第2章 乙女ゲームの世界に転生?
この作品は、ある乙女ゲーム転生作品に触れたことをきっかけに生まれました。
その物語自体はとても魅力的でしたが、主人公の性格や“幸運に恵まれすぎた設定”にはどうしても共感できませんでした。
「もし、自分だったらどう描くだろうか?」
そう考えた結果、まったく別の世界観と主人公を持つ、新しい宇宙(もう一つの可能性)を創り出すことにしました。
これは原作の物語を否定するための作品ではありません。
あくまで一人の読者として感じた違和感から生まれた、“もう一つの選択肢”の物語です。
死んだはずの俺が目を開ける。
記憶は水面に映る映像のように曖昧で、まるでロープで首を絞められているかのように息苦しい。
「アラン! アラン! ……っ、目を覚まして! 母さんが悪かったわ、アラン!!」
目の前には、三十歳くらいの女性が泣き崩れていた。その横では八歳ほどの少女が、ショックを受けた様子で俺を見つめながら泣いている。
母さん? 姉さん?
うーん……。
記憶が戻ってくる。二色の水が混ざり合うように。
別の記憶が割り込んできた感覚があるが、どちらも間違いなく「自分」の記憶だ。
乙女ゲームをプレイした後に死んだという前世の記憶が、突然湧き上がってくる。
頭が割れるように痛い。自分や家族のことを思い出そうとしても、最初は自分の名前すら出てこなかった。
「アランが目覚めたわ!! 早く医者を呼んでちょうだい!」
女性が叫ぶ。俺は朦朧とした視線を彼女に向けた。
母さん、なのか……。
そうか、俺は自殺したんだった。
次第に状況が整理されていく。
俺の名前はアラン・ファザート。六歳。
帝国の辺境イファン領を治める、騎士爵から男爵に成り上がったファザート家の次男だ。
俺が首を吊った原因は、家族への劣等感と、人生への絶望だ。
姉のシリアに対するあからさまな贔屓と、俺への差別。
姉は文武両道、剣術も魔法も優秀で、母譲りの美貌と父譲りの輝く金髪を持っていた。
対して俺は、下層民の色とされる「黒髪」を持って生まれた。それだけの理由で、ずっと不当な扱いを受けてきたのだ。
俺の部屋は家の隅にある物置小屋。狭くて湿っぽく、日も当たらない。蝋燭やランプさえ与えられなかった。
食事は朝晩の二回だけ。姉が食べきれないほど豪華な食事を与えられる一方で、俺の食事は肉を削ぎ落とされた後の牛脂と、たまに虫食いだらけの野菜が出る程度。「美味しい」という感覚など、想像すらできなかった。
時々、どうしてこんな仕打ちを受けるのかと疑問に思ったこともある。
両親は姉だけを世話し、俺のことなど視界にも入れない。勉強も教えてもらえず、知識を得る権利さえ姉とは雲泥の差があった。
親からの愛情はすべてシリアに注がれていた。俺はただ、名前を呼んでもらうことさえ待ち望んでいたのに。
けれど、俺は完全に忘れ去られていた。六歳の誕生日を迎えるあの日まで。
どんな貧しい家でも、子供が生まれれば祝い、誕生日を祝うものだ。
だが俺の誕生日に待っていたのは、暗い物置部屋でたった一人、音もなく牛脂を食べる時間だけだった。
外に出てみれば、両親が村の剣術大会で優勝した姉を祝っているのが見えた。彼らはとても幸せそうで、そこには俺の居場所など微塵もなかった。
その時、俺は自分が家族にとって「余計な存在」なのだと理解し、深く傷ついた。
六歳の子供が受け止めるには、あまりにも残酷な現実だった。
翌朝、俺は部屋にあった古びたロープを持って、早朝の森へと走った。
生きる理由はもうない。死ぬことへの恐怖もなかった。俺が死んでも、消えても、彼らは気にしないだろう。
俺は木にロープをかけ、太い枝に結びつけた。地面からわずか二足分ほどの高さだったが、体を吊るすには十分だった。
木に登り、輪っかを首にかけ、俺は身を投げ出し――意識を失った。
「どうしてこんなことを……どうして……」
母さんが、今まで一度もしてくれなかった強さで俺を抱きしめ、涙を流している。
あまりに突然のことに、俺も嬉しさで涙が溢れてしまった。
俺は屋敷に運ばれ、母が呼んだ医者に治療されたらしい。体調は順調に回復していた。父は男爵への叙任式のために王都へ行っていて不在だった。
医者が帰った後、母さんが部屋に入ってきた。ひどく心配そうな顔をしていて、その眼差しは以前とはまるで違っていた。
「どうして、僕を助けたんですか……」
俺はベッドに座り、死んだ魚のような目で母さんに問いかけた。母さんは驚いたように俺を見た。
「何を言っているの、アラン? あなたは私の息子じゃない」
息子?
