アクアツアーの喋る魚
母が死んだ。
病室で最期を看取り、役所に届け、通夜と葬式を行い、墓地を決めた。
全部一人でやらなければならないから泣く暇もなかった。全て終わって母のアパートで遺品を整理しているとき、初めて泣いた。
一人になってしまった。
父は僕が小学校にあがる前に亡くなっている。
祖父母もそうだ。
だから家族というものが僕にはもう無い。
やるせない気持ちが倦怠感につながり、遺品整理は日が暮れても終わらなかった。
時代遅れのビデオデッキを母は今でも使っていた。テレビ台の下の棚には何本もビデオテープが積まれている。
古いドラマ。
歌番組。
旅行番組。
なぜかオリンピックの陸上競技を録画したものもある。
几帳面に番組名、録画日時を記したラベルがどのテープにも貼られていた。
その中の一本に「息子」というラベルのテープがあった。
家庭用ビデオカメラで撮影されたホームビデオだった。確か僕が小学4年生ぐらいの頃に買って、すぐに故障して使わなくなったカメラだ。
運動会。誕生日パーティーでケーキの蝋燭を吹き消す場面。初雪が降った日。そういった場面が次々と映し出されていく。
それを見ながら、懐かしさと喪失感と淋しさで胸を揉みくちゃにされたような気持ちになり、また僕は泣いた。
テレビ画面の中でキャッキャと飛び跳ねる小さな子供の僕に母が話しかける。
「あんなに可愛がってたのに、川に帰しちゃってよかったの?」
「うん。僕ねー、喋る魚が怖いからもう魚は飼わないんだ」
それから僕は、画面に映った子供時代の僕だが、水着に着替えてベランダに広げられた小さなゴムプールに飛び込んでいった。
今でも覚えている。
この映像を撮った前夜だ。
夕食の後、図書館で借りた「怪人二十面相」を読みたくて自室に戻った。そうしたら、お姉さんが来ていた。
お姉さんは母の昔からの知り合いらしかったが、どこに住んでいて何という名前なのか僕は知らなかった。
ただ時々フラッと家の中に現れて遊んでくれる年上の女の人。というのが僕の認識だった。
部屋の真ん中に電灯も点けずちょこんと正座していたお姉さんは、ドアを開けた僕の顔を真っ直ぐに見つめ、
「遊園地に連れて行ってあげる」
と言った。
お姉さんの声はコロコロと耳に心地よく、澄んで真っ直ぐな印象を受ける。でも時々濁声のような、あるいはゆっくりとした地鳴りのような、低く不気味な声を出すことがあるのだ。このときもそうだった。
いつものように優しく笑った顔で、でもいつもと違うお爺さんのようなしわがれた声を出すお姉さんが僕はすごく不気味に見えた。
それにこんな夜遅くに出かけたらお母さんに怒られるかもしれない。そう思ってモジモジ立ち尽くす僕の手を、お姉さんは上からガッと掴み、そのまま玄関まで連れて行かれた。
「夜の遊園地はとっても楽しいんだよ」
お姉さんの声は、いつもの綺麗な声に戻っていた。それで僕は少し安心し、促されるままに靴を履く。
いつもより重い玄関の扉を開け、お姉さんに抱え上げられて家を出た。行く先は僕が一番好きな、近所の遊園地「裏野ドリームランド」だという。
お姉さんの肩越しに閉まりかけの玄関ドアを見ると、暗い廊下の向こうに落ち窪んだ真っ黒な瞳で無表情にこちらを見つめ返す母さんの顔があった。
裏野ドリームランドに着くまでの間、お姉さんは僕の背中をさすりながら歌を歌っていた。抑揚のない節回しで、とても気分の悪い歌だった。
「けいくんはお魚が好きなんだよね」
「うん」
「じゃあアクアツアーに乗ろうね。この時間なら、昼間は入れない場所も見られるよ」
閉園時間をとっくに過ぎたドリームランドの門を、僕を抱いたままお姉さんはすり抜けた。
入場門にも、その外にあるチケット売場にも、門を抜けた先の噴水がある広場にも、不思議なことに見渡す限りどこにも人がいなかった。
観覧車やメリーゴーラウンドの放つ眩しい明かりと、売店の自動ドアが開いたり閉じたりする音と、ゴトゴトとジェットコースターが走り抜ける音が無人の遊園地に響いていた。
アクアツアーは園の一番奥にある。ボートを模した形のゴンドラでゆっくりと楕円型の水路を一周し、周囲に設置された池や水槽の魚を鑑賞し美しくライトアップされた様を楽しむアトラクションだ。
コースの最後は少しだけ傾斜がついており、巨大なエイが飼われた水槽のトンネルをくぐり抜ける。途中で霧吹きによって少しだけ水が吹き付けられるのが、このアトラクションのクライマックスだ。
係員が居ないので、僕はお姉さんに引っ張られて勝手にゴンドラに乗り込んだ。ゴゥゥンと重い音をたてて、ゴンドラが進み始める。
