III-VII 世界
帰れば山積みとなったガラクタが僕を迎えてくれる。
いくら釣り人が配達しても、それ以上に増えていく荷物は消えることはない。
僕は固いベッドに横たわり、ここ数日のことを頭の中で整理してみる。
最初に出会った住人は釣り人。森や泉から拾ってきた物を村の住人たちに配る。そして次に出会ったのは少女。他人に自分の存在意義を見いだし、他人によってその存在を保っている。
そして個性的な、そしてどこか歪んだ住人たち。司書、老女とその娘、芸術家、そして研究者。それ以上いるのかはわからない。ただ、彼らはそれぞれ何かを自分の存在を維持するためのよりしろとしている。
彼らは一つの存在によって維持され、それを失うことで存在意義を失う。
僕にはそれがない。『ここ』の住人ではないからだ。
強いて言うなら、一つの目的が僕をこの世界へ導いた。夢だと言われればそれで納得してしまいそうなほど危うく、不確かな世界へ。
村の住人たちを見ていて一つ不思議に思ったことがある。
釣り人のことだ。
彼は他の住人たちとは何かが違う。何かに執着することもなく、他人の存在意地に力を貸している。おそらく彼が日課として行っている物拾いも何の意味も持たないのだろう。
根拠はない。ただ、そんな気がした。
ふと部屋を見渡す。二階の半分は僕の生活空間となっており、残りの半分は釣り人が拾ってきたガラクタで埋め尽くされている。
僕は起き上がり、ガラクタをあさってみる。壊さないようにとは言われていたが、触る分には問題ないだろう。
統一性のない、ただ無造作に置かれていると言ってもいいその中から、僕は一つの砂時計を見つけ出す。
周囲の囲いは木製で、丸いガラス玉を二つくっつけたようなシンプルなデザインのものだ。おみやげ屋に行けば売ってそうな、安物臭いそれに、僕は何故か惹かれた。
砂時計の上部のガラス玉には罅が入っていた。おそらくひっくり返せば中の砂が漏れ出てしまうだろう。
だからこの砂時計は永遠にひっくり返されることはない。時計の時間は止まったまま。その役目を果たすことはない。
そして砂は永遠にもう片側へ向かうことはない。砂のあるガラス玉とないガラス玉。この二つの中の世界は変わることもなく、完結されたものとなっている。
この世界が動き出すにはひっくり返さなければならない。しかしそうすれば砂は漏れ出し、砂のないガラス玉は真の終焉を迎える。もはやこの二つの世界は終焉という形でしか動くことはできないのだ。
完結しか用意されていない未完結の世界。そしてある意味完結された世界。動くことがないのなら、それはもう終わっているのと同意ではないだろうか。
僕は砂時計を手にしたままベッドに戻る。この砂時計に惹かれたのは、きっとこの完結された世界に既視感を得たからだろう。
そう、この不安定な完結は僕の世界に似ている。僕は自分の内にある世界の終わり方を知っている。しかしそれを終わらせることができない。終焉を迎えた世界は二度と動くことはない。それを恐れているのだ。
そしてこの世界にもはや終焉しか用意されていないことにも気付いている。僕がどう動かそうが、世界は予定された終わりを迎えるだろう。
僕がこの世界に来た時、それは既に決まっていた。
僕は動かしたいのか、それとも動きたくないのか。きっと答えは出ている。ただ僕が気付こうとしていないだけで、いつか世界は僕を置き去りにしていくだろう。
ごろりと転がり、窓の外を眺める。日が沈むのが見えた。
変わっているようで、何も変わりなく廻っているこの世界。
僕は、ここに僕の終わりを探しに来た。