3-2 魔術師ボコボコにされる
ふっと何かの気配に気が付いて目を醒ました私はぼんやりする頭で携帯電話に手を伸ばした。
携帯電話には新着メールを知らせるアイコンが一つ表示されていて、私は一瞬だけ永久さんからの連絡かな? と期待したけれど、すぐにその可能性はないんだと思いだしたんだ。
永久さん……メール打てないものね……
一体誰だよっ! 人が悩んでる時にっ! っと半分八つ当たり気味に思いながらメールをチェックしようとした私は、差出人に思わず渋い顔をして、タイミングが悪いと思いながらメールを開いた。
『たすけて』
最初、その文面が意味している言葉がなにかよく分からなかった。
題名もなければ漢字に変換されているわけでもないメール。
らしくないとまず思った私は、瞬きをしてからベッドから飛び上がって差出人に電話を掛けた。
一回、二回、三回、呼び出し音が重ねられていく毎に私の心臓は永久さんに電話を掛けていた時と同じように忙しなく鳴動を繰り返した。
どうしたの!? なんで出てくれないの!?
一向に繋がらない電話に私の中に苛つきと不安が混じり合ったものが渦巻く。それはどんどん大きくなって私を震えさせた。
ふっといままで続いた呼び出し音がやっと途切れる。私は悲鳴を上げるみたいに電話口の相手に声を投げた。
「瑠璃ちゃん!? どうしたのっ!? 何があったのっ!?」
「………………」
ゴクリと固唾を飲んで私は来るはずの返事を待ったけれど、電話口の相手は黙ったまま。流石の私でも何かおかしいと思った。
たすけてって何? 瑠璃ちゃんはいま無事なの? 続けるべき言葉を探す私の耳にやっと声が届いたけれど、それは私の望んだものではなかったんだ……
『お前、魔術師見習いの沙紀だな?』
男の人の低い声に私ははっと息を飲んだ。
この男の人は誰? この番号は瑠璃ちゃんの携帯電話の筈なのになんで別人なの? なんでこの人は私のことを知っているの?
頭の中で疑問が沸々とまるで湧き水のように湧いてくる。その湧き出てくる疑問は私の考える力を奪い、私は押し黙ったまま本能的に小さく震えた。
『……返事はなしか……まあいいや。お友達の瑠璃の事だけどなぁ?』
電話口の男の人はものすごく耳障りな喋り方をしていて、その声を聞いた私は体に何か這いずり回っている不快感を感じた。
嫌だと思った。この人の声を聞いていたくないと感じた。でも、瑠璃ちゃんのことを知っている風に話す男の人の言葉に、私は不快感を目を瞑ることで必死に誤魔化して瑠璃ちゃんの話しを待った。
『瑠璃はなぁ? 俺らのこと裏切ったからなぁ……、それでぇよう? 見せしめに……』
初めてだった。ここまで人の声を不快に思って怒りを感じたことは……
『殺してやった』
時間が止まった。私の時間……
男の人のケラケラと笑う声が電話口に聞こえて、私はその声にまず恐怖を覚えた。
怖い、怖い、怖いっ! なんでこの人は瑠璃ちゃんを殺したと言った後で笑うなんて出来るの!? なんで楽しそうに殺したと口に出来るの!?
訳が分からない? 違う! そんなレベルじゃないよ!? この人は……私の知っている人と云う存在じゃない……
自分でも知らない間に、ひぃーひぃーっと喉の奥から悲鳴に似た音が漏れる。男の人はそんな私の様子をまるで直接見ているように嗤いながら言葉を続けた。
『あ~っ? ごめんね~嘘嘘、殺してなんかないからよぉ? だがな、裏切り者には相応の罰を受けて貰わないとなぁ?』
「…………瑠璃ちゃんは……無事……なんです……か?」
途切れ途切れにやっとそこまで口にした私を男の人は、やっと喋りやがったっとまた嗤った。それから、まあなぁっと続けた。
『まあなぁ、無事かどうかは判断に困るところだけど、生きてはいるなぁ……でも、裏切り者には罰を与えないとなぁ?』
お前もそう思わないか? っと言う言葉の後にまた嗤い声が聞こえて、私は震えながら言葉を紡いだ。
「どう……すれば、良いんですか?」
物分かりが良い奴は好きだなぁ? っと言う言葉がまるでそのまま私の耳を舐めるように届いて、私の体が大きく震え上がった……
携帯電話を畳んだ私は急いでトイレに駆け込んだ。
胃の中身を全部吐き戻してもまだ足りない。私の中で膨れ上がった物を全て吐き出して楽になりたい。その願いを叶えようと私は何も吐けなくなるまでトイレに籠もり続けた。
ふらりと定まらない足取りで部屋に戻った私は壁に掛けてある時計に目を向けた。時刻は深夜三時を回っていた。
頭の中で、色々な私が色々なことを好き放題に言っている。
このまま布団を被って寝てしまえ、元々瑠璃ちゃんが無茶をしなければ良かったんだから、自業自得なんだよ。私は関係ない。瑠璃ちゃんのせいで、私の大好きな永久さんから嫌われたのかもしれないのに、そんな相手のこと放り出してしまえばいいんだよ? 沙紀?
