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祈らない聖女―月と光の旅―

作者: 川浪 オクタ
掲載日:2026/03/21

 王の広間には、まだ祈りの光が残っていた。


 白い粒のような光が、ゆっくりと空気に溶けていく。


 それが、長く続いた浄化の最後の名残だと誰かが言った。


 聖女の役目は終わった。


 そう告げられたとき、胸の奥にあったものが、少しだけ軽くなった気がした。


◇ ◇ ◇


 全ての魔毒泉の浄化完了の報告を受けた王は満足そうに頷いた。


「聖女ホシ殿、見事であった。魔毒はほぼ消えた。これで王国も安泰だ」


 その隣で王子が口を開く。


「もし望むなら、このまま王城に残ることもできる」


「……私の側妃として」


 広間は静かだった。


 断ることは、最初から決まっていた。


「申し訳ありません」


 私は頭を下げる。


「わたくしは、元の世界では一夫一妻の国で生きていました」


 少しだけ間を置く。


「ですから、その形では残れません」


「君を正妃にすると言っても?」


 謁見の場がざわつく。


「……」


「私は第一継承者だ。王は正妃一人と側妃三人。それがこの国の慣例だ」


「……ですので、残れません。」


「何が不満だ!不敬だぞ!!」


「……」


 王はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「そうか。ならば止めはせぬ」


「父上!?」


「聖女殿は、今後、城から出ることを許可する」


「父上は聖女の力が惜しくないのですか!?」


「ただし、今後は我が国の保証も保護も受けられぬ。元の世界に帰る術もない。その身一つで、好きに生きるがよい」


 周囲からのどよめきが大きくなった。


 国王は席を立ち、王子は怒りをうちに隠して置けず、私を睨むだけだった。


 それで話は終わった。




 与えられていた部屋に戻る。


 今にも泣きそうな侍女が荷造りを終えてくれていた。


「本当に城から離れてしまうのですか……」


 鏡の前に立つ。


 腰まで伸びた長い髪。


 聖女の象徴だと、何度も言われてきた。


 私は短剣を取り出した。


 少しだけ躊躇する。


 それから――


 切った。



 髪が床に落ちる。


 思っていたよりも、音は小さかった。


 肩までの長さになった髪を指で整える。


「……軽い」


 思わず、そう呟いた。


 そして、ふっと息を吐く。


「……あー、やっと終わった」


 侍女が小さく息を呑む音がした。




 ◇ ◇ ◇




 城門の外では、一人の騎士が待っていた。


 鎧を外した簡素な装い。


 私が近づくと、彼は一瞬だけ目を見開いた。


「……髪」


「邪魔だったので」


 彼は少しだけ考えて、それ以上は何も言わなかった。


 でも、その目は優しかった。


「本当に行くのですか」


「はい」


「この国を離れて?」


「役目は終わりました」


 彼は小さく息をつく。


「なら、私も同行します」


「え?」


「国には、他にも騎士がいます」


 少しだけ遠くを見る。


「……ですが、守るべきものを見失っていました」


 その言葉の意味は、すぐには分からなかった。


 でも、嫌な感じはしなかった。


 ◇ ◇ ◇ 


「ホシ様は、これからどちらへ向かわれるのですか?」


 騎士が地図を広げた私に尋ねる。


「……そうね。魔毒泉が湧き出ていて近めの国のどちらかと考えていたんだけど……」


 城下町にある旅人が必ず訪れるという有名な店のテラス席で、昼食を取りながら地図を広げた。


 行儀が悪かっただろうか。


 騎士は驚いた様子で固まってしまった。


「ホシ様は……そちらが素で?」


「はは……まあ……周りから聖女らしくお淑やかに〜みたいに言われちゃって……だめかな……?」


 無表情だけど、頭の中ではぐるぐる考えているみたいな空気が漂う。


 やがて、騎士は静かに言った。


「……もう聖女様ではないのでしたら」


 少し間を置く。


「そちらの方が、いいと思います」


 え、と思った。


 こんなくだけた喋り方を肯定されたのは初めてだった。


「そうだよね!髪も長くしろって言われて、言葉遣いも気をつけろって言われて」


「元々聖女って柄でもなかったし……」


「長い髪も綺麗でした」


「え?」


「お似合いでした」


「……ありがとう」


