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魔術師のお仕事  作者: 雲先
魔術師ここに立つ
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3-3 魔術師と悪魔




 ガチャと扉の方から音がして、私ははっとしてドアを見た。

 ガッと勢いよく開いた扉の向こうには気怠げな様子のあの男が立っていて、私が机と一緒に床に転がっている姿を見た男は舌打ちをしてズカズカと私に近付いて来た。


「ガキがっ! 大人しくしてろつーのぉ? そんなに殴られたいのかぁ? あぁ?」


 無造作に掴まれた髪の毛に私は痛みと恐怖を感じた。また、殴られる……ううん、今度は殴られるだけじゃ済まないかもしれない……

 恐怖は瞬く間に私の頭の中を占領して、体は恐怖を体現するように震え始めた……


 ニヤリと私の顔を見ていた男の口角がつり上がる。私の髪の毛を無理やり引っ張って部屋の真ん中付近まで私を引きずった男は、ガラガラ油が切れた音がするキャスター付きの椅子を持って来た。何をされるか分からない恐怖に体を固くした私を乱暴に椅子に座らせてから、上機嫌になって私をガムテープで椅子に縛り付け始めたんだ……


 怖かった……ついさっきまであんなに機嫌悪そうに私を見下ろして居た男が、いま私を嗤いながら手を動かしていることが……

 椅子に私を固定し終えた男は凄い上機嫌に前に回るとまたニヤリと私の顔を見て嗤った。


「なんだよぉ? よく見ると結構可愛いガキだなお前ぇ? 特に揺れてる眼が飛び切りいいわ」


 ガツンと頭を殴られた気がした。この男は私の怯える姿に愉悦を覚えたんだ! 

 嫌だ! ヤダッ! ヤダッ! ヤダッ! 

 見られたくない! 男の視線を感じたくない! ここに居たくない! 

 私は心の中で絶叫を上げる。その絶叫に応えるように、体の震え方は止まることを忘れたようにどんどん震えて、目許を私の恐怖が伝っていった。

 男は私を見下ろして嗤うと、こう言ったんだ……


「あーあ、勿体ねーなぁ?」


 その言葉が何を意味しているのか……私は分かってしまった…………




 ガラガラと音を立てながら私を縛り付けたキャスター付きの椅子を、男は真っ暗な廊下を転がして行く……

 部屋を出た後の男は不気味なほど静かで、余計に私を怖がらせた……


 病院の一番奥まっていると思う場所まで私を転がした男は真っ暗な中でぼんやりと光っている二つのボタンの一つを押した。

 すーと天井近くの蛍光板に光りが灯ってすぐに、これもすーと音もほとんど無く目の前の扉が横に開いたんだ……


「さあぁ? 地獄への扉が開きましたよー」


 私の耳元で男はそう囁いた。私はその言葉から、男から逃れるために精一杯体を捩った。……無駄な足掻きだと分かって居たけれども、そうせずには居られなかったんだ………………



 エレベーターの扉が閉まって、感じ慣れた浮遊感を感じる。天井近くの蛍光板は地下一階、二階と来て三階で動きを止めた。

 あっという間に開いたエレベーターの扉の先は駐車場だった。天井に付けられたら剥き出しの蛍光灯が外気混じりの駐車場を冷たく照らしている。隅の列だけ高そうな車がたくさん止まっていて、全体のがらんどうな雰囲気とちぐはぐな気がした。


 エレベーターを降りた男はエレベーターの裏の方にガラガラと私を転がして行く。そこにはコンクリートの灰色の世界に、これまたちぐはぐな白い大きなカーテンで仕切りがされていて、私を後ろで転がして来た男と同じ雰囲気を持った男の人二人が睨みを利かせていた。


 私からは見えないけれど、私を転がして来た男は白い仕切りの前に立っている男に何か合図をしたらしくて、白いカーテンを男二人は無言で捲って男と椅子に縛り付けられた私を中に招き入れた……



 白いカーテンの向こうには人が一杯居た……気難しげな顔をする中年男に愉しげに笑いあっている恰幅のいい男と派手な服装の女、突然登場した私に振り返って驚く者、納得の色を示す者……

