初めての町
黒いフードを被っているガルトは身長が高くて良く目立つ。
後ろからついて行く僕としては分かり易い目印なのだけれど、街の中では他の人よりも頭一つ分突き抜けていて、悪目立ちしているように思えた。
小さな森を抜けて舗装されていない道を歩いてほどなく着いたのは小さな町だ。
石造りの家が並ぶ広い道を中心に、細い道が幾つかあるような町で。小さいと言ったって村のようにここから町の果てが見える訳じゃない。
商店も幾つもあるし他の施設もあるようだ。
いわゆる古き良きヨーロッパみたいな観光ポスターを眺める気分でガルトの後を付いて行く。
車が走らないで馬車が走っているのにはやっぱり驚く。
自転車も無いんだろうなあ。
行き交う人も肌の色や髪の色がまちまちで。
雑多な人種が混じっている気がしたから、交流は盛んなのだろう。
この世界の情報を得るには丁度良さそうだ。
ガルトが宿を取るというからお任せする。僕は無一文なので言われるがままにしか出来ない。勿論一部屋なのも宿泊日数も口を挟まない。
他人と一緒の部屋に寝るのなんて、修学旅行以外ではしたことが無いから緊張はするだろうけれど。いじめをしていた他人よりは見知らぬ他人の方がまだ信頼できそうな気がした。
宿の部屋はベッドに小さなテーブルと椅子があるだけのシンプルな部屋で、二階の部屋からは街並みがあるていど見渡せた。
「小さい街かと思ったけど、そうでもないんだね」
「これぐらいなら平均的な大きさだと思うが」
ガルトの言葉に肯いてから、僕は自分の格好を見降ろしてみる。
学生服なんだけど。違和感がありまくりじゃないかなあ。
町の人はもっと違う服装をしているし。
「お腹が空かないか?」
「あ、うん。…空いたかも」
随分歩いて僕がくたくたなのを分かっていたのか、ガルトは宿の一階の食堂でご飯を食べようと言ってきてくれた。
ありがたい。
テーブル席に相向かいに座ると、元気そうな女の子がメニューを持ってきてくれた。
ガルトが僕をチラッと見てからメニューを差し出してくるので受け取って開いてみる。
うーん。
何が書いてあるのかは何故か読めるけれど、文字自体は知らない文字で。
更にメニューの名付け方が独特過ぎて、どんなご飯なのだか見当もつかない。
“深海のギャスティオン”とか“余り山のトレンフィール”とか。
訳分からん。
悩みまくっている僕に微笑を浮かべたガルトが聞いてくる。
「どんなものが食べたいのだ?」
「うーん。お腹が空いているからボリュームのある物が良いんだけれど」
「此処は海の近くの町だから、新鮮な魚介類がたくさんあるが」
「そうなんだ?じゃあ海鮮炒飯とか?」
「…似たようなものを頼んでみよう」
メニューを僕から取って、ガルトが注文してくれる。
奢り前提なのは申し訳ないけれど。後で稼いで返さなくちゃだよなあ。
出て来たのは。
お魚丸ごとの煮物と麺類に海鮮あんかけが乗った中華っぽいサラダ麺。
うん。ニュアンスだけは似ている。
それでもお腹が空いていたから全部食べてしまった後でさらにデザートも食べて、満足の溜め息を吐いた僕を見て。
「けっこう大食いだな」
ガルトが笑った。正面で見ると悔しくなるほどイケメンだ。
黒髪で浅黒い肌をしたガルトは、その髪の色のせいか僕には違和感がない。
怖い感じは最初からしないけれど、とても優しそうな顔で笑ってくれているのは。普通のお兄さん的な雰囲気を醸し出しているのは、きっと大事な人を失った僕に気を使ってくれているのだろう。
寝る前にお風呂に入ろうって思って。
身体の確認もしたかったし、ガルトに言うと分かっていたのか少し遅い時間にお風呂を貸し切りにしてくれたみたいで、僕はガルトと二人で結構広い浴場に行く事になった。
身体が変化しているんじゃないかって言われてから、一番変化している部分にはあえて目をつぶってはいる。けれど屈むとさらさらと肩から落ちて来てうっとおしい。
自分を誤魔化しながら脱衣所でまずは上を脱ぐ。
別に胸は出てないし見慣れた身体…?ん?細い気がする。
腕を見ると明らかに細いし色も白い。いくらインドア派の僕でもここまで白い訳じゃない。虐められてはいたけれどこんなに細かったわけでもない。
何だか下を脱ぐのが不安になって来た。しかしお風呂には入りたい。
確認もしなくちゃいけない。
勇気を出してベルトを外し、ズボンと下着を脱いでみた。
あれ?
