第3章 誰が為に戦う
あれから数年の時が流れ、俺は様々な出来事を経験した。
そして十三歳になった時、初めて家族としてのささやかなお祝いが開かれた。
父ブラストからの贈り物は、俺の手に馴染む鉄製の「打刀」。俺がリクエストしたものだ。
母ライアからの贈り物は、銀製の指輪の魔道具。
どちらも店の棚に並んでいるのを見たことがある。低レベルのモンスター素材で作られた、ごく基本的なアイテムだ。魔力を持たない俺にとって、魔道具は無用の長物でしかないが。
それでも、男爵家や一般人にとってはそれなりの値段だ。一つにつきリビス金貨二、三枚。馬一頭が買える金額だ。
だが、俺のような人間に残された時間はそう長くはない。十六歳になれば、未婚の男子は軍に徴兵され、死亡率の高い国境警備へ送られる。たとえ男爵の息子であっても、貴族学院への入学資格がなければ逃れられない。その資格には、容姿に関する明確な規定がある。
そう、ただ髪の色が「黒」というだけで。
「父上、母上、ありがとうございます。今はとても幸せです」
俺は笑顔を作って礼を言った。二人は温かい笑顔で俺を見守ってくれている。本当の母親を知らない俺が、ライア母さんに愛着を感じているのは少し奇妙な感覚だった。
だが、ここが乙女ゲームの世界だという事実は、依然として重くのしかかる。
この世界において、俺のような人間に社会的地位はほぼない。俺自身はそれでも構わないが、ファザート家にとっては大問題だ。黒髪の子供がいるだけで陰口を叩かれるのに、もし俺が何か問題を起こせば、家族にまで迷惑がかかる。
それに、もう一つ大きな懸念がある。
ゲーム本編が始まる直前に発生する、『終焉』と呼ばれる現象だ。
世界規模で災害が起き、各地にダンジョンが出現する。本来なら、このイファン領を含む国境沿いの五つの領地はモンスターの襲撃を受けて壊滅する運命にある。
唯一生き残るのは、聖女の力が覚醒したサイアン領だけ。だからこそ、平民であるはずのゲームのヒロインが、特例として貴族学院に入学できるのだ。
だが、俺はただの底辺階級。神から授かった力など何もない。
予想では、その時はあと六年後に訪れる。つまり、俺には六年しか猶予がない。それまでに可能な限り強くなる必要がある。そのためには、モンスターを殺してレベルを上げるしかない。
俺は目立たないように森の端で剣の稽古を始めた。時折、姉のシリアが教えに来てくれるが、俺が使う「月光北天流」は彼女の剣術とは異なるため、あまり気に入らない様子だ。それでも以前よりずっと仲良くなり、彼女は俺がいなくなった一件以来、過保護なほど俺を心配してくれる良い姉になった。
剣の稽古が終わると、俺はこっそり森へ入り、モンスター狩りを行った。
最初は野兎のような低レベルモンスターを狩り、体を鍛えた。それを二週間続け、徐々に獲物のレベルを上げていった。
この世界では、モンスターを倒しても死体は消えず、アイテムもドロップしない。自分で解体して素材を剥ぎ取る必要がある。ゴブリンのような知能のある魔物はポーションなどのアイテムを持っていることがあるため、俺はそれらを備蓄しながら森の奥へと進んでいった。怪我をしても、ポーションを飲めばすぐに治る。痛みには慣れっこだ。
そんな生活を一年続け、シリアが貴族学院へ進学するために家を出ると、俺は両親に隠れて街で小さな商売を始めた。モンスターの素材を売るのだ。これが結構な利益になり、新しい家が一軒買えるほどの貯金ができた。
十四歳になる頃には、俺が相手にするモンスターのレベルは四十三に達していた。
かなり危険な領域だ。村から遠く離れた深い森の中での狩り。俺は「酒場で皿洗いのバイトをしている」と嘘をついて家を出ていた。両親は、息子をバイトに出すほど金に困っていないと反対したが、最終的には折れてくれた。
そして十六歳になった今、俺は自分が他人とは違う強さを持っていることを確信していた。
この数年間の努力が無駄にならないことを祈るばかりだ。
最後の狩りに出たのは、『終焉』が始まる三日前のことだった。
村から数十キロ離れた深い森の中。森のモンスターたちはもう俺に襲いかかってこない。こちらのレベルが上回っている証拠だ。この森の最強種であるミノタウロスでさえレベル五十五だ。