 他にもたくさんの人がそこには居て、その人垣の向こうには黒くて大きな術式があった。

 術式は魔術文字と云われる模様のような物がびっしりと描かれていて、大きな円を形成している。大きな円の四方には小さな、でもこれにもびっしりと魔術文字が描かれた円が点在していて、全部で四つある内の三つにはもうパイプ椅子に座った『生贄』の人たちが意識無く座らされて居た……

 でもね、私の視線は私は見て嗤う人たちでもなければ黒い術式でもなくて、『生贄』の人たちにも向かなかった。

 私の視線は一際細い背中に張り付いたんだ……


「よおぉ? 最後の一人連れて来たぞぉ?」


「……随分遅かったんですね……時間は守って……っ!?」


 ふうっとため息まじりに振り返って私の後ろに居る男に眼を向けようとした彼女は、私を見た途端にその紫が差した瞳に動揺を走らせた。

 昼前会った時とは違う濃い色合いのパンツスタイルのビジネススーツ姿は、着慣れていないからかな? 全然似合っていない気がする。透明感が際立っていた長い髪の毛は後ろで一つにまとめられて、似合っていないスーツ姿とは対照的に彼女を大人びて見せている気がした。

 カシャンと手にしていたバインダーを落とした彼女は眼差しを鋭くして私に、私の後ろに居る男に向かって行ったんだ。


「三原っ! これはどういうことですっ! どうして沙紀がここに居るんですっ!?」


「おー、怖い怖い、そう怒るなよなぁ?」


 あと、俺はお前より一回り以上年上なんだから、さん付けしろよぉ? っと言って、三原と呼ばれた男は彼女、瑠璃ちゃんの私を離せと言う声に構わずに私を術式の方に転がして行った。

 瑠璃ちゃんはなんとか私を自由にしようと三原に追いすがるけれども、私と同じく小柄な瑠璃ちゃんだと大の男の動きは止められなかった。三原は私を『生贄』の陣、最後の一つに運ぶとキャスター付きの椅子にロックを掛けて瑠璃ちゃんとやっと対したんだ。


「それでぇ? 術式は完成してるのかぁ?」


「完成していませんっ! 生贄に沙紀は不適合です!」


 ああ、なるほどと私は瑠璃ちゃんがこの場所に居る理由を理解できた。

 この黒い術式を描いたのは瑠璃ちゃんなんだ……


 つっと私の頭に瑠璃ちゃんの義理のお兄さん、輝樹さんの姿が過ぎった。輝樹さんは人外の研究をしていたと永久さんが言っていたと思う。たぶんだけれど、瑠璃ちゃんは青の魔術師として輝樹さんと一緒に人外のことを研究していたんだと思う。術式は青の魔術師の得意分野だもん……

 それで……輝樹さんが居なくなったいま……瑠璃ちゃんに悪魔を召喚する役割が回って来たんだね……


 瑠璃ちゃん……輝樹さんの仇をとりたいと言って居たのに……

 この人たちは輝樹さんを間接的に……命を奪った人たちなのに……


 私の困惑した目を見た瑠璃ちゃんはますます声を荒げて三原に詰め寄った。


「沙紀は魔力の器が小さいんですっ! 今回の術式で魔力が弱い存在は生贄として不適合です!」


「……なぁ? お前よぉ? 俺を馬鹿にするのもいい加減にしろ」


 すっと三原の気配が変わったのが背中しか見えない私でも分かった。当然だけど三原の前に居た瑠璃ちゃんは私以上に三原の豹変にびっくりしたみたいで、唖然とした表情が見えた。


「なにも輝樹の研究を近くで見てたのはお前だけじゃねえんだ。俺も含めてアイツの研究は注意深く……監視してたんだ。中身もある程度把握してる。生贄に必要な素質が基本三色と無色の魔力を持っていれば良いだけってこともなぁ?」


 瑠璃ちゃんは三原の言葉に口を噤んで顔を伏せた。でもね、私の位置からは、なんとか、なんとか私のことを助けようと考えを巡らせている瑠璃ちゃんの思案する顔が良く分かるんだよ。私はそんな瑠璃ちゃんの気持ちを見て取って、やっばり瑠璃ちゃんは私の味方なんだと思った。


