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悪魔の仕業  作者: N
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一話

 日本の隅の方に一人の学生が住んでいた。彼は特別優秀でもなければ、特別不出来であった訳でもない。ただ純粋に愚かであった。それはもう無邪気に愚かであった。どれだけ愚かであったか、ここで一つ例を示しておきたい。

 彼は幼少期、どこに行っても周りを見れば畑か田か山しかない田舎に住んでいた。

 ある夏の日、彼は青々と茂る水田を眺めてこれは寝転がったらふかふかとして気持ちがいいに違いないぞ、と禄に考えもせずに水田に飛び込んだ。当然彼は泥と肥料に塗れてぐちゃぐちゃの顔をしかめることとなった。まあ、これだけならば小さな頃の微笑ましくもほろ苦い思い出で終わり、老成した頃の笑い話となっただろう。しかし、彼は何を思ったのか口に入った泥を吐き出しながらその二面性を人間と結び付けた。表面的に美しい人は皆、裏にどろどろとして臭いものを隠し持っているに違いないと考えたのである。

 諸君等が考える通り、水田と人類にはさほど共通項は無い。同じ地球の仲間だということくらいだろう。だが彼は何だか人の真理を見抜き人生の辛苦を味わったかのようなとち狂った心持ちになり、阿呆臭い厭世観に捕われた。そのまま元々米一粒ほどしかなかったコミュニケーション能力は著しく減少しその後雲散霧消して女も男も知らずぐずぐずと今まで生きてきた。

 これを愚かと言わずして何を言うのだろうか。彼は特別不出来では無かったと先に述べたが、あれは間違いであった。彼は特別優秀に不出来だ。しかし彼はそれを認めていない、ただそれだけのことである。ちなみに彼の名は田中秋人。彼はこの平凡な名を嫌っていたがこの名にさえ名前負けしていることは言うまでもない。

 今日も彼は一人でカーテンを閉め切った薄暗いボロアパートの小さな部屋の中で何かうごうごとやっている。コミュニケーション能力が皆無で、疑心暗鬼によって目を光らせ続ける彼と家族は上手くいくはずも無かった。その為に家族とも折り合いが悪い。進学するのを機に家を飛び出してこのボロアパートに転がり込んだのだ。

 薄暗い部屋の床と机には、どこの言語だか分からない胡散臭い書物がうずたかく積まれ、床の中心にはチョークか何かで描いたらしい所々歪んだ大きな魔法陣が描かれている。その魔法陣の中心で、彼は形容しがたい気色の悪い色の汁をぶちまけた。

「ふう……」

 一仕事を終えた大工のような爽やかさで額の汗を拭う。今彼は悪魔を召喚しようと企んでいた。部屋に散乱している書物は全てその為に古書店からかき集めた物だ。

 彼は何故、悪魔などといういるかいないのかも分からないものを呼び出そうとしているのか。理由は単純、周りの人間に危害を加えるためである。水田から人の真理を見た彼は自意識過剰となり、本来眼中にさえ入ってないくせに自分は人から嫌われると思い込んでいた。そうして思いついたのが悪魔を召して彼等を亡き者にしてやろうということだった。だからせっせと魔術の本を読み漁り、分からない言語の為に四苦八苦しながら辞書を引いて勉強しているのだ。

 どうして学業や部活動に励み、結果を残すことなどで彼等を見返してやろうとは考えなかったのか?

 そんなこと毫も思いつかないのが彼を彼たらしめている所以である。

「さあ、準備は整った」

 彼は魔法陣の前に跪き、ぶつぶつと濁点の多い呪文を唱え始めた。呪文を唱え終え、わくわくしながら魔法陣を食い入るように見つめた。しかし呪文を唱え終わり少したったが何も起こらない。また失敗かと思い彼が落胆したその時、突如魔法陣の中心にぼこりと地獄まで続いていくかのような大きな穴が開いた。

