第20章 勝ち目のない戦い(1)
闘技場の観客たちは、目の前で起きた出来事に言葉を失っていた。
特にアリスは立ち上がったまま硬直し、地面に倒れたクラウンとグランを凝視している。その顔には明らかな焦燥と不安が張り付いていた。
すべての視線がフィールドの中央に注がれている。
「な、何が起きたんだ!?」
「どういうことだ? あのクラウン様が負けたのか……」
「じゃあ、あいつが一人でモンスターの群れを倒して男爵になったって話は、本当だったのか?」
観客たちの間に混乱と動揺が広がる。
アミリアとアンジェラもまた、他の人々と同じように驚きを隠せないでいた。
アンジェラは複雑な表情を浮かべた。
「アンジェラ様……私、悲しいです。アランさんが勝って嬉しいはずなのに、彼がとても残酷なことをしているように見えてしまって……」
アミリアが悲しげに呟くと、アンジェラは彼女の方を向いた。
「ええ……。私も彼をよく知らなかったら、恐怖を感じていたでしょうね。でも、相手は聖騎士の称号を持つクラウンよ。帝国最強の剣士と言われる彼に勝ったということは、アランの実力が本物だという証明でもあるわ」
アミリアは自分の手を握りしめた。
「でも、これは戦いと呼べるものでしょうか……」
「そうね……。彼が強すぎるのよ。六人同時にかかっても勝てるかどうか。逆に彼が弱かったら、結果は逆になっていたでしょうね」
アンジェラは淡々と言ったが、その視線は心配そうにヘンリーを追っていた。
決闘とはいえ、痛みはある。復縁できないと分かっていても、彼女はまだヘンリーを愛しているのだ。
***
二人目のクラウンを倒してようやく、彼らは全員でかかってこなければ勝機がないと悟ったようだ。
ヘンリーは豪華な装飾が施された真紅の鎧に身を包み、いかにも帝国の王子といった風情で剣と盾を構え、陣形の先頭に立った。
最後尾には大杖を持ったジュリアスが控え、その前ではダヴィンスが膝をつき、銃口を俺に向けている。いくら実戦慣れしていても、生身の体で鉛玉を受ければ手足が吹き飛ぶ。
ジンは二刀流の機動力を活かし、死角を狙うように周囲を徘徊して距離を保っている。
ヘンリーは恐怖の色も見せず、剣を抜いた。
「見事な腕前だ。クラウンが油断しなければ、もっと早く決着がついただろうに」
ヘンリーは自分を肯定しつつ、遠回しに俺を見下すようなことを言った。
残念ながら、彼には経験が足りない。もし彼が俺と同じだけの修羅場をくぐり抜けていれば、苦戦するのは俺の方だったかもしれない。
だが今の彼らなど、敵ではない。
陣形が整うと同時に、ヘンリーは疾風のごとく突っ込んできた。俺が反応する間もなく剣を振り下ろす。
俺は鞘でそれを受け止めた。その瞬間、ダヴィンスが魔法で強化された弾丸を発射した。狙いは頭だ。俺は後方へ跳んでかわすしかなかった。
だが、その隙を突いてジンが背後に忍び寄っていた。俺は振り返りざまにジンの二刀流を防いだが、間髪入れずにヘンリーが斬りかかってくる。一瞬の隙も与えない連携だ。
俺は高速でバックステップを踏み、二人の攻撃範囲から逃れたが、すかさずダヴィンスが追撃を仕掛けてくる。
悪くない。
単純だが、強力な連携だ。
俺が後退したのを見て、ダヴィンスが得意げに叫んだ。
「どうした! 俺たちに勝つんじゃなかったのか? さっきの威勢はどこへ行った!」
彼の声が闘技場に響く。彼は再び銃を構えた。
「今度こそ蜂の巣にしてやるよ……あれ? あいつ、どこへ消えた?」
ダヴィンスがスコープから目を離すと、目の前でジュリアスが後ずさりしていた。
「ダヴィンス、後ろだ!!」
ジュリアスの絶叫が響く。
ダヴィンスが疑問に思う間もなく、背後から剣が彼の心臓を貫いた。剣が引き抜かれると同時に、彼はどうと倒れた。
ヘンリーが猛スピードで駆けつけ、剣を振り下ろした。俺は自分の剣で受け止める。
兜で顔は見えないが、彼がどんな表情をしているかは想像がつく。
ヘンリーが俺を足止めしている間に、ジュリアスが詠唱を始めた。俺の足元に巨大な魔法陣が現れる。
ヘンリーが即座に離脱すると、そこから火の鳥のような炎塊が出現した。
追尾魔法だ。当たるまで執拗に追いかけてくる。俺は巨大な火の玉から逃れるために走り出した。
隙を窺っていたジンが、俺の退路を断つために背後から突っ込んできた。勝利のために捨て身になるつもりだ。
轟音が響き渡り、土煙が視界を遮る。