 瑠璃ちゃんは悪魔を召喚しようとしている。これは間違いないみたいだ……それも輝樹さんの仇の要求通りに……

 おかしいと思うけれども、でも、瑠璃ちゃんが私を助けようとしてくれる姿は本物だと思うんだよ。だから、私は瑠璃ちゃんが私の味方たんだと思った。安直な発想なのかもしれない……でも、私は瑠璃ちゃんの紫が差した瞳に浮かび上がる確かな意識を信じたいと思ったんだ。


 すっと瑠璃ちゃんの紫の双眸に揺らめくものが見えた。揺らめくそれは瑠璃ちゃんの感情と比例するように燃え上がったんだ。

 瑠璃ちゃん、力ずくで私のことを助ける気だ。

 爆発的に膨れ上がった魔力の気配に私は思わず目を見開いた。今まで感じたことがないくらいの魔力の気配を発している瑠璃ちゃん。周りでは精霊たちが我先にと集まり始めていた。


 状況が大きく変わると思った。瑠璃ちゃんが魔力を解放すれば確実に状況が変わると私は思ったんだ。でも、これから悪魔を召喚しようとしていたのが良くなかったんだと思う。悪運は私と瑠璃ちゃんにその牙を向けたんだ……


 瑠璃ちゃんの爆発的な魔力の膨れ上がり方に目を奪われていた私は、さっと黒い影が動いたことについていけなかった。

 一瞬で瑠璃ちゃんの姿が私の視界から消えた。私はガムテープに塞がれた口で、えっ? と音を出して、床に倒れている瑠璃ちゃんの姿に目を見開いた。

 なっ、なにが起こったの? なんで瑠璃ちゃんは床に倒れているの? 

 私の疑問に応えるように黒い影が瑠璃ちゃんのお腹をまるでゴミを蹴飛ばすみたいに蹴り上げて、瑠璃ちゃんは体をくの字に曲げて床を転がったんだ……


 私の頭の中につい今さっきの自分の姿が浮かぶ。黒い影がなんの躊躇なく私を蹴り上げている。悪夢と言っていいその時の自分の姿がいま私の目の前で、私の大切な友達に重ねられていたんだ……。



 やめてっ! お願いします止めてくださいっ! これ以上やったら瑠璃ちゃんが死んじゃう! 

 私が声にならない声で丁寧に頼んでしまう程に、瑠璃ちゃんに対する三原の暴力は続いたんだ……


 やっと三原の暴力から解放された瑠璃ちゃんは……ぐったりと血を吐きながら床に倒れていた。着慣れていなかったビジネススーツは汚れ、後ろで纏められていた瑠璃ちゃんの長い髪の毛は三原に乱暴に掴まれたせいでバラバラに、まるで今の瑠璃ちゃんの状態を現すようにばらけて床に広がっていた……

 とても誰かに立ち向かえる状態じゃないし、立つことも出来なければ体を引き摺って暴力から逃げることもあれじゃ出来ないよ……



 嫌だ、もう嫌だよ……私ももう痛い思いはしたくない。もちろん瑠璃ちゃんがこれ以上痛めつけられる姿も見たくなかった……

 ぎゅっと目の前の現実から逃れるように目を強く瞑った私は、助けて欲しいと願った。私の大好きな黒に、私にいつも優しくしてくれる黒を冠する人に……


 マンションでも思ったけれども、自分に都合が良すぎることを願って居ると思う。あれだけ永久さんに酷いことをしておいて、いまさら助けて欲しいなんて虫が良すぎる……良すぎるけれども、私は助けて欲しいと願ったんだ……

 永久さん、お願いします。私と瑠璃ちゃんを助けて下さい……

 神様に祈るように心の内で願った私の目蓋の裏に、永久さんの輪郭が見えた気がした。でもね、ゆるゆると閉じていた目を開いたけれども、そこに私が求める影はなかったんだ……

 当然だよね? 私は……永久さんの優しさを享受する資格なんてないんだから……



 息も絶え絶えでぐったりしていた瑠璃ちゃんを三原はまた足で蹴飛ばすようにして黒い術式の中心に無理やりに移動させた。私にしたように瑠璃ちゃんの両手をガムテープでぐるぐる巻きにしてから、パンパンと手を叩いてその場に居る人たち全員に宣言したんだ。


「五人目の生贄も無事に揃いました。これより悪魔召喚を始めます」


 三原は取り巻きの一人から手渡された、何枚も重ねられた紙に視線を落とすと私たちが生贄としてセットされた黒い術式に向き直って朗々と『悪魔召喚』の呪文を唱え始めたんだ……



 悪魔て何なんだろう? 力って何なんだろう? 