俺はさらに高レベルの獲物を探して歩き回り、巨大な洞窟の前で足を止めた。
「ダンジョン?」
俺は驚いてそれを見つめた。ダンジョンとは、主人公たちがレベル上げやアイテム収集のために潜る場所だ。通常は破壊されてからしばらくしてランダムに発生するものだが。
こんな時期に見つかるとは。体力を消耗したり怪我をしたら厄介だ。
運が良いとは言えないな……。
俺は苦笑いを浮かべた。ただ入って殴って終わり、という単純なものではない。RPGの名に恥じず、中に入れば別世界のように広く、地図がなければ迷ってしまう。
ダンジョンのランクはSSからEまである。今の俺が安全に攻略できるのはDランク以下。それ以上は、失敗するリスクが五割を超える。
一度入れば、ボスを倒すか制限時間が来るまで出ることはできない。
「選択肢はないか……。この森のめぼしいモンスターは狩り尽くしたしな」
それに、ダンジョン産の素材や高レアアイテムは魅力的だ。売れば大金になる。だが何より、放置してダンジョンブレイク(氾濫)が起きれば、ボスごと溢れ出したモンスターが周辺の村を襲うことになる。
俺は頭をポリポリと掻き、慎重に洞窟へと足を踏み入れた。手持ちはポーション十五本と、刃こぼれし始めた刀だけ。
入り口には霧がかかっていたが、中に入るとその霧が出口を塞ぎ、結界となって脱出を不可能にした。
見たところ……ここはCランクダンジョンか。
雑魚モンスターの最低レベルは四十。ボスはレベル五十の『浪人の亡霊』だ。
レベルこそ高くないが、非常に厄介な強敵だ。物理攻撃を受け流す「パリィ」のスキルを持ち、攻撃力は中程度だがスピードが速い。
長い刀を使い、全属性魔法に弱いという特徴があるが、魔法が使えない俺には関係ない話だ。
ボスは配下のモンスターがある程度倒されると出現し、回避不能の奇襲を仕掛けてくる。通常なら後衛にヒーラーを置いて対処するのだが、ソロの俺にはそんな贅沢は許されない。
ポーションを飲むタイミングも、奴の攻撃の合間を縫わなければならない。ガードを下げた瞬間を狙ってくるからだ。ゲームではパーティで袋叩きにすれば簡単に倒せたのだが。
奥へ進むにつれ、内部は広くなり、発光するクリスタルが道を照らしていた。スケルトンが襲ってきたので、三時間ほどかけて周辺を一掃し、食事休憩をとる。
次のエリアは『黒角狼』の群れだ。集団で連携し、時には魔法も使ってくる。数が多いので、予想以上に時間とポーションを消費してしまった。
最後の個体を倒した瞬間、周囲がゆっくりと暗くなり始めた。クリスタルの光が弱まり、霧が立ち込める。ボスの出現合図だ。
来たか……。
よし、気をつけ――ッ!!
思考するより早く、背筋に走った悪寒に従って刀を背後に回した。
凄まじい衝撃と共に、二本の刀が激突して火花を散らす。その一瞬の光で、恐ろしい形相の『浪人』が浮かび上がった。竹の鎧を身にまとい、赤く光る眼が俺を射抜く。
防ぎきったとはいえ、ダメージは通った。肩が腫れ上がるのが分かる。
ゲームと現実は違う。この恐怖と焦燥感は本物だ。弱点やパターンを知っていても、本能的な恐怖までは抑えられない。
俺は刀を握り直し、距離を取って奴の出方をうかがった。
奴の主な攻撃パターンは五つ。跳躍斬り、薙ぎ払い、乱舞、奇襲、そしてバーサークモードへの移行。
真正面から構える浪人に対し、こちらから仕掛けるわけにはいかない。強烈なカウンターが飛んでくるからだ。かといって追い詰めれば、自動的にバーサークモードに入り、攻撃力と速度が跳ね上がる。
倒し方は知っているが……失敗すればダンジョンが開くまで逃げ回るしかない。
多人数ならまだしも、俺一人だ。
浪人がゆっくりと間合いを詰めてくる。広くて暗いこの場所は、奴にとって有利なフィールドだ。
少しずつ、カウンターを合わせていくしかない。
こいつ、意外と賢いな……それに何より怖い。
俺は足元の石を拾い、奴に向かって投げつけた。奴は人間離れした速度で突っ込んできた。俺はそれを紙一重でかわし、その手首を狙って斬り返す。
よし……このままいけば勝てる。
攻撃と防御を繰り返し、同じ箇所を執拗に狙い続ける。やがて、奴の手首が切断され、刀がカランと音を立てて落ちた。
やった!!
