1-2 師匠と弟子
魔道の道に関する人には、破ってはいけない『禁忌』がある。魔道の道に進むこと決めた人は最初に教えられることで、私も永久さんに初めに教わったことなんだよね。
一つ、魔の力は無闇に行使してはならない。これは魔の力、魔術がとっても大きい力だから。大きな力は周りに影響を与える。良い意味でも悪い意味でも、使い方を間違えれば、即、人を殺してしまう程大きな力だ。その大きな力の所為で人と人の争いを過去に何度も引き起こしたことがあるって永久さんは私に教えてくれた。因みに話、昔は戦争の道具として魔術師が国家に子飼いにされていた時があった。その時のことを鑑みて、今は魔術師が国に係わることは基本的に禁止されてる。
二つ目に魔の力で人を傷つけたり、反社会的なことをしてはいけない。一つ目で魔の力は大きい力と言った。使い方を間違えれば、即人を殺してしまう程って。
これ、魔の力が使えない普通の人から見たら魔の力を使う魔術師って、とっても怖い存在に見えるだよ。実際に私も自分に魔術師としての力が有るって知るまでは、魔術師ってヤクザな人達って思ってたから……
人間は自分と違う存在を無意識的に排除しようとする。過去に魔術師が人間の社会から抹殺されそうになったことは数知れない。魔女狩りがその典型なのって永久さんが言ってた。
――結局のところ、魔術師も人間。社会から冷遇されると生きて行くのは難しい。だから、悪い事はしないように、人間の社会で波風立てずに生きていきましょう~と言うのが魔道の『禁忌』と云われているものだのだ。うむ。これは試験にも必ず出るからバッチリだよ。
魔の道に生きる人が守る必要がある『禁忌』を何でこの人は破ったんだろう? それとも『禁忌』を破ってまで悪魔とやらの力が欲しかったのかな? う~ん、とてもそんな風に見えないけれど……。
それに、『禁忌』を破った人には『処分』が待ってるのに……
私は暗い気持ちになりながら、写真の人を指差して、この人はどうなるんですか? と聞いてみた。どういう返事が返って来るかは分かっているけれど……。
「魔道に生きる者は、自分勝手な行動を慎む必要があるの。私達『魔の道』に生きる物は魔術と言う他の人に無い『力』を得て生まれて来るけれど、同時にその『力』によって『弱さ』も一緒に持って生まれる。テルちゃんのしたことは『魔の道』に生きる人間の『弱さ』を守るための『禁忌』を蔑ろにした。ましてや、今回沙紀ちゃんだけでなく一般人も巻き込んでいるから……もし、『本当』に事件を起こしているなら『処分』以外は有り得ない」
「……処分」
自分の口から零れた言葉に、私は暗い気持ちになった。そわそわしながらコーヒーカップに入っている小さいスプーンで中身を掻き回す。なんでだろう? 別に私が悪い訳ではないのにぞわって背筋が強張ってる。
「処分ってどういう処分なんですか? 永久さん」
公の何気ない質問に私は自分の顔が強張るのが分かる。『処分』それは私達魔の道に生きる人間にはとっても辛く、出来れば避けてしまいたいものだと私は思う。多分、永久さんも同じ気持ちで、何時も笑顔を絶やさない人が一切の感情を表に出さないで公の質問に答えた。
「同胞の手で殺すこと。それが私達『魔の道』に生きる者が『処分』と言っているもの」
公の顔が引き攣ったのが、私にも分かった。
部屋の中が重苦しい空気になったのが、普段、公に鈍いってよく言われる私でも分かった。
私はもう一度写真に映る男の人を見て、この人に待っているだろう将来を考える。
さっき永久さんが言ったように『処分』は同胞が『禁忌』を破った人の命を奪うことだよ。『処分』の必要性は魔術師の中でも『黒』を身に付けられる人達が相談して、『処分』が必要と結論が出れば魔術師の人達にお知らせ……誰それを『処分』しますって口伝で教えられるらしい……私は初めての経験だけれど、何十年単位でどうしてもこの『処分』が必要って人が出てくるらしい。
『処分』が決まったら普通は処分を決めた魔術師の人達で、その人を……『処分』するんだ。
ぞわりって自分の体が一瞬だけ震える。この写真の中でほんわり笑ってる人はこれから同じ魔術師の人達の手で命を奪われるんだって改めて思ったから……
そっと永久さんの表情を窺う。『処分』が正式に決まれば『黒』を身に着けている永久さんは、もしかしたら自分の昔の弟子を手に掛けないといけなくなる。そんなの嫌だと思う。けっこうお茶目で、笑ってる姿が似合う永久さんだよ。この写真の人とも楽しい師弟関係を送っていたに違いないよ! そんな相手の命を奪わないと、いけないなんて……