 たくさんの人の命を奪ってまで手に入れる価値、本当にあるのかな? ……ああ、でも私も力が欲しいと思ったことがある。違う、いまの瞬間も欲しいと思ってる……この窮地を打破することが出来る力を、私と瑠璃ちゃんが助かることが出来る力を……

 いっそのこと、悪魔が願いを叶えてくれると言うならば……願ってしまおうかな? 私に力をと、私に永久さんのような大好きな人たちを助けることが出来る力をと……



 呪文を読み上げる三原から視線を外して、斜め後ろに見える黒い術式の中心を私は振り返った。瑠璃ちゃんは……悔しそうに動かない体の代わりに三原を精一杯睨んでいた。長い髪の毛は床にざんばらに広がって、苦しげにむせる度に血を吐いてしまうのに……紫が差した双眸は三原を睨み続けていた。


 瑠璃ちゃんの視線が意味あり気に私に向けられた。私はその瞳に現れていた決意にびっくりして、同時に畏怖した。あれだけ殴る蹴るの暴力を受けて立つことも叶わない筈のボロボロの体なのに……魔術がまともに行使できる状態でもないのに……

 瑠璃ちゃんは諦めてないんだ……

 瑠璃ちゃんには何か、何か策があるんだとわたしは思うんだ。きっとこの窮地を脱する策があるんだ。


 瑠璃ちゃんは……輝樹さんを奪った存在に復讐したいと言っていたんだよ。どんな形であれ……私には輝樹さんの話しをすることで罪悪感を持たせて、私が輝樹さんのことを忘れることが出来ないようにする形で復讐を果たしたんだ。そして永久さんに対する復讐……要求は輝樹さんに道を踏み外させた人たち、聖者の使徒、此処にいま居る人たちを裁くことを求めたんだ。


 瑠璃ちゃんは永久さんと輝樹さんの間柄を知っていると私に話してくれた。永久さんが責任感を強く持っている人だとも……だから、私から大切な義理の兄を奪った人たちを貴女の手で裁いて欲しいと私を通じて懇願したんだ。そう頼み込めば永久さんが必ず行動してくれると打算して……

 実際、私からその話しを聞いた永久さんはすぐに行動を起こして居たものね? 私に外出禁止を言いつけて、他は何も言わずに出掛けて行ったのは瑠璃ちゃんの願いを叶えるために、黒の魔術師の責任を果たすためだと思うんだよ。


 はたと瑠璃ちゃんの策が分かった気がした。

 私と同じ考えを瑠璃ちゃんも持っていたんたね? 


 永久さんが私達二人を助けに来てくれる。

 すごく他人任せな考え方で、すごく自分勝手な考え方で、すごく都合が良すぎることだけれど………………


 なんでだろう? 私だけの願いでなくなった途端に、瑠璃ちゃんも永久さんを頼りにしていると思った途端に、すべてのことが上手くいって、永久さんが私達を助けてくれると盲目的に思えるんだよ! 

 もう大丈夫、私がそう思って瑠璃ちゃんに頷いた見せた途端に状況が、運命が動き始めたんだ。



 物音一つ立てないで、それは瑠璃ちゃんの倒れている直ぐ後ろの場所に姿を現したんだ。

 真っ黒くて鏡のように艶がある扉だった。表面はまるで漆で綺麗に塗られたように黒く、観音開きの四面の姿見に似ていた。いまは閉じられている扉に、突然現れたことに驚く瑠璃ちゃんの顔と呪文を唱え続ける三原の顔がくっきりと映っていた。


 ザワザワと姿見に似た正体が分からない扉の突然の登場に、その場に居た人達が驚きと恐れの入り交じった声をあげる。ある人はなんだあれは? っと不安を、またある人はついに悪魔が現れたのだっと熱がこもった声を黒い術式を取り囲んだ人達が口にした。

