やっと来てくれるのね
彼女が笑っている。
見覚えのない花畑。周りは黄昏時のようにオレンジ色に染まっている。
肩までの短い髪をした、まっすぐこちらを見つめている綺麗な黒い瞳の女性。整った顔立ちをにこやかにし、元々柔和な顔が更に安心感を与えてくれる。
ああ、なんて綺麗で美しいんだ。なんて何度も思ったことを考えてしまう。
すると、彼女が何か喋ってるのが見えた。もしかして、いや、きっと俺を呼んでいるのだろう。
行かなくては。俺は駆けだして二十メートル程先の彼女の元に向かおうとした。
――でも足が動かなかった。
あれっ、動かない。なんだ、これ。動かない。なんで、なんで……。彼女は向こうにいるのに。俺は彼女の元に行くことすら出来ない。
何か言わなければ。何か……。
俺が急いで口を開こうとした時。俺と彼女の間に白い小さい点が生まれたかと思うと、その点は徐々に拡大し、世界を、そして彼女を飲み込んでいった。そして最後に俺も飲み込まれ――
「あっ、目覚めた! ――目覚めました、先生!」
気付けば俺は白い天井を眺めていた。
「おおっ、なんと! 凄い、凄い! 良かった! 奇跡が起きました!」
声は耳には届くが、しかし急な変化に対応出来ずにぼーっとそのまま天井を眺めていた。すると、その景色を遮るように顔が割り込んできた。老けてきている、それでもしっかりと認識出来る美は保っている顔。この顔には見覚えがある。もう歳は五十に届きそうな俺の母親だ。
その目には輝きが見え、次第にその輝きは増し、そして雫が溢れた。その雫が俺の目の下辺りに当たる。暖かい。何だ、母さん。何で泣いてるんだよ。
大体ここはどこだ。視線を移すと、自分の体の上に被せられている布団、自分に繋がっているチューブ、そして白衣を羽織り、驚いたような顔を見せる黒髪の中に所々白髪が混ざっている四十代くらいの男性がいた。
そして、自分の背中に感じる感触。ベッドの上。
ここは病院? じゃあ、さっきのは夢だったのか?
「なん……れ……うい……にい……?」
あれっ。何だ、これ。上手く喋れない。ここは病院の筈だ。何で俺が病院にいるか聞きたいのに、上手く口が開かない。声が出ない。途切れ途切れに、しかもはっきりと言葉として出てこない。
それでも必死に言葉を吐き出そうと続け、それを何とか母さんが必死に聞き取ろうとしてくれた。そのお陰で何とか聞き取ることが出来たようで、「何でここにいるか聞いているみたいです」っと母さんが、おそらく状況から察するに俺の担当医であろう白衣を羽織った男性に言った。
「まさか、覚えてないの、隼人……? あんた事故にあって一週間、ずっと寝続けていたのよ」
続けて母さんが言った。
しかし、その言葉にしっくり来ない。疑問を持ってしまった。
……俺が事故? そんな記憶全くない。何かの間違いじゃないのか。
そう思うが、しかし実際に病院にいるということと目覚めた俺に涙を溢しながら母親が言った言葉が嘘である可能性は限りなく低いという事実がその言葉を肯定する。
なら、何故覚えてない……?