「やったか!!?」
ヘンリーが叫び、ジュリアスの方を振り返った。
だが、そこで彼が見たのは、血まみれで倒れているジュリアスの姿だった。ヘンリーは即座に警戒態勢をとった。
「やっと二人きりになれましたね、殿下」
俺は剣についた血を振り払いながら言った。
「馬鹿な!? いくら速くても、あの魔法をかわせるはずがない……」
ヘンリーは盾を構え、ジンの元へ合流しようと後退した。
「ジン……時間を稼ぐんだ。隙を見て奴を――」
彼が後退した足元に、何かが当たった。
それは黒焦げになったジンの鎧だった。彼はジュリアスの魔法をまともに食らって気絶していた。
ヘンリーは狼狽した。
「そうか……ジンを盾にして、ジュリアスの魔法を防いだのか。貴様、騎士としての誇りはないのか……」
俺は彼の非難には答えず、ゆっくりと近づいた。
「戦いにおいて最も重要なのは、自分の命ですよ。それに誇りと言うなら、殿下も僕と大差ないでしょう」
「どういう意味だ!? 僕は正義のために、愛する人を守るために戦っているんだ! 名声のためだけに戦うお前とは違う!」
ヘンリーが激昂する。その言葉に、俺は思わず笑ってしまった。
「正義と愛のために戦う、ですか? 随分と陳腐なセリフですね、殿下」
「僕の想いを愚弄するな! 僕は背中で祈ってくれている彼女のために勝ちたいんだ!」
彼の剣が光り始めた。白銀の輝きが剣と鎧を包み込む。
これがヘンリーの真の力だ。彼の持つ聖剣は使用者の能力を五倍に高める。本来ならダンジョン攻略の初期段階で覚醒する力だが、彼は今ここでそれを解放した。
観客席から大歓声が沸き起こる。
「さすが殿下だ!」
「いけるぞ!」
「あんな奴、ぶっ飛ばしてください!」
俺は怒涛のように繰り出されるヘンリーの斬撃を受け流した。攻撃の重さが先ほどとは桁違いだ。
「戦ってみて分かりましたよ。殿下の実力は他の五人とは別格だ。そこまで必死になるのは、勝ってあの女とイチャつくためですか?」
「黙れ!! アリスを侮辱することは許さん!!」
彼の攻撃はさらに激しさを増し、俺は少しずつ後退させられた。
視界の端に、アミリアとアンジェラの姿が入った。
アミリアは手を組み、祈るように俺を見つめていた。
アンジェラは勝利を願う真剣な眼差しをしていたが、同時に俺がヘンリーを傷つけることを恐れているようにも見えた。
俺はヘンリーの剣を弾きながら語りかけた。
「殿下は人を愛するということがどういうことか、理解しているようですね」
「当たり前だ! だからこそ、お前のように他人のプライベートに土足で踏み込むような真似はしない! お前に愛する人がいれば、こんな騒ぎは起こさなかったはずだ! 僕たちが何のために戦っているのか、お前にも分かればいいのにな!!」
ヘンリーは愛を語りながら、遠回しにアンジェラを傷つけていることに気づいていない。
「殿下はアンジェラ様のことを言っているのですか? 私は、彼女が心から殿下を愛していると確信していますが」
「違う!!」
ヘンリーは強く否定した。
「あれは愛などではない! 彼女は一度だって僕の気持ちを考えたことがない! 他の王宮の女たちと同じだ。くだらない政治的利益のために、それを愛だと勘違いしているだけだ。僕は王族に生まれたからといって、自分の人生を決められるのはまっぴらだ! 僕はこんな人生など望んでいない!!」
王子として生まれた苦悩はあるだろう。誰もがその立場を羨むわけではない。
だが、俺のような持たざる者からすれば、彼の悩みなど贅沢な戯言にしか聞こえない。
「アリスだけが、僕の気持ちを理解してくれたんだ」
違う。アリスはアミリアの代わりを演じているだけだ。本来なら、アミリアがそこにいるはずだった。
「お前ごときに愛が分かるものか! 人生に何も持っていないくせに! 力を手に入れて、他人を顧みずに楽しんでいるだけだろ! お前のような人間に、誰かから愛される資格などない!」
ヘンリーの言葉が、俺の心の古傷をえぐった。ずっと抱えてきた劣等感を刺激された。
俺は口の端を歪めて冷笑した。
「その通りですよ、殿下……。僕にはそんな高尚なことは分かりません。あなたの気持ちなんて知りたくもない。ですが、あなたは本当にアンジェラ様を知らないようですね」
「黙れ!!」
ヘンリーが斬りかかってくる。俺はそれを受け止め、至近距離で彼と対峙した。
「殿下は今の人生が嫌だとおっしゃいましたね?
