第一の事件
僕は主人公だと常々思っている。
だから僕が死ねば世界が終わるし、世界が終わるときは僕が死ぬときだ。
僕は他人がひどく薄っぺらく見えてしまう。根底は僕の無感情さにあるのだとは思うのだけれど、それでも、それを差し引いても、ひどく他人はつまらない。
例えば、陽気で明るくて友人がたくさんいる人物がいるとする。でも僕はそういう設定の人間にしか見えない。
例えば、陰気で暗らくて友人がまるでいない人物がいるとする。でも僕はそういう設定の人間にしか見えない。
他人に興味がないからそう見えるのか、そう見えるから興味がないのか、それは僕にもいまいち理解できていないが、それを知っている人物がいるとすれば、僕の人生を作った作者に他ならない。
それに加え、僕にはあまり感情というものがない。
それは多分不幸なことなのだと思う。
ただ理解してほしいのは感情がないから何も思わないというわけでもない、というところだ。
例えば僕の目の前で人が死んだら、驚く。そして、どうして死んでしまったのかと思考する。場合によっては119番を押すかもしれない。
僕はこうして十九年生きてきたから不都合に思ったことはない。でもそれは多分不幸なことで、僕は一生みんなの言う幸せというものをつかめない。
例えば俺の目の前で人が死んだら、笑う。そして、死んでやんのと嘲笑う。場合によっては死体や血溜まりで遊ぶかもしれない。
俺はこうして十九年生きてきたから何の不都合もない。だから俺は幸せなんだと思う。感情があるというのはやっぱり幸せだ。
例えば私の目の前で人が死んだら、泣く。そして、どうしていいかわからず泣き叫ぶ。場合によっては発狂してしまうかもしれない。
私はこうして十九年生きてきたから特に思うところはない。だから私は幸せなんだと思う。やっぱり、感情を持ってみるのは面白いのかもしれない。
こんなことを言ってしまうと、僕は人間ではないと思われてしまうのかもしれないのだが、実際そんなことはなく、僕は人間だ。少なくとも現代の生物学的にはそう分類されるし、僕自身人間だという自覚がある。
ただ、障害者ではある。否、ただの障害者である。
障害者なんて人間じゃない、なんてことを言われてしまうと、感情がない僕でも少々どころかかなり悲しくなってくる。
そうそう一つ注釈をつけておきたい。厳密に言えば僕は感情がないのではなく、リアクションが薄いのである。テレビをつけると大袈裟なリアクションをとって、番組を面白可笑しくする芸人をよく見かけるが、僕はそれの対極だと思ってもらえればいい。熱湯風呂に入っても熱々のおでんを食べても、熱いとは思うけれどそれ以上のリアクションが出てこないのだ。
そんなことを言ってしまうといよいよ人間味が薄くなってしまうのだが、歴とした人間である。だから、障害者なんて人間じゃない、なんてことは言わないで欲しい。
差別するなとまでは言わない。僕は障害者だという自覚はあるし、それなりに国から保障も受けている。だから都合の良いところだけ差別するなとは言えない。
僕の通っている病院代も健常者のそれより遙かに安いし、交通機関も料金は必要ない(その地域行政機関による)。幸運にもこの国の障害者保障制度は充実している。健常者と同じとまではいかないけれど、それなりに不便せずに生活を送れている。
僕の病気についてだが、名前を出すのも憚られるとまでは言わないけれど、あまり人に進んで話したいとは思わない。だから、人を殺しても罪に問われない心の病気、とだけ言っておくことにしよう。
さて、なぜいきなりこんなことを語っているのかというと、別に僕の頭がおかしいからではない。いや、もちろん僕の頭は正常ではないのだけれど、頭おかしい奴は頭おかしいなりに思考するのだ。その結果が少し普通の人とは違うだけで。