「おそらく事故に遭ったショックで記憶に混乱が生じているのでしょう」
その俺の疑問に答えるように、担当医が答えた。
「このまま目覚めないという可能性もあったのですが、こんなに早く意識が回復するとは。あなたは本当に運が良いですね」
そう嬉しげに担当医は答えるが、事故に遭っている時点で運が良いなんて言葉使えないだろ。それでも、不幸中の幸いというか。状況から察するに俺は本当に九死に一生を得たのだろう。
……俺は生きている。今は当たり前でその上戸惑いが勝る為、正直それが奇跡だという実感が湧かないが。
ふとそこであることに気付いた。あれっ、彼女がいない。彼女は来てくれてないのか。
「ゆう……き……いの?」
優子は来ていないのか。それを聞く為に自分の彼女の名前を言った途端に心に何故か喪失感のようなものを感じた。何だ、この嫌な感じ。
「隼人、それも覚えてないのね」
言葉を聞き取りそう呟いた母さんの顔は、さっきの喜びと安堵に満ちた表情から、躊躇いと悲哀感に満ちたものになっていた。
そして、数秒の逡巡を見せた後、母さんは再び口を開いた。
「事故から目覚めたばかりでこんなこと言うのは間違っているのかもしれないけど、どうせいずれ知ることだから」
母さんは自分のことのように苦しげな表情で、
「事故に遭う前日ににあなた優子さんと別れたのよ。『優子に裏切られた。もうダメだ』ってあなた凄い暗い声で電話してきたんだから」
そう言った。
――優子と別れた? 俺が? ……嘘だろ。
俺の記憶には笑顔で俺の話を聞いてくれる優子の顔と、彼女と大切な時間を過ごしてきたものしかない。幸せなあの時間を、どんな理由があったか知らないが、俺が手放した……?
「う……ろ」
嘘だろ? その言葉は確かに届いた筈なのに、母さんは何も答えてくれない。
ただ、表情を変えないで、首を横に振るだけだった。
「な……で……」
何で、何で、何で……何で!
夢の中の彼女は笑っていた。いつもの美しい微笑みを俺に向けてくれていた。それに俺を呼んでいたんだぞ。
そんなことある訳がない。優子が俺を裏切る? 俺が優子と別れる? ありえない。
どこまで探してもやはり残っている記憶は笑っている彼女の顔だけ。彼女が好きだという気持ちは確かにまだ俺の中にはっきり存在している。この気持ちが事実を否定する。
……なのに。何故かよく分からないのに、やたらと心臓が跳ねている。
表面に出ている想いは本物で、なのに今の俺に欠けてしまった時間。その時間を探ろうとすると、嫌な胸のざわめきがするのを確かに感じていた。
☆★☆★☆★☆★☆★☆
また夢を見た。
この前と同じ場所、同じ光景。前と変わらない優子の笑顔。
また彼女が、何か喋りかけている。俺はそれを聞き取ろうと走り出す。
走れた。前と違って前に進むことが出来た。
――俺も言いたいことがたくさんあるんだよ。一体、何があったんだよ。俺が覚えていない一週間の間に何があったんだよ。裏切ったって何だよ。お前が本当に裏切ったのかよ。本当だとしたら何で裏切ったんだよ。
……何で、こんな時に傍にいてくれないんだよ。
しかし、駆け出した途中で足が止まる。そしてまた動かなくなる。
ちょっと待てよ。もう少しじゃねえか。もう少しで彼女の元に行けるのに。
その時、ふと何か聞こえた気がした。
「――――来て」
微かに聞こえたのは彼女の声だった。しかし聞き取れたのはそれだけ。
そこで、再び俺と彼女の中間辺りに白い点が生まれた。それは徐々に広がり俺達を飲み込んだ。
――目を開くと、そこはもう見慣れたいつも通りの病室だった。
呆然と白い天井を眺めていると、ふと自分の頬に暖かいものが通るのを感じた。手で触れてみると、それは液体だった。
泣いていたのか。目元をごしごしと袖で拭う。また、泣いていた。