 そして、それはまた音を立てずにゆっくりと開いた。


 パカッとも、ギィーともその扉は音を立てず開いた。不気味と思ってしまうぐらい静かに扉が開いた先には何もなかった……違う、闇だけが存在していたんだ。

 その先に何が在るのか、居るのか少しも分からない闇。私が三原にボコボコにされた部屋で最初で見た暗闇よりももっと深い本当の闇がそこ存在していた。


 ああ、駄目なんだ……私も、瑠璃ちゃんも、二人とも死んじゃうんだ……

 あの先から悪魔が私達を喰らいに来るんだから……だって、あの闇は私が求めていた黒じゃないもん……あんなすべてを飲み込む黒じゃなくて、私が求めた黒は私を包み込んで守ってくれる黒だもの……


 トッ、トッ、トッ、っと軽い足音が扉の先に広がる闇から近づいて来る。どんどん、どんどん近づいて来る……誰もが、呪文を唱えていた三原でさえ音を潜めてその足音の主を静かに待っていた。




 あれ? っと私は思った。次に嘘だぁ~ぁ? っと内心で笑ってしまった。

 どこまでも深い闇から現れたその人のことを、私は知っていたんだよ。


「……お前は誰だ?」


 一番最初にそう口に出したのは三原だった。疑念が籠もった声に、はたっと思って三原に顔を向けるとそこには眉間を歪めた三原が視線に疑念をのせて突然現れた存在を睨んでいたんだ。


 おえ~、あんな変態男と同じことを思ってしまったぞ。

 だいぶ緊張感が欠けたことを思いつつ、でも三原のもっともな問い掛けに同意した私は答えを求めて視線を瑠璃ちゃんのすぐ後ろに現れた存在に戻した。


 まず、その人は三原の問い掛けに答えないで、面倒くさそうにため息をついて見せた。黒い、どこか儀式的な物を感じさせる外套が身に着けている彼女にあわせて小さく衣擦れの音を立る。一際目を引く二つに纏められたプラチナブロンドの髪の毛は彼女の心情を現すように下がったように私には見えた。


「……自分達で呼び出しておいて、その言い草は失礼でしょう?」


「……悪魔か?」


 三原の確認を重ねる問い掛けに、彼女は不敵に笑って答えたんだ。


「そうですとも。私はあなた達人間が悪魔と呼び忌み嫌う存在」


 すっと綺麗な動作で三原を指差した彼女は、その昼間見た時とは違う紅い瞳、人の魂を飲み込みそうな深い色で三原を見据えると悪魔らしく言葉を紡いだんだ。


「さあ、あなたの望み、言ってご覧なさい?」


 彼女の言葉と共に一斉に周りが騒がしくなった。



「ゴホンッ……それでは私が……」


「待ってくれ首領。おかしい。まだ呪文は完全に唱えられていない! それに術式が発動した様子もなければ、悪魔召喚に準じた魔力の動きもないっ! お前っ! 本当に悪魔なのかっ!?」


 ずいっと三原を押し退けて前に出ようとした小太りの男を三原はそう言って押し止めた。

 なるほど、あの小太りが聖者の使徒の親玉なのか……悪役は悪役でもあっさり正義の味方に倒されちゃう悪役だねっと私が思っている間に、三原は腰から何か黒い物を取り出して彼女に向けて突き付けた。


 黒い物を突き付けられた当人は平然としてそれの先を見据えて、また呆れた様子で三原を指差していた手を下ろして返事を返したんだ。


「随分疑り深い……ええ、そうですねえ? この陣はまだ役目を果たしていない。あなたの言うとおり。で~も、別に良いではないですか? わざわざ長ったらしい呪文とやらを読み上げる手間が省けたでしょう?」