永久さんはさっきと同じで無表情を装って居るみたいに私には見えた。だけれど、自分の気持ちを誤魔化すみたいにカップに口を付けて、苦味に眉を顰めたのが分かった。
私も真似をしてカップに口を付ける。何でだろう。沢山砂糖とミルクが入っている筈なのに苦い気がする。
永久さんはとっても凄い人だよ。背は私と同じ位の小柄で華奢な女の人。いつも笑ってて、ちょっと天然が入った機械音痴さん。ぱっと見は守られる側の人に見える。でもそれは間違いなんだよ。
本当は魔術師の中でも限られた人しか身に着けていけない『黒』を身につけられる凄い魔術師なんだ。日本の魔術協会のお上の人達にも物言える人なんだからね。私と同じ、同期の見習いになった他の子達は「誰それ?」だったけど……。
とにかく、永久さんは守られる側の人じゃなくて、逆に私みたいな弱い存在を守る人なんだよ。永久さん本人も自分が守る側だって重々承知しているし、守ろうと強く思ってくれているよ。
だから、この人は魔術師って弱い存在を守る為に、必要と思えば自分の弟子であっても手に掛けられる人……違う。自分の弟子だったなら尚のこと、この写真に映る人を自分が率先して手に掛けると私は思った。
責任感だと私は思う。自分の教え方が悪かったから『処分』される必要がある位に写真に映る人は道を踏み外した。そう永久さん考えているはずだよ。私には絶対に口にしないけれど……。
悲しいよ。そんなの……。
ふと私のなかに暗い考えが降って来た。他の人に殺されてしまえばいいんだ……この写真の人は。
だって、そうすれば永久さんが傷付くことはないもん……ちょっと違う。やっぱり永久さんは傷付くと思う。他の人が写真に映る人の命を奪っても、永久さんは何で自分は道を外れてしまうような教え方をしてしまったんだろうって思うだろうから……
なら、いっそのこと綺麗さっぱり消えてくれれば良いのに……誰かがこっそり殺してくれればいいんだ。もし、私にそれが出来たなら……
「沙紀。お前変なこと考えてないか?」
「べっ……別に変なことなん……てっ……」
公に言われて私ははっとした。何馬鹿なことを考えていたんだろう。相手は永久さんが認める程の相手で私なんて敵にならない。その気になれば私なんて一捻りだよ。なんたって相手は真っ赤なスポーツカー、私はママチャリ……ふっとそこで気になることがあった。
なんで真っ赤なスポーツカーって永久さんに例えられる程の人なのに、私を……殺し損なったんだろう? 私の行使していた『無色壁』なんてこの写真の人にとっては紙切れ同然の筈なのに……
私がそう思い付いて口にしようとしたら、先に公に話を振られてしまった。
「沙紀。お前、自分が永久さんの代わりになんて考えてないよな?」
ギックってしたのがいけなかった。公は途端に目付きを険しくして、馬鹿なこと考えるなって私を責め始める。
「いいか沙紀? 相手は真っ赤なスポーツカーだぞ? お前なんてママチャリどころか三輪車だろ」
「そっ! そんなの分かってるよっ! 私だって自分の力ぐらい分かってつもりだもん!」
「……まあ、お前が永久さんのこと大好きなのは知ってるし、俺も永久さんが好きだ。だから、沙紀が永久さんのために馬鹿なこと考えたのも分かる……でも、沙紀に何かあったら一番悲しむのは永久さんだぞ。そこのとこ忘れるなよ?」
ぐうの音も出なかった。悔しいけれど、公の言っていることは正しい。そうだよ、私に何か……私が死ぬようなことがあれば、私の大好きな永久さんは悲しむよ。そんなのは絶対に嫌だ。
「沙紀ちゃん。私からもお願いだから立ち向かおうなんて絶対に思わないでね? 公ちゃんも言ってくれたけれど、私、沙紀ちゃんにもしもの事があったら……」
うぅぅぅ、永久さんにも不安そうな顔でそう言われてしまったよ。私は頭を垂れて、反省してますを体全体で表現して応えた。
それにしてもやっぱり不思議だよ。悪魔を召還してこの人は一体なにがしたかったんだろう? やっぱり定番の世界征服? とてもそんな野心家には見えないけれど……。
永久さんに心当たりは無いのかな? さっきも不思議だとは言っていたけど、もっと深く考えれば一つぐらい……でも、直接永久さんに聞くのは気が引ける……。
「それにしても、この輝樹って男は何が目的で沙紀みたいな同胞を襲ってまで、悪魔の力を欲しがるんですか?」
おいっ! 公はデリカシーっと言う言葉を知らないのっ!? この写真の人は一時でも永久さんの弟子だったんだぞ! 少しは配慮しろっ!