優子とは通っていた大学で出会った。昔から人付き合いが苦手で、大学でも周りが友達を作っていく中自分だけ出来ずに苦しんでいた時に彼女は話し掛けてくれた。それから毎日のように彼女と話して、遂には付き合うようになった。本当に幸せだった。彼女のお陰で俺の暗かった人生は救われた。
本当に好きで、好きで、大好きだ。なのに、優子と会えるのは夢の中だけ。もう一度会って声を聞きたいのに、彼女は俺の前に姿を見せてくれすらしない。
俺は立ち上がり、未だ覚束ない足元を杖で支えながら、ロビーに移動して電話を掛けた。
『お客様のお掛けになった電話は、現在電波の届かない所に居られるか、電源が入っていない為、掛かりません』
何度掛けても変わらない、固定された台詞。
昏睡状態から目覚めて一週間が経過した。
その間何度となく優子の携帯に電話を掛けているというのに、聞こえてくるのは同じ声ばかり。彼女の声は聞こえてこない。
俺は再度彼女の番号をタッチし、本日もう何度目か分からない電話を掛ける。しかし再び聞こえて来たのは、やはり同じ台詞。昨日だって五十回程掛けたのに一度も出てくれなかった。
……こんなに掛けても優子は出てくれない。何故、何故。何故、無視するんだ。
ロビーにあった横長のソファーに向かって思いっきり携帯を投げつけた。
何で、あんな笑顔だったのに。一体、俺の記憶が無い間に何があったんだ。
聞きたい。声を聞きたい。出ろ、出ろ……出てくれよ。
ハッと息が荒立っているのに気付いた。それを落ち着けようと深呼吸をしてから、携帯を掴んだ。
今度は大丈夫。毎回のように今回もそんなことを考えながら掛けるがやっぱり出なかった。
☆★☆★☆★☆★☆★☆
心は風穴が空いたように廃れ、何もやる気がしない。いつ通常通りに動かせるかも分からない体へのストレスと大切な人を失った傷が俺の心を毒のように浸食していく。
毎日心配して来、優しい態度を取ってくれる母さんにもそっけない態度を取って、更にそんな自分にも嫌悪を感じる。
……もう何もかも面倒になっていた。リハビリも、人と接することも、生きていることも。
優子がいないなら、何故俺は生きている。最早、生きる気力すら失いかけていた。
何で来てくれないんだよ。俺が苦しい時いつも隣で笑っていてくれていたのに。今、どこで何やってんだよ。
もう何度考えたか分からない、想いを記憶の中の彼女にぶつける。でも、その答えが耳に届くことはない。
そんな状態のまま時間は過ぎ、事故から一週間と数日過ぎた頃だった。
扉からノックの音がした後、担当医が神妙な面持ちで病室に入ってきた。そしてその後ろに着いて、グレーと黒のスーツ姿の男が二人一緒に入ってきた。
「速川さん、具合はどうですか?」
「いや、別に……。それより、えっと、その人達は……?」
「……警察の方達です。聞きたいことがあるそうです」
言い辛そうに担当医はそう言葉にすると、そのスーツの二人が警察手帳を前に提示する。ドラマなんかでよく見る縦開きで黒と茶色を混ぜたような色をした手帳。間違いなく、本物の警察のようだ。
しかし警察が何でここに。病院に来てまで。しかも、
「……警察が俺に聞きたいこと?」
「はい。では、さっき言ったことに気を付けて。……あまり刺激しないように」
「……ええ、出来るだけ」
担当医の言葉に、黒スーツの男が応える。
そうして、担当医が後ろに下がり、警察の二人がベッド近くに寄って来た。
「速川さん、あなたが事故の直前何をやっていたか覚えていらっしゃいますか?」
警察が自分の所に来たことに動揺が隠せず、声が震えてしまった。
「いえ。すいません。上手く思い出せないんです」
「事故前の数日間は?」
「それも……。はっきり思い出せるのは、火曜日に彼女とデートをした記憶までなので確か事故前一週間前ぐらいだと思います」
「……そうですか」
