯びているようでした。更に驚くべきことに、その人影からは影が伸びていないのです。正真正銘、影そのものなのです。

 私は驚きました。驚きました。驚きすぎて、私は自分の名前すら忘れてしまいました、私の名前はえーっと……何だったかな、まあいいや、名前くらい。また別の名前をつけておけば。そうです、名前なんて求められた時に答えられれば良いのです。その時以外は邪魔なんです、要らないものです。

 ともかく影は動きません。弱りました。私の自宅はその道を通らないと辿り着けません。回り道は出来ません。回り道をすると、自宅の場所が分からなくなり、迷ってしまいますから。

 私は立ち往生してしまいました。どんどん日が落ちていきます。このままでは夜になる。夜になったらこの人影が勝手に動き出すかもしれないじゃないですか。怖いです。怖いでしょう。でも、大丈夫です。私はここにいます。そうでなきゃ、語り部なんて出来ません。

 かれこれ一時間くらいでしょうか。立っている私に、見知らぬ人が声をかけてきました。

「俺だよ、俺。大学の同級生の田村だよ」

 その田村という人は、私の大学の同級生のようなのです。田村本人から聞いた情報なので、たぶんあっていると思います。でも私は今まで田村なんて人に会ったことがないんです。困りました。見知らぬ人に声をかけられたら、大声で助けを呼ぶってお母さんに教えられましたので、大声で叫びました。その人は驚いた様子でした。驚きたいのはこっちの方なのですが、驚かれました。私はそのはずみで自分の名前を忘れてしまいました。でも、今は思い出せます。もう何度も書いていると思いますので割愛しますが。

 ともかくです。その人が突然思いもよらないことを言い出したのです。

「ところで吉田。なんでそんなところで立ち往生してるんだ?」

 私はぎょっとして後ろを振り向きました。人はいません。私は驚きました。つまり、この人は私に見えていない者に向かって「吉田」と語り掛けたことになります。

 あたりを見回しても吉田と思われる人物はいませんでした。強いて居るとすれば――ずっと佇む人影しかありません。この人は一体、何者なんだ。汗が滝のように流れだしました。唇がプルプル震えて言葉も出ません。

 その人は私の様子をじっと見つめています。いいや、本当は吉田の方を見ていたのかも。そして、私をどうにかするつもりなのかもしれません。彼の意図は今でも分かりません。あなたはどう思いますか。

 数分すると、彼の方は観念したのか、何か一言か二言言い残して去っていきました。何を言っていたのかは思い出せません。思い出したくないのかもしれません。確かにそのような言葉でした。

 しかし問題は残っています。目の前にいる人影です。ずっと微動だにしません。これでは家に帰ることが出来ません。回り道は出来ないんです、回り道をすると、道に迷ってしまいます。それは私が方向音痴だからです。私は健忘症ではありません。私は三十代ですから。そんなお年寄りの病気には罹りません。

 それからしばらくすると、自転車に乗った人が突然話しかけてきました。

「どうかしましたか?」

 その人は警官の制服を着ていました。良く分からない人です。警官にお世話になるようなことはしていません。それは事実です。忘れてはいません。

 そうか、と思いました。そう言えば、突然、見知らぬ他人が声をかけてきたな。確か「大学の同級生」と偽った上で。そのやりとりを報告しよう。

 私は事情を話しました。その人はうんうんと頷いていました。これで大丈夫です。悪い奴は捕まるでしょう。

 吉田の件もついでに教えようかと思いましたが、そもそも吉田が何だったのか忘れてしまいました。でも、些細なことを忘れることなんて、よくあることじゃありませんか。特段心配することはないでしょう。

 ひとしきり話した後、警官の制服を着た人は言いました。

「それで、あなたはどうしてこんなところで、立ち止まっているんですか?」

 私は驚きました。驚きました。この人には、目の前にいる人影が見えていないのか。いや、私が見え過ぎているだけなのかもしれない。そう言えば、あの男も……

 はっとしました。これはひょっとすると幽霊の類なのかもしれない。だから見える人と見えない人がいるのだ、そう思いました。

 だとすると、説明には骨が折れることになりました。いいえ、骨は折れたのです、実際のところ。幽霊が見えない人に「見える。幽霊はいる」と言ったらどうでしょう。あなただって、馬鹿げてると思うでしょう。そういうことです。

 ですが私は説明し続けました。謎の人影が目の前にいて、帰宅できない。回り道は出来ない。回り道をすると、道に迷ってしまうから。私は病院に通院しています。病名は若年性健忘症。このままでは日が暮れてしまう。帰宅したいがどうしたらいいか。

 そうすると警官の制服を着た人はにっこりと微笑みました。私は嫌な予感を覚えました。

「大丈夫ですよ。それは幽霊ではありません」

 私は叫びました。やっぱりそうだ。そんな風に茶化すのだ。分かっていたことだ。そりゃそうだ。普通はそう思うにきまっている。霊がいるなんて、霊が見えない人に言ったところで、無意味じゃないですか。

 その人の顔は、ちょっと前に出会った異常者――名前は確か吉田だったか、に似ていました。いや、同一人物だったのかもしれません。そうなると、目的はなんでしょう。一度目は「大学の同級生」として様子を見に来た。二度目は警官として。

 このままでは、私は、任意同行されてしまう。おそらく奴と人影はグルなのだ、間違いない。そう直感しました。

 私は警官の抑止も聞かずに走りだしました。家にさえ辿り着けば、そして鍵さえかけることが出来れば。そうすれば、また平穏に満ちた生活が送れるはずなのだと、そう信じて。

 家に到着した私は、がちゃりと鍵をしめました。上も下も両方です。うちのマンションは二重ロックなのです。家賃は月に六万八千円。

 私はほっとしました。本音を言えば、その日の深夜まではびくびくしていましたが、ほっとしました。何故なら、警官の制服を着た異常者が追いかけてくるかもしれない、そう思ったからです。

 翌日以降は大丈夫でした。上を向いて歩こうを口ずさみながら、私は通院を繰り返しています。私の病名は若年性健忘症です。忘れないでください。あなたもその可能性があります。


 というような話です。これがホラーと言えるのかは、実際のところ分かりません。

 如何でしょうか。怖かったでしょうか。びっくりしましたでしょうか。驚かれたでしょうか。

 驚かれたのであれば、これ以上ない喜びです。是非、驚いていってください。無理をする必要はありません。ホラーを書くと毎度のこと、我慢した上で「こんなもんか、全然怖くないもんね」と言うような人がいますが、それは健康に良くありません。ぼけます。健忘症になってしまいます。いけません。驚いてください。大丈夫です。

 こんな私の体験で良ければ、まだ数があります。ご要望があれば、書くかもしれません。ただ怖いです。少なくとも私にとっては怖いのです。なんたって実際に体験した話ですからね。

 正直なところ、私は今でもこの話は怖いと感じます。語るだけでも怖いのです。だから今回、小説にしたのです。

 何故かって、それはですね。

 あの人影、今も私の傍に張り付いているんですよ。私の足元に――

怖がっていただけたでしょうか。

怖がっていただければ、幸いです。

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