僕も愛しているよ
木々の向こうに数瞬上がった火柱を見て、刀を大きく振って剣先についた紫色の血を振り落とした。辺りには死んで朽ちた魔物の残骸が多数と紫色の血溜まり。広い森のどこかには今もなお戦い続ける人々と魔物がいるようで、魔物の断末魔や呪文の詠唱など様々な音が反響して聞こえてくる。
先ほど上がった火柱は、不思議な色をしていた。魔物達が吐く火は、赤いような黄色いような色をしている。しかし、先程見た火は魔物の血を彷彿とさせる紫色。嫌な予感に、刀を鞘に納めて火柱が見えた方へと走る。
火柱が上がったのはこの辺りではなかっただろうか。
目星をつけた場所に近付き、足音一つ立てぬように注意して進む。十歩程進んだところで、地を這い空気を切り裂くような断末魔が響き渡った。と同時に上がる火柱は、先程と同じ紫色。
「見つけた」
木々の隙間、火柱に照らされて暗闇に何かが浮かび上がった。すぐにその場所へと急ぐ。
魔物の焼ける臭いが周辺に充満している。人が焼けるのとはまた違うその臭い。剣客を始めた頃は毎回吐き気をもよおしていたその臭いにも、今はすっかり慣れた。臭いが濃くなる方へと進むと、目の前に焼けた木々と朽ちた魔物、そして暗闇にもぼんやりと浮かぶ白いローブを身に纏った人物が現れた。
声をかけようとしたところで、上空から別の魔物が現れた。すぐに抜刀できるように身構えると、一瞬呪文を詠唱するかのような声が聞こえたと思ったら、再び魔物の断末魔が響き渡り、紫色の火柱が立つ。
魔術を使えない自分にはよくわからないことではあるけれど、呪文の詠唱とはこんなにも短かっただろうか。もっと長々と呪文を詠唱するために、詠唱中の身を守ってくれる剣客と共に戦う魔術師が一般的なように思う。しかし見渡す限りその魔術師は一人っきりで、どこにも剣客は見当たらない。さらに先程見た火柱。剣客になって何年も経つが、あんなものは見たことがない。
次々に現れる魔物を紫色の火柱で倒し続けていた魔術師は、魔物の襲来が途切れたとたんにこちらに視線を移した。白いローブに囲われた顔は、どこからどう見ても麗しい女性のそれだった。
魔物相手に圧勝していた魔術師が実は女性だったという事実に、呆気に取られる。
「あんた、そんなとこでぼんやりしてないで、逃げるか戦うかしなさいよ。邪魔」
麗しい唇が開くと、見た目とは裏腹に女性にしては低めの声が発せられた。少し細めた目に射抜かれるような気持ちになる。目が口以上に雄弁に、彼女の心の内を語っていた。
嫌な気配を感じると共に、振り向きながら抜刀する。地を這うように進む魔物を真横に切り裂いた。この魔物は体が小さくて動きがすばやい。次に感じた気配は、魔術師の火柱に朽ちた。
次々にやってくる魔物に、その場所から動くこともできず、いつの間にか二人で魔物に立ち向かっていた。
闇が霧散し朝が訪れる頃、ようやく魔物は現れなくなった。明るい時間帯は魔物はどこかに身を隠しているらしく、その姿を見せることはない。闇が広がり始めると再び魔物は現れ、町を襲い人を襲う。それを食い止めるのが、剣客や魔術師の仕事だ。
何とはなしに魔術師と二人、朽ちた魔物の残骸がない場所へと移動し、草むらに腰を下ろした。木々の間から地面を照らす朝の光がだんだん強くなっていく。次に日が沈み始めるまでは、この辺も魔物に襲われることはない。
「お前、名前は何て言うの?」
刀についた紫色の血を布で拭いながら、隣に座る魔術師に問いかけた。魔術師がチラリとこちらを見る気配がした。一瞬、目線を痛いほど感じたから間違いない。
「エンジだ」
「えんじ?」
聞き慣れぬ名前に、思わず聞き返した。
「私の生まれ故郷の言葉で、炎の子という意味だそうだ」
「ふぅん。僕の名前はダニー。よろしく」
幼く見えると友人知人に散々言われてきた笑顔をエンジに向けた。エンジは僕に全く興味がなさそうに前を見ていた。ずっと被っていたローブのフードを外すと、燃えるような炎の色をした髪の毛が現れた。よく見れば瞳も髪の毛と同じ色をしている。なるほど、これは炎の子だと、妙に感心する。