質問した黒スーツの警官が担当医に目をやり、それを見て担当医はコクリと頷いた。
その後今度は違うグレースーツの警官が口を開いた。
「ではその彼女について、何か変わった様子等、無理をせず記憶のある範囲で良いのですが、無かったか覚えていらっしゃいませんか?」
「その……無いですけど」
何故、優子のことを? 経験のないこととその質問の内容に心臓の鼓動が速くなっていくのを感じる。嫌な予感がした。
その俺の様子を見た黒スーツの警官が、目を瞑りながら軽く息を吐き、そしてゆっくり瞼を上げた。
「では、荒井さんのことは何も聞いていない、ということですね」
「……優子のこと?」
「そうですか。実はですね――」
「――あなたが交際されている荒井優子さんが、あなたが事故にあった前日から失踪されました」
その言葉を聞いて数秒間俺は黙った。口を動かすことが出来なかった。いや、正確には言葉が出なかった。
優子が失踪……。何で……。じゃあ俺はもう彼女には会えないのか。
その言葉は重く俺にのし掛かり、心を押し潰そうとする。
でも、その後に。優子は俺の前だけから消えた訳じゃない。皆の前から消えた。だとしたら、ひょっとして優子が俺を裏切ったのも、今事故にあった俺の前に来てくれないのも、何か事情があったからなんじゃ……。来ないじゃなくて、来れないのかもしれない。
そんな淡い希望が湧いてきた。
「その日誰かと会うと言っていたという証言は得られませんでしたが、家の状況などから計画的に自分で失踪されたという可能性は低そうなんです。なので私達は事件性ありと見て捜査しています」
その言葉に頭がカッと熱くなった。
そうだ、優子の意志で俺の前を去ったのではないとしたら事件に巻き込まれた可能性が高い。だとしたら、やばい。相当危険な状態かもしれない。
「優子は、優子は大丈夫なんですよね!?」
思わず、大きく声が出た。病院だとか、そんなの気にしている心の余裕がない。
「すいません、現時点ではまだ私達の口からは何も言えません……」
ダメだ、俺が、俺が見つけなくては。早く見つけてあげなくては。
そうだよ。あんな幸せそうにしていた優子が自分から出て行くなんて思えない。来ないのではない。何かの事件に巻き込まれて来られないのかもしれない。
今すぐ、俺が優子の元に行ってあげなくては。
正義感と言葉で表しきれない焦燥感を感じた。
☆★☆★☆★☆★☆
また、見覚えのある場所にいた。黄金色が辺りを支配する花畑。いつの間にか寝てしまっていたようだ。間違いない。俺は再び夢の世界に入り込んでいる。
そして、前に見た記憶のある場所、前の夢の終わりの場所に俺は立っている。
「――――来て」
また微かなその声は俺の耳に届いた。彼女は何を言っているんだ。
気になり近寄ろうとすると、今回も足が動いた。俺は一直線に駆けていく。そして、遂に辿り着いた。
目の前には優子がいる。俺は今までの想いをぶつけるように声を吐いた。
「優子、何で急にいなくなったんだよ!」
「……早く私の元に来て」
ようやく何を言ってるか聞き取ることが出来た。しかし、その事実とは裏腹にその意図を理解することは出来なかった。会話が成立していない。
「何言ってるんだよ、優子。俺はここにいるじゃないか」
「早く私の元に来て」
俺の言葉は聞いていないように、優子はただその言葉を機械的に口にする。その顔には微笑みを浮かべながら。
俺の声が届いていない。目の前には確かに彼女はいるのに、まるで体だけがそこにあって心は他の場所にあるようなそんな感覚を感じた。いや、逆か。ここが夢の中なら心はここにあって体は別の場所にある。
俺は自然と腕を優子の体に回していた。しかし、その腕は優子の体をすり抜け、俺の腕は互いにしがみ合う。
「分かった。待っててくれ。必ず俺が君を見つけ出す」