たぶん……違う。このどれもが私の本心の一つなんだ。私は瑠璃ちゃんのことより私のことを守ろうと思っているんだ……
ふっと魔術師認定試験で自分が言った言葉が頭の中に降ってくる。
私は……みんなに好かれる存在になりたいと言ったんだ……みんなと楽しく笑っていられる存在に……
今の私は、果たしてみんなと楽しく笑ってなんて居られるのかな?
私は急いで寝間着を脱ぎ散らかし始めた。
答えなんて分かり切っていたんだよ。もしこのまま瑠璃ちゃんを見捨ててしまったら、私は笑ってなんて居られない。みんなで笑うと言うことは私も笑っていられる存在じゃないといけないのだから。
すっと私の脳裏に永久さんの影が差した。
私の大好きで、私のなりたい魔術師の姿。きっと永久さんは私の選択したことに渋い顔をすると思う。ううん、絶対に渋い顔をする。でも、絶対に……
「駄目と言って私を引き留めない筈だよね?」
私の呟きは、磨り硝子越しに見える月に吸い込まれて行った気がした。
永久さんのマンションを出た私は、まず大通りに歩いて行ってそこでタクシーを捕まえた。この通りはタクシーの順路になっているから、深夜でも運が良ければタクシーを捕まえることが出来るんだよ。
タクシーに乗った私は運転手さんに行き先の病院の名前を伝えて、一緒に友達が大変なんです! 急ぎでお願いします! っと頼んだんだ。嘘は言ってない……よ? 瑠璃ちゃんが危険な所に居ることは本当にだから……運転手さんは私の話しを真に受けてくれたみたいで、シートベルトをしなさいっと短く言って結構なスピードで車を飛ばしてくれた。
私が向かっている病院は男の人に来るように言われた所でね、つまり、私は今から敵の陣中に突っ込んでやろうとしているわけだよ!
自分でも無謀なことだとは分かっているけれども、それでも私は瑠璃ちゃんを見捨てることは出来ないもんね!
うん! そうとも! 勢いで、いやいや、勢いだけで私は殴り込みに行くのだっ!
……ゴホンッ、ちょっと落ち着こうか沙紀? 冷静になろうか沙紀?
まずは一回、これからのことを考えようよ。作戦を考えるんだよ……
男の人の話しを信じるなら、今瑠璃ちゃんは無事だ……たぶん。話しを信じるなら、椅子に縛り付けられているらしい。まったくっ! 女の子を縛るなんて変態のすることだよっ! そんな変態男は、瑠璃ちゃんを助けたかったら街の郊外にある病院に来いと言ってきたんだ。一人で、他の誰にも喋らずにって釘を差して。
こんな在り来たりの罠に自分から懸かりに行くなんて、まったく私を馬鹿にするなと言ってやりたいぞ! ……書き置きだけ残して部屋を飛び出したのは他ならぬ私だけど……
いまさら失敗したと私が後悔している間に目的地が見えて来て、私は意を決して最後の悪あがきで無限の鍵に魔力を充填しつつ、運転手さん仕事し過ぎだよっと心のなかで愚痴った。
タクシーを降りた私は運転手さんにお礼を言って深夜外来の方に歩いて行った。
たしかこの病院は有名な大学附属病院で私も前に一度だけ友達のお見舞いに来たことがある。あのときはとにかく大きな病院なんだなっと思ったんだ。お見舞いに来たのは当然昼間だったから大きな~って感想だけで終わってしまったけれど、いま真っ暗な中で仰ぎ見る病院は単純に大きいだけじゃなくて、まるで馬鹿でかい怪物にも似ていると私は思った。
私は怪物に挑む魔術師だーっ! それゆけーっ! っと破れかぶれに私は病院の中に入って行ったんだ。
病院の中は意外と明るくて私は一瞬だけ拍子抜けしたけれど、椅子に座る影を見出した私はキッと気持ちを引き締めて歩みを進めた。
年の頃は三十代前半と言ったところかな? 椅子に座って携帯電話を弄っていた男の人は、私の登場に呆れ顔で開口一番にこう言ったんだ。
「本当に馬鹿なガキだなぁ? 一人で来るなんてぇ?」
「……瑠璃ちゃんは無事ですか?」
予想した通りと言えば通りなんだけれど、男の人の声は凄く耳障りで電話口で話した以上に私の気分を悪くする。でも、私は怯むわけにはいかない。震えそうになる心と体に頑張れ弱虫っ! と叱咤して、男の人を無理やりに睨んで見せた。
「まあまあ、そう粋がるなって……ついて来いよ?」
男の人はまるで面白い物でも見るような眼を向けて来て、私は精一杯の怒ってるんだぞオーラで睨んだ。
それにしてもなんでこの人語尾が何時も疑問詞なのさっ! どうでも良いことだけど凄くムカついたぞ!
