だれもいない晩のこと
山のなかの畑を耕す農民ばかりが暮らす小さな村にヤヨイは住んでいました。
ヤヨイの家も畑を持ちそれで生活している農家でした。
ヤヨイの他にはいつも土でよごれている無骨な父と、その生白い手にいつも自家製の漬け物のすっぱいにおいをさせている母とが暮らしていました。
ヤヨイが生まれたのは七年前の冬でした。
彼女はいまでも母の産道をぬけて初めてみた雪のふる景色を覚えているのでした。
なので、彼女の一番好きな季節は冬でした。
でも、父親や母親は冬が嫌いなようでした。
冬になると山の向こうの町から薪を買わなくてはならなかったり、畑仕事が何も出来なくなったり、とにかく寒くて風邪に用心しなくてはならなかったりと気をつけないといけないからです。
ヤヨイは冬が好きでしたが、両親が笑顔になる春がもっと好きなのでした。
春になれば三人で畑に出て朝から晩まで仕事をするのです。
新鮮な土のにおいや新芽がふきだした草花のにおいを嗅ぐのが好きで、小さな虫や野の獣とたわむれることもヤヨイにとって楽しいことなのでした。
さて、ヤヨイが数え年七つを迎えた春のことです。
山の向こうから馬に乗った物々しい出で立ちの大人の男たちが村にやってきました。
男たちは皆、腰に刀をさし、髪の毛をそりあげて一つに束ね、眼の力はぎろりと鋭く、ヤヨイには恐ろしい鷹を思わせました。
「あれはお役人さんだ」
母親が教えてくれましたが、ヤヨイには意味が通じません。
それでも、村の人たちが男たちを恐れていることだけは感じました。
いつもは偉そうにヤヨイたち農民に指図している庄屋さんまでへこへこと頭を下げているのです。
男たちの先頭にいた一人の男が馬から下りて村中の民を集めてくるように、まるで皆をおどすように強い言葉で指示を出しました。
やはり恐ろしい鷹のような人たちなのだとヤヨイは身を竦ませました。
鷹は空高くから突然おりてきて、ヤヨイや両親が刈りとった野菜や穀物をその鬼の角みたいな爪でかっさらっていってしまうのです。
一度など、ヤヨイが手に持っていた大根を鷹にうばわれたことがありました。
その時はヤヨイは突然の出来事におどろき、鷹の力強さと理不尽さに当てられて、もう怖くて泣き通しでした。
ヤヨイにとって鷹はこの世で一番こわい存在です。
村民全員が集合する前で、ひとり馬からおりた男は衣服の裾の裏から折りたたんだ紙をとりだし、うやうやしく広げると紙に書かれた内容を読み出しました。
ヤヨイには男が何を言っているのかわかりません。
なにか歌をうたうような奇妙な調子があり耳に残るものでしたが、何のことかは知れません。
しかし、村の人たちがあちこちで嘆声をあげ、眉をしかめ、夫婦同士でこそこそと内緒話をしているのを見ると、どうにも都合の悪いことのようなのはわかりました。
ヤヨイにも不安な気持ちがむくむくと湧き起こり、傍の父親の大きな手を強く握り返しました。
男たちがまた山の向こうに帰り、それからほどなくした頃、父親を含めた大部分の村の男たちが村を出て行きました。
彼らは遠くで始まる戦争のために自国の王様に兵士としてとられたのです。
しかし、ヤヨイには母親に聞かされてもよくわからない話でした。
ただ、父親がどこかこことはちがう地で槍をもって悪者をなぎ倒しているのだと考えました。
そこで、ヤヨイは母親といっしょに毎日神様に祈りました。
「我が主、百万の軍勢のあるじ、わたくしどもに敗北が来たりませんように。勝利がもたらせられますように。あなたさまは大いなる御手、わたくしどもをすくいあげる慈悲深き方、どうか天より祝福を下されたまいませ。我が主、全能の主、全地があなたをたたえ上げますように」
母親が祈祷をあげる隣でヤヨイも母親の言葉をくりかえして祈ります。
意味はわかりませんが、ワガシュという神様が父親を助けて、また自分たちのところに戻ってこれるようにしてくれるだと考えていました。
ワガシュ様、どうかお父さんを助けてあげてください、敵をやっつけてやってください、お父さんはケンカが好きじゃないけど怒るときはとても怖いんです、悪いヤツラもお父さんに怒られて泣き虫にしてやればいいんです、お願いします、ワガシュ様。
