III-I 研究者I
僕がそのことを思い出したのは来た道を戻る途中、図書館と呼ばれる建物が見えてきた頃だ。
「そういえば、後で図書館に寄るんじゃなかったの?」
僕が忘れていたように、彼も忘れていたのではないかと思い、言葉にして口からはき出した。釣り人は何でもないように言った。
「ついでに一度顔を見てもいいかと思ったんだ。どちらにせよ、彼に渡す荷物は多くて一度は取りに戻らなければならないから」
既に荷台の荷はすべて下ろされている。
「行っても行かなくてもどちらでもいいんだ。思ったより早く他の荷物を届けることができたから、一度戻っても変わらないと思った。君は別に来なくてもいいよ。彼に会っても君のためになることがあるとも思えないしね」
「どういう人なの?」
「知りたければ一緒に来たらいい。君の好きにしたらいいよ」
そう言って彼は図書館の戸を開くことなく通り過ぎた。
結局僕は彼についていくことにした。
倉庫から大量の荷物を再び荷台に積んだ釣り人は、始めと同じ道を再び歩き、また図書館と呼ばれる建物の前で止まった。
やはり彼はノックもせず、荷物の一部を抱えて中へ入っていった。僕は何も言わずにその後を追う。
建物の中はやはり暗くて、慣れるまで床に散らばった本に躓いたり蹴飛ばしてしまったりする。釣り人はそんな僕の存在も忘れているかのように振り向きもせず奥へと進んでいく。そしてやはり彼の元に辿り着く。
やはり本のベッドの上で眠っていた彼を見下ろすと、釣り人は彼の寝床を蹴った。土台を失った本の山はあっという間に元の半分程度の大きさまで崩れてしまい、その上で寝ていた人物は強制的に起こされることとなった。
「だ〜か〜ら、おまえはもう少しまともな起こし方ができないのか」
崩れた本に埋もれた彼はもはや寝床にならない本の山からはい上がって、不機嫌そうな声で言った。しかし釣り人は何でもないように言った。
「毎回起こすことになるこちらの身にもなったほしい。ところで彼はもう起きたか?」
「ああ、おまえが来るのを待ってる」
そう言うと司書の彼は建物のさらに奥へと向かう。僕と釣り人もそれに従う。
建物の一番奥にあるのは一つの扉。司書がノックすると中から返事があり、僕たちは中へと誘われた。
部屋の主は狭い――というより物であふれかえっている――部屋で、色あせた革張りの椅子に座り僕たちを迎えた。白髪交じりの無精ひげの生えた中年なのか老人なのかもわからない男性だった。よれよれのワイシャツの上から白衣を着ているようだが、シミと穴だらけの白衣は、もはや元の色などわからなくなり、かろうじて白衣だとわかる程度だ。
「おお、よく来た。ささっ、座れ座れ」
そう言われても、この部屋の何処に座る場所があるというのだろうか。部屋の主が座っている椅子とそれの前に置かれた明らかにセットではない机以外は、部屋のほとんどを本棚や怪しげな物が並べられている棚が占めており、残った部分にも無造作に積まれた本や何に使うかわからない小物が占領している。歩くことさえかなり困難な場所だ。棚に並ぶのは専門用語が入ったタイトルの僕には何のジャンルなのかすらわからないような本や、紫や青など毒々しい色の液体が入った瓶やフラスコ。他にも見たことのない動物の骨や鉱物など、学校の理科室よりも危ない、魔女の研究室のような場所だった。とてもではないがこれ以上先には進みたくないと、部屋の入り口から入ろうとしない僕だった。
「座ることを勧めるなら椅子ぐらい用意するんだな。それとあなたと話す気もない」
ずいぶん冷たい言いぐさの釣り人に対し、部屋の主は気にせず笑った。
「ははは、相変わらずだな。たまには話だっていいじゃないか。いつもおまえは荷物を届けるとすぐに帰ってしまうんだから」
「あなたと話していると日が暮れてしまう」
「時間なんて気にしなくていい。ここに時間なんてほとんど意味を持たない。見かけだけの太陽なんて気にするな。時間の流れなど人それぞれだ」
そして彼はようやく僕の方を見た。
「ところで彼は新入りかい?」
「いや、一時的に滞在しているだけだ」
「何だ、それは残念だ。ここには他にはない至高の幸福があるというのに。しかし人によっては絶望的な永遠の檻だな」
もはや僕にはこの人が何を言いたいのかすらわからない。彼は僕に向かってこう言った。
「名も知らぬ客人よ。ようこそ世界の果て、また世界の終わりとも呼ばれる世界へ。私はこの世界の住人。名も捨てた狂人。ここでは研究者と呼ばれている」