 彼女は言葉と共に三原を鼻で笑ったけれど、当の三原は当然そんな答えになっていない返事に疑惑を晴らすどころか目を三角形にして唾を飛ばす勢いで怒鳴った。


「ふざけるなっ! てめぇが悪魔だと言うなら証拠をっ! 自分が悪魔だと証拠を見せろ!」


「……悪魔を呼ぶ声を聞きつけて来てみればこの言いよう。……いいでしょう。証拠、見せてあげましょう?」


 沸々と偽者呼ばわりされた怒りを煮えたぎらせた様子の彼女はパチンと指を鳴らしたんだ。


 シュッと一瞬でこの場所の気配が変わった。鈍感な私でも思わず鳥肌が立ってしまう程の力。大き過ぎるその力に、それまで三原に同調して声をあげて居た人達は黙り込み、三原も唖然とした表情を浮かべる。彼女は満足げに口元を緩めると両手を広げて叫んだ。


「さあ、いざ示さん! 我が力の片鱗!」


 ドンッとかバンッとか音を立てた訳じゃない。ドッカーンって何かが爆発した訳でもない。でもね、『力』が一瞬だけ牙を剥いたんだ。


 バタッと、バタバタっと黒い術式の周りに居た人達が次々に気を失って倒れるのが見える。三原は絶叫して手に持っていた黒い物、拳銃を投げ捨てたのが見えた。結局一瞬の後に立っていたのは三原とその後ろに居た首領、力を放った彼女だけだった。

 私も力を感じたけれども、どうしだろう? 直接的に力に当てられて気を失うことはなかった。一番近くに居たはずの瑠璃ちゃんもぐったりしては居るけれど、気に失うという状態ではないみたいだ。


 首領が驚きの声をあげる。三原が拳銃を持っていた手を押さえて、初めて唖然とした表情を見せた。すぐそばで力を感じたはずの瑠璃ちゃんは動揺した表情の後で諦めたように顔を伏せて、私はただ目を見開いて『力』と言う存在に釘付けになった。

 もう独壇場だった。『彼女』の。



「おおっ……我らが理想を叶える者よ……我らがのぞっ!?」


「……邪魔なんだよデブ爺」


 なっ、なんだ!? いきなりなんなんだ!? 三原がいきなり首領のことぶん殴ったぞ!? ぶん殴られた首領はポカンとへたり込んで三原の豹変ぶりにびっくりしてる。こいつら仲間じゃなかったの? 


「っ! ……なっ何をするんだ三原君!? 我らが望みを叶えてくれるっ!? ……」


「……うるせーよデブ爺。元からな、俺はお前のことなんて、ちーっとも崇拝なんかしてなかったんだぁ? あとよう? お前らが理想だー望みだー言ってる度に反吐が出るんだよっ!」


 パンッと声を上げた首領の口を黙らせたおもちゃのような音がまたして、首領のすぐ後ろのコンクリートの床が削れた。三原はどこに持っていたんだろう? 取り出した拳銃を首領に突き付けて嘲笑う。


「馬鹿な奴らだよなぁ? お前らは? 俺はなぁ? 最初からお前らを利用するだけ利用して最後の美味しい部分だけ頂くつもりだったんだょぉ?」


 時間は掛かったがなっと三原はゲラゲラ笑って拳銃の引き金をまた引いた。

 パンッとまた音が重ねられる。でも、三発目の音の後には絶叫が追加されていて、私は思わず目を背けた。

 首領が呻きながら命乞いをする声が聞こえる。助けてくれ、悪魔の力は君の物だっと……


「ああ、でもよぉ? 運が良かったよ俺わぁ? 本当はお前らなんてもう見限ってやろうと思ってたんだけどなぁ? 輝樹みたいな使えるバ・カ・が上手いこと釣れたからなぁ?」


 カッと三原の言葉に私は怒りを感じた。一瞬でそれまで強張っていた体中に火が点いたみたいに熱くなって、椅子に縛られていることお構いなしにバタバタと暴れて三原を睨んだ。

 お前の所為で輝樹さんは道を踏み外したのにっ! お前の所為で輝樹さんは悩んで、悩んで、悩んだ末に自分を罰したのにっ! 瑠璃ちゃんに謝れっ! このクズ野郎っ!!! 