ヤヨイたちの村から年寄りをのぞく男たちがいなくなって特に音沙汰もなくついに一年がたってしまいました。
戦場はどうなっているのか、村にはなんの連絡もありません。
村長のもとには何人の女が夫や息子がどうなったのか知りたいと訴えに来ることもあって、村長はたびたび山の向こうにあるというお城に手紙を出していましたが、返事は来ませんでした。
村の女たちもすでに男がいない状況にも慣れて、自分たちで生活をきりもりしていました。
彼女たちは男たちがいた以前よりも心もち活気づいているようにも見えました。
ヤヨイも最近では父親がいなくてさびしがるよりも、仲良しの友達と好きなことをして遊ぶことのほうがより多くなりました。
それでも、母親とする毎日のお祈りは欠かさず、父親が元気でいることを願います。
そんなある時です。
母親が急用で山の向こうの町に行くことになりました。
収穫物の出荷に何か問題が起きたようで、大人だけの難しいことのようで、一日だけで済むことではないようです。
母親はヤヨイもいっしょに行こうと言いましたが、ヤヨイはそれを拒み、ひとりでも大丈夫だからと言って家に残ることを主張しました。
ヤヨイは母親がいなくてもひとりで家のことは出来ると母親に教えてあげたかったのです。
母親はしぶい顔をしていましたが、ここ最近のヤヨイの成長を見ていたためにこの子なら心配はないだろうと思い直し、ヤヨイに一日だけ家をたくすことを決心しました。
母親はヤヨイのおでこに口づけをしました。
「我が主よ、お祝いください、娘の心が育ちゆくことを。この度の試練を無事にきりぬけられるよう娘をお守りください」
そして、母親は町に出かけて行きました。
父親もおらず、村にはヤヨイだけが残されましたが、ヤヨイはさびしくはありませんでした。
母親の不在もそう長くないだろうし、村にはヤヨイと遊んでくれる友達がたくさんいたからです。
それに、ヤヨイにはやることもありました。
母親がいない間にも畑の仕事はしなくてはなりませんし、その他母親がいつもおこなっている仕事も全部自分ひとりでやり遂げなくてはなりません。
その日は朝から夕方まで働き通しでした。忙しくてとても遊ぶ余裕はありません。
しかし、ヤヨイと仲の良い子どもたちも応援にかけつけてくれて、みんなで仕事を片付けたのでヤヨイはとても楽しかったのです。
夕方に仕事が一段落ついてからは疲れもそっちのけにみんなと駆け回って遊んでいました。
夜にはもうくたくたでしたが、ヤヨイは今日の自分の働きぶりに満足していました。
早く母親が帰ってきてヤヨイの働きの成果を見てはくれないだろうかと思いました。
きっと母親にほめられるだろうと思ったからです。
ご飯も自分で作りました。
母親のやり方をいつも傍に目にし、たまに母親に頼んでは手伝いもさせてもらっていたので、たいていのことは出来るのでした。
ご飯を食べ終え、食器を洗い、あとはもう眠るだけです。
ヤヨイにとっては生まれて初めての一人の夜です。
不安と緊張で胸がワクワクしました。
布団を敷いて、明かりを消しましたが、とても寝付けそうにありません。
暗く、静かでしたが、外で風が吹くさわさわという音や、田んぼから聞こえてくる虫の音などが母親と眠るときよりもいっそう大きく耳に入ってくるようでした。
それに、その日は三日月で、暗闇はいっそう濃いのですが、天井付近に開いた窓からは夜空の三日月が望め、乏しい光がヤヨイの寝ている場所にだけさしこんでいる形になり、月の光に優しく包まれているように感じました。
それでもやはり逸る心は抑えられず、何度も寝返りをうっては眠れない夜をもんもんと過ごしました。
村の人たちは誰もが顔なじみで家族のようなものでしたが、この刻限は誰もが眠りにつき村は死んだように静まり返っているのです。
起きているのは昼間には眠っている夜の生き物たち、すなわちヤヨイにとってもいまだに未知の生き物たちなのです。
昼間の生き物であるヤヨイはこの夜の世界では完全に余所者でありました。
