Ⅴ-II 司書II
司書とは名ばかりの彼に仕事はない。彼にとって本を読むことは息をすることと同じ。それにしては扱いが乱暴だが。
「本は作者の言葉なんだよ」
知識と空想に酔いしれた狂人の娯楽でしかないと。
「本を書く奴なんて自分の考えてることや知能を自慢したいだけなのさ。俺はこんなにすごいことを知っている。私はこんなにすごいことを考えてるってな」
「それが悪いことなの?」
「悪くはないさ。だけど俺からすれば、自分の内をさらけ出すことに躊躇もしない奴なんて狂人でしかないってことさ」
本には様々なジャンルがある。フィクション・ノンフィクション。ファンタジー、ミステリー。哲学、歴史。小説、評論、実用書。同じジャンルで同じことを書いても書く人間が違うだけでまったく違った本になる。著者の個性がそこに表れる。
模倣は受け入れられない。だが尊敬は有り。オリジナリティのない作品は受け入れられないが、他人に共感されないオリジナルは敬遠される。
それでも作者は自分の個性を、思考を文章にする。それはまるで自分の心を覗いてくれと言わんばかりに。
「現実に生きられない奴は空想に逃げるしかない。それでもそいつらは自分のことをまともだと信じてる。うまくやっていけないのは周りの奴らが自分を理解しないからだ、自分より劣っているからだってな」
理解されない者は思う。自分が悪いのではない、劣っているのではない。自分が優れすぎている為に愚鈍な周囲は理解できないのだと。なぜそんな奴らのために自分が理解できるようにレベルを下げてやらなければならないのだ、と。
「本当は自分が規格外なだけなのさ。時代にうまく順応できない奴は頭のおかしい奴としか認識されない。本当の天才は理解されにくいが、本当のイカレタ奴は理解されない。それでも自分は天才なんだと信じたいんだろ。だから主張する」
本を書くことは主張だと、司書は言う。
「自分の意見を持つことは大事だ。他人の言うことばかり気にする奴はのらりくらりとクラゲみたいに漂ってるだけだ。だが主張ばかりで相手のことを思いやらない奴を誰が好きになる? 誰が尊敬するんだ?」
本は一方的に語れる。たとえ一時であっても。
「本は現実を選ばない。書くだけなら自由だ。批評はいつだって後から来る。酷評など聞かなければ意味がない。傷つかない。本の内容と作者の生き様が同じように評価されるわけじゃない。批評なんて結局言いたがりが勝手にやることだ。研究じゃない、理解したつもりになってるだけだ」
本当に本を理解しているのは作者本人だけ。
「読む側も書く側も自分勝手だ。勝手に書いて、勝手に理解する。好きなだけ勝手なことができる。それはすべて頭の中で決着するからだ」
空想を現実に持ち込めば、その時点で狂人だ。
「だけどな、読者は自分の意見を自分中だけに留めておくことができる。でも作者はそれができない。他人に見てもらわなければ世界が広がらない。勝手にやっているようで、実は他人が存在しないと成り立たない。そういう矛盾した世界なんだよ」
「それで何が得られるの?」
「一つだけ。自己満足だ。世界にたくさん自分の本を読んでくれる奴がいる。共感して、敬ってくれる。そう思える。それだけだ。物書きが求めるのはリアルじゃない。リアルの評価は何の意味もない。金なんて一番眼に見える形でしかない。奴らが欲しいのはそんなものじゃなく、酔いしれることのできる世界だ。本に書いてそれが人前に出された時、既に作者の望みは叶ってるんだよ」
目の前に売れ残りが山積みになっても意味がない。そんな現実の問題など気にしてはいない。それが店頭に並んだ時点で、作者は敬われているという自己陶酔に浸ることができるのだ。
「自分をさらけ出してしか生きていけない。その時点で既に十分な狂人だと俺は思うけどね」
本に逃げる人間ほど虚栄心が強い。そのくせ現実の評価は求めていない。仮に認められても、彼らは既に空想の世界の住人となっている。
「遺書まで本に書く奴ってのもいる。あの世に逃げなきゃならないほど現実で生きていけない奴ら。そういう奴は現実という空気を吸っているだけで苦痛なのさ」
「君は?」
「俺? 俺はどっちでもないさ。俺も現実では生きていけない人間さ。ここにいる奴らのほとんどがそうであるように」
だがそれは逃避でも救済を求めたわけでもない。
「俺は傍観者だから。勝手なことをして勝手に慌ててる奴らを見てるだけで満足なのさ」




