手段と目的の下方置換
僕の親友、マコトはすごい奴なんだ。
マコトは成績優秀な上に、曲がったことを嫌う正義感に溢れた男だ。幼い頃から努力を惜しまず、真理の追究に余念がない。
そんな彼の特徴を一言で表すのであれば、これに尽きる。
『燃えるように赤い髪』
彼自身はこの髪色に色々こだわりがあるみたいだが、僕にはどうでもいいことだ。ただ、見てるだけで暖かい気持ちになれる気がするあの髪色は、至極気に入っている。
「燃えるように、なんて曖昧な表現は困るな」
これまでの僕の独白に、マコトが勝手に文句をつけてくる。どこから現れた。
突然の出現にひるむ僕をしり目に彼は言葉を続ける。
「燃えている物体が何かわかったもんじゃない。蝋燭ならまだしも、そこに金属が混ざっていたら【赤い】色にはならない。お前は俺の髪を銅を燃やした髪色だと言いたいのか」
マコトは小脇に抱えた『ダイナミック理科資料集』の該当ページを僕に見せてきた。銅を燃やしたら青緑色の炎があがる。炎色反応、そんなこと確かに習ったな。というか、準備がいいな。
「もっと言うと、金属を含まない物体の延焼であっても、不完全燃焼でない限り炎は赤色にならない」
『ダイナミック理科資料集』を駆使して行われる即席講義を僕は傾聴することになった。講師はマコト、生徒は僕のみ。マンツーマンとも言う。
「炎の色と定義するのであれば、それは完全燃焼を指すのだろう。不完全の方が先に出てくるのは納得がいかん。だがしかし、完全燃焼では青色だ。俺の髪色とは合致しない」
講義が不完全燃焼から色温度にまで波及しかけたので、僕は慌てて彼の髪を『郵便ポストのように赤い』と褒めたたえてみた。
「郵便ポストだって? ポストの色が赤が多いのは認めるが、銀座に黒いポストがあるのは知ってるか」
マコトはハイカラ人間らしく銀座とか言ってる。たぶん彼は銀座未体験だ。
「他にも水色や黄色や抹茶色のポストもあるし、ポストが赤だけなんて通り一辺倒だ。誰もが同じ色を思い浮かべることができない言い回しなんかまっぴらだ」
マコトは真理の探究者、言い換えるならば諦めることができない社会不適合者でもある。
誰もが同じく連想できる、普遍的な表現。日常生活の中に溶け込んでいる色を言葉で言い表せないなんて、今まで僕は何を学んできたんだ。
――学ぶ。そうだ、学びだ!
「言いたくはないが、さっきから独白と台詞が混ざっていて読みにくいぞ」
うるさい。学びに使われてきた教材、つまり画材の色なら誰もが同じ色を表現できるんだ。マコト、君の髪は『クーピーペンシル あか』の色なんだよ。
「ごめん、俺は三菱色鉛筆だったから、わからない」
言葉は時として人を刺すナイフともなる。
「それに、最近はデジタルに移行してる人が多いから、アナログ画材は持ってない人も多いんじゃないかな」
僕は言葉のナイフに二度傷つけられることとなった。痛い、心が痛い。
デジタル化社会の馬鹿野郎。何でもかんでも数字で表しやがって。無機質極まりない。
でも逆手に取れば、デジタルは劣化もせず、複製も容易であるということだ。――例え、それが色であっても。
つまりデジタル社会である現代だからこそ、色の再現は可能となるのだ。文明の利器を手にした僕なら言える。マコト、君の髪は『ウェブカラー #e31b23』そのものであると!
「確かにウェブカラーはsRGBに基づく汎用的な色彩表現だ。デジタル上では寸分の狂いも無く再現可能だが、それを現実世界に具象化するのはモニターだ。使うモニターが違えば当然再現性も異なってくる。デジタル社会でさえ、俺の髪を言い表せないのか……」
マコトにセンチメンタルが押し寄せる。僕にはとっくに押し寄せてる。
「デジタルというのは妙案だが、なんだか人間味にかけるな。俺の髪はもう少し柔らかいイメージだと思ってたんだが……」
マコトの不満はごもっとも。『見てるだけで暖かい気持ちになれる気がする髪色』は『ウェブカラー #e31b23』とは結びつかない。連想される色味は思いやりに欠けている。
時を超え、場所を超え、誰もが同じ色を思い浮かべることができる普遍性。そして思いやり。そしてとりあえず赤。
――なんだ、答えはこんな所にあったんだ。
「急にどうした。悟った顔をして」
マコト、君の髪は『赤い羽根共同募金の赤い羽根』の色なんだよ。
「そうか、『赤い羽根』なら思い浮かべる色に違いも生じないし、そもそも連想できない人もいない」
然り然り。
「それに無機質ではなく人間味さえも表現できている、これが真理だったんだ」
マコトはそう独り言つと、僕を見据え黙って右手を差し出した。僕もその視線に頷き返し、彼の右手に手を伸ばし、固く握手をする。彼らの間には言葉なんていらない。二人で試練を乗り越えた、その事実だけで十分なのだ。
「ただ、『赤い羽根』から連想される色と、俺の髪色が実際に異なっている可能性もあるんだよな…… せっかく真理にたどり着けたのに、まだ障壁があるなんて」
そうだ、まだその問題がある。でも今の僕たちには不可能はない。
僕たちは真理にたどり着けたのだから、その他の有象無象の方を真理に近づければいいんだよ!
「その手があったな、これで完璧だ!」
翌日、マコトは自らの髪を剃り落とし、『赤い羽根』で編み上げたカツラを被って登校してきた。
彼はまもなく職員室へと呼び出されることとなったのは言うまでもない。
目的と手段をはき違えた少年のお話です。
実在の名称を出しても大丈夫なのでしょうか?
何か問題がありましたら、削除します。