第4章 貴族学院への入学
偶然とは恐ろしいもので、部屋で眠っていたはずの母さんがすぐに目を覚まし、俺の寝顔を見ようとこっそり部屋に来たらしい。
当然、俺はいない。彼女は大騒ぎになり、必死に捜索した結果、俺が戦っている現場を目撃してしまったというわけだ。
俺の話は瞬く間に広まり、噂は口から口へと伝わって王都にまで届いた。数週間のうちに、俺の名声は大陸中に知れ渡った。同世代の若者からも、大人たちからも認められる存在になったのだ。
俺は十六歳になった。両親は俺の学費を出してくれると言ってくれた。ようやく、平穏な生活が始まるかのように思えた。
結婚に関しても、高嶺の花である貴族の令嬢は諦めていたが、騎士爵の家柄なら良い相手が見つかりそうだ。実際、騎士の階級よりも上の男爵家の息子という立場のおかげで、プライドの高い貴族令嬢とは違い、騎士の娘たちからはかなりモテている。
ここで普通の幸せな生活を送り、結婚して子供を作り、前世の分まで人生を謳歌して、最後は満足して死ぬ。それが俺の望むエンディングだ。
「クレストヘブン? 王都にある貴族学院のことですか?」
父の執務室に呼ばれた俺は、帝国から届いたという公文書について聞かされた。
「なんだ、その顔は? 嬉しくないのか?」
帝国は俺に男爵位を授与し、あの英雄的な活躍への褒美として小さな領地を与えた。つまり、姉のシリアと同じように、俺もファザート家の一員として正式に認められたということだ。
それだけではない。下層階級の象徴である黒髪の俺が、爵位と社会的評価を得たことで、貴族社会における後継者候補として学院に入学することになったのだ。
「欲しくなんてありませんよ。そんなの、トラブルの種を拾うようなものです」
俺はこめかみを押さえ、深くため息をついた。
「どうしてそんなことを言うんだ? お前は街をモンスターから守り、あの危険な黒角狼まで討ち取ったんだぞ」
ブラスト父さんは焦った様子で説得してくる。
「ちょっと待ってください 来週から始まる俺のクラスはどうなるんですか? 騎士科のクラスですよね?」
学院のクラスは大きく二つに分かれている。『普通科』と『特進科』だ。
特進科は、男爵以上の高位貴族の令嬢や跡取りが通うクラスだ。ただし女性の場合は特例があり、男爵家以上の娘であれば、家の経済状況に関わらず入学が許可される。
一方、普通科は田舎貴族の次男坊や、騎士爵の子弟が通うクラスだ。貴族の次男以降は家を継げないことが多く、出世の道も限られているため、通常のカリキュラムを受ける。金持ちの次男三男なら特進科へ行くこともあるが、田舎貴族には縁のない話だ。
「特進科だ」
「はあ? どうしてそうなるんですか。ファザート家の次期当主はシリア姉さんでしょう?」
「確かにそうだが……」
俺が不満を漏らすと、ブラスト父さんは真剣な表情になり、俺を見つめた。
「……十年前、このイファン領がどれほど貧しく、困窮していたか知っているか?」
「え?」
俺は意外な問いに戸惑った。
「絶望的だった。商人は寄り付かず、経済は破綻し、領民たちは我々領主一族に反感を抱いていた。だからこそ、シリアの才能を見た時、私たちは彼女こそがこの家と領地を復興させてくれると確信したんだ」
父さんはそう言うと、机に肘をついて頭を抱えた。俺は黙って立ち尽くすしかなかった。
「だが、ここ数年で状況は一変した……。死の湖と呼ばれていた場所は塩を作る『金の池』に変わり、村人の雇用を生み出した。飢饉に苦しんでいた農業は、見たこともない新技術によって改良され、死んだ土壌が蘇った。街は奇跡のような豊かさを手に入れ、語り尽くせないほどの発展を遂げた……。すべてのおかげで、ただの村だった場所が、どの男爵も成し遂げられなかった規模の都市へと成長した。
