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ノワールの掟  作者: 棒王円
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喪失







床の冷たさが身体に染みた。

僕を蹴っている同級生がニヤニヤしながら見降ろしている。


腹を蹴られて顔を蹴られて、胃液も戻しているけれど周りの奴の誰一人止めようとしない。それはそうだ、代わりにされてはたまらないだろう。


黙って見ている同級生の中に、みるちゃんもいた。

ご近所さんで、いわゆる幼馴染みのみるちゃんはクラスの中でも断トツの美少女だ。もちろん僕の事を心配してくれているのは知っている。


前に一度、声を掛けて止めたいとメールが来た事があったけど、僕は電話をかけて止めてくれと言った。だってみるちゃんが虐められるとなったら、暴力だけでは済まない気がするからだ。

女の子は別の暴力にさらされる事がある。

僕はそんな事を容認は出来ない。


電話の向こうでみるちゃんは泣いていた。悔しいって言っていた。

それだけで僕には十分だったのだけれど。


今日のみるちゃんは違っていた。

僕がされている事をじっと見ていた。

真っ青な顔で、両手で口元を押さえて。その両目が真ん丸に開かれたまま瞬きもせず。


飽きた奴らが僕を開放して。

クラスは何時も通りのふりをして。

僕も自分の席に座って、破られた教科書で何とか授業を追いかけた。


学校が終わった後、痛む身体を引き摺りながら家に帰ってベッドに横になって。

今日の暴力が何回も続いたら、さすがに死ぬかもなあって思った。



その次の日から、みるちゃんが学校に来なくなった。

担任は風邪だって言って、最初は皆もそれを信じていたけれど、さすがに二週間も来なくなると、登校拒否じゃないかって噂が出て来て。


クラスの女子が会いに行ったらしいけれど、会えなかったと文句を言っていた。


一か月を過ぎるころ、みるちゃんが学校に居ない事に皆が慣れ始めて、それはとても悲しかった。誰もみるちゃんが居ない事を気にしないのは悲しい。

僕へのいじめが過熱したあの時以降、少し沈下していた暴力がまた強くなってきて。

身体を引き摺るように帰る僕の前に、突然みるちゃんが現れた。



僕の歩く先に塞がるように立ったみるちゃんは、最初みるちゃんだと分からないほど様変わりしていた。


長い髪の毛はバサバサで、ガリガリに痩せていて、でも両目だけがぎょろりと力を讃えていた。クラスでも美人だと言われていた面差しは病的な様相に変わっていた。

僕の前でかすれた声で言ってくる。


「あのね、やっと出来そうなの」

「…なにが?」


唐突な言葉に聞き返してしまう。


「しょうちゃんを助ける方法」

「僕を?」


みるちゃんが嬉しそうに頷く。

僕は胸を強く殴られたみたいに言葉が出ない。


それじゃあ、あの時からみるちゃんは僕の為に何かを必死にしてくれていたのだろうか。僕の情けない姿を見て呆れたのではなく、嫌になったのでもなく。

心配しかしていなかった自分が情けない。


「これからするの、一緒に来てくれる?」

「うん」


僕の為だと言っているのに、それを断る訳がない。

それに、一緒に行かなければならない様な何か強い意志も感じた。


僕らはバスに乗り町はずれに行き、それから小さな山をどんどん上っていった。あまり人が来ないような標高も高くない山で、誰も来ないから木々が鬱蒼として手入れもされていない様だった。


みるちゃんは何度も来ているのか細い道を迷わずに歩いて、僕はそれを追いかけていく形になった。時折みるちゃんが振り向くから大丈夫だと笑うと、みるちゃんも嬉しそうに笑う。久しぶりに見る笑顔は前と変わらずに可愛いままだ。