これは自分より格上のモンスターと戦う時の定石。強力な部位を破壊して弱体化させる戦法だ。
まさか本当に通用するとは。
そこからは一方的な展開だった。武器と手を失った浪人は、ただ体当たりをしてくるだけ。バーサークモードに入り、狂ったように落ちた刀を口にくわえて突っ込んできたが、俺は冷静に対処し、ついに奴を沈めた。
「終わった、のか?」
俺は疲労困憊で呟き、水を飲んで息を整えた。ダンジョンに入ってから十時間近く戦い続けていた。普段の三倍の時間だ。
「これか」
地面にはドロップアイテムが落ちていた。浪人が使っていた刀だ。
『黒月の刀』。
間違いなく上級武器だ。俺のボロ刀とは比べ物にならない。攻撃力は十倍近く違うだろうし、装備者へのバフ効果もある。
俺はそれを腰に差してダンジョンを出た。空を見上げる。
もうすぐ、その時が来る。
朝だというのに、黒い雲が辺り一面を覆っていた。
家に戻ると、ブラストとライアが深刻な顔をしていた。俺の姿を見るなり、ライアが飛びついてきて強く抱きしめた。
「アラン! 無事だったのね……何かあったんじゃないの!?」
彼女は震えながら俺の体を確認している。予定より一日以上長く帰らなかったせいで、心配をかけてしまったようだ。
「僕は大丈夫ですよ……。でも、どうしたんですか? 二人ともそんなに慌てて」
理由は分かっていたが、俺はあえて尋ねた。
二人は少し落ち着きを取り戻し、顔を見合わせた。ブラストが頷くと、ライアは今まで見たこともないような優しい、けれどどこか悲しい笑顔を浮かべた。
「父さんと母さん、話し合ったの……。私たちは王都へ引っ越すことにしたわ」
彼女はそう言って微笑んだ。『終焉』が迫っていることを知っているのだろう。
ふぅ……避難するつもりか。
事態に早く気づいてくれてよかった。
「いつ出発するんですか?」
「今日よ……。でも、アラン、あなたは一人で先に行きなさい。父さんと母さんはここで少し用事があるの。二日後には追いかけるから」
その言葉に、俺の胸が詰まった。
彼女の笑顔は、まるで死を覚悟した人間の、未練を断ち切ったようなものだったからだ。
数年という短い親子関係だったが、そこには確かな絆があった。
あの時が来れば、ここに残る人間に助かる道はない。
俺を馬鹿だと思っているのか?