 騒ぐ私を三原はゲラゲラと嗤ってから、撃ち抜いた首領の足を踏み付けた。首領は物凄い声を上げて命乞いを続ける。だけれど、三原はその声を無視した。まるで私の目の前で瑠璃ちゃんの携帯電話を壊した時みたいに、首領がもっと苦しむように足をグリグリと踏み付けたんだ。


「あ~っと、ちびガキは後で仲間に入れてやるからよう? 大人しく……おい、何してるんだ瑠璃?」


 三原は突然瑠璃ちゃんに銃口を向けて、私も釣られて視線を瑠璃ちゃんに向けた。

 瑠璃ちゃんは仰向けになって悪魔と名乗る彼女と視線をぶつけて居た。体勢的に瑠璃ちゃんを見下ろしている彼女は腕組みをして瑠璃ちゃんのことを冷たく嗤っていたんだ。


「……ふむふむ、助けて欲しいと願いますか? そうですね、助けてあげなくもないですけど……」


「っ!? ふざけるなっ! お前は引っ込んでろっ!」


 瑠璃ちゃんに悪魔の力を取られると思ったんだろう三原は悪魔に駆け寄った。


「俺がっ! 俺がお前を呼び出したんだ! 悪魔は呼び出した当人と優先的に契約を結ぶはずだぞっ!」


「……まあ、いいでしょう。そこまで言い募るのなら、アナタの望み言ってご覧なさい?」


 瑠璃ちゃんに銃口を突き付けた三原はニヤリと嗤う。その表情を見て私は焦った。

 まずいっ! このままだと三原が悪魔の力を手に入れてしまう! 瑠璃ちゃんも殺されてしまうし、私も終わりだ! なんとかしないとっ! なんとかするんだ沙紀っ!

 焦る気持ちに任せて、思いっ切りよく私は暴れた。体中痛むけれども、もうそんなことお構いなしっ!

 コイツっ! 動けよ私の体っ! 絶対に私も瑠璃ちゃんも死なないぞっ! 死んでたまるかっ! 私はまだっ! 永久さんにごめんなさいって言ってないぞっ! 


 そうとも沙紀っ! 大好きな人にごめんなさいも言えないなんてっ! 絶対に許さないっ! 

 運命の神様はそうやって足掻く私をきっと笑ったんだ。


 ガタリッと音を立てて私が縛り付けられている椅子が私の動きに負けて傾いた。私の世界がゆっくりと、ゆっくりと傾いて行く。いまの状態でコンクリートの床に叩き付けられたら……すごく痛いだろうな……そう思いながら私は来るべき痛みに耐えるべく力一杯目を瞑り、歯を噛み締めたんだ……

 でもね、けっきょく私が痛みで苦しむことは無かったんだよ? 




「俺に力をっ! 力を寄越せっ! すべてを屈服させる力をっ!」


 三原の声がよくコンクリートの空間に響いて、悪魔と名乗っていた『彼女』は五月蝿そうに耳を手で押さえて淡々と言ったんだよ。


「……悪魔にも叶えられる望みと叶えられない望みが在りましてね? アナタの望み、私は叶えることが出来ません」


 あれだけ五月蝿く叫んでいた三原が面白いぐらいに静かになる。その顔は信じられない物でも見たように呆気に取られて居た。

 まあね? 驚くのも無理はないと思うよ。私も後ろの人の突然の登場がなければ目を真ん丸にしていただろうから。あっ、三原の顔付きが一気に険しくなったぞよ? 


「……ふざけるなよ、おいっ、理由を……理由を言ってみろっ!」


 三原は怒鳴り散らしながら銃口を瑠璃ちゃんから悪魔と名乗っていた『彼女』に向ける。でもね、『彼女』は涼しい顔で黒い銃口を覗き込んで暢気に台詞をこぼしたんだよ。


「はぁ……今の鉄砲は随分小さくなったんですね? ……あっ、そうですね。理由ぐらいは教えてあげないと可哀想ですか……?」


 銃口から視線を離した彼女は小さく笑う。クスクスと三原を小馬鹿にしたその笑い方は酷く人間味に溢れているのに、どうしてだろう? この人はやっぱり悪魔なんだと私は思ってしまった。


「理由は至って簡単ですよ。アナタには私が『力』を与えるには『器』がいろいろな意味で小さいんですよ」


 ふむ、いまの言葉をもっとストレートに訳すとつまりは、お前みたいな小者じゃ話しにならねえ。一昨日きやがれバーカ……っと言うことかな? 