「……」
「どうした?ショウ?」
先に中に入っていたガルトがなかなか入らない僕を心配してか、声を掛けてきた。
けれど僕は今それどころではない。
自分の下半身をじっと見降ろしたまま動けない。
あれ?
傍まで来たガルトが、同じように僕の身体を見降ろした。
泣きそうになるのをぐっとこらえてガルトを見上げる。
困ったように肩を竦めると僕の背中に手のひらを添えて、そっと中に促した。
「身体が冷えている。中に入った方が良い」
言われるまま歩くけれど、湯船に入っても僕は自分のそこから目が放せない。
どうして?
「だから聞いただろう。男なのかと」
浴場の中では余計に声が響いて僕の耳を直撃する。
だって。
自分の性別が変化するなんて思ってもいなかったから。
いや、でもね?
「…僕、胸が無さ過ぎない?」
いくらなんでも女の子になったなら、もう少し出てませんか?
この変化がないから安心していたのもあるのだけれど。
だってみるちゃんは結構あったし。胸。
僕がそういうとガルトがしみじみと僕の胸を見てから、首を傾げた。
ねえ。変だよねえ?
「ちょっとそこに座れ」
「え?うん」
湯船の縁に腰掛けるように促されて、座るとガルトが真正面に座った。
え、なに。
「少し調べる。痛かったら言ってくれ」
「え、調べるって」
僕の両足を開いて下腹部を触りだした。
は!?
ビックリしている間にちゃちゃっと触ってから、納得したような顔をされた。
僕はと言えば余りの事で動けなかったけれど、ガルトの手が離れてから恥ずかしさで頭の先まで熱いんですけど。絶対真っ赤だよね、僕。
「女性だな」
「……」
どことなく分かってはいたけれど。
それにしたってこんな調べ方はないんじゃないだろうか。
いきなり大人の男の人にまさぐられるとか。無いと思うのだけれど。
あんな触り方されて。
「…男じゃなくなったんだよね」
「そういう事だ」
…そうかあ。
身体に違和感はないのだけれど、変わってしまったのか。
今までの人生と語れるほど長く生きて来た訳ではないのだけれど、それでも男として生きてきたのに女性になりましたって。
湯船に浸かったままじっとしている僕の顔を見て、ガルトが困った様な顔をした。
「身体を洗うといい。いつまでも浸かっているとふやけるぞ」
「ふやけないよ」
それでものぼせてきた感じは分かったから。
外に出て身体を洗おうと思って、立った先に大きな鏡があった。
ああ。これは。どうにもならないな。
なんだよこれ。
僕の前に、作られたフィギュアのような美少女が立っていた。
髪の毛はサラサラなストレート。気が付けば随分と長い。色が自分の髪と同じような黒い色だったから気にしないようにしていたけれど、よく見ると緑色にも見えるほどの黒い髪は、射干玉色って言っても良いぐらいで。
真っ白な肌もびっくりするぐらいすべすべで。睫毛も長いし鼻はこじんまりしているけれど、小さな口と相まってバランスが良い。
顔も小さいし。身体は細いし手も足も前より小さいし。
つまりは。良く出来たフィギュアが実体化して歩いている。
言ってみれば「ほむ○む」とか「くろ○き○め」的なやつが、生きて動いている感じ。
恐る恐る後ろを振り向く。鏡の中の人物も同じ動きをしている。
「…これ、僕?」
「そうだ。現実は残酷だな、ショウ」
「…そんな事を言う?」
泣きそうだよ。
身体と髪を洗って自分の手で違和感を再確認したお風呂になった。
湯冷めはしなかったけれど、のぼせたみたいで。
部屋に帰ってベッドに入った後の記憶がない。
異世界召喚。侮りがたし。
ほんと、どうしよう僕。
雨が降っている。
無色透明な雨のはずなのに、地面は何故かうっすらと桃色で。
僕は、その中で立ち尽くして空を眺めている。
鉄の匂いがして。生臭い香りがして。
だけど雨は無色で、空から無限に降り注ぐ。
雨に濡れた僕の身体からも、得も言われぬ匂いが立ち昇る。
みるちゃん。
みるちゃん。
涙だけが何の香りもしない。
苦しくて身じろぎをしたら、何か暖かいものに顔がダイブした。
「う?」
僕が唸ると、目の前に在った何かが離れる。
目覚めたばかりの僕の眼にはそれがガルトに見えるのだけれど、気のせいだろうか?