刀を鞘に戻すと、草むらに寝転がる。朽ちた魔物の臭いがどこからか漂ってくる。顔を横に向ければ、みずみずしい草の匂いに包まれた。ああ、安心する。何年も前に飛び出した故郷の匂いがする。まだ故郷は無事だろうか。残してきた家族は無事だろうか。朝になって考えるのは、いつも同じことばかり。反対を押し切って剣客になってしまった以上、どの面下げて故郷に帰れるというのだろうか。
思考に支配されているうちにエンジも隣で寝転がっていたらしい。閉じた瞼からのぞく睫毛の長いこと。中途半端に被り直したフードに髪の大半が隠れている。綺麗な顔しているくせに、なんで魔術師なんかとして最前線で戦っているんだか。もっと安全な仕事だってたくさんあるし、こんだけ顔が良けりゃ、それなりの家に嫁ぐことだってできそうなもんなのに。
エンジの顔を見て考えているうちに思考は霞み、いつの間にか眠っていたらしい。真上からの眩しい日の光に目が覚めると、隣にエンジが座っていた。右手を前に伸ばし、指先からあの紫の火を小さく出しては消している。
「なあ、その火は何で紫なんだ? 僕、剣客になってそこそこ経つけど、そういう魔術は見たことがないよ。詠唱だって今はしていないだろ?」
火を出す時、エンジは全く口を動かしていない。昨晩の詠唱の短さにも驚いたけれど、全く詠唱しないで魔術が使えるなんてもっと驚きだった。
「詠唱なんて補助的なものだ。大きな魔術を使う時だけで十分。私は異質だからな。一般的な魔術師とは違う。火の色だって使っている魔術だって、私が異質であることの証に他ならない」
それだけ答えたエンジは、さて、と立ち上がりローブについた草や土を軽くはらった。
そのまま僕を置いて行ってしまう。
そう感じて慌てて立ち上がると、エンジのローブの一部をしっかり掴んだ。
「なんだ?」
怪訝そうな表情のエンジは、今まで気付かなかったけれど僕よりずっと背が高かった。まるで男性のようだと思った。低めの声をしてはいるものの、どっからどう見ても女性としか言えない顔なのに。
「僕と一緒に組まないか?」
「なぜ? 女一人でここまで来たんだろう? 今さらなぜ相棒を欲しがる?」
驚いた! 口調だって見た目だって、なんとなく男っぽくしているせいもあるが、女だとばれたことは今までなかった。剣客は男社会だ。女一人で生き抜くにはいろんな覚悟がいる。僕はそれを女に見えないようにすることで、切り抜けてきたというのに。
「わかりにくくはあるが、私にはダニーが女にしか見えない」
驚きが顔に出ていたためか、エンジはわざわざ解説してくれた。女にしか見えないなんて、今まで一度も言われたことなんてなかった。女なんだからと、故郷の家族には数え切れないくらい言われたものだが。
「まあ、いい。一人も飽きてきたところだ。どちらかが飽きるまで、一緒に戦ってみるか」
こうして、僕とエンジは二人で魔物と戦うことになった。
日が昇って魔物がいなくなると、二人で肩を寄せ合って草むらで眠った。エンジは見た目に似合わず、意外にしっかりした体格をしていた。疲れがある程度取れたら二人で次の戦場へと移動する。魔物たちは日に日に王都へと近付いていた。僕たち剣客や魔術師の最終的な役割は、たくさんの人が住まう王都を守ること。日が暮れると森のあちこちで魔物と戦う音や臭いがしていた。その中に僕たち二人もいた。
毎日が同じことの繰り返しで、永遠に同じ日々が続くんじゃないかと思い始めていた。王都に近付いていた魔物は、ある日を境に後退し始めた。僕たちもそれを追いかけて王都から徐々に離れながら戦い続ける。当初の予想とは裏腹に、エンジと僕は飽きることなく一緒に行動していた。すぐにでもエンジから飽きたから相棒は解消しようと言われるんじゃないかと思っていたものの、エンジはいまだにそんなことは言い出さない。
そうする内に一年以上が過ぎていた。移動しながら互いの生い立ちを話すこともあったが、エンジはあまり自分のことを語りたくないらしい。出身も北の辺境の地としか教えてもらえていない。『異質』だと自分のことを評したことに関しても、あまり多くは教えてくれなかった。ただ、紫の炎は魔物の紫の血だと、何かの折に教えてくれたことがあった。僕にはその言葉の意味が全くわからなかったけれど。