「う~ん、心当たりが全くない訳ではないんだけれど……でも、あくまで私の想像の域を出ないものなの。何と言っても、テルちゃんをそこまでの凶行に走らせた原因が私にもよく分からなくて……きっとやむを得ない理由があるんだと思うの……」
秘密結社って何でこう面倒くさいの……って小さく呟きながら永久さんは眉間に皺を寄せて考え込んでしまた。
たぶん、永久さんとしては輝樹さんが何か事情があって、仕方が無く今回の事件を起こして居ると考えたいんだろう。うん、そう思いたいんだ。理由があれば、科される罰も軽くなる。そうなって欲しい、最悪の展開になって欲しくないから、永久さんは敢えてさっきまで明るく振る舞っていたんだと私には思えた。でも、笑いながら悩んでたんだ。
私は苦しくなった。こんな悩む永久さんはやっぱり駄目だと思う。私の大好きな永久さんは何時も笑ってないと私的に駄目だよ!
どうする私と悩んだ挙げ句、今日バイト先の人から永久さんの好きそうな甘味を教えて貰ったのを思い出したんだよ。
「永久さん! 永久さん! 話は突然代わりますけど! 今日バイト先の仲江さんから永久さんの好きそうな洋菓子のお店を教えて貰ったんです! どうです? これから行ってみませんか?」
「え? 仲江さんってこの前パスタ屋さん教えてくれた人? あのパスタ屋さん美味しかったもんね~。うん! 行く行くっ……あっ、やっぱり駄目。私ケンちゃんにお仕事頼まれてたんだっけ……」
今度はものすごく申し訳なさそうに永久さんは私にやっぱり一緒には行けないって、永久さんは眉間を寄せてまた悩み始めてしまった。私は慌てて別の日に行きましょうって言おうとした。けれど、それより先に永久さんはクルクルって擬音が似合うくらい一瞬で顔を明るいものにして、私いいこと思い付いちゃった的な笑顔を私に向けてくれた。
何でだろう? 永久さんが笑ってくれたから嬉しい筈なのに、何か嫌な予感がする。きっ、きっと気のせいですよね永久さん?
「沙紀ちゃんのこと、生暖かく見守ってたお詫びにお小遣いあげる。公ちゃんと一緒に洋菓子のお店に行って来なさいね~」
うふふって、永久さんは笑ってるけれど、私が求めてる笑顔とは違う気がするぞっ! なんだか永久さんの眼差しがとっても生暖かい気がするのは気のせいなのかな?
元よりなんで公と一緒なんですか!?
「わっ、私っ永久さんと一緒に行きたいです! そっそれにっ公と一緒にそんな所っ! ――」
「まるでデートみたい? 良いじゃない。沙紀ちゃん公ちゃんのこと好きでしょう?」
なっ! なっ! 何を言い出すんですか!?
わっ私がっ、こっ公のことっ好きなんてっ! そんなこと有り得ませんっ!!
私っ、公よりいい男を彼氏にするんですっ!! ……って! 永久さんっ! 私がウギャーしている間に公にお小遣い上げないで下さい!
「それじゃあ公ちゃん、沙紀ちゃんをよろしくね。少しお転婆な娘だけれど、とっても良い娘だから大切にしてあげてね」
「分かりましたけど、お転婆が過ぎる女はちょっと……」
「……っ! アンタなんってっ!! 嫌いだっー!!」
「なあ~? いい加減に機嫌直せよ? 沙紀の好きそうな洋菓子店なんだろう? なんだったらお前一人で行っても……」
「っ! それは駄目。永久さんから貰ったお小遣いは公と二人で行くことを前提に貰ったんだもん! 私一人じゃ駄目なの!」
「……沙紀って、変なところで真面目だよな……」
そんなこと公に関係ないもんね!