ヤヨイにはそれがわかりました。
子どもは早く寝ないといけません。
夜は子どもの世界ではなく、夜の子どもの居場所は夢の中なのです。
だから、夜更かしをする子は夜の世界の生き物にさらわれてしまうのです。
夜の世界の生き物は、昼間の世界の生き物を見つけると野生の熊みたいに襲わずにはいられないのです。
そして、襲われるとその子は夜の生き物に変えられてしまいます。
そう考えるとヤヨイは恐ろしさにすくみあがりました。
布団を頭までかぶって体を縮め、手を組んで祈りました。
ワガシュ様、わたしを寝させてください、夢の中にいさせてください、わたしを怖い物から助けてください。
ヤヨイは何度も何度も祈りました。
しかし、時間がたつごとに目は冴え冴えとなり、横になっていることも苦しくなってきました。
考えまい、考えまいとすると余計にいらない想念が次々と浮かんできて、ヤヨイを怖がらせて眠らせないようにするのです。
やがて夜も更け、遠くの山からホー、ホーとフクロウが鳴き出してきた頃、表に通じる戸を叩く者がありました。
ヤヨイの胸は裏返るくらいに高鳴り、あぶら汗がひたいににじみ出てきました。
夜のこわい生き物が夜更かしする悪い子をさらいに来たのだと思いました。
ヤヨイは布団をひっかぶり戸の向こう側の者がいなくなるのをワガシュ様に祈りました。
しかし、いつまで経ってもその者は戸を叩くのを止めません。
ドンドン、ドンドン!
ついには叩く音も大きくなって、ヤヨイはさらに怖くなって体が震えました。
すると、表から声がしました。
「だれかいないのか!」
野太い男の声でした。
ああ、鬼だ、鬼が来たんだ。
ヤヨイは思いました。
返事をしたら山に連れて行かれるだろう。
そして、鍋で煮込まれて食われてしまうのだろう。
そう思ってヤヨイはまた戸が叩かれても布団のなかでじっとしていることにしようと決意しました。
戸がまた叩かれました。
ドンドン! ドンドン!
「おーい、本当に誰もいないのか!」
男は諦めずになおも家の外を立ち去ろうとしません。
しかし、ヤヨイはふと疑問に思いました。
この家に来るべき男の人といえば限られています。
ヤヨイは
「まさか・・・」
と思い布団から半身を出して戸の方を見ましたが、その時、また戸が叩かれました。
「誰もいないのなら勝手に入るぞ」
戸にはかんぬきも突っかえ棒もしていません。
ヤヨイは、しまった! と思いました。
いつも母親がしていることなのに、とんだ手落ちです。
これでは男の侵入を防げません。
どの道このままで自分は発見されてしまいます。
中にいるのに返事をしなかったと男に知られたら相手の機嫌を損ねるでしょう。
もし表にいるものが自分の考えとちがって本当に鬼だとしたら怒ってその場でひどい目にあわせられないとも限りません。
ヤヨイは勇気をふりしぼって返事をしました。
「はい・・・中にいます・・・」
家屋の中に人がいることがわかると男は声をひそめました。
「中にいれて休ませてもらえないか? 遠くの方から歩いてきて疲れているんだ」
ヤヨイはある思いをもっていました。
そこで、勇気を出して男の申し出を受けてみることにしたのです。
夜目になれたので明かりがなくてもだいたいの物の置き場はわかりました。
履物をつっかけて恐る恐る戸を開けてみました。
外の暗闇は内側の暗闇を凌ぎます。
その暗闇のなかにヤヨイを見下ろす男の影が立っておりました。
ヤヨイは男の人相を見分けようとしますが暗くてよくわかりませんでした。
「あの・・・お父さん・・・?」
「そう・・・そうだよ、お父さんだ」
男は答えました。
「ケンカから帰ってきたの?」
「ケンカ? ああ、なるほど、ケンカか。そうだよ、お父さん、いっぱい戦ってきたんだよ」
「どこかケガした?」
「ああ、たくさんした。でも、大丈夫だよ、お医者さんに診てもらったからね。お母さんはいないの?」
「お母さんは町に出かけていてね、明日のお昼頃まで帰ってこなくて、その間はヤヨイひとりでお仕事していたんだよ」
「そうなんだ、すごいな。ヤヨイ、俺腹が減ってるし、眠いんだ」