「楽しいね」
お姉さんに問われ、本当は少しも楽しくくないのに、僕は頷いた。ゆっくりと亀やカレイの水槽地帯を抜け、サーチライトがちかちか輝く池を通り過ぎ、最後の下り坂の前でゴンドラは止まった。
先ほどまで聞こえていたモータ音は途絶え、どこかで魚が跳ねるピチャリという音以外は何も聞こえなくなった。
「降りよう。この先に面白い場所があるんだよ」
お姉さんは再び僕を抱き上げ、濡れるのもかまわずゴンドラを降りた。ゴンドラの浮かぶ水路はお姉さんの臑の真ん中くらいまでの深さがあった。
水路の脇の池と草むらと、ちょっとした茂みを抜けるとその先にコンクリート造りの建物があった。
ドアノブを回して建物に入ると、大きな水槽が目に入った。
「ほら。珍しいでしょ。喋る魚だよ」
水槽の中には6匹の魚がいた。
いや。それは魚と呼んでいいものなのだろうか。
魚に人の頭が付いていた。
切り落とされた魚の体から細長いウネウネとした白いヒモが伸びており、そのヒモの先が人間の生首につながっていた。
人の頭は全て男で、水に濡れてドロドロになった髪を振り乱しながら口をぱくぱく動かして、聞き取れない言葉を呻いていた。
お姉さんはうっとりとした表情で水槽を眺めていた。
「綺麗でしょ。けいくんお魚大好きなんだもんね」
何匹かの魚は水槽の底にたまった赤黒い肉のようなものにかぶりついていた。
「あれはあのお魚が人間だった頃にくっついていた体の肉だよ。お魚たちは自分の体の肉しか食べられないんだ。だからあの肉が腐ったり、食べ尽くしてしまったら、餌がなくなって餓死しちゃうの。そうしたら別の人間の頭を、またお魚にくっつけてあげるんだ」
綺麗な澄んだ声で、水槽のガラスをなでながら、僕を真っ直ぐに見つめて、お姉さんは言った。それから低くしわがれた気味悪い声で「けいくんはお魚大好きなんだもんね」と繰り返した。
はっきりと覚えている。
はっきりと思い出せる。
僕はこのとき以来、あんなに好きだった魚類全般が大の苦手になった。
でも。
本当は、僕はこんな体験をしていないはずなのだ。だって裏野ドリームランドは僕が生まれた年に廃園になっている。だから僕はドリームランドには行ったこともない。
母の知り合いで家に遊びに来るお姉さん、なんて人物も存在しない。
アクアツアーは母の思いで話で聞いたことがあるが、実物は知らない。母は若い頃、よく裏野ドリームランドに遊びに行き、とくにアクアツアーがお気に入りだったらしい。
だから全部が僕の空想の産物で、きっと夢と色々な記憶がごちゃ混ぜになっているんだろう。
「お姉さんのこと忘れないでね。約束だよ」
あのときお姉さんは言った。
僕は頷いた。
「また、けいくんが一人になったときに迎えに行くからね。約束だよ」
僕は頷いた。
そんな記憶も、今となって冷静に考えれば、夢の中の出来事のはずなのだ。
「お姉さんが迎えにいったら、けいくん、ちゃんとついてきてね。約束だよ」
夢の中の僕は頷いた。
四十九日の法要を終えた夜、来客があった。
「連絡もなく夜分にごめんなさいね。でも貴子さんが亡くなったって聞いて、居ても立ってもいられなくて」
そう言って、その客人は僕の家に上がり込み仏壇に線香をあげた。
客人は、お姉さんだった。
僕の記憶と寸分違わない姿形で現れ、僕の記憶と全く同じ声で僕に話しかけてきた。
ゾッとして逃げようとする僕の腕をお姉さんは上からガッと掴み、そのまま玄関まで連れて行かれた。
いつの間にか僕の体はあの記憶の中のように子供に戻っており、お姉さんに抱え上げられて家を出た。
「約束したもんね。けいくん、一人になったからまた迎えに来たよ」
お姉さんの肩越しに閉まりかけの玄関ドアを見ると、暗い廊下の向こうに落ち窪んだ真っ黒な瞳で無表情にこちらを見つめ返す死んだはずの母さんの顔があった。
アクアツアーの奥の、あの建物に僕はいる。
冷房が禄にきいておらずジットリと汗が吹き出てくる。
お姉さんは僕を置いて外に出て行ってしまった。
僕はひたすら水槽を見つめて過ごしている。
6匹の喋る魚。
その中の1匹でも死んでしまえば、僕は頭を切り落とされ、その魚に代わりとして付けられてしまう。
「けいくんはお魚大好きだから嬉しいでしょ」
と、しわがれた声でお姉さんは言っていた。
がつがつと腐りかけた肉を貪る「喋る魚」を見つめながら、ただひたすらに「嫌だ。嫌だ。あんな風になりたくない。死なないでくれ。死なないでくれ」と祈り続けている。