笑わせるな……。
「息子、ですか? 僕は家族の『余り物』でしょう、母上。姉上とは違う。『幸せ』って何ですか? どんな感じなんですか? 『美味しい』っていうのも分かりません。僕が知っているのは、喉にへばりつく脂の生臭さと、硬くて乾いた味だけです。
抱擁ってどんな感じですか? 父上と母上が毎日姉上を抱きしめているのを見ていました。あれは気持ちいいんですか?
僕はいつも自分で自分を抱きしめていました。少し温かいけれど、胸の奥が痛くなるんです。
でも、首を吊ってぶら下がった時、すごく温かかったんですよ。少し痛かったけど、もしかしたらあれが僕の『幸せ』だったのかもしれません。生まれて初めて、気分が良かったんです」
「……っ!」
母さんは何も言わずに聞いていたが、やがて激しく泣き出した。
自分の行いへの罪悪感と、俺の言葉が突き刺さったのだろう。この世界では黒髪が差別されるのは常識だが、我が子の口から語られた事実はあまりにも重すぎたのだ。
「ご……ごめんね……アラン。こんな酷いことをして……あんなに苦しめて……母さん、自分を許せないわ」
これが母性本能というやつだろうか。どんな子であれ、腹を痛めた子には変わりない。だが、子供に背負わせるには過酷すぎた。
「……」
俺は転生したのか。
死にたいという感情は残っているが、それはこの世界の「アラン」の記憶がそうさせているだけだ。
よくある「異世界転生」ってやつか。本当にあったとはな。
五体満足で手足がある。不運とは言えないだろう。
いや、幸運か?
幸運と言えるかは微妙だ。この世界にはルールがある。
身分を決める貴族制度。強さが階級を決める実力主義。
そして、政治的にも社会的にも女性が優遇される女尊男卑の世界だ。
特に結婚に関しては、中流以下の男貴族にとっては絶望的だ。女性は自分より格上か、よほど優れた男しか選ばないからだ。
なぜ俺がこの世界のこと詳しいのか?
それはここが、俺が死ぬ直前までプレイしていた『あのゲーム』の世界だからだ。
黒髪の人間は平民以下の最下層、奴隷同然の扱いを受ける。
両親が俺を差別したのも、そういった迷信や社会通念のせいだろう。だが、俺が感情を吐露したことで目が覚めたらしい。腐っても親子ということか。
その後、母さんは帰宅した父にすべてを話したようだ。父は三日間も部屋に引きこもり、精神的に落ち込んでいた。姉のシリアも、少しずつ俺に歩み寄り、遊びに誘ってくれるようになった。俺も心を開き始め、姉弟として仲良くなっていった。
扱いも良くなった。食事もようやく「美味しい」と言えるものになった。慣れるまで時間はかかったが、心の壁も少しずつ溶けていった。
俺は前世の記憶を頼りに、「月光北天流」の剣術修行を始めた。まだ子供の体なので、まずは基礎体力と筋肉作りからだ。
残念ながら、姉のように膨大な魔力は持っていなかった。俺の魔力はゼロだ。
そして確信したことがある。
ここは間違いなく、あの乙女ゲームの世界だ。
地図の形状、社会システム、人々の価値観。すべてがゲームの設定と一致している。
だが、俺にとってはただのゲームじゃない。与えられた「二度目の人生」だ。
だから俺は決めた。
自分の人生を守るために、ゲームのシナリオには一切関わらないと。
そのために俺は情報を集め、これから起こる出来事に備える必要がある。