実は私も、一体何が起きているのか不思議でならなかった。だが、誰に聞いても、みんなお前の名前を口にするんだ。領民たちはお前を心から尊敬している」
父さんの言葉に、俺は俯いて肯定するしかなかった。それらはすべて、俺が裏でやったことだからだ。
「今では多くの者が騎士になりたいと志願してくるし、多くの商人が我々のような弱小貴族との取引を求めてくる」
あのままではモンスターの襲撃以前に街が自滅していただろう。俺はただ、自分の快適な生活のため、そしてシリア姉さんが継ぐときのために少し準備をしておいただけだ。要するに、目障りな問題を片付けたに過ぎない。
その後も彼らを助けているうちに、いつの間にか街の顔となり、英雄扱いされるようになってしまった。
「移住者だって、毎週百人以上増えている。この勢いは止まらないだろう。今や周辺の貴族たちの間でも、イファン領の奇跡は持ちきりだ」
「……」
反論できなかった。ただ黙って父さんの言葉を受け入れるしかない。
「そして今、お前はこの街を救った英雄だ。ここの住民は……全員がお前を信奉している。これだけの理由があれば、お前が当主になるには十分すぎるんだ」
父さんは自信満々に言い放った。
「ちょっと待ってください。それってつまり、俺が貴族になるってことですよね?」
俺がそう問い詰めると、父さんは気まずそうに視線を逸らし、ぶつぶつと独り言を始めた。
「う、うむ……伯爵令嬢……いや、さすがに格上すぎるか……男爵令嬢なら、顔を選ばなければまだ可能性は……」
「嫌ですよ……。俺には騎士の娘で十分可愛い相手がいるんです。なんでわざわざ火中の栗を拾うような真似をしなきゃならないんですか? 男爵から伯爵までの令嬢なんて、自分から熱湯をかぶりに行くようなものじゃないですか」
俺は真顔で拒否した。
計画していた「そこそこ良い人生」が音を立てて崩れていく。貴族になれば、妻からは見下され、社交界の道具として使われ、最悪の場合は浮気されるだろう。自由なんてあったもんじゃない。
「言い過ぎだぞ……他人をそんなふうに言うなんて。母さんや姉さんもそうだと言うつもりか? まあ……あながち間違ってはいないが」
「なんですって?」
俺と父さんが言い争っていると、突然ドアが開き、母さんが不機嫌な顔で入ってきた。
「……アランが男爵に叙任されるって聞いたわよ……どういうこと? アランを危険な目に遭わせたいの? アランが『黒の民』だってこと、忘れたわけじゃないでしょうね?」
「わかってる……だが……」
父さんはビクリと肩を震わせ、母さんから目を逸らして小声で答えた。
母さんは父さんを問い詰め、父さんは正座させられて言い返せずに首を傾げている。母さんは手紙を突き返せと迫ったが、父さんは力なく「不可能だ」と答えるだけだった。母さんは俺がどんな目に遭うか分かっているからこそ、帝都まで行って直接断るとまで言い出した。俺は必死で彼女を止め、不本意ながら男爵位を受けることを承諾した。
結局、俺は王都へ行き、特進科で学ぶことになった。
出発の日、母さんは大泣きして「私もついていく」と言い出し、なだめるのに随分時間がかかった。
「いいかアラン……高位貴族の跡取りとは良い関係を築くんだぞ。できれば王女殿下とも仲良くなっておけ。そうすれば将来安泰だ」
母さんに見つからないように、父さんがこっそり耳打ちしてきた。
そんなこと、願っても無理な話だ。俺のような田舎貴族、しかも黒髪の下層階級風情になんて誰も興味を持たない。
それに、あの学園には顔面偏差値の高い攻略対象が六人もいるのだ。それ以外の男なんてただの背景、俺に至っては空気みたいなものだろう。
なんだろう……胸が痛いな。