「食べるものなら残っているよ。お布団もすぐにしくね」
ヤヨイは横にどいて男―父親が通れるようにしました。
父親が脇を通っていくとヤヨイはすれ違いざまに奇妙な臭いがします。
なんだろう、と思いましたが日頃に縁のない火薬の臭いを彼女が嗅ぎ分けられるはずもないのでした。
いろんなところをたくさん歩いてきたのだろうから、きっと汗の臭いだろうと思い、ヤヨイはたいして気にも留めません。
戸を閉めて男に続いていきました。
ヤヨイは少し興奮していました。
父の帰りを一年以上も待っていたのですから。
明日、母親が帰ってきて帰宅した父親を見たとしましたらどれほど喜ぶことでしょう。
ヤヨイの顔もほころんでしまいます。
もう夜をこわいとは思いません。
大人といっしょにいれば安心なのですから。
「お父さん、明かりをつける?」
「いや、このままでいい。すぐ眠るからね」
「わかった。でも、食べ物の用意のために囲炉裏の火はつけるよ?」
「ああ、いいよ」
ヤヨイはにわかに活気付いていそいそと働き出しました。
自分は一年前とは違って大人になったよ、ひとりでいろんなことが出来るんだよ、というところを父親に見てほしかったのです。
囲炉裏に火をつけて煮物の入った鍋をつるし、食器を取り出して父親の前に並べていきます。
父親の顔にちらりちらりと視線を向けてはいたにですが、囲炉裏の小さな光によって逆に陰影が濃くなり夜目のときよりもさらに見分けがつかなくなってしまいました。
それでも、何となく父親なのではないかと思っていました。
背丈や堂々とした態度から大人と男であることは知れたからです。
父親もそういう人だったような気がしていました。
やがて鍋の中身がぐつぐつと煮えてきました。
周辺の山中で採れた山菜の煮付けです。
肉は入っていなかったが三種類のきのこを入れて歯ごたえあるものにしています。
あとは粟と母親自慢の漬け物を出しました。
器に煮物をよそって父親の前におきます。
父親はヤヨイが働いている間は終始黙ったままでヤヨイの期待していた彼女をほめる言葉を掛けることはありませんでした。
なのでヤヨイは不満でしたが、
「どうぞ、めしあがれ」
と言うと、
「ああ、ありがとう。ヤヨイはしっかりしているな」
とだけ言ってくれました。
ヤヨイとしてはもっとほめてほしかったのですが、とりあえずはそれで我慢することにしました。
ヤヨイは男とは囲炉裏をはさんで反対側に座りました。
ヤヨイの見ているまえで男はあっという間にヤヨイの用意した食事をたいらげ、煮物を次々すくってはそれも飲み込むみたいにして腹におさめ、ちょっともしないうちに鍋を空っぽにしてしまいました。
ヤヨイは驚きの目をもって見ていました。
それは忘れかけていた男性の旺盛な食欲です。
なつかしい、とさえ思いました。
本当に父親が帰還したことを実感したからです。
ヤヨイは父親とお話をしたがりました。
父親に聞いてほしい面白い話や相談したい悩みがあったからです。
しかし、父親はどれにも生返事ばかりで、ついには「疲れているから明日に」と言ってつっぱねられてしましました。
これにはヤヨイも元気をなくしましたが、一眠りすれば父親も疲れがとれてヤヨイの相手をしてくれるだろう、それに明日からは毎日父親といっしょにいられるわけだから好きなときにまたお話が出来るのだ、と考えてその時は父親の言うことに従おうと思いました。
食器と鍋を片付け、囲炉裏を消すとまた夜の暗闇が戻ってきましたが、もう怖くはありません。
父親がそばにいてくれるので安心です。
ヤヨイは父親のために布団を敷きました。
一年前まで父親自身が使っていたものです。
以前までと同じように窓側を頭に、戸の側を足に向ける形で敷きました。
すると、なぜか父親はそれと反対向きに寝転がってしまいました。
「お父さん、寝る向き逆だよ?」
ヤヨイは注意してあげました。
「え? ああ、そうか、うっかりしていたな」
「どうしたの? 自分の寝方を忘れちゃったの?」
「そうみたいだな。もう何年もちがう所にいたからな」
「一年でしょ、もう。忘れん坊さん」