私は暗くなり始めた道を公と一緒に洋菓子店に向かって歩いてる。公と距離を取るために少しだけ歩幅をいつもより大きくして。
私達が歩く町並みはクリスマスも近くなってきたせいもあってか何時も見慣れた色じゃなくなってた。道路に沿って植樹されている木の枝には、葉っぱの代わりに電飾が飾り付けられてる。一部の熱が入っている店先には作り物のモミの木が、ぼんやり光りで彩られてる。うむ、少し先に見えるコンビニの窓ガラスに貼り付けられてるデフォルメされた雪だるまやらサンタさんの小物が私的にヒットの予感だ。後で寄って行こうかな?
それにしても、私がお昼過ぎた頃に巻き込まれた地下鉄からそう離れていない筈の場所なのに、ある意味でいつも通りの平和な光景に私は何だか面食らった気持ちになった。
確かにここの人たちは幾ら近いとは言っても、地下鉄の小火騒ぎ――永久さんの家を出掛ける時に犬童さんから電話で地下鉄の火事は設備トラブルの小火騒ぎで魔術師が犯人だと言うことを誤魔化したらしいと聞いていたけど……この街の人たちにとっては対岸の火事、他人事なんだもんね? 私と違って生命の危機を味わった訳じゃないから当たり前だけれど……
私は小さく息を付いた。いつもと変わらずにここに在り続ける平和を歩きながら眺める。
今日のことで魔術師はやっぱりヤクザな道なんだと私は改めて思った。
この世界を知るまで私はこの街の側に立っていて、自分が殺されそうになるなんて、ちっとも考えられなかったのに、今はどうだろう? 顔どころか名前も知らなかった相手から殺されそうになった……
怖いと思う。今回はたまたま? 永久さんが助けてくれたから死なずに済んだけれど……もし、永久さんがあの場に居なかったら……
胸が詰まる。得体の知れないものが私の背中にのし掛かって来て、私を地面に沈めようとしている気がする。きっと、一度沈んでしまえば二度と這い上がれない底なし沼なんだろうね? ご丁寧にも、藻掻けば藻掻く程沈むのが速くなるんだ。それで私という存在は初めから居なかったことになる……
「あんまり思い詰めんな。沙紀には永久さんが付いてるだろう。……それに俺だって居るんだからな?」
不意打ちとは卑怯だぞ公。
私がびっくりして、足を止めてすく隣を振り向けば、二、三歩離れていた筈の公が難しそうな顔をして私の隣に立っていた。びっくりした私は咄嗟に何? と聞けば、公は視線を外して、お前らしくないみたいなことぼそって呟いた。それから何か思い付いたみたいに笑う。なんだコイツ? 嫌な予感がするぞ?
「久しぶりに手を繋いで歩くぞ沙紀。何たって俺と沙紀は彼氏と彼女なんだしなぁ?」
私を小ばかにするような響き。公の言った意味が飲み込めずにえっ? って声を私があげる前に、公は私の手に自分の手を絡めて強引に私を引っ張って歩き始めた。
寒空の下で冷え切っていた私の右手に公の手は熱かった。私は強引に引っ張ってくるその手を気が付いたら握り返してした。
なんで公の手はこんなにも暖かいんだろう? 私と一緒に永久さんの家を出た筈なのに? 訳が分からない。さっきまで私にのし掛かっていたものは何処に行ったんだろう? 私の胸に澱んで一杯に詰まっていたものが、循環してどんどん薄まっていくのは何故だろう?
