III-IV 神話
昔々、まだ人と神が共存していた頃、一人の少年がいました。
少年は気性が荒く、乱暴で、いつも他人に迷惑ばかり掛けていました。
ある日、少年は一人の少女に出会いました。
少女は少年に冷たくされても、決してそばを離れようとはしませんでした。
少女は少年が本当は優しく、
しかしそれを表に出せないということを知っていたからです。
ある日、少女は重い病気にかかってしまいました。
その病気を治す薬は遠い街にあり、どんなに急いでも少女の身体が保ちません。
皆が諦める中、少年は街へ薬を取りに行きました。
傷だらけになり、泥だらけになり、それでも少年は走り続けました。
しかし薬を買って村へ戻る途中、どうしても足が動かなくなり、
少年は歩けなくなりました。
どうしても走りたい。
そう少年が願ったとき、一人の神様が少年の前に降り立ちました。
神様は少年に言いました。
「君がどうしても走りたいというのなら、君を速く走れる姿にしてあげましょう。
しかし、君がどんな姿になっても周りの人が君を君だと気付かなければ、
君は一生その姿のまま、人の姿には戻れなくなってしまいます」
少年はそれでもかまわないと答えた。
神様は少年を四本足の獣の姿にしました。
獣の姿と化した少年は風のように走りました。
走り走り、少年は少女の家の前までやってきました。
出てきた人々は突然現れた見たこともない獣に驚きましたが、
獣が持つ薬に気付き、それを少女に与えました。
少女は助かりました。
人々はこの黄緑色の身体を持つ不思議な生き物を、神様の使いだと考えました。
たくさんの人々が獣に感謝の言葉を述べました。
しかし誰一人として、この獣が少年だと気付く者はいませんでした。
しばらくして少女は目を覚まし、獣に会いに行きました。
優しく身体をなで、感謝の気持ちを表す少女でしたが、
やはり獣の正体には気付きませんでした。
病気が治った少女は少年に会いに行きました。
しかしどこを探しても少年の姿はありませんでした。
そこで少女はやっと獣の正体が少年であるのではないかと考え、
獣に会いに行きました。
しかしそこにはすでに獣の姿はなく、二度と姿を現すことはありませんでした。
人の姿に戻れなくなった少年は、その後神様に拾われ、
神様の乗り物として生き続けることとなりました。
神様は少年に言いました。
「いつかあの少女は君に会いに来て、そして名前を呼んでくれるだろう。
その時、君は人に戻れるだろう」
だから少年は待ち続けています。
あの少女が会いに来るのを、名を呼ばれるのをずっとずっと待っているのです。
「そしてその獣はウォルガと呼ばれ、神の乗り物として他の神話にも登場するようになる」 釣り人はぱたりと本を閉じた。
僕はすぐそばで釣り人に甘えてくるウォルガを見て言った。
「少年は今も待ち続けているのかな」
ここにいるウォルガが本当に神話の中のウォルガなのか、それともただの想像が実体化したものなのかは僕にもわからない。だけどそんなことはあまり大きな意味を持たない。ただ僕が知りたいのは、少年と少女の願いは今も続いているのかということだ。
釣り人はウォルガの首を掻いてやりながら言った。
「君がそう思うのならそういう世界も存在する。ここはそういうところだ。でも、きっとそうなのだと僕も思うよ」
少年は言った。
「そして少女も、少年を捜し続けていると思うよ」
ふと見たウォルガの表情が、笑ったように見えたのは気のせいだろうか。
その瞳に映る世界、そして彼が生まれた世界はなんて美しく、そしてゆがんでいるのだろうか。
いつか来るかもしれない、永遠に来ないかもしれない、存在するかすらわからない願いを、僕たちは夢見ているのだ。