 騎士は少し視線を逸らした。


 何か言いかけて、口を閉じる。


 この世界で仲良くなった令嬢とか侍女たちには言われたことがあるけど、男性からは初めてで言葉に詰まった。


「あの……名前!」


「ああ、名乗っていませんでしたね。元第二王子近衛隊副隊長のリュカ・アルジェントです。リュカとお呼びください」


「第二王子!?」


「ええ。と言っても、昨年までは第3部隊にいました」


「第3って……郊外への護衛で一緒にきてくれた部隊?」


「はい」



 ⸻あの時、毛布をかけてくれたのは。



 ふと、そんなことを思った。


 でも、顔が思い出せない。


 たくさんの騎士がいた。誰が、誰だったのか。



「あなたと私、全く話したことないわよね」


「はい」


 リュカは少しだけ表情を曇らせた。


 何か、言いたいことがあるのかもしれない。


 でも、彼は何も言わなかった。


「第二王子のだったら待遇とかお給料もよいでしょ?なんで私に……」


「……詳しくは話せませんが、簡単に言うと殿下からの命令です」


「え…?」


「少しだけ補足すると、第二王子殿下と第一王女殿下からの命令です」


「え!?」


「私あまり話したことないよ?何回か挨拶はしたことはあるけど……」


 そう。いつも、あのクソ王子が話を遮ったりして邪魔されていた。


「実は王城には、貴女と仲良くなりたい方が多かったのです」


 知らなかった。


 よくしてくれたのは、護衛と侍女達だけだったから……。


「そっか……教えてくれてありがとう」


「いえ」


「ねえ、リュカ」


 名前を呼んでみる。


「ホシは苗字なの。貴族の方は家名って呼ぶって教わったけど……名前は美月。ミツキって呼んで」


 リュカは少し驚いたように目を瞬かせた。


「ミツキ……様」


「様はいらないよ」


「しかし――」


「もう聖女じゃないし」


 リュカは少しだけ考えて、小さく頷いた。


「では……ミツキ様」


 結局、様は取れなかった。


 でも、嬉しかった。



 昼食を食べた後、二人で並んで城下町を歩いた。


 リュカは少しだけ私との距離を置いて歩いている。


 王城では、いつも誰かが見ていた。


 けれど、もうそんなことを気にする必要はない。




 ◇ ◇ ◇




 王都を出て三日。


 最初の村は普通だった。


 二つ目の村は、少し荒れていた。


 三つ目の村で、空気が変わった。



 畑はある。


 井戸もある。


 だが人が少ない。


 村を歩くと、咳の音が聞こえる。


 家の中から、弱い声も。



「疫病が、出ていたらしいですね」


 リュカが言う。


「終わりかけているそうです」


 村人は疲れた顔をしていた。



 村の診療所らしき建物に案内される。


 寝台の上に男がいた。


 足に深い傷がある。


「盗賊に襲われたのだ」


 誰かが言う。


 男が私を見る。


「黒い髪に黒い瞳…。聖女様だな……癒してくれ」


 村長だった。



 私は答えなかった。


 部屋を見回す。


 隣の部屋から咳が聞こえる。


 奥の部屋には、高熱の子供。


 廊下には衰弱した老人。


 診療所にはおそらく20名ほどの病人がいるようだ。



 聖女の力は有限。



「聖女様?」


「……あなたより先に、癒す人がいます」


 村長の顔が歪む。


「私が村長だぞ!」


「分かっています」


「なら先に――」


「だからです」



 声が、少し硬くなった。



 背後からリュカの声がした。


「この村には、医師がいたはずですが」


 村長は目を逸らした。


「……追い出した」


「なぜ」


 私が問う。


「口が過ぎた」



 村の内情を領主に報告しようとした。


 だから追い出した。



 私は何も言わなかった。



 子供の手を取る。


 祈りの光が、静かに灯る。



 それから老人を。


 熱の高い別の子供も。


 咳の止まらない女性も。



 夕暮れまで、私は癒し続けた。



 最後に村長の元へ戻ったとき、傷は少し悪化していた。


 それでも癒した。


 ただ、足には後遺症が残った。



 その間、リュカはずっと傍にいた。


 何も言わず、ただ見守っていた。


 私が疲れて座り込んだとき、彼は水を差し出してくれた。


 その手が、少しだけ震えていた気がした。



 夜。


 焚き火の前でリュカが言った。


「……それで良かったのですか」