本当に訳が分からないよ。
あれからどれくらい歩いたかな? ふっと公はガラス張りの洋服店の前で足を止めてショーウインドウを眺めた。私も釣られて飾られたマネキンを眺める。
白いカーテンの背景を背にしたマネキンはねずみ色のセーターの上に黒いコートを着せられていて、それだけだと地味な色合いに見える。でも、首許に緩く巻きつけられた赤いマフラーが地味な筈のマネキンを際立たせているように私に思えた。深みのある赤って言うのかな? 人によっては血の色みたいって言う人も居るかもしれないけれど、私には重みのある、高貴って言葉がぴったりだと思う赤だど思った。
気が付いたら私はその赤いマフラーに釘付けになってた。いいなぁ……って思わず零してしまって、公は耳聡く私の言葉を拾っていたんだ。
「なんだ沙紀? あのマフラー気に入ったのか?」
「えっ? ……うん、なんか惹かれるな~って思って」
私は公に答えを返しながら、頭の中でそろばんをカチカチ弾く。今月のバイト代はシフト大目で少しだけいつもより多かった。冒険しても大丈夫。先月の魔術協会からのお給料、魔術師見習いに支給される見習い手当てもまだ残ってる。まだ値段確認してないけれど、このお店ならマフラーぐらいだったら私でも背伸びすれば手が届くはずだよ。
うんっ! 買おうっ! 完全に衝動買いになっちゃうけれど、良いんだもんね。たまには自分にプレゼントも悪くないもん。それにほら、もうすぐクリスマスだし?
私は決意を固めて足を踏み出そうとした。けれども、それより先に公の言葉が耳に付いた。
「こうして見ると、本当に付き合ってるみたいだな……俺達」
いきなり公の口から出た言葉に、私はえっ? と声に出した。公の視線を追ってもう一度ショーウインドウを眺める。すると周りが暗くなってきたおかげで、磨かれたショーウインドウにはくっきりと手を絡めた二人が映っていた。私から見ても、その二人は単純に仲が良いを超えた間柄に見え……るっ!?
はっと思って私は公の手を振り解いた。三歩ぐらい距離を取る。
「冗談じゃないよっ! 私は公のことなんてなんとも思ってないからね! よくよく考えれば何で公と手を握ってなん……って……」
うぅぅ、そうか、公は私が不安そうにしてたから無理やり手を握って、私の気を逸らしてくれたのか……な? いやいや、公はそんな気が利いた男じゃない気がする。でも、実際に私の胸一杯に詰まってた不安は薄まって楽になった訳だし……でも、気分が晴れた一番の理由はこれから行く洋菓子店で美味しくお菓子が食べらることだから!
「まっ、まあ、今回は許してあげるけど、つっ! 次は絶対に許さないんだからね! それとっ! 私は公の彼女なんかじゃ無いからっ!」
くっ! 公の奴、私の宣言を聞いて笑ってるよっ! なにさっなにさっ! どうせ私は要領悪いドジっ子ですよ! 女の子の場合はチャームポイントで通用するんだぞっ!!
「はいはい、沙紀様は高貴なお人ですからね~素直に自分の気持ちを口に出来ないことは、このわたくし心得ておりますとも」
「っ! もういいっ! じゃあねっ! バイバイ! 公のことなんて大嫌いだっ!」
頭に来たぞ! こんな奴置いて私だけで美味しいもの食べてやるんだもんね!
私は公に背中を向けて、早足でその場を離れた。でも、公は私と別れて帰るつもりは無いらしい。振り向くのは癪だからよく分からないけれど、私と少し距離を置いて、後ろで声を殺して笑ってるのが分かる。
いいもんね! 洋菓子店の場所、公は知らないから、こうなったら振り切ってやるっ!!