 ……さすが自称悪魔だよ。あれだけ苦労して呼び出したのにやっぱり駄目なんて言われたら私ならもう立ち直れないと思う。苦労の内容は別として……

 ふっと彼女は笑うこと止めた。真顔で三原に対すると言葉を投げたんだ。


「……バーカ」


 ……私の脳内変換は今日、飛び切り冴えてるみたいだぞ? 

 私が彼女の言葉に呆気に取られて居ること数舜、コンクリートの壁に銃声が何度も反響した。

 まるでカメラのフラッシュを焚いたみたいに銃口の先が光る。もちろん銃口の先は自称悪魔さんの方向に向いたまま……一瞬のことだった。



「……そんな玩具で私に挑もうとは……だから器が小さいと言ったのですけれどね?」


 一瞬のことだった。

 三原の持った拳銃から何発も放たれたはずの鈍色の弾は、まるで映画の中の出来事のように放たれた銃口のすぐ先の空中で動きを止めていた。

 ひーふーみー、全部で三発かと数えている間に、鈍色の弾は闇に呑まれて消えてしまう。結局後には何も残らない。自称悪魔さんの呆れ顔だけが際立って私には見えた。


 三原は声を上げた。言葉にはなっていない絶叫だけれども、いまの三原の内心をよく現してしる気がする。

 三原にとって拳銃は切り札だった筈だよ。うん、間違いないと思う。引き金を引くだけですぐに人から命を奪うことが出来る銃の類は、本来なら魔術師の最大の天敵と言って物だからだよ。


 銃の類いは引き金を引く、ボタンを押す、ただそれだけで一瞬の内に武器として効果を発揮するけれども、魔術師が使う魔術はまず呪文を唱える時間が必要になるんだよ。それでいて実際に魔術を力として行使するまで、一番早い黄色の魔術でも一息の溜めが生じる。この力として効果を発揮するまでの差が銃の類いが魔術師の最大の天敵の理由なんだ。

 話しは凄く単純。魔術師が魔術を行使する前に銃の類いで無力化してしまえば魔術師なんて怖くもなんともないんだよ。


 一応魔術師も対策として予め術式で結界、防護膜の類いを行使してみたり、荒技で精霊を触媒にしないで直接魔術を行使する方法もあるよ。これなら壁面の魔術ぐらいなら呪文を唱えなくて済むから普通に魔術を行使するより圧倒的に早く出来るからね。でも、前者は物凄く難しい魔術で、効率も悪いらしい。かと言って後者は精霊を触媒に使わないから飛び切り効率が悪くて、溜めはやっぱりあるから絶対じゃないんだよ。

 とどのつまり、魔術師から見れば銃の類いはどんなに背伸びしても魔術だけじゃ対処仕切れない物なんだよ。真っ正面で対するなら永久さんいわく魔術師の敵じゃないそうだけれど……


 立て続けにまた銃声が重なる。今度は撃ち尽くすまで三原は引き金を引くけれども、ただの一つも自称悪魔さんに届くことは無かった。


「なんでだっ! 何がいけないんだっ! 俺に何が足りない!?」


 三原は鬼の形相で今度は自称悪魔さんに掴み掛かろうとするけれど、自称悪魔さんの前には見えない壁、たぶん無色壁がいつの間にか行使されていて三原の行く手を阻んだ。

 見えない壁の向こうで自称悪魔さんは呆れ顔を三原に向ける。その顔は完全にしらけていて、面倒くさいとデカデカと書かれているよ。


「何が足りないかと言えばすべてと答えましょう。……そう言っても納得しないのなら、手っ取り早くアナタが欲した力を得た者と対すればいい。私の魔女と、そして己が力を得るに足らぬ存在と改めなさい」


 自称悪魔さんの視線が私の方向に向けられる。もちろん、私の肩に手を置いてことの成り行きを見守って居た人に向けてだよ。自称悪魔さんに対応を求められたその人はふぅっと嘆息の溜め息を私に落として、ゆっくりとした動作で前に出て三原と対峙した。


「一つ、言っておきますけれど、私の魔女は強いですよ?」


 ニヤリと悪魔らしい笑い方をした自称悪魔さんは、私の前に出た人に主として命じたんだよ。三原を倒せと。


「我が魔女、永久よ。主の意中に応えよ」




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