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III-II  研究者II



「それすら呼び方の一部に過ぎない。ここは生きとし生けるものすべてが生まれたときより知っている場所で、そしてその欠片さえ知らない場所。終わりと言ったが始まりと呼ぶ者もいる。またある者は忘れられた世界、またある者は世界ですらないと言う。そもそも世界という概念さえここにはない。だから住人達は単純に"ここ"と呼んでいる」

 この世界で会ってきた誰よりも饒舌な彼は、僕がどう答えればいいかも分からず悩んでいる内に次の言葉を紡ぎ出す。

「では私たちが言う"あそこ"や"向こう"はどこを指すのかと言うと様々だ。小島から対岸を見るようなものだ。右を見れば陸があり、左を見れば違う陸がある。しかし実は同じ陸かもしれない。右の次に左を向いたつもりでまた同じ方向を見ているのかもしれない。もしかしたら上を向いているのかもしれない。そしてそこには空ではなく海が広がっているかもしれない。砂漠かもしれない。人の目なんて怪しいものだ。今見えているものが本物なのかもわからない。もし脳に直接『○○が見える』という命令が送られれば、本当にそれがあるかのように見える。

 さしずめ脳は生き物のだまし絵だ。いや、その脳によって伝えられる"世界"もだまし絵と言えるだろう。人によって見えるものが違う。しかしどれが正解でどれが間違いかなんて誰にもわからない。本当の正解を知る者がいないからだ。しかし人間というものは自分が正しくないと気に入らないらしい。何事にも自分を証明の中心にしたがる。他人の事なんてどうでもいい、自分が良ければそれでいいなんて言っている人間は自分が正解でないと落ち着かないんだよ。まるで子供だ。しかしそれが人間の本質でもある。そもそも自分とは何か、自分とは本当に存在しているのか。他人の言葉など信用できない。もしかしたら自分の都合の良い夢なのかもしれない。いや、もしかしたら自分自身が誰かの見ている夢なのかもしれない。本に描かれた空想なのかもしれない。

 では、今ここにいる我々は何であるのだろうか。そして我々がいるこの世界とは、そこにいる意味とは? 誰も答えられはしない。この世に全能の神が居ない限り、この問いに答えられる者はいない」



 話が終わることには、僕は一体最初に何の話をしていたかすらわからなくなってきた。幸い僕が完全な混乱状態に入る前に彼は話を終えた。そして話し続けて乾いた喉を潤すために机に置かれたマグカップに手を伸ばした。清潔感からほど遠いこの部屋の一部と化したマグカップは、やはり黒っぽい汚れが抽象画のように描かれている。普通なら手も出したくないだろうカップを、彼はまったく気にせずその中身を一気に飲み干した。

 気がつけば釣り人は壁に背を預け部屋の主を見てすらいない。司書の彼は退屈そうにあくびをしていた。どうやらまともに話を聞いていたのは僕だけらしい。そして僕もまともに彼の話を聞くのはこれきりにしたいと思った。彼の話を聞いていると僕か彼のどちらかの頭がおかしいのではと思えてきてしまう。

 話を聞かない客人は話が終わったのを確認するとさっさと帰る意志を示す。

「いつも通り荷物は玄関前に置いておきますから勝手に持って行ってください」

「もう帰るのかね? 久しぶりに顔を見せたのに」

「顔を見せたのは彼にあなたを紹介するためだけです。それがなけらばわざわざ顔だって見せはしない」

 どうやら本当に彼はここに来るのが嫌なようだ。そしてその気持ちが僕にも少しはわかる気がした。

 僕たちが姿を見せてからというもの、研究者は話をしているときでさえ僕たちをじろじろとなめるように見続ける。まるで顕微鏡の微生物を観察するかのようにだ。そして観察というたとえはたとえでなく事実だろう。僕たちの細かな動きにすら彼は目を向ける。これではくしゃみ一つできやしない。もっとも釣り人は慣れた様子で、しかし好ましくは思ってないらしく、最初から最後までここにいたくないという意志を隠しもしなかった。

「それでは僕たちはこれで」

 それだけ言うと釣り人はきびすを返し、一度も振り返ることなくその場を後にした。僕は慌ててその後を追う。

 一度だけ振り返ったとき、開け放たれたままの扉の向こうから研究者がおもしろそうに僕たちを見送ったように見えたのは気のせいではないだろう。 




 ほとんど一方的な会話だけで終わってしまいました。今回の研究者の話はこの物語のキーポイントです。

 それにしても書くのにとても疲れる話でした。

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