やがて僕達は山頂に着いた。

ここへ来るまでに随分時間がたっていたから、あたりはすっかり日が暮れていて。

綺麗な星空を僕が見上げると、みるちゃんも隣で星を見上げる。


「綺麗だね」

「うん」


暫くそうして並んで見上げていたけれど、やがてみるちゃんは僕の隣から離れて少し空いている場所に立つと僕を見てからこくんと肯いた。


「これからする事に、怖がらないでほしいの」

「うん」

「それから、ちょっと危ないからそこに居てね?」

「うん」


僕はみるちゃんが小さなナイフを出して自分の指を切るのを、我慢して見ていた。

その指を使って地面に円を描く。切り口から悪い菌が入らないか心配だったけれど声を掛けるのはいけない気がしたので黙って見ている。

描き終わった円の真ん中にみるちゃんが立つ。

それから。


知らない言葉がみるちゃんの口から紡がれた。


低音の歌の様な言葉が暗闇に満ちていく。

僕の眼の前で、みるちゃんの足元に光の輪が出現する。

アニメではよく見る光景だけど、これは現実で。

僕は手で目を擦ってからもう一度見直したけれど、その光が消えることはなくて。

ぞわぞわと背筋に興奮と恐怖が混じった悪寒が掛け上がっていく。


すごい。

みるちゃん、すごい。

こんな事が出来るなんて。


他の誰も出来ないはずだ。こんな事、空想世界でしか聞いたことが無い。

みるちゃんが世界を征服出来たっておかしくないって、本気で思った。


やがてみるちゃんの右手がゆっくりと上がり、その指に触れる寸前の場所に黒衣の人物が現れた。何もいなかった場所に、不意に。

召喚ってやつだろうか。


何だか強そうな禍々しい雰囲気の黒衣の男は、みるちゃんをじっと見た後に僕をちらりと見た。その目線が物珍しそうな感じがしたのは、部外者みたいな僕がいる事に疑問を感じたのかも知れない。

みるちゃんが何かを呟き、黒衣の男も何かを答える。静かな山の中で二人の声だけが響く。厳かと言っても良いくらいの雰囲気に、僕は固唾を飲んで見守るしか出来ない。


肯いたみるちゃんの足元に男が屈み込もうとした瞬間。

足元の光の輪の外に、もう一重の光の輪が出現した。


「え?」


みるちゃんが小さく呟く。

屈み込もうとしていた人物も、動作を止めてみるちゃんの顔を見ている。


「え?なにこれ」


みるちゃんが戸惑ったような声をあげる。


「召喚したのは私なのに、何で召喚されようとしているの!?」


足元の光が強くなる。

みるちゃんは困ったように頭を強く降ってから何かを言ったけれど、光が消えることはなく、それどころかドンドン強くなっていく。


「やだ…」


みるちゃんが出していた光の円までも強い輝きになってきて。

まるで光の柱にみるちゃんが閉じ込められそうで。僕は。


「みるちゃん!!」


叫んだ僕をみるちゃんが見て、それからくしゃりと顔が泣きそうになって。


「しょうちゃん!!」


みるちゃんが右手を出してくる。

僕はその、みるちゃんの右手を握って光の輪の中に入った。

強すぎる光の中は甲高い音と雷のような轟音が入り混じっていて、下から風も吹きあげて来ていて立っているのがやっとの状況だ。

みるちゃんをしっかりと抱き締めると、涙ぐんでいたみるちゃんが僕を見上げてちょっと笑った。


「しょうちゃん、す」


その後の言葉は聞こえなかった。

まるで焼かれるような光に目をつぶり轟音がひどすぎて他の音も聞こえない。

腕の中のみるちゃんを抱きしめているのさえ分からなくなるほど強風にあおられて、もはや地面に立っている事さえ分からなくなるほどの事態に、僕はひたすらにみるちゃんを抱きしめていた。





