I−III 倉庫
釣り人は僕を、家の外にある建物へ連れていった。その建物は大きく、高さもあった。釣り人の家が木製だったのに対し、その建物は固い壁で覆われていた。一見すると倉に見えるが、素材はわからない。コンクリートにも見えるが、はっきりとはわからない。とにかく固い何かだ。
「こっちだ」
釣り人に促され、僕は建物の入り口へ向かう。建物の隣には馬小屋のような物があり、そこには湖で見たあの獣が入れられていた。僕はここに来てからずっと聞きたかった質問の一つをする。
「あの生き物は何?」
僕の二つ目の質問に、釣り人は答えてくれた。
「あれはウォルガ。ずっと昔に滅んだ民族と共に失われた神話に登場する神獣だよ」
釣り人は建物の中へ入っていった。僕はその後を追う。
「どんな神話なの?」
背中にぶつけられた質問に、彼は振り返らずに答える。
「後で教えるよ」
僕は今まで知らなかった神話に期待を膨らませた。
建物の中は埃っぽく、窓一つない部屋は薄暗い。釣り人はランプに火を点けた。僕は明るくなった部屋を改めて見回す。どうやらここは倉庫のようだ。統一性のない物がたくさん置かれている。食器・絵・本・トランク・枕・服など、家財道具から一本の鉛筆まで。中にはガラクタとしか言えない物まで。拳銃や刀のような危険物もある。人の骨らしき物が見えたが、見なかったことにする。部屋の手前には先程、釣り人が釣り上げてきた物が積み上げられたいる。
「ここにある物は君が釣り上げてきた物なの?」
「僕が拾ってきた物だ。先約の無い物なら、持って行っても良い」
「先約?」
「後で説明するよ」
そう言って釣り人は部屋の隅にある階段から、二階へと上がっていった。釣り人が暗闇の中に消え、足音が聞こえなくなるのを確認してから、僕は階段を上り始めた。階段は殆ど梯子に近い。急斜面の階段には手すりが無く、古びた木の板が足を乗せるたびにきしむ音を立てた。
二階には、一階には無かった窓が二つあった――あったのかもしれないが、がらくただらけで見えなかった。部屋の手前には一階と同じようにがらくたが積まれている。だが奥にはそういった物が置かれておらず、代わりに机と椅子が一対と、簡易ベッドが置かれていた。そこだけが生活空間となっているようだ。
「ここを使ったらいい。下にある物は壊さないように、できれば触らないように」
僕は何も言わずにうなずいた。釣り人はそれに満足したようにうなずき返した。
「ここにいる間、何をするかは君が決めることだ。だけど覚えておいて欲しい」
「ここは僕の帰るべき場所じゃない。少なくとも今は・・・」
釣り人はうなずく。
「それだけわかっているなら充分だ。そして出来ることなら早く帰るんだ」
僕は「何処へ」とも訊かずに訊いた。
「それは命令?」
「忠告だよ」
釣り人はそれだけ言うと階下へ降りていってしまった。
この空間に一人の超された僕は、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。天井の汚れを眺めながら、僕は「今」を実感する。今、僕は「ここ」にいる。名も無き世界。僕はこの世界でははみ出した存在。だからこそ僕には出来ないこともあるし、逆に僕にしか出来ないこともあるはずだ。僕は「ここ」から始める、そして歩き出す。失われたものを取り戻すために―――。