「分かりません」


 私は肩をすくめる。


「たぶん、間違ってるかもしれません」


 口調が聖女の時のようになってしまっていた。


 少しだけ、不安になる。


 王都にいた頃は、正解が決まっていた。


 祈れば良かった。


 癒せば良かった。


 聖女であれば良かった。


 でも、今は。



「ーー私は間違っていないと思います」


 リュカが静かに言った。



「でも」


 火を見つめる。


「癒せば、全部なかった事になります」


 リュカは何も言わなかった。


 ただ、隣にいてくれた。


 それだけで、少しだけ温かかった。



 ⸻あの夜も、こうだった。




 ふと、思い出す。



 半年前。遠征の夜。


 倒れて、目が覚めた時、肩に毛布がかかっていた。



 誰かが、見ていてくれた。



 誰だったのか、もう思い出せない。



 でも、温かかった。



 翌日。


 村長の長男が森で死んだ。


 父親を襲った盗賊を懲らしめようと隠れ家を見つけたが、その直前でモンスターにやられたという。



 その日の夕方、村の集会が開かれた。



 前に出たのは、村長の次男だった。


「医師を戻します」


 村人がざわつく。


「戻らなければ、呼びます」


「領主にも報告します」



 静かな沈黙。



 やがて一人が頷いた。


「……それがいい」



 別の誰かも言う。


「そうしよう」



 子供が次男の裾を引いた。


「痛いのもう無くなる?」


 次男は一瞬驚き、それから笑った。


「ああ、もう大丈夫だ」



 誰かが小さく頷く。


 別の誰かも、静かに立ち上がる。


「今日はいい飯が食えそうだ」


 そう言って、家に帰って行った。



 昨日とは違う空気が流れた。



 どこかの家から、夕食の匂いがした。



 この村は、大丈夫だと思った。


◇ ◇ ◇


 村を出る朝。




 リュカが言う。


「奇跡がなくても、人は動くものですね」


「奇跡があると」


 私は少し考える。


「動かなくなることもあります」



 リュカは私を見る。


 その目が、何かを伝えようとしているように見えた。


「それでも、あなたは癒すのでしょう」



 私は少し笑う。


「必要なら」



 それから歩き出す。



「でも」


 風が髪を揺らす。


「奇跡は置いていきます」



 リュカの足音が隣に並ぶ。


「……あなたがいてくれて、良かった」


 不意に、そう言っていた。



 リュカは少し驚いたように立ち止まる。


「私は、何も」


「いえ」


 私は首を振る。


「あなたがいなければ、私は……」


 言葉が続かない。


 リュカは静かに歩き出す。


「私も同じです」


 その声が、少しだけ温かかった。



 ⸻あの時、毛布をかけてくれたのは、誰だったのだろう。



 ふと、そんなことを思い出した。



 半年前の、遠征の夜。



 倒れて、目が覚めた時、肩に毛布がかかっていた。



 誰かが、見ていてくれた。



 誰だったのか、もう思い出せない。



 でも、温かかった。



 今、隣を歩くリュカの声も。



 同じように、温かい。


 旅は、まだ始まったばかりだった。



「次の村は平和だといいですね」


「そういう村ほど問題があると思う」


 リュカが小さく笑う。


「……あなたは、変わりましたね」


「え?」


「王城では、もっと」


 少し言葉を探すように間を置く。


「……息を潜めているようでした」


 ああ、と思う。


 そうだったかもしれない。


「でも、今は」


 リュカが私を見る。


 その目が、少しだけ切なそうに見えた。


「生きているように見えます」


 胸の奥が、少しだけ温かくなった。


「……ありがとう」


 リュカは静かに頷く。


「では、覚悟して行きましょう」


「覚悟?」


「あなたが生きるための旅なら」


 リュカの声が、少しだけ柔らかい。


「私も、覚悟が必要です」


 その意味は、まだ分からなかった。


 でも、嫌な感じはしなかった。



 リュカは少しだけ遠くを見た。


 何かを堪えるような表情だった。


 それから、また歩き出す。



 道は続いている。


 どこまでも続いている。




 それでいいと思った。

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