力強く言った俺の言葉に、しかし彼女は反応しない。
しばらく黙り込んだ後、急に。彼女は表情を変えた。表情はなく、それが今までとは対極的に冷たさを感じさせた。
「……見つけ出す? あなたまさか覚えてないの。……私を裏切っておいて」
「……はっ?」
裏切っておいて。その冷たく、凍えそうな程冷たい響きを持った言葉は俺の胸中にぞわりと貼り付いた。
「俺が裏切った? 何故? ……何言ってるんだよ、そんなことある訳ないだろ」
「……覚えてないのね」
背筋がぞわりとした。気持ち悪い悪寒を感じた。
でもそんな体感とは別に、頭は熱くなっていた。
「覚えてないって何だよ。大体、裏切ったのは君だって聞いたぞ」
記憶は無いが、確かに母さんは聞いたという。ならば、優子が失踪する以前に何かあったということになる。
相変わらず感じる嫌な胸の高鳴りは、未だ正体を知り得ぬが、それの証左となっている筈だ。
「……そう」
どこか悲観的な雰囲気でそう言うと、彼女は顔を伏せた。
そこでまたいつものように、真ん中に白い点が生まれそれが広がりいく。再びその体は現実世界に戻るのか。
でも、その直前。ふと再び瞼を上げた彼女が、こちらを見て微笑んだ。
☆★☆★☆★☆★☆★☆
目を開くと辺りは暗闇に覆われていた。
警察二人が帰った後、少し経って夕食を取ってから寝てしまったようだが、いつの間にか外、それに付随して室内も暗い。携帯で時間を確認すると、もう○時を過ぎていた。
ふと、背中が冷たいのを感じ触ってみるとシャツは水を含んだように濡れていて、背中に張り付いていた。
寝起きでもやがかかっていたような脳内にその直後、今までと今の夢の内容がフラッシュバックされた。そうだ、いかないと。一刻も早く行かないと優子が……。
そしてその想いと共に、フラッシュバックの終わった脳内にある記憶が甦ってきた。
急いで立ち上がり、扉の方に向かってから、開いて辺りを確認する。
廊下も光がなくあるのはただの闇。物音もなく、人の気配はない。俺は杖を突きながらもバレないようにかなり慎重に進み、なんとか病院を抜け出す。
抜け出してから近くのタクシーを捕まえた。
「お客さん、どちらまで」
「街外れのあの、山まで。麓までで良いので山までお願いします」
「山……?」
運転手が訝しげな目でこちらを睨んでくる。それで気付く。
そういえば、この時間、しかも山と来ると流石に警戒されてしまっている。ったく、時間が無いのに。……仕方無い。
「あっ、すいません。正確には近くにある友達の家までお願いします」
「……分かりました」
未だ懐疑的な目は続けるが、一応頷いた運転手は車を走らせる。そして病院から走ること三十分程である山の麓近くにある家の前に着いた。その庭に入り、タクシーが去ったのを確認してから、敷地をすぐ出て山を登っていく。
木々によって月明かりが遮られ、辺りはほぼ闇で視覚を頼りに歩くことは出来ない。だからおうとつのある山道を杖を頼りに手探りで登って、登って、ひたすら登る。
何故この山を登っているか、それは俺にも分からない。分からないが、さっき夢を見た時。その時に記憶と共に俺が進むベきルートとここに行かなくてはいけないという強い使命感を感じた。その使命感がまだ本調子では無い俺の足を進ませる。
そしてひたすら進んで、もうどれぐらい時間が経ったかも分からない時、ある場所で俺は立ち止まった。いや、自然と立ち止まってしまった。
何とも言い様が無いが、ここで止まなくてはいけないと頭が理解した。ただそれだけじゃない。
――声が聞こえた。この人がいない、聞こえてくるのは虫の声と風が木々を揺らすだけの、この空間で聞こえる筈のない声が聞こえてきた。
何を言っているかも聞き取れない微かな声。なのに、その声に思わず目が潤んだ。
「優子……」