気のせいじゃなければ僕は、ガルトと一緒のベッドで寝ていたという事になる訳だが。どうしてそうなっていたのだろう。
しかも今シャツを着ているお着換え中の姿を見ているという事は僕の隣に寝ていた時は下着だけでしたという事になりませんかねえ?
「何故に?」
「寝心地は悪くなかっただろう?」
右腕を擦りながらガルトが聞いてくる。
「…痺れてるの?」
「気にするな」
何の台詞だろうこれ。乙女ゲー?
「何故に腕枕?」
「…気にするな」
同じセリフを今度は笑顔付きでかえされた。
それ以上は突っ込んでも仕方ないと判断して、僕も着替えようとしたけれど。
置いてあるのは学生服で、この姿には何だか違和感がある気がする。
服を眺める僕にガルトが言ってくる。
「男装のご令嬢みたいで、それはそれで良しとする人物もいると思うが」
「何でそんな怖いこと言うんだよ」
「怖いか?」
「怖いよ!?変態さんに認められても嬉しくないよ!?」
男装を抜きにしても学生服は変わって見えるだろう。
もしも異世界の知識がある者が見た場合、召喚されたと発覚するかもしれない。それは困るのだ。今の僕が考えている事に対して、悪い結果にしかならない。
なるべくならば、穏便にやり過ごしたい。
「この世界の服っていくらぐらいするんだろう?」
無一文の僕は、服を買う為に働かなければならないかもしれない。大溜め息を吐きながら呟く僕を見てガルトが不思議そうな顔をした。
「魔法で出せるだろう」
「え?僕が魔法を使えるの?」
「お前は誰と融合したのだ。使えるに決まっているだろう」
そんなものですか?
思い出すのさえ苦しい記憶は見ないようにして、魔法の知識だけ探ってみる。
ベッドに座って目をつぶって、必要と思われる魔法を探してみる。けれど自分の記憶を探るという行動をしたことが無い僕には難しい。
知識を収めている場所を探すのも一苦労で、その中から適切な魔法を引き出すなんて難しすぎる。
ゼエゼエと息を荒くした僕が探し当てたのは、結局もっと実用的な魔法だった。
指先をチョンと跳ねさせる。
そこから金貨がコロコロと零れた。
足元に落ちたそれを拾い上げる。この国の通貨なのだろうけれど、普通ではめったにお目にかからなかった金という金属に僕はしばらく見とれる。
僕が眺めている金貨を見て、ガルトは小さく溜め息を吐いた。
魔法で服を出すと言っても、文化の違いが全然分からない状態でモノを引き寄せる或は生み出すって難しい。多分僕の想像が勝ってしまうからアニメの服みたいになっちゃうよ、きっと。僕には現金の方が思考しやすかったんだ。
「買い物に行くための服はどうするんだ?」
「うーん。それ貸してくれると嬉しい」
ガルトのローブを指さすと、彼はそれを差し出してくれた。
「下着だけでローブを着るのか」
「風が強くない事を祈るよ」
「…そうだな」
ちょっとだけ彼の口が笑う形になったのはどうしてだろう。
ともかく、学生服は部屋に置いたまま、服を買いに外へ出た。
宿の近くを見て回ると、服屋も何軒かあった。
入って服を見るが、店員さんが進めてくるのは全てスカートとか美麗なワンピースとかハイヒールとか、ピンクとか白とかパステルカラーとか。
隣のガルトが笑いをこらえて顔を背けているのが分かるくらい、それはもう女の子待遇だった。
中身は男なんですけどね。
店員さんに言いそうになった僕は開きかけた口を閉じる。ニコニコしている店員さんを見ながらまだ口は開けない。
違うけど。違わない。気持ちは僕のままで男なんです!そうなんです!
って言えないよなあ。
「もっと動きやすい冒険者の服が欲しいのですが」
「え!?冒険者なんですか!?お嬢さんが!?」
もの凄く驚かれた。
どうして?冒険者に性別は関係ないだろう?
