第18章 赤子の手を捻るより容易い戦い(1)
終業式の日、いよいよ決闘の時が来た。
学院の敷地は広大で、様々な施設が完備されている。その中には、サッカーコート二面分ほどの広さを誇る魔法闘技場もある。
観客席は強力な結界魔法で守られており、どんな激しい戦闘が行われても安全に観戦できるようになっている。
俺は控室で着替えていた。壁越しに聞こえる大歓声が、観客の多さを物語っている。
装備は実家から送ってもらった革鎧と、ミスリル製の剣だけ。だが、あの六人を相手にするならこれで十分すぎるほどだ。
鏡を見ると、そこにはクールな貴族の姿が映っていた。自分で言うのもなんだが、顔だけなら王子たちにも引けを取らないと思う。
「とってもお似合いです……」
背後から女性の声がした。振り返ると、アミリアが微笑んでいた。
彼女は俺が出てくるのを待っていたらしい。
彼女は距離を詰め、俺の目の前に立った。
「あ、あの……頑張ってくださいね。私には応援することしかできませんけど……」
アミリアが健気に励ましてくれる姿を見て、俺は少し悪戯心が湧いた。
口元を手で隠してニヤリと笑う。
「実は……君にしかできないことがあるんだ」
アミリアの表情がパッと明るくなった。
「何ですか? アランさんのためなら、私何でもします!」
そんなに純粋な反応をされると、少し罪悪感が湧いてくる。
「あー……何て言えばいいかな」
アミリアが興味津々で顔を近づけてくる。
「何ですか?」
俺は自分が善人でないことは知っている。
俺は近づいてきた彼女の顔を両手で包み込んだ。アミリアは驚いたように目を丸くしたが、逃げようとはしなかった。
彼女は恥ずかしそうに俺を見つめ返した。俺がゆっくりと顔を近づけると、彼女は何かを悟ったように静かに瞳を閉じた。
俺はアミリアの唇にゆっくりとキスをした。女性とのキスはこれが初めてで、少しぎこちなかったが、空いた手で彼女の腰を引き寄せた。
アミリアの唇が少し開くと、俺は舌を滑り込ませ、情熱的に絡め合わせた。
一分ほど口づけを交わした後、俺は唇を離した。彼女の目尻には涙が浮かんでいた。
「あ、あの……し、失礼しますっ!」
彼女は涙を袖で拭い、脱兎のごとく走り去っていった。
俺は馬鹿だ……。
調子に乗って少し優しくすれば、相手の心を掴めると思ったのか。過去に何度も失敗してきたのに、学習しない奴だ。
俺は罪悪感に苛まれた。
ゲームの中のアミリアは、王子たちとのキスシーンを何度も受け入れていた。だが、俺とのキスには涙を見せて拒絶反応を示した。
俺が彼女を助けても、彼女の心は俺には向いていないのかもしれない。
やはり俺には荷が重かったか。
「終わったら謝りに行かないとな。俺たちには縁がなかったんだ」
アミリアが俺を好きじゃなくても、彼女を責めるつもりはない。感情は強制できるものじゃない。人は自分にとって最良の相手を選ぶものだ。俺が彼女にふさわしくなかっただけのこと。
結婚まで考えていたが、早々に諦めるしかないようだ。
***
闘技場は超満員だった。観客席はすぐに埋まり、立ち見が出るほどだ。歓声が絶え間なく響いている。王家と公爵家の跡取りたちが激突するという前代未聞の決闘だ。注目されないはずがない。
生徒だけでなく、各貴族家の代表者たちも観戦に訪れていた。今日の勝敗が、今後の派閥争いに影響すると見ているのだろう。
俺が入場すると、罵声が浴びせられた。
「ファザート! 死んじまえ!」
「負け犬め! その魚みたいな面見せんな!」
「調子に乗るなよ!!」
彼らが必死になって俺を傷つけようと言葉を選んでいるのが、かえって滑稽だった。
「……」
俺はアンジェラが待つ場所へと歩いた。反対側では、王子たちのグループがアリスとイチャついており、決闘など眼中にないといった様子だ。
アンジェラは俺を見つけるなり駆け寄ってきた。
「ちょっと! 何その格好? 鎧はどうしたの? ダンスパーティーにでも行くつもり? ……まさか、剣一本で戦う気じゃないでしょうね!? 自信があるから任せておけって言ったくせに、結局あんた馬鹿だったの?」
観客たちも俺の軽装を見て大笑いした。
「ギャハハハ! あいつ、演劇でもしに来たのか?」
「さすが田舎貴族、まともな鎧も買えないのかよ」
「あれは何だ? 剣一本? 魔法で戦うんじゃなかったのかよ」
嘲笑の嵐の中、俺は薄く笑った。
「まあまあ、アンジェラ様……。良い装備がないと勝てないなんてこと、ありませんよ」