一瞬で理解した。彼らが逃げられない理由を。
彼らは領主だ。自分の治める土地を捨てることはできない。領民を見捨てて逃げ出せば、反逆者とみなされ、一族郎党処罰される。
だから、俺一人に財産を持たせて逃がそうとしているのだ。俺が断らないように、嘘の理由をつけて。
俺は冷めた人間だ。世界の半分が死んでも気にならないと思っていた。
だが、大切な人を失うと考えた途端――ようやく手に入れた小さな幸せを失うと考えた途端、胸が張り裂けそうになった。
今の俺には、自分の命よりも守るべきものがある。
「アラン……どうしてそんな顔をするの……。すぐに会いに行くから……」
ライアは笑顔を取り繕おうとしたが、堪えきれずに涙を溢れさせた。ブラストが彼女の肩を抱き、首を横に振った。静寂の中、彼女の嗚咽だけが響く。
「……息子に本当のことを話すべきだ、ライア。たとえそれが辛いことでも」
気丈に振る舞っていたブラストも、声が震え、涙を流していた。ライアは声を上げて泣き出し、俺を力いっぱい抱きしめた。
「母さんは……まだ、あなたに何もしてあげられてない……もっと、長く一緒にいたかった……」
彼女の泣き声が胸に刺さる。こんなにも愛されていたのか。
心地よくて、そして悲しい。こんな幸せと愛情を、誰かから向けられる日が来るとは思わなかった。
その後、二人は『終焉』について話してくれた。
王都防衛のために主力の騎士たちは招集され、残っているのは年老いた騎士か未熟な者ばかり。にもかかわらず、帝国からは「死守せよ」という事実上の玉砕命令が下っていた。
彼らは俺にシリアのいる王都へ逃げるよう説得したが、俺は頑として拒否した。
何度か力づくで馬に乗せられそうになったが、その度に逃げ出した。最終的に、彼らは渋々ながらも折れ、もし状況が悪化したらすぐに馬で逃げると約束させられた。
俺は適当に返事をした。最初から逃げる気なんてない。
村には周辺の住民が避難してきていた。女子供や老人が多い。自力で王都まで逃げる体力も護衛もなく、領主である父を頼るしかなかったのだ。
戦力は絶望的だ。騎士が八名、兵士が百数十名ほど。
敵のモンスターはレベル三十台が約千体。ボスはレベル四十の黒角狼。
こちらの最高戦力である騎士でもレベル二十五、兵士は十五程度だ。
勝敗は火を見るより明らかだった。
だが、俺が毎日命を懸けてきたのはこの時のためだ。
この小さな家族を守るため。長年の準備が無駄にならないことを祈る。
決戦は明日。モンスターの群れは北の山から降りてくる。
俺は部屋から出ないよう厳命され、ライア母さんが見張りについていた。
王都では、ゲームの主人公がシナリオ通りに行動している頃だろう。
深夜。
疲れ切ったライア母さんが居眠りをしている隙に、俺は部屋を抜け出した。
見張りの兵士を避け、馬を盗み出し、北の山へと向かった。
夜明けと共に村へ到達するであろうモンスターの群れ。村からできるだけ離れた場所で殲滅するしかない。
二時間後。俺は迎撃ポイントに到着した。
ここなら、被害を最小限に抑えられるはずだ。
俺は馬を降り、『黒月の刀』とポーションを確認した。
準備は万端だ。ここは奴らの墓場になる。
やがて、地響きと共に轟音が近づいてきた。
地平線の彼方から、黒い波のようにモンスターの群れが押し寄せてくる。
ゴブリン、オーク、ウルフ……そしてボスの黒角狼。
ダンジョンで何百匹と殺した相手だ。恐れることはない。
俺は抜刀し、先頭のモンスターに斬りかかった。
一撃。
まるで紙をハサミで切るような感触。以前の剣とは切れ味が段違いだ。やはり素材の差か。
「気を使うまでもないな……」
三十分も経たないうちに、数は半分以下に減っていた。ポーションは一本も使っていない。黒髪の民の体は頑丈だが、無傷というわけにはいかない。それでも致命傷は避けている。
ついに雑魚を一掃し、ボスの黒角狼と対峙した。
今の俺の武器とレベルは、以前戦った時よりも遥かに上だ。
数合打ち合っただけで、巨大な狼は沈んだ。
「意外と時間がかかったな……」
信じられない。俺一人でこれだけの数を。
八年間戦ってきた相手に比べれば、こいつらは大したことなかった。
村を守る騎士たちのレベルに合わせて、襲撃レベルが調整されていたのかもしれない。レベル六十超えの化け物が混じっていなくて助かった。
これで村は安全だ。
ブラスト父さんも、ライア母さんも……。
そう思った時、背中無数の視線を感じた。
俺は刀を納め、ゆっくりと振り返った。
「えっ?」
そこには、馬に乗ったブラストとライア、そして騎士たちが呆然と立ち尽くしていた。
彼らの視線は、俺と、その周囲に広がるモンスターの死体の山を行き来している。
「アラン……それが、お前なのか?」
顔を背けてももう遅い。
まさか、バリケードの外まで打って出てくるとは思わなかった。モンスターが一体も来ないのを不審に思ったのか。
しまった……。
村の安全を考えるあまり、隠蔽工作を忘れていた。
動かぬ証拠を前に、言い逃れはできない。
この瞬間、俺は悟った。
これから先、とんでもなく面倒な事態に巻き込まれることになるだろうと。