男の人は迷いない足取りで病院の奥の方に進んで行く。病院は入り口の外来受付の周りこそ明るかったけれど、奥に進むにつれて暗くなった。暗闇が勢力を増す程に私の気持ちにも暗い影を落としていった。
廊下を歩いて行った先には白い無機質な扉があった。鍵が掛かっていたらしくて、私を連れてきた男の人はポケットから鍵を取り出してガチャリと扉を開けると、私に中に入るように顎をしゃくって見せた。
扉の先の暗闇の深さに、私は躊躇して足を止めてしまった。いま私が立っている廊下も暗いけれど、非常灯やら遠くの明かりのおかげで全然物が見えないわけじゃい。それに比べて白い扉の先は何があるのかも分からないくらい真っ暗だった。
男の人が躊躇して足が止まって居る私にまた顎をしゃくって入れと促してくるけれど、私は本能的にこの先に行きたくないと思った。
何があるのかも分からない程の暗闇。何故かな? 私にはこの暗闇の先に獣が待っていて、私を切り裂いて食べてしまおうと舌なめずりをして待って居る姿が見えた気がした。一寸先も見えない程の暗闇なのに……
「……瑠璃ちゃんはどこに居るんですか?」
「……一々面倒なガキだなぁ? 瑠璃ならこの部屋の先だよ」
だからさっさと中に入れっと言外に言われた気がした私は、ぎゅっと拳を握りしめて歩みを進めた。
「それでぇ? お前の師匠は何処にいるんだ?」
「…………永久さんは……知りません。私がここに来ていることも、あなたからの電話のことも……」
私を真っ暗な部屋の中に先に入れた男の人は扉を締めてからそう永久さんのことを聞いて来て、私は精一杯の反骨心で真っ暗な室内で睨みを利かせながらそう返してやった。
「……マジで言ってるのか? 別段もう正直に話して良いんだぞ? ネタ晴らしをしてやるけどなぁ? 俺はお前の師匠に用があったからお前を呼び出したんだ……いいかぁ? 俺が話したいのはお前みたいなガキじゃなくて、黒の魔術師を冠するお前の師匠なんだよぉ?」
「……永久さんは来ません。私一人です」
そんか、なるほどっとようやく私は腑に落ちた。
男の人の本当の目的は永久さんの方だったんだね? お馬鹿な私を人質にでもして、永久さんに何かとしら自分の要求を飲ませるつもりだったんだ! そこまで考えが至った私はざまあみろっと心の中で目の前に居るはずの変態男を笑ってやったぞ!
この変態男めっ! 私の永久さんに手を出そうだなんて一億年っ! いやいや、何百億年経っても許さないんだらなっ!