俺の言葉に、アンジェラは憤慨した。
「あんたねえ! 決闘とはいえ、斬られれば痛いのよ! 八つ裂きにされても知らないからね!」
俺は彼女の肩をポンと叩き、フィールドへと向かった。
「あなたはただの観客です……。黙って見ていてください」
実戦経験豊富な者にとって、装備の差など些細な問題だ。重要なのは戦略と対応力。特に、騎士と比べれば児戯に等しい王子たちが相手なら尚更だ。
王子たちは全身を煌びやかな鎧で固めていた。見た目は立派だが、実用性は傭兵の安物鎧と大差ない。
アンジェラは心配そうに俺を見送り、挑戦者側のベンチに座った。
そこへ、アミリアが不思議そうな顔をして座った。
「どうしてみんな、アランさんを笑っているんですか?」
アンジェラは平民であるアミリアが隣に来たことに少し驚いたが、今は身分を気にしている場合ではない。まともに話せるのはアミリアとアランだけなのだから。
「特待生? ……彼の格好を見てみなさいよ。あんな服で剣を防げると思う? 一体どこからあの自信が湧いてくるのかしら」
「アランさんは強いですよ……。装備よりも経験と戦略が大事だって、アランさんが言ってました」
アンジェラは頭を抱えた。
「だからこそ問題なのよ……。彼らは帝国の精鋭から英才教育を受けたエリート中のエリートなの。全員が上級職に近い実力を持っているのよ」
生まれ持った才能に加え、最高の環境で鍛え上げられた六人。
しかしアミリアは譲らなかった。
「でも、アランさんは本当に強いんです」
アンジェラは話が通じないと諦めたようだった。
「……ところで、ファザートのお姉さんは来ないの?」
アミリアは少し考えてから答えた。
「アランさんに頼まれて、手紙を届けに行ったそうです……」
「手紙?」
アンジェラは首をかしげた。
***
決闘に厳密なルールはない。双方が合意すればそれで成立する。実力差を考慮したハンデなどもない。
俺は王子たちが待ち受けるフィールドへと足を踏み入れた。
ヘンリーは真紅の鎧を纏い、装飾過多な剣を抜いた。
「逃げずに来た勇気だけは認めてやろう」
俺は彼らと一定の距離を保って立ち止まった。
六人はそれぞれ異なる武器を構えている。ヘンリーは剣。他のメンバーも槍や杖など様々だ。
紫色の薄い鎧にマントを羽織ったダヴィンスが、杖を構えて前に出た。
「ハハハ! 見ろよあいつ、鎧も買えないのか」
ダヴィンスの言葉に、再び観客席から笑いが起こる。
俺は無視して、反対側のベンチに座るアリスを見やった。
彼女の顔は不安でいっぱいだった。思い通りにいかない展開に焦っているのだろう。
青い鎧に身を包み、槍を手にしたグランが前に出た。
「これじゃあイジメだな。俺一人で片付けてやるよ」
白い鎧を着て魔法剣を構えたジュリアスが同意した。
「殿下の名誉を傷つけないようにな。死にはしないが痛みはある。弱い者いじめだと言われないように手加減してやれ」
グランは手を挙げて応え、槍を回しながら歩み寄ってきた。
彼は俺を全く恐れていない。以前と比べれば、こんな戦いは子供の喧嘩にもならない。
だが、相手を侮ることこそが最大の弱点だ。
俺は刀の柄と鞘に手をかけ、呼吸を整えた。
グランが間合いに入り、足を止める。
「まだやる気か? 売名行為も命がけだな」
俺は瞬きもせず、無表情で彼を見据えた。
「……」
親指で鍔を押し上げ、鯉口を切る。淡い金色のオーラが刀身から溢れ出す。
次の瞬間、俺は地面を蹴り、弾丸のように飛び出した。
「なっ!!?」
グランが慌てて槍を上げようとしたが、俺の速度には追いつけなかった。
一秒も経たないうちに俺はグランの背後に回り込み、すでに刀を鞘に納めていた。
グランは何が起きたのか理解する間もなく、脇腹から鮮血を噴き出して崩れ落ちた。鎧ごと深々と斬り裂かれていた。
ショックで気絶したのか、あるいは痛みで意識を失ったのか。いずれにせよ、彼はもう戦えない。
闘技場が静まり返った。やがて、ざわめきが広がり始める。
「……今、何が起きた?」
「ぜ、全然見えなかった……。雷みたいな光が走ったと思ったら、グラン様が倒れてたぞ」
「あいつ、何か卑怯な手を使ったんじゃないか?」
観客たちは困惑している。
ここが魔法闘技場でなければ、グランは間違いなく死んでいた。ダメージを無効化するルールのおかげで命拾いしたのだ。
これなら、彼らも少しは本気で戦う気になるだろう。