あなたは一度でも飢えたことがありますか? 食卓に並ぶ料理を見ながら、それを食べられない惨めさを知っていますか? 周囲から蔑まれ、存在を無視されたことがありますか? 自分を知ってほしいのに、たった一人だったことがありますか? 心が空っぽになる虚無感を知っていますか?
何一つ持っていない人間が、すべてを持っていて、しかも将来を約束された美しい婚約者までいるあなたを見て、今の言葉を聞いてどう思うか、考えたことはありますか?」
俺の感情が言葉となって溢れ出した。アンジェラとアミリアは驚愕し、特にアミリアは泣きそうな顔をしている。
俺はずっと努力してきた。血を流すことはあっても、涙を流すことはなかった。
涙なんて、とっくの昔に枯れ果てていたからだ。
「ふざけたことを言うな! 自分だけが不幸だとでも思っているのか!!?」
ヘンリーの言葉に、俺は怒りを込めて彼を突き飛ばした。
「今、誰もそんなに不幸ではないと言いましたか? ……殿下は忘れているようですね」
俺は自分の黒髪を指差した。ヘンリーはハッとしたように目を見開いた。
「これでお分かりでしょう。僕はいつも妬ましかった。あなたは命がけで他人に認めてもらう必要なんてない。女に媚びなくても、王子の周りにはいつも女がいる。美しく才能ある婚約者がいて、将来も約束されている。
なのに、それがいらないと言うんですか? 冗談でしょう?」
会場が静まり返った。俺の言葉の重みが、彼らに突き刺さる。
「冗談なものか!!」
ヘンリーが叫んだ。
彼は自分の感情のためなら、すべてを捨てる覚悟がある男だ。ゲームでも、彼は常にアミリアを守るために身を挺していた。
俺はヘンリーの剣を強引に弾き飛ばし、間合いを詰めて連撃を浴びせた。ヘンリーは必死に防御するが、鎧を貫通する衝撃に体が悲鳴を上げているのが分かる。
「あなたが自分の人生を生きたいというなら、誰を愛そうと勝手です。でも、現実にはそれは許されない。いい加減認めたらどうです」
俺はアンジェラとアミリアの方をちらりと見た。アンジェラは悲痛な表情をしている。
俺は剣先をヘンリーに向けた。
「嫌だ!!」
彼は全力で俺の剣を払い除け、再び突っ込んできた。
「僕はアリスと離れるくらいなら死んだ方がマシだ! 彼女のために、僕は絶対に負けない! お前か僕が倒れるまで、この戦いは終わらない!!」
彼は挑発的に叫び、死力を尽くして戦い続けた。
ヘンリーの独りよがりな考えに、俺の中で苛立ちが頂点に達した。
「そこまで言うなら好きにすればいい。だが……降参すると言うまで、たっぷりと甚振ってやる」
俺の体から凄まじい殺気が噴出し、周囲を圧迫した。観客たちが恐怖に震え上がるのが分かった。
ヘンリーの手が震えている。俺が目の前に立っても、彼は一歩も動けなかった。