ヤヨイは笑って自分も布団に入りました。父親は体の向きを直して床につきます。
その時、何か長いものを布団の横に起きました。
「お父さん、何持っているの?」
「だめだよ、子どもにはないしょだ」
父親はヤヨイの視界に入らないところに長い物を置きなおします。
「ヤヨイ、もう子どもじゃないよ。さっきだってお父さんのためにご飯つくったりお布団敷いたりしたじゃない」
「それでも、子どもは子どもだ。ほら、もう寝なさい。夜更かしはダメだよ」
「でも、眠れないの。がんばって眠ろうとしたけど、全然眠れない」
「いまはどうだい? 眠れそうかい?」
「無理。働いたから目がさめちゃった」
「それじゃ、おじさんがひとつ昔話をしてあげよう」
「おじさん? お父さんでしょ?」
「そうそう、お父さんがね、ヤヨイが眠れるようにつまらない話をおしえてあげる」
「やだ、楽しい話がいい」
「楽しいと目がさめちゃうぞ。いいかい? 昔々、ある所に凶暴な山賊がいたんだ。山賊は仲間を集めて毎日、悪いことをしてはお金を稼いでいたんだ。その日、山賊は悪いことに失敗してね、たくさんの人々に追われて山の中に逃げ込んだ。逃げる途中で仲間ともはぐれちゃってね、武器の猟銃だけは持っていたんだけど弾は全部使ってしまって使い物にならなかった。山賊は夜の暗い山を這いずり回り、人里を見つけたのでそこに隠れることにした。そこで、偶然、あるひとつの家に目をつけて戸を叩くと、そこにはひとりの女の子がいたんだね。山賊は・・・・・・」
ヤヨイはいつの間にか眠っていました。
ヤヨイは夢を見ていました。
そこはとてもまぶしい所で、周りには雲が浮いていました。
空が近くて青さに手が届きそうです。
すると、上のとても高い所、空よりも高くてその向こう側からのような所から声が聞こえてきました。
「お前は私の心に適うことをした。貧しく、悪しき者を追い返さず、家に招き入れ、もてなした。見よ、お前が施した者はすでに悪の道におらぬ。心を入れかえ世のためになることをしようと欲している。お前の無垢なる心から実った徳である。私はお前の願いを叶えるだろう。お前の家は富み、三代四代先まで栄えるであろう」
ヤヨイにはよくわかりませんでした。
ただ、その声が自分をほめてくれているような気がして、ヤヨイは頭を下げて「ありがとうございます」とお礼をしました。
朝、ヤヨイは目を覚ましました。
昨日にはいたはずの父親はいなくなっていて、もぬけの殻になった布団だけが残されていました。
囲炉裏にはたまっていました。
昨日の出来事は夢ではなかったのです。
父親は確かに帰ってのです。
ヤヨイは嬉しくなります。
戸のすき間から日の光が細くさしこみ、外では小雀が鳴きながら群れをなして飛んでいました。
ヤヨイは父親の行方を心配しませんでした。
外に顔を洗いに行っているのだろうと思ったからです。
自分もおきて父親が戻るまえに朝の食事の支度をしなくてはと思い立ち、しゃきしゃきと動いて自分のと父親の布団を片付けました。
そして、水を汲んでこようと外に出ました。
父親は外のどこにもいませんでした。
でも、ヤヨイは何も心配しません。
だって父親は帰ってきたのだし、父親は大人です、何を案ずることがありましょう。
それに、自分もひとりだからといって泣き出すような子どもでもありません。
自分も父親に心配をかけさせてはならないと思い、ヤヨイは気をとり直して仕事を始めます。
しかし、それっきり、父親は戻ってきませんでした。
お昼になり、母親が山向こうの町から帰ってきました。
「ただいま、ヤヨイ。ねえ大変よ、お父さんが帰ってきた!」
母親は興奮してそう叫びました。
母親のあとからたしかに父親が続いて戸をくぐります。
「ヤヨイ、心配かけたな。帰ってきたぞ」
「お父さん! ううん、心配なんかしてなかったよ。でも、お母さんに会いに行くのなら一言いってよね」
両親ともに変な顔をして見合っていました。
ヤヨイはにこにこと微笑みを絶やしませんでした。
それからヤヨイの家は裕福になり、村で一番のお金持ちになりました。