Ⅵ-Ⅴ 覚悟
僕の望み、それはこの世界の消滅と引き替えだ。でも、僕にそんな資格があるのだろうか。僕の望みは、犠牲を払ってでも叶えるべきものなのだろうか。
『あなたは私や他の人たちを犠牲にして自分の望みを叶える』
まったくその通りだ。
彼女の憎しみは正当だ。それは間接的に彼らを殺すのと同じだ。少なくとも僕は箱の中の猫が生きているかもしれないことを知っている、それを知りながら箱もろとも壊すのは、殺人でしかない。
僕の願いにはそれほどの価値があるのだろうか。僕には、それだけの価値があるのだろうか。
止まった砂時計が僕を責めているような気がした。そんなこと今更気付いたのかと。まったくだ。既に世界は変わり始めているのに、僕はまるで亀のようにとろい。
それとも、これも予定通りなのだろうか。
「他人のせいにするのは褒められる行為ではないわね」
僕の向かいで優雅にお茶を飲む老婦人が言った。
「確かに私達は誰かの掌の上で踊らされているだけかもしれない。でも踊ることを選んだのは私達。踊りきってから誰かの仕業と気づき文句を言うのは自分の力の無さを棚に上げてるだけじゃないかしら」
若い人には難しいかしら。
決して叱るわけでも同情するわけでもなく、老女は僕の話に付き合ってくれた。これは答え合わせだ。以前彼女と約束した。そしてそれが終わりに近づいている証でもあった。彼女と話すのは、これが最後かもしれない。たとえどんな結果に成ろうとも。
「望みを叶えるために必要なのは資格ではないわ」
「では、何を?」
「図書館の彼も言ったでしょ? 覚悟よ」
覚悟。言葉に表すのは二文字で済む。だが現実には見えないそれが、なんと重いことか。
「あなたは望みを叶えるため、目的を果たすためにここに来た。願うことに資格はいらない。覚悟もいらない。でもそれを叶えるためには覚悟が必要になる。でも資格はいらないのよ」
「では覚悟があれば、人は何をしてもいいと?」
「許されるとは限らないわ。それで人の恨みを買うことだってあるかもしれない。でも、本当に叶えたい願いがある人ならたとえ誰に恨まれようとも己の願いを優先するでしょうね」
「それはただの自分勝手ですよ。傲慢だ」
「その通りよ。でも、結局人は自分が後悔しないように生きるしかないんじゃないかしら。誰を敵にまわしても叶えたいのならそうするしかない。それが覚悟」
「傲慢に生きることが?」
「悪く捕らえすぎね。良く捕らえても間違いだけど。でも、本当の意味で正解なんてないんじゃないかしら」
真実が一つに定まらないように、正義も本当の意味では存在しないのかもしれない。
「何を犠牲にしても叶えたい願いがある、チープだけど本当にそれができた人は案外少ないわ。むしろそういうことは悪い人の方が得意なのね。悪人になりきれない私たちのような人間は罪悪感や道徳に負けてしまうから」
「他人の幸福を踏みつけて幸せを得る人間なんていくらでもいますよ」
「でも彼らは本当に覚悟があるのかしら。いつか自分を裁きに来る人間を受け入れられるのか、それともそれすら踏みつけて生きるのか、きっとほとんどはそのときになってみっともなく許しを請うのでしょうね」
そしてそんな人間が許されるはずもない。
「欲望は、道徳や信仰を無視したところにある。でも人間は欲望をむき出しにして生きることはできない。でも他人を犠牲にしなければ得られない願いもあるのは事実よ」
「裁かれる覚悟も切り捨てる力もなければ願いは叶わない?」
「もしあなたがその覚悟をするなら、切って捨てるのではなく背負いなさい。すべての恨みも憎しみもすべて受け入れて、罪に汚れた手で未来を勝ち取りなさい」
それが、願いを勝ち取った者の義務だ。
「己の願いの為に罪を犯すのなら、それは許されると思っては駄目。罪を重ね続けるなら、それを忘れては駄目。すべて背負って、引きずって、ぼろぼろになって奇跡を手に入れる。そんな覚悟がなければ、本当の願いは叶わないのよ」
たとえば僕が誰かを殺したのなら、また誰かが僕を殺しに来るだろう。僕はまたその誰かを殺して、また誰かに殺されるだろう。
「でも、僕は、きっと誰かを犠牲にして願いを叶えても、きっと喜べないでしょうね」
「願いを叶えることが、幸せとは限らないわ」
時に他人の幸せを犠牲にして、自分の人生を犠牲にして、それでも叶える願いとは何だろうか。
「それでもね、きっとあなたは願いを叶えるでしょうね」
老婦人は会ったときと変わらぬ微笑を浮かべて言った。
だって、あなたはそのためにここへ来たのだから。