僕は今、僕の通っている大学内のベンチで人を待っている。こんなことを言ってしまうと、デートかよ、とか思われそうだったりしなかったりするのだけれど、そんなことはない。僕が今待っているのは警察だ。または救急車と言ってもいいか。いや、救急車は人ではないから、やはり警察を待っているといった方が良いのかもしれない。まぁ、それはどっちでもよくて、今僕の目の前には死んだ人がいる。もちろん、驚いた。何で死んでいるんだろうと、指紋や髪の毛が落ちないようにいろいろと見て回ったが、普通に胸をナイフで一突きされて仰向けに倒れているだけだ。きれいに一突きだ。多分検死とかはいらないと思う。突き刺さっているナイフ以外に目立った外傷はないし、特にもみ合った形跡も見当たらない。そうそう、被害者の説明だ。被害者は女の子。見覚えがある気がするので、多分見たことある人だと思う。名前は知らない。女の子は鞄を持っているのでそれを探って、学生証でも見れば済む話なのだが、万が一それで僕が殺したと疑われてしまっては、気分が悪いのでやめておく。
しかし、今日は良い天気だ。こんな日は外で昼寝でもしたい。そう思ったので僕はベンチで横になることにした。警察だか救急車がくるのはまだ時間がかかるだろう。
あれからどれくらい時間が経っただろうか。今僕は取調室にいる。
まぁ、第一発見者である僕が取り調べを受けるのは当然だから文句は言えないのだが、どうも警察は僕がやったのではないかと疑っているらしい。
推理小説的にはセオリーとも呼べる行為だけれど、現実的には第一発見者はただの第一発見者だ。裏をかいて自ら通報するなんてことは絶対にしない。
「被害者とはどういう関係だったんだ?」
いかにもマニュアル通りな質問を投げかけてくるのは、厳つい顔のおっさん刑事さんだ。
「さぁ、何となく見覚えがある気がしますけれど……。名前はなんて言うんですか?」
奇妙な沈黙の後、
「……それは本気で言っているのか?」
「本気も何も、ふざけてこんな質問はしませんよ。僕はつまらない人間なのでジョークとかは苦手ですよ」
刑事さんはぺらぺらと手元の資料をめくり、何かを確認している。
そして咳払いを一つする。
「読むぞ。被害者は君と同じクラスの村松灯子さんだ。本当に心当たりはないのか?」
「あぁ、同じクラスの人だったんですか。道理で見覚えがあったわけですね。納得しました」
「それで、何かわかることはあるか?」
「さぁ、あまり話した記憶がないので……。失礼ですが刑事さん。仲がよくも悪くもなかった人間が人を殺すでしょうか?」
「それは何とも言えんがなぁ。無差別殺人ということもあるだろう」
「やっぱりあれは殺人事件なんですね」
「……刑事として恥だな。マスコミにはまだ話すなよ? まぁ、時機に報道はされると思うけどな」
「今日は良い天気なので外で寝たい気分なんです。早く帰らせてもらっても良いでしょうか? 僕は人なんか殺してませんよ?」
「そうは言ってもなぁ。例え君がやっていなくても……」
「君もやっていませんし、お前もやっていませんし、僕も俺も私も貴様もやっていませんよ? それにナイフの指紋でも調べればわかりますよね?」
また少し奇妙な沈黙が生まれる。
「それがな、ナイフには指紋がなかったんだよ。どうやら手袋かハンカチか知らないが、犯人は指紋が残らないよう、刺していたんだ」
「そうですか。では、帰っても良いですか?」
「待て、一応犯行があったとき何をしていたか教えてくれないか?」
「うーん、それはカマをかけているんですか? 犯行があった時間なんて知りませんよ」
「ははは。それはすまなかった。犯行があった時間は午前十時から十時半の間だ」
「ずいぶんと絞れているんですね」
「君の通報がだいたい十時半頃。その前に村松さんの友人が十時頃校内を歩いているのを目撃している」
「そうですねぇ。十時頃は多分電車の中だと思いますよ。いつも通りなら十時二十分頃大学の最寄り駅に到着して、それから徒歩で五分ほどかけて大学に着きます。それから授業がある教室へ向かうって感じですね。今日はその途中で倒れている……何でしたっけ? 村、村さん?」
「……村松さんだ」
「あぁ、そうでしたね。村……なんとかさんの遺体を見つけました」
「まぁ、君と村松さんがただのクラスメイト同士だということは分かった。とりあえず今日は帰ってもらって結構だ。後日また事情聴取をすることになるかもしれないが、そのときはご協力願いたい」
「そうですね、犯人早く捕まるといいですね」
僕はそんな普通の人が言いそうなことを言いながら部屋を出た。
さて、被害者の村……なんとかさんと僕はどんな関係だっただろうか。
やっぱり他人は記憶に残らないほどつまらない。