 最初は腕だった。露骨に悪魔らしい細い指と腕がにゅっと出てきて穴の淵を掴んだ。その後またもや悪魔らしい痩せた顔が、ギラギラした目を光らせながら現れた。

「やった! とうとう俺はやったんだ!」

 彼は狂喜乱舞し、悪魔が全貌を現すのを待った。しかし、悪魔の上半身が姿を現した辺りから彼は段々と不安になってきた。

 悪魔はTシャツを着ていたのだ。どこかのアパレルショップで見たことのある黒の英字の書いてある安っぽいTシャツだった。

 下半身も現れ、悪魔の全貌が現れた頃彼の不安は最高潮に達した。悪魔は茶色の短パンにクロックスのサンダルを素足で履いていた。しかも部屋が薄暗いせいで良く見えていなかったが、よくよく見れば悪魔の肌の色は我ら日本国民の大半と同じ色をしている。頭髪も普通に生えており、角は見当たらない。尻尾や翼の類も、おなじみの三又に別れた槍のような武器も無かった。

 彼の目には最初の印象からは大きくかけ離れて、ただの痩せこけた三十代後半のおっさんとしか映らなかった。

 あれ? こんな奴コンビニでよく見かけるぞ。

 彼はそう思いながら尋ねた。

「お前は悪魔なんだよな?」

 すっかり穴は閉じて、悪魔のようなただのおっさんのような生き物は魔法陣の中心に仁王立ちしている。

「如何にも」   

「本当に? 何かの手違いでただのおっさんがコンビニからここまでテレポートしちゃったとかでは無いんだな?」

「しつこいぞ、人の子よ。私は悪魔だ」

 中々悪魔らしい口調である。それを聞いて彼も納得したのか、今までの自分の苦労を思い目に涙を浮かべた。

 思えば苦難の連続であった。悪魔を召喚する為に大枚を叩いて胡散臭い古書店から胡散臭い書物を買い取った。それらを読み解くために学校の勉強を放棄し、学校で習う英語よりも寧ろラテン語が上達した。書物を買う為に日夜コンビニバイトに明け暮れ、学校を休みがちになり、更に人間関係は荒んでいった。

 それらの苦労が今全て報われたのだ。彼は悪魔の面前で神と仏に感謝していた。

「じゃあどうしてそんな姿なんだ?」

 コンビニによくいるおっさんでは威厳も何も無いと彼は考えた。

「おい、人の子よ。この荘厳な口調は疲れるからやめてもいいか?」

「別にいいが……」

 彼が狼狽えながら言うと、悪魔は一つごほんと咳をしてから口を開いた。

「そうか、いやあ最初が肝心だから怖い感じでいこうと思ったんだけど、あれ疲れるなあ」

 唐突な変わりように驚く彼に気付いていないかのように、悪魔は外見よりも大分若い少年の声で続ける。

「え、で? ごめん何だっけ? ああ、そうだそうだなんでこの姿なのかだった。あー、これはね、ユニクロ地獄支店が超繁盛しているからだね、うん」

「はあ」

 彼は状況に付いていけずに中途半端な回答しか出来なかった。

「あれ? 嫌だなあ。信じちゃったの? ユニクロ地獄支店なんてある訳ないじゃん。この姿はさ、君の頭の中から人間の情報を抜き取って形作っただけだよ。要するに、君が見慣れている平均的な人の姿だね」

 中々茶目っ気のある悪魔である。

「それとついでに現代の常識と君自身の情報も失敬させて貰ったよ。怒らないでほしいな。仕方なかったんだよ。こっちに来るのなんて数百年ぶりだからさ」

 彼は自分の見慣れている存在が冴えないおっさんであることに少なからずショックを受けながらも、どうにか平静を装うとしていた。

「ああ、情報なんていくらでもくれてやる。俺はそんな事で怒るようなちんけな器じゃねえのさ」

 初対面の存在には精一杯虚栄を張るのが彼の流儀である。

「そりゃありがたいね。それにしても君の性癖はすごいね。あんなもので興奮するなんて、正に悪魔的だ! 悪魔の僕でも流石にこれは引くなあ!」

「黙れ! 勝手に人の頭の中を覗くな! 変態め!」

 彼は虚栄の化けの皮を脱皮するように見事に脱ぎ捨てながら真っ赤な顔で叫んだ。次の瞬間、部屋の壁から激しい打撃音が鳴り響いた。隣の部屋の住民が壁を殴ったらしい。

 このボロアパートには彼同様、社会に馴染めなかった者達が安い家賃を目当てに集まっている。それ故にこんな平日の真昼間に関わらず、ほとんどの住民が部屋に残っているのだ。