僕が読んだラノベには美人の冒険者がいっぱい出ていたけれどなあ。あれってやはり男のロマンなのかなあ。
店員さんが渋々と見せてくれた服は、やっと希望通りの深い緑とか濃い茶色とかの服で。
長いズボンにブーツ。シャツと短いベスト。
上着は別の所で買えとガルトが言ったので上着は買わないまま、お金を払ってから試着室で着させて貰って。ほっとしている僕に、今まで着ていた服は何処にしまったのかと店員さんが聞いてきて、ちょっと焦った。まさかまっぱでしたなんて言えないし。
良い言い訳が浮かばない僕を店員さんが不思議そうに眺めている。また後ろを向いて笑っている人は無視して店を出る。もちろんあとからついて来るけど。
僕が返したローブを着たガルトが、ローブは専門店があると言い出した。
「ええと、魔法の道具って事でいいのかな?」
「どちらかと言えば、防具と呼ぶ」
「ああ、そうかあ」
ガルトの説明に僕は肯く。
ゲームでも、服は装備とするものと道具と一緒にするものと、色々な区分の物があったような気がする。
次はそこに行こうと思った時に、不意に大きな音がした。
ん?何の音?
僕が立ち止まって自分の身体を見る。
ガルトも立ち止まって僕を見ている。
ぐるるるる。
もう一度音が鳴った。え、これって。僕のお腹が鳴っているのだろうか。
隣で我慢が出来ないのか、ガルトが座り込んで笑いをこらえている。
この人思ったより笑い上戸だ。
「そ、そういえば、朝食を食べていなかった、な」
「そんな震える声で言わなくても、もう十分恥ずかしいから笑ってもいいよ」
僕が言った途端に座り込んだまま声を押さえるように笑いだした。
良い声で笑われても恥ずかしさって変わらないんだな。よく分かったよ。
暫く笑っていたガルトが笑いながら立ち上がり、屋台で肉まん的な何かをたくさん買ってきてくれた。昨日も奢られっぱなしだった僕が金貨を渡そうとするけれど、ガルトは笑って受け取らない。
「魔法で出せるのが分かっているのだろう?ならば遠慮はするな」
それでも僕は居心地が悪い。
契約も無しに僕にただ付き合ってくれる人。その好意がどこから来るのか分からないから不安になる。
なにせ僕には人を引き付ける力なんて何もないのだから。
…みるちゃんと違って。
貰った肉まん的な物は本当に肉まんで。味も物凄く似ていておいしい。
僕は道端に座って食べながら、コンビニの前で食べていた肉まんを思い出す。
同じように人が行きかう中で、誰の眼にも留まらずにぼんやりと食べていた。こうやって空を見上げて一人で。
不意に目の前に植木鉢の様な瀬戸物のカップが差し出された。
もちろん差し出しているのはガルトで。
僕はそれを受け取ってから中身を覗きこんでみるとミルクっぽいものが入っている。飲んでみると紅茶のような味がした。
「ありがとう」
「満足したか?」
少し笑っているガルトは、僕のお腹を気にしているようだ。
肉まん三つ食べてもまだ鳴るようなお腹なら自分でも困る。飲み物も貰って満足しました。
カップは道にたたきつけて割るらしい。土から作ったものだから土に還すのが普通なんだとか。とてもエコな考え方だと思う。
また歩き出した僕達は、ぶらぶらと店を探しながら町の外れまでたどり着いていた。町の境には低い壁があって、その先は港になっていた。この町は海の町だったのだ。
久しぶりに見る海に僕はちょっと興奮する。何時ぶりだろうかこんなに海の近くに来るのは。多分子供のころから来ていない。
僕の住む町は内陸だったから、海のある区域とは離れていた。よほど遠出をしなければ海は見えないし、インドア派だった僕はめったに外に出かけることはなかった。
「海や空は同じ色なんだね」
「そうか」
ガルトはひとことだけ言って頷くと僕と一緒に海を眺めている。
壁の向こうで船が行きかい人が行きかう。町を歩くだけで理解出来るほどこの町に色々な人種がいる理由も分かった。
僕はガルトを見上げる。きっとわざわざここを選んで連れて来てくれたのだろう。僕が早くこの世界になれるように分かり易い街を選んで。
「ありがとう」
「…気にするな」
僕の言葉の意味を分かってガルトが答える。
有り難いけど、あなたの真意が分からなくて不安だよ、僕は。
こんな大人の人が無償で味方してくれる事なんて、有り得るのだろうか。
2018.1.13 改稿