聞き間違える訳がない。確かに今の声は、俺の前からいなくなった優子のものだ。
「どこだ!」
荒げた声が出る。興奮して、ひたすら優子の名前を呼ぶ。
「……早く私の元に来て」
言葉として認識出来た声を頼りに聞こえた元へ向かう。
だが向かった先、声が聞こえる方向を見ても彼女の姿は見当たらない。
「どこ、どこだよ……!」
そう呟いた次の瞬間。ズキンと激しく頭が痛んだ。
その痛みは徐々に頭の中に広がっていく。それと共に、今と同じく辺りが暗い中この場所で誰かを抱えて歩く、といっても今日のものでは無い、いつのことかか思い出せない自分視点の映像が脳裏に流れた。
……何だ、これ。
理解出来ない状況に戸惑いながら痛みに耐え兼ねず目を瞑ると、ある光景が瞼の裏に広がった。
何度目だろうか。辺りに広がる花畑。そして目の前の優子。
「優子、一体お前はどこにいるんだよ」
「何言ってるの? 私はあなたの近くにいるじゃない。ねえ、もう思い出して。何があったか思い出してよ」
「思い出して? 思い出してってそんなこと言われても……」
その時また一層ズキンと頭が痛んだ。
景色がグニャッと曲がり、変わっていく。
ここは、俺の部屋。俺の部屋で優子と話している。
『おい、優子、あの男は誰だよ。何であんな笑顔で楽しそうにしてんだよ』
『何でって、彼はただの友達よ。別に変な関係じゃないわ。友達と楽しく話すくらい良いじゃない』
『友達……? 嘘だろ! 友達にしてはやけに楽しそうにしてただろ!』
そう言って、俺は優子を叩いた。
『どうして……どうして信じてくれないの! ……あなたは変わってしまった。私が好きだったのはあの頃の優しいあなただったのに』
『何言ってるんだよ。俺は何も変わってない。ずっと優しくしてきたじゃないか。俺は今も変わらず君だけを愛している。好きで好きでたまらないんだ。だから心配になるんだ』
『私にはあなたの愛を受け止めきることは出来ない。あなたの愛は重すぎる』
そして彼女は決定的な一言を言った。
『……私達、別れましょう』
その後何度俺が反対し説得しようとしても、彼女の意志は揺るがなかった。
終いには、彼女はごめんなさいとだけ言い残して家を去り、俺は去る彼女を止めることが出来ずに呆然と立ち尽くした。
次の日、別れることを了解し、でも最後に一度だけ、心残り無しで終わる為にデートしようと彼女を呼び出した。その彼女を薬で眠らせ、山に運んでから俺は、俺は――
またパッと場面が変わり花畑。目の前に立つ優子は今も微笑みながら言った。
「早く私の元に来て」
そして目を開くと、そこはさっきの山だった。
――ああ、そうか。全部思い出したよ。
俺はある場所に向かって進み、そこで体を縮めて地面を指で掘り始めた。
そっか、俺だったのか……。俺が君を殺したんだね、優子。
俺は近くにあった、大きい木の枝を拾い、握る。
あのあと事故に遭ったのは罰だったのかもしれないな。
俺は君が初めて俺に話し掛けてくれた時から君のことがずっと好きだったよ。君といる時間は本当に楽しくて幸せだった。
なのに、君だけ一人にしてごめん。ごめん、本当にごめんな。
……たけど、約束通り戻ってきたよ。ちょっと時間掛かったけど、君と離れた時に約束した通り、ちゃんとまたここまで来たよ。
さてじゃあちゃんと待っててよ。俺も今行くからさ。そこにすぐ行くから、ちょっとだけ、ちょっとだけ待っててよ。
そしてまた声が聞こえた。俺の目の前から。
「やっと来てくれるのね」
静謐な空間でぐさりと嫌な音が響いた。
☆★☆★☆★☆★☆★☆
その数日後。この山に登った男性から警察に通報があった。
警察が向かうと、そこには大きな枝を左胸に刺した人間の遺体が見つかった。
しかし、その遺体。
不思議なことに――
――白骨を抱きかかえながら、死んでいた。