 小心者の彼は青い顔をしながら先ほど自分で召喚した悪魔をきっと睨んだ。

「お前のせいだ。きゃいきゃい騒ぐな、それでも悪魔か!」

「うわ、なんだよ。ひどい豹変ぶりだね。というか僕の声は君以外に聞こえないよ。だからさっきのは十割君が悪い。まあ、そんなことはいいよ。君のことはなんて呼べばいい? 変態? 悪魔的性癖保持者?」

 彼は怒りに震えながらも、隣りの住民が怖いために小さな声で返した。

「ふざけるな。俺はお前を召喚したんだぞ。俺は主人でお前は従僕だろうが。御主人様と呼べ」

「りょーかい、御主人様」

 彼は中年のおっさんに御主人様と呼ばれることの気持ち悪さを痛感した。コンビニにいるおっさんほど醜悪な動物はいないのかもしれないと彼は思った。しかしこれは彼の言い過ぎである。コンビニエンスストアに来る中年にも様々な種類があり、髭とサングラスの似合うダンディーな方もいるのである。ただ彼がよくコンビニを利用する平日の昼間という時間帯にいるのはまあ、大概禄な人種ではないと言うだけのことだ。

 最も醜悪なのはそんな浅はかなことを考える彼自身であることをここに記しておこう。

 何よりも悪魔のその少年のような高い声と中年男性の外見が全く一致していなかった。それをどうにかしなければならない。

「ちょっと待ってくれ。その声と見た目のギャップは気持ち悪すぎる」

 彼は無い知恵を捻り出そうと頭を抱えた。暫くそうしてからやっと一つの妙案らしきものを思いついた。

「そうだ。お前、俺の頭の中からその姿を造ったって言ったよな。なら今から美少女を想像するからその姿になってくれ」

「やだよ。僕オスだし。悪魔にだって性別はあるんだよ」

 即答だった。彼はそれを聞いて膝から崩れ落ちた。何だかどうにかしてあの残念な姿を変えねばならないような奇怪な使命感に駆られ、彼はまたもや必死に思案した。それを見かねた悪魔が

「少年にならなれるよ」と助言をした。

 それならば声と外見は一致するだろう。彼はまだ少し諦めきれていなかったがそうしてもらうことにした。

「じゃあ、少年の姿を想像しておいて」

 頭の中で少年の形を想像する。そして彼が瞬きをした瞬間、おっさんの姿はどこにでもいる中学生くらいの短髪の男子になっていた。服装は先程と同じ柄でふた周り程サイズの小さいTシャツと短パンにサンダルだ。

「ああ、よかった。意外と普通の姿だ。あんな性癖を持つ君だから、どんなものを想像してしまうのか不安だったんだよね」

 彼は怒る気力も無かった。外見だけでこんな一悶着あると思っていなかったのだ。取り敢えず本題に移ろうと、目を爛々と光らせて悪魔を見据えた。

「お前は何が出来る?」

 少年の姿の悪魔は口が耳まで裂けたように、にやりと笑った。

「御主人様が望むものなら、何だって」

 彼もにやりと笑った。原因不明の汗が彼の頬を伝う。彼は欲しかったものを得た喜びと緊張とで手を強く握りしめた。今彼の頭の中には彼の願い達が我先にと叫んでいた。

 俺を叶えろ。いや、俺が先だ。俺を先に叶えろ。

 願い達の絶叫が彼には聞こえていた。

「代償は?」

「そんな物はいらない。僕は悪魔だよ? 人の不幸が最大の幸福であり、快感だ。御主人様が世の為人の為に僕を使おうって言うんじゃ代償は貰うけれども、そんな心配は必要なさそうだしね」

「お前の姿は他人から見えるか?」

「声同様、御主人様にしか認識出来ない」

 彼はそれを聞き終えると、制服に着替え始めた。彼の顔には先程からずっと引き攣った笑みが張り付いている。これからのシナリオを創る為に心臓がばくばくと拍動し、必死に脳に血を送り込んでいた。

「今更学校行くの?」

 彼は悪魔の問いかけを無視してリュックを掴み取った。そして玄関のドアを開けた。

「登校するぞ。付いてこい」

 その声は力を得た者が発する自信と強い意志とが込められたものだった。

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