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Ⅶ-Ⅰ 司書Ⅲ



 僕の願いは胸を張って唱えられるほど高尚なものではない。他人を犠牲にするなどあってはならないほど。それは願いなどではないと言う日ともいるかもしれない。確かに僕の願いは願いと呼ぶことさえ愚かしいほどつまらないものだ。

 僕一人が諦めればすべてがうまくゆくというのに。他人を、この世界を犠牲にしてまで叶えていい願いではない。

「違うよ、他人の願いなどほとんどの人間にとってくだらないことなんだ」

 解答を求めていなかったはずの僕の心に釣り人は答える。

「世界や他人の命を代償にして許される願いなど一つもない。だが、その程度の覚悟もない願いなら願わない方がいい」

 君は諦められるのか? 他人に恨まれたくらいでくじけてしまうのが君の覚悟なのか?

 覚悟がなければ願いは叶わないと老女は言った。


 僕に覚悟はあるのか?




「さっきからうんうんうるさいよ。痛みってそんなに苦しむものだったのか?」

 夢をたたき割ったのは心配も何もない無遠慮な言葉だった。声で誰かわかったが、それを確かめる為に僕は目を開く。どうやら横になっているようだ。薄暗い世界が広がっている。わずかな光源がまぶしく感じる。

 古い紙の臭いが脳みそを叩く。覚えのある臭いだ。そういえば彼をこの場所以外で見たことはないのだから、彼がいるということはイコールそういうことなんだ。

 慣れてきた目は本の山を映し出す。そして僕の顔をのぞき込む司書の顔も映す。ここは図書館だ。僕は無造作にその床へ放り出されているらしい。

「…僕はどうなってる?」

「寝てただろ。今まで」

 説明不足にも程がある。僕はとりあえず起き上がることにする。硬い床に転がされていた体は悲鳴を上げ、土足で踏み荒らされた床は当たり前のように土や泥で汚れていて当然僕の服もひどい状況だ。

 しかしあるはずのものがない。僕は自分の背中に手を当てる。そこは血で濡れてはいるが、あるべき痛みはなかった。

「僕の背中はどうなってる?」

「安心しろ、傷一つない。服に穴は開いてるし血で汚れているから使い物にはならないがな」

 それくらいたいした問題じゃないだろう。そう言って司書はもう興味がないとばかりに本のベッドへと戻る。きっと問題はたいした問題じゃないことだろう。

「僕はどうしてここにいる?」

「お前の保護者が連れてきたから」

 保護者というのは釣り人のことだろう。

「彼は何処に? それに彼女は」

「傍観者に答えを求めるなよ。欲しいなら教えてくれそうな相手に聞け」

 司書は不機嫌そうに顔を背け読書を始める。

 ここで僕の質問に答えてくれそうな人間は一人いる。図書館の奥に住む賢人とも奇人とも言える人物。

 外に出て釣り人や少女を探す気にはなれなかった。今するべきではないと思った。それは最初から決められていることのように思う。プログラムされた機械のように僕は奥へと進む。

 抗うことはしない。ただ答えがそこにあるということが何よりもすばらしいことに見えてしまう。

「それで、いいのか?」

 僕の背中へ司書が声をかける。それは今までの彼にはない真剣なまなざしだ。

「今あんたに与えられているのは二つの選択肢。放棄するか、抗うか。そのまま進めばあんたは放棄することを選んだことになる。思考の放棄だ。この建物から出ることを選べばそれは抗うことを選んだことになる。安易で安全なのは前者、困難で危険なのは後者。あんたはそっちを選んでいいのか?」

「どうしてそんなことを訊くの?」

 傍観者を自称していた彼らしくない言葉だ。そして僕の中には後者を選ぶ理由が見つからない。絶対に間違わないと決められた道を進まないことは無謀で愚かなことではないだろうか。

「ただのお節介だ。最期だからな。一度選んだ道はもう戻れない。あんたが選ぼうとしている道はとても楽で幸せだ。幸せすら決めてもらえるんだから。考えることをやめただ流されることはきっと幸せなことだろう。だが、戻れない。幸せも不幸すらも選べない。それはもしかしたら不幸なことじゃないか」

「幸せになるための道があるのならそっちを選ぶのは当然じゃないか?」

「そう考えてしまってる時点であんたは抗うことをやめてるよ。なら俺は何も言わない。そのまま進めば良い。ただな、」

 司書は言う。

「あいつは、あんたと逆の道を選んだよ」

 そして司書はそれ以上何も話さなかった。自分で言った通り、彼はもう僕に何も言わない。

 僕は彼のお節介の意味を理解できない。そして僕と逆の道を選んだ彼のことも。

 ただ、彼のことが理解できないということが、少し悲しい気がした。だがそれもただの気のせいで終わる日が来る。


 僕は、選んだ。





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