II-V 親子
図書館――と呼ぶしかない建物――の次に彼が向かったのは、その隣に建つ小さな家だった。
家のほとんどを木で作られたログハウスは、避暑地へ行けば当たり前のように並ぶもののようだ。
釣り人はやはり挨拶も無しに家の裏へと回り込む。家の裏には小さな庭が広がっていた。庭を飾る色とりどりの花は僕には名前も分からないような花ばかりだったけれど、切りそろえられた芝生も、木陰を作る小さな木も、暖かな家庭の一軒家を連想させた。
そんな庭に面したベランダに、この家の主達はいた。
暖かな日差しの元、庭を見渡せる位置に設けられた安楽イス。そこに座りゆらゆらと揺れているのは穏やかな顔をした老女。そしてそれに寄り添うように立っているのは昨日会った少女よりは年上の、少女とは言えない年齢の女性。二人並ぶその姿は親子だ。
「あら、いらっしゃい」
無断で庭に入ってきた僕達を見ても、女性は文句一つ言わず迎えてくれた。
「あら、見かけない子ね。新入りさん?」
最初と同じ言葉から彼女は始める。後で聞いた話によると、彼女の口癖だそうだ。
「いや、しばらく滞在するだけだ。紹介がてら荷物を持ってきた」
「あら、ありがとう。すぐにお茶とお菓子を出すわね。君もゆっくりしていってね」
優しく僕に話しかける彼女に僕は暖かい気持ちになり、お礼を言う。釣り人はベランダに設置されている白く小さなテーブルとイスに腰掛け、僕もその隣に座る。
目の前の老女はゆらりゆらりと気持ちよさそうに揺れている。
「お加減はいかがですか?」
釣り人はそう言ったが、それは義務的なもののようだと感じた。
「変わりないわよ。ごめんなさいね、いつもいつも」
「好きでやっているんだから気にしてません。むしろ物が減って助かります。それにここのお茶は嫌いではありません」
「そう言ってもらえると助かるわ」
そう言っている内にお茶の準備は整った。テーブルの上ギリギリにまで並べられた人数分の紅茶とそれに入れるミルクと砂糖。皿に盛られたクッキーとタルトは香ばしいにおいを放っている。
「さあ、どうぞ」
そう言う彼女に礼を言い、僕はクッキーを一つつまんで口に放り込む。サクッと良い音を立てたクッキーは口の中で砕け、家庭的な味を口いっぱいに広げた。そういえばここに来てから何も食べていなかったなと僕はふと気づいた。しかしここでは食事など必要ないことを思い出し、その考えを終わらせる。僕はこの世界についてのある程度のルールを知っているのだ。
釣り人は何も入れないままかすかに音を立てて、湯気が立つ紅茶を飲んでいる。
「あら、お母さんも食べてよ。せっかくうまくできたんだから」
ほとんど手を付けていない老女に女性はクッキーを勧める。老女はにっこりと笑った。「ごめんなさいね、ついさっきいただいたばかりだから欲しくないのよ」
ついさっきとは僕達が来る前だろう。しかし女性の答えは違っていた。
「あら、今日はまだ一回もお茶を出してないわよ。お母さん忘れたの?」
「そうだったかしら、ごめんなさいね」
「もう、だから私がついてないとダメなんだから」
それはどこにあっても不思議ではない親子の光景だろう。しかし釣り人は彼女には聞こえないよう小さなため息を吐き、紅茶を飲み終えると帰り支度を始めていた。
「これが今日の分です。それでは僕達はこれで」
「あら、ご苦労様。またね」
さっさと庭を後にする釣り人に代わり、僕は別れの挨拶をして釣り人の後を追った。
ソリの前で僕を待っていた釣り人は、僕の顔を見て、今度ははっきりとわかるようにため息を吐いた。
「気づいてないようだから言うけど、この世界に血縁関係なんてない」
ではあの二人は親子ではないのか。さらに釣り人は言った。
「ここで聞いたこと、見たことすべてが本当のこととは限らない。どんなにおいしいお茶もお菓子も子供のママゴト道具に過ぎないんだ」
「でもあの人達は・・・」
「あの人はずっとあそこで親子ごっこを続けているんだよ。そしてもう一人はそれに付き合っているに過ぎない」
それはどっちがどっちのことだろうか。
釣り人は自分で確かめてみるんだと言い、再びソリを引く。
振り返った僕は改めて家を見つめる。最初は素敵だと思ったログハウス。しかし今は別の物に見えてしまった。それが何に見えたかは今の僕にもわからない。