魔物を追って移動する生活は、自分たちが今いる場所をあやふやにしてしまう。王都からずっと離れた場所にいるのはわかっていたけれど、それが王都の西なのか、はたまた東なのか、そんなことすらわからなかった。夜の闇に浮かぶ星を見れば自分の居場所がわかると聞いたこともあるが、闇に包まれている間は魔物と戦うのに精一杯で、星を確認する余裕もない。
そんな毎日の中、僕はエンジとそれなりに仲良く過ごせていたと思う。
それが壊れたのは、魔物の向かっている先が北の辺境の地だと、エンジが気付き教えてくれた頃だった。日に日にエンジの表情が厳しくなっていく。移動中はあった談笑も途切れがちになって、最後には互いに黙々と歩き続けるだけ。肌に触れる空気の温度がそれまでと変わっていくのを感じていた。
その日も言葉を交わすこともなく魔物と戦い続け、夜が明けた。言葉はなくとも毎日寄り添って寝ていて、そのために草むらに腰を下ろした後だった。エンジが久しぶりに、本当に久しぶりに口を開いたのだった。けれど、その口から紡がれる言葉は僕にとって衝撃的なことばかりで。
話し終えたエンジは、僕に一つのことを約束させて眠りについた。
エンジとの間に交わされた約束を、僕は何度も何度も考えていた。考えたところでエンジとの約束を違えることはできないにも関わらず。
日が昇っても寒さを感じるようになった頃、僕たちは北の辺境の地に立っていた。枝に葉のない木々が立つ痩せこけた大地に、僕たち以外の剣客や魔術師たちもいた。
ここはエンジの故郷だ。
あの日、エンジが教えてくれた。魔物たちはエンジを故郷に連れて行きたいのだろうと。そういう意図を感じるのだと言っていた。なぜか魔物と人の間に産まれ落ちた、異端で異質な存在のエンジ。エンジが炎を出すのは、魔物たちが火を吐くのと同じなのだと。小さな火は、魔物たちがそうするのと同じように思うだけで出すことができる。しかし魔物たちを倒すほどの火にするために、魔術を詠唱することで力を借りているのだと。
今は昼間だというのに、一際大きな魔物が目の前にいる。他の剣客や魔術師たちの間に動揺が広がっている。エンジとの約束を果たす時が来たらしい。
「約束を守れよ」
僕の耳元でささやいたエンジは一人、魔物の前に飛び出して行った。いつになく長い詠唱を唱えながら。魔物に真正面から突っ込んで行く。
そしてエンジと魔物は大きな紫色の火柱に包まれた。
その日以来、人々は魔物の脅威に晒されてはいない。もちろん魔物が出ることもあるのだが、脅威というほどの数でもなければ力もなかった。剣客や魔術師たちは国から相応の報奨金を受け取ると、故郷に帰ったり別の仕事を見つけたりしていた。何年もに渡る長年の脅威から逃れたことで、国中の人々が歓喜の笑みを浮かべていた。王都はますます活気に満ちていた。
僕は心に大きな穴を抱えていた。魔物に向かう寸前、エンジのつぶやきが聞こえていた。
「愛してる」
エンジは自分の最期がわかっていた。僕に決してそれを止めるなと約束させた。そして、本当はエンジは男なのだとも教えてくれた。魔物に殺されかけた母親のその美貌に魅了された別の魔物が母親を助けてくれたのだと言っていた。全身に魔物の吐く謎の液体をかけられた結果、エンジの母はエンジを身ごもった。エンジは母そっくりに育ち、ローブで体形を隠していれば、声が低くて背の高い女性にしか見えなかったのだと。母は自分を愛してはくれたものの、どうやってできたかわからない魔物の子に、精神を病んで自決の道を選んだ。産まれ落ちてすぐの頃から、まるで魔物のようにエンジは火を吐いていたらしい。あの時エンジが倒した魔物は、たぶんエンジの父親のようなものだった。
たくさんの秘密を僕に明かしたエンジは、一番大切な秘密を最期の最期まで隠していた。その秘密は僕にとってあまりにも大きくて、幸せで、そして悲しい真実だった。
国から報奨金を受け取った僕は、北の辺境の地へと向かっていた。エンジとの最期の場所を、僕の終の棲家にしたかった。エンジのことを思いながら、エンジの気配を探しながら過ごす日々を、僕は選んだ。
時折現れる魔物を退治しながら、魔物の紫色の血を見てはエンジの出す火を思い出す。暖を取るために焚いた火を見てはエンジの髪と瞳を思い出す。
北の大地で、エンジ、君のことをいつまでも思っている。
僕も愛しているよ、エンジ。