私はツンっと鼻を高くして、瑠璃ちゃんを出せ変態男っとのたまおうと思ったんだよ。この変態男の目的も分かったことだし、後は瑠璃ちゃんを奪還してそそくさ逃げろだ! っと思ったから……でもね、世の中やっぱり上手くはいかないもので……
「瑠璃ちゃんを……っ!?」
「ガキがっ!」
ドンって体を突き飛ばされた私はぎゃふんと後ろに派手な音を立てて転がされたんだ。暗闇でよく分からないけれど、私の後ろには音から察するにパイプ椅子の類があったみたい。突き飛ばされた勢いも重なって、私の体に刺さるように角がぶつかった。その痛みに私は一瞬息が出来なくなった。
「ゲホッ、無色……っ!」
床に転がされた私は咄嗟に無色壁を行使して身を守ろうした。けど、男の人の方が私より数倍速く動いていて、ドンっと暗闇の中で今度は蹴り上げられたみたいだ。
元々ちっこい私は自分より大きい大の男に力任せに蹴られたものだから堪らなかった。真っ暗だった視界が一瞬だけ真っ白に染まった。
ゴホッゴホッっと苦しさに体を丸めながら咳き込む私の視野がまた真っ白になって、眩しさに目を瞑った私の耳に今度は邪魔な物を蹴散らして近付いてくる気配がした。
まずい……っ! そう思ったのも一瞬のことで、乱暴に髪の毛を掴まれた私は痛みと苦しさに涙目になりながら、でも精一杯の負けん気で男の顔を睨んでやった。
「まだ反抗するだけの元気があるのかぁ? そうか、そうか……ならもっと痛めつけてやらないなあぁ?」
ふっと体の自由が戻ったと思った瞬間、目の前に黒い影が見えた私は咄嗟に目をきつく瞑った。
あっ、私思いっ切り蹴られたぞ? っと他人事のように私は床に転がて思った。朦朧とする視界の先に乱暴に黒い携帯電話が投げ込まれて、私はあれっ? と疑問に思った。何処かで見覚えがある……ストラップも何も付けられていない黒い携帯電話はどうしても私に持ち主を思い出させようと必死にアピールをしている気がする。
ワタシの電話帳にはアナタの番号が登録されていますよ! ワタシの持ち主はアナタのお友達ですよ! っと……
誰だったけ? っとぼんやりする頭で考えている間にまた黒い影が見えて、まるでスローモションを見ているみたい黒い携帯電話は粉々に踏み潰されていった……
「そうだぁ? お前が散々心配してた瑠璃だけどなぁ? あいつはピンピンしてんぞぉ? もっと言えば今お前がここに来てる事も知らないで、下で術式を造ってるところだろうよぉ?」
またグシャリっと携帯電話を踏み潰す動作をした男は、私を見下ろして嗤いながらこうも言ったんだ。
お前にメールを出したのも俺だと……
ああ、私はこの男にまんまと騙されたわけだ……瑠璃ちゃんは無事なんだ……
ああ、よかった……そうぼんやりと頭で考える私にまた黒い影が迫るところが見えたんだ………
重い目蓋をなんとか開いた私は、まるで燃えるように熱い体にボコボコにされたんだと頭の隅で考えた。
差し当たり動かないで目で見える周りの様子を窺った。ゴチャゴチャに端に寄せられているパイプ椅子、奥に押しやられたホワイトボードとそれの存在を薄めるように積み上げられたダンボール箱の山、一つだけあるキャスター付きの椅子、私はこの部屋が小さな会議室を兼ねた物置かなと見立てを立てて、ちょうどよく壁に掛かった時計を見た。
もうすぐ四時か……まだまだ薄らぼんやりする頭でそう思った私は、重力にまかせて体から力を抜いて視線を落としてた。その視線の先にグシャグシャになった携帯電話の残骸が無残にその姿を晒していた。私ははぁ……っとため息をついた。
携帯電話くん、君の持ち主は瑠璃ちゃんだったんだね……そう頭の中で呟いた私はあれ? とその残骸を見て疑問に思った。
なんだか、残骸の量が多い気がする……それに白い破片も混じってる……よ?
はたっと思って体を起こそうとした私は、体中に走る痛みと自由が聞かない手足にぐぇっと塞がれた口から音をあげた。
痛みで涙目になりながら自分の状態を確認した私は床に転がったままうなだれる。
まず両手両足はガムテープでぐるぐる巻きにされていて、口もガムテープで塞がれてしまっている。胸元に下げていた無限の鍵も無ければ、ポケットに入れていた財布と携帯電話の存在感も無くなってしまっていた。
この残骸の半分は私の携帯電話なんだと理解した私は、いまさらだけども体が震え出した。
私の着ている服の乱れ方、たぶんあの男が私の体中を弄って私の持ち物を調べたからかなんだろう。かなり乱れていた。
上着は乱暴に丸められて端にあるゴミ箱に見えるし、セーターはところどころ解れてしまっている。
ぞわりと鳥肌がたった。
見も知らない男に体中好き勝手に触られたんだ……今まで感じたことのない嫌悪感に私は小さく体が震えた。いまも体中を弄られている気がする……。
体中を蟲が這い回っているような感覚。ぞわりと私の体は震えた。
嫌だ! 触られたくないっ!