轟音が止み風もやんだ。

強すぎる光に目をつぶった僕が目を開けた瞬間。

僕は空から降ってくる赤い雨に呆然とした。


そこに降り注いでいたのは。

腕の中に居たはずの。

抱き締めていたはずの。


細かい服や靴の切れ端が。

小さな肉片が。

見た事も無い形の千切れた臓物が。

ばらばらの指先が。

音を立てて地面に降り注ぐ。


それから最後に、四分の一ほどの大きさに千切れた頭が、足元にゴトっと音を立てて落ちてきた。


無念そうに見開かれた血塗れの眼球が僕を見上げている。


「あ、ああ、あああああああああああ!?」


考えられなかった。

なにも。

誰かが何かを言っているのは分かったけれど。

僕は叫ぶのを止められない。


「あああああああああああああああっ!!!」


赤い雨が降っている。それなのに。

みるちゃんが囁いてくる。

耳元で。頭の中で。

さっきまでいた腕の中の感触さえ消えていないのに。

姿もなく、だけど声だけが聞こえる。


わたしのことばをきいて。しょうちゃん。

しょうちゃんをたすけたいの。このままじゃ、しょうちゃんがこわれちゃう。

だからきいて。

それから、いっしょにいって。


耳元で囁かれる知らない言葉。

それはみるちゃんの声で。確かにみるちゃんの声で。

泣きそうな寂しそうな、無念そうな残念そうな。

みるちゃんの声が僕の声と重なって。


辺りに降っていた赤い雨も、周りに飛び散った成れの果ても。

全てが言葉に導かれて、僕に喰らわれる。

自分の身体が変わっていくのが分かる。

知らない知識が流れ込んでくる。魔法とか魔術とか暗黒とか古代とか。


みるちゃんの持っていた知識や知恵が流れ込んでくる。

それからほんの少し、気持ちと記憶も。


そうやって、みるちゃんは、この世からいなくなった。




僕は。

僕に声を掛けている人物に気付いた。

それは気付くはずだ。だって僕の両肩を持って身体を揺さぶっている。

大声で僕を呼んでいた。


「ショウ!!」

「うわ!?」


不意に届いた声があまりにも大きくて。それは耳元で怒鳴られたのだから大きいなんてものではなかったけれど。


僕を見降ろしているのは、みるちゃんに呼ばれた黒衣の男だった。


「…気付いたか」


安心したのか揺すっていた肩を離すと、僕の前で大きな溜め息を吐いた。


「どうなっている?何故術者の死体がお前と融合したんだ?」


目に見えただろう異変の疑問を聞かれているけれど。

実のところ僕にもさっぱりだ。

体感はしたけれど、それを事実として認識しているのは僕一人で、他の人にどうやって説明していいか分からない。


「…望んだから、かな」

「術者が、か。そうか」


男は納得という顔をした。


「あれはすごい術者だったからな。死んだのちにも力が使えたとしても不思議ではないな」

「そうなんだ?そんなに凄かったの?」

「…お前たちの世界では魔力がほとんど供給されない。それなのに、あの術者は少ない魔力で強大な術式をやってのけたのだからな。豊富な魔力がある世界だったらどれだけの力を誇った事か」

「…そうかあ…」


その世界を見てみたかったなあ。

みるちゃんに支配される世界。それはきっとすごい世界だったに違いない。


僕の顔を黒衣の男が見ている。

余りの強い視線にどう対応して良いのか、分からない。


「…なに?」

「いや。取り込んだあの術者はもともと美人だったのだろうが。それは凄まじいと思ってな」

「なに。凄まじいって」


人の顔を見て言う台詞ではない気がするけれど。

自分で顔を撫でてみるが、つるんとした感触だけで変化は分からない。

肌がつるつるになったかなあっていう感想ぐらいだ。


「男なのだろう?」

「何でそんな質問?僕は男だよ」

「今でもか?」


そう聞かれて、ちょっと困った。

みるちゃんと一緒になったのはついさっきで、身体の確認なんかしていない。

でもこんな山の中で服脱いだり自分の身体を触ったりとか変態っぽい行動はしたく無い。


「…此処は何処?」


黒衣の男に聞いてみる。

木々の色が違う気がしたし、さっきまで夜だった森がいきなり昼間になっているのもおかしな話で。

多分違う世界なのだろうなって、単純に納得していたから。


「俺が所属している世界だ。お前にとっては異次元という事になるな」

「異世界転移てやつですか」

「…多分、正確には召喚だろう」

「え?召喚?」


誰が?


「あの術者が俺を呼んだ後に、術者自体がこの世界の者に呼ばれた。だから術式の上書きが起こって魔法の事故が起きたのだ」


あの外側に出現した光の輪か。あれが召喚の魔法陣だったのか。

なんでそんな最悪な条件で召喚したのだろう。

そうでなければ、みるちゃんは死ななくて済んだのに。


「誰が召喚したか分かる?」

「憶測だが。別の世界の人間を召喚できる者はごくわずかだ。その中でも無理矢理に召喚をするとなったらシュレイバル神殿の祭巫女だろうな」

「…なんで?」


多分、聞くまでもない理由だと思う。

そんな事はラノベを読んでいる中学生ならだれでも知っている。


「勇者の召喚だ」

「うん。そうだよね、やっぱり」


じゃあ、みるちゃんは勇者になる予定だったのか。

こっちの世界で大活躍をして。


そうしたら、僕とはもう会えていなかったな。

…今はもう、どうやっても会えなくなってしまったけれど。

僕の為にあんな事をしなければ、みるちゃんはこちらの世界で生きられたのかな。


考え込んだ僕の肩を黒衣の男がそっと叩いた。

見上げると優しい瞳。


「時間は戻らない」

「うん。分かっている」


僕には分かっている。

もう、みるちゃんと融合してしまったことは事実なのだから。

息を強く吐き出してから男を見上げる。


「この近くに街とか村とかってあるかな。僕はとにかく生きていかないといけないだろうし、お腹も空いたし」

「そうか。ならば俺が案内しよう」


男がそういうから、僕は首を傾げる。


「あなたは、みるちゃんと契約しなかったんだよね?」

「そうだ。契約の儀を完了する前に事故が起きてしまったからな」

「じゃあなんで、僕を助けようとしてくれているの?」


そう聞くと眉根を寄せて困った顔になった。


「…なぜだろうな?」

「え、僕に聞き返されても」


男は微笑んでから、背中を向けて歩き出した。


「行こうか、ショウ。俺のことはガルトと呼んでくれ。人間社会でも名前で呼び合う方が良いのだろう?」

「え?うん」


どこの人だろう、ガルト。

魔物とかなのかなあ。


僕はガルトの後を追って山を下りる事にした。

知らない世界へのワクワクした気持ちが無いと言えば嘘になるけれど。

みるちゃんを無くした痛みの方が、今はまだはるかに強かった。

だからこそ僕は生きなければならない。


みるちゃんを召喚して殺した奴らを、追い詰めるために。








2018.01.13 改稿

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