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Ⅵ-Ⅳ 猫箱


 閉じ込められた猫は、何を思っていたのだろうか。




「『シュレディンガーの猫箱』という。箱の中にいる猫が生きているか死んでいるかを議論する。元々の意味は違うが、観測されない限り複数の異なる真実が平行して存在できるという意味が一般的だの」

 僕の姿は今、あの図書館に戻っていた。薄暗い図書館は僕があそこへ行く前と何も変わらず、雑然とした本の山もその上に寝転がる司書の姿も変わっていない。

 あそこにいた時間がどれだけのものだったのかはわからない。だが、窓からのぞく太陽の位置がほとんど変わっていないことから、本当に短い時間だったことが窺える。もしかしたら丸一日経っていたのかもしれないが、そのことを説明してくれる親切さをここの住人に求めること自体が無駄というものだ。

 司書の彼は僕が戻るとすぐあの研究者が僕を呼んでいると告げ、また本の虫に戻った。

 僕は特に文句を言う理由も見つからず、黙ってそれに従った。

 何日ぶりかはわからない研究者はやはり何も変わらず、やはり僕に椅子を勧め僕は丁重にそれを断った。

 そして僕はあの場所で得た答えと疑問を彼にぶつけた。研究者は今度こそ僕の疑問に答える。今度こそタイミングを間違えなかったのだと、僕は理解する。

「異なる真実?」

「そう、箱を開けぬ限り猫の生死は証明されない。猫が生きている可能性も死んでいる可能性もある。二つの異なる可能性がありそれらは否定されない。箱を開けるまで、箱の中の猫がどうなっているか好きに考えることができる」


 静かなのだから死んでいるはず――本当に?

 眠っているだけだ、生きているはず――本当に?


 箱が開かれない限り可能性は否定されない。箱の中には生きた猫と死んだ猫が同時に存在できる。

「当然この議論に唯一の解答は与えられない。学者という者は解答を自身の手で出すことに執着する生き物だ。答えが一つに定まらないという不安定な結果に納得するはずがない」

 一+一=二、それが当たり前だ。真実は一つしかない。

「真実など他人のプライバシーを除きたがるマスコミが作り出した幻想だ。名探偵が導き出すのは一番わかりやすく受け入れやすい真実の一つに過ぎない。真実はいつだって一つじゃない。なぜそれがわからないのか」

 いや、わからないのではない。受け入れられないのだ。

 自身が納得できない答えなど合って良いはずがないのだから。

「開かれない箱の中の猫はどうしたんですか?」

「解答が出ない限り箱は開かれない。開いてしまったら答えがわかってしまう。箱の外から証明しなければ意味がない」

 だから猫は永遠に閉じ込められたまま。生きていても、死んでいても。

 猫に手向けられるのは暖かい食料でも慰めるための花でもない。孤独と呪縛。

「この世界は箱庭でありゴミ箱であり猫箱でもある。これらは一度入れば中から出ることができないということで共通するところがある。そしてここにいる者たちはこの場所以外に居場所のない者たちだ」

 鍵がかけられているわけではない。ただ中にいる者たちは出られない、出ようとしない。「君が今怖そうとしているこの世界は猫箱。箱の中の猫を生きていると証明するのは難しいが、死んでいることを証明するのはたやすい」


 箱もろとも猫を殺してやればいい。


「君には、生きているかもしれない猫を箱と共に殺す覚悟があるかい?」



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