私はその感覚から逃れるために痛む体を無視して何とか上体を起した。
上体を起こすと部屋の中の様子がよく見える。部屋に入ったときは真っ暗だったからよく分からなかったけれど、よくよく自分の周りを見回すとこの部屋の中には魔術に関する物が沢山あることが分かった。
部屋の端に積み上げられたダンボール箱には術式、よく魔法陣と云われる物を描くための墨壷やら大きなコンパスが見えるし、私の背面にあった壁には術式を描いた紙が何枚もピンで留められていた。極めつけは術式の描かれた紙の下に置かれた机の上。無造作に放り出されている私の無限の鍵と、ぺしゃんこになった血液のパックだった。
人の血で術式を描いているんだ……ぺしゃんこになった血液パックを見た私の頭にぱっとその可能性が浮かぶ。
人の血で術式を描くなんて、いままで私は想像もしたこともなかった。確かにずっと大昔の頃は血で術式を描くことはよくあったんだよっと、永久さんが私を脅かして遊ぶついでに言っていたことはあるけれども、血を使って術式を描くなんて野蛮なことだ! って随分昔に盛んに言われてからはめっきり減ったと聞いた。いまは墨で代用するのが鉄則とも永久さんは言ったいたんだ……よ? 人の血の臭いは悪いものも呼んでしまうから余計に遣われなくなったとも聞いていたのに……
はたと、ついこの前の話しが私の脳裏によぎった。
悪魔を召還する……
そんなの馬鹿な話しなんだよっ! 悪魔なんて悪い奴らに都合が良すぎる存在いるはずないものっ! 悪魔なんてっ! …………
「……いるはず……ないもん……ね……」
私はその呟きをガムテープが塞がれた口の中だけで転がした。
とにかく、ここから逃げ出そう。逃げ出して永久さんに助けを求めるんだよ沙紀!
私は自分にそう言い聞かせるようにして、自分を奮い立たせた。まず後ろ手にガムテープで巻かれた両手を自由にしようと奮闘し始める。
まず両手を上手く捻って前に持ってこれないかと四苦八苦したけれど、ぐうっ! 上手くいかない! 次に血液パックと私の無限の鍵が乗っている机にゴロゴロ転がって近付いた。机の足を後ろ手に掴んで、それを頼りになんとか立ち上がろうとした。
たとえ両足の自由が利かなくても立ち上がることが出来ればどうにかなると思って私は、ぐっと乱暴されて痛む体に力を入れて立ち上がろうとしたんだ。
私の体はよろよろっと頼りない。立ち上がりかけた私に応ずるように、ふっと頼りに掴んでいた机の足から重さが抜けてしまった。
あっと声をあげる暇もなく、私は固定されていなかった机と一緒に前のめりに転んでしまったんだ。
う~、痛い~っとガムテープ越しに呻いた私の目の前にちょうどぺしゃんこに潰れた血液パックが転がっていて、机から落ちた拍子に口が割れて少しだけ残った赤黒い物が床に広がろうとしていた。
目の前で広がろうとしている物に嫌悪感を感じた私は身をよじって距離を取ろうとした。ふっと血液パックのラベルに書かれた文字に目がいって、『赤』ただ一文字そう書かれたラベルに私は凍りついた。
赤、アカと単純に読むことももちろん出来たけれども、いまこの場所にある以上は魔力の赤と読むのが自然だと思う。もっと言えば、この血液パックの中身が『赤の魔術師』の血だと言うことも……
どうやってこの血液パックの中に血を入れたんだろう? 普通に献血をするみたいにして魔術師から血を抜いたのかな? それとも、無理やりに血管に針を刺して抜いたのか……
私に乱暴した男の顔がよぎった。あの男なら後者の方法だと思う。……それとも血を抜くなんて面倒なことはしないで吹き出る鮮血を集めたのか……
ざわざわとまた蟲が私の体を這い回る。蟲は這い回りながら少しずつ少しずつ私の体を食べていくんだ……皮膚は破れたストッキングみたいに穴が空いて、そのうちに血の海の中で指が無くなって、手足が離れて、胴体と頭だけになって、……最後は私がそこに居た痕跡も何もかも綺麗に無くなってしまうんだ……
死んじゃう……のかな? わたし?
もの凄く気付くの遅過ぎだと自分に言ってやりたいけれども、もういまさらだった。あの男の私に対する力の振るい方に最初から容赦といえるものが無かった。あの男は私が死んでも構わないと思っていたんだ……
蟲の一匹が私の体を貪る手を休めて頭をあげる。その顔はあの男の物によく似ていたんだ…………