私は後ろから付いて来てる公と、曲がり角との距離を計った。曲がり角の直前までペースを抑え気味にして、角を曲がったら全速力で走り出す。少しして、後ろから公が馬鹿とか止まれとか言ってるのが聞こえるけれど、もう私だって意地だもんね! 曲がる必要がない所も余計に曲がって、回り道しながら公を振り切ろうと私は躍起になった。
あっちへ逃げ、こっちへ逃げ、はたまた、右と見せかけて左へ、真っ直ぐ進むと思わせて手前で曲がってみたりして私は公から逃げ続けた。ふっと気が付けばもう日は完全に暮れてしまって、途中から無茶苦茶に走っていた私は自分でも知らない場所に迷い込んでた……
「くっ……しつこいなっ! 公の奴っ!!」
私はぜいぜいって上がり切った息を整えるためにビルの外壁に手を付いて休んだ。気になって後ろを振り返って見るけれど、今までずっと見えていた公の姿がやっと見えなくなったことに私は満足したよ。
ふふんっ! どうだ公っ! 遂に振り切ってやったぞ! そう思いながら何気なく周りを私は見回した。辺りは完全に日が落ちて真っ暗。見覚えのない景色と周りに人気が全然無いことに今更気が付いて私は真っ青になった。
さっ……さすがにここはまずいよね? ここが何処だか良く分からないけれど、とりあえず人通りがある道に出ないと……そう思った私はある程度息が落ち着くのを待って、先が見えない道を睨み付けながら歩き出そうとした。でも、ほとほと今日の私はついてないみたい。足を前に出す前に、真っ暗な先の方から誰か歩いてくることに気が付いた。
うっ……この暗さじゃ相手の顔も見えないよ。変質者か何かじゃなければ良いんだけれど……。
私は目を細めて必死に相手の顔を確かめようとした。けれども、街灯も殆ど無いせいでなかなか歩いてくる人の顔が分からない。私はその場に立ち尽くした。でも、それが良くなかった。
やっと相手の顔が分かる距離になったときには、もう私の逃げ道は残っていなかったんだ。
私の四歩、五歩前で立ち止まった人の顔を見て、自分でも顔が引き攣ったのがわかったよ。ええ、そりゃーもうこれでもかって具合に……。
私の前に現れた男の人は、永久さんが見せてくれた写真と同じ、ほんわりとした笑顔を私に向けている。あっ、でも少しだけ苦笑い含みかな? こげ茶色の厚めの上着を着ていても、やっぱり分かる線の細さと、今は苦笑いで細められた眼に掛けられた眼鏡。
ぱっと見だけで判断すれば、目の前の男の人は写真の頃と変わらずにそこに立っている気がした。
どっ、どうする私っ! 絶対絶命のピンチだぞ! 相手は真っ赤なスポーツカーで私はママチャリ、勝てるわけない。まてまて、下手すると昼間の地下鉄より状況悪くなってないかな? あの時は永久さんがたまたま近くを通ったから大丈夫だったけれど、今頃頼みの永久さんは自宅の台所でクッキング中だよ! うんっ! 間違いない! 永久さんって規則正しい人だから一日の生活リズムは殆ど変わらないんだよ。
……ピッ! ピンチだぞっ! 私っ!!
「沙紀さんでしたよね? お名前は……こうやって対面のするのは初めてですけど、私は赤の魔術師、輝樹と言います」
永久さんからお聞きでしょうけど、って私の混乱具合からみたら酷く落ち着いた口調で続けたその人、輝樹さんは、私を安心させる風に両手を挙げた。何もしませんよってアピールしているんだろうけれども、ええ、そうですとも、私は蛇に睨まれた蛙よろしくその場に固まって動けなくなちゃた。
初めに言って置きますけれど、私きっとすごく不味いですよ? 私なんて肉付き悪いですから食べる所なんてありませんよ? 食べたらお腹壊しちゃうかもしれませんよ? 私は全力でそう訴えたかったけれど、胸の内にしまって置く……言ったら言ったでこの人は、いいえ、そんなことは有りませんよって私を気遣って言い出しそうだ……
「え~っと、私は、っ! そのっ、魔術師としては駆け出しの……っ! いえっ! 魔術師試験にも合格していない、青二才でありましてっ!! ごっ ご希望には……添えないと思いますよーぉ?」
っ! 何言ってるんだ私っ! 一々そんなこと説明してないで逃げなよっ! それも最後だけ間延びして変だしっ、あっ、今明らかに笑われちゃったよ。
とっ、とにかく今は回れ右! ママチャリでも必死に漕げば何とかなるもんだよ!! ……ね?
「そのっ! 私っ! 連れと洋菓子のお店に行こうとしててっ! すみませんっ! 早くしないとお店が閉まっちゃうからこれでっ!!」
「ご免なさい沙紀さん。貴女を逃がすわけにはいかないんです」
輝樹さんの言葉を背に聞きながら、回れ右して走り出そうとした私はカチ~ンって音がしたんじゃないかな? ってくらいに走りだそうとした体制で固まった。だって! 逃げようとした先には鈍感な私でも分かり易すぎるくらいの魔力が、霧みたいに充満してたんだよっ! あの魔力の霧に走り込んだら私は真っ黒こげ……焼き過ぎで炭化したお餅みたいになっちゃうもん。
ここまで来て私はやっと理解出来た。ママチャリの私に逃げることなんて最初から出来なかったんだよ。はっ、反則だよね? こんなの……
私は一緒に付いて来て下さいって輝樹さんの言葉に大人しく従って、真っ暗な夜道をこげ茶色の背中に付いて行った。