第17章 決闘前夜
あの騒動の後、俺はシリア姉さんからこっぴどく叱られた。それだけでなく、寮に戻るなり管理人から荷物を放り出されてしまった。王子たちと揉め事を起こした俺を置いておくのが怖くなったらしい。
仕方なく、俺は学院の敷地外にある安アパートを借りることにした。
ダニエルとラモンドは面と向かって何も言わなかったが、俺のことを本気で心配してくれているのが伝わってきた。一方で、他の生徒たちからの風当たりは以前の数倍にもなり、露骨な侮辱や陰湿な嫌がらせが日常茶飯事となった。
俺は学院から五百メートルほど離れた、三メートル四方の狭い部屋にある煎餅布団に寝転がっていた。
「こんな時にのんきに寝てる場合? どうするつもりなのよ」
シリア姉さんがベッドの横に立ち、俺の耳元で囁くように言った。その隣にはアミリアもいて、心配そうな顔をしている。
「……考えはあるよ」
俺が適当に答えると、姉さんは不満げな顔を近づけてきた。
「ふん……その自信はどこから来るのよ。あんた、魔法も使えないくせに。剣だけで勝つつもり? 相手には聖騎士の称号を持つ男もいるのよ」
彼女に睨まれ、俺は渋々起き上がった。
魔法を使うには、体内のマナを魔力に変換する必要がある。体が強くなればマナの量も増えるのが一般的だ。
だが、俺の体にはマナが一切ない。つまり、魔法は使えない。これは黒髪の民の特性であり、その代償として人並み外れた身体能力を持っているのだが、姉さんはそれを知らない。
「心配ないよ。その辺の事情は分かってる。それとも姉さん、俺が功績を捏造したっていう噂を信じてるのか?」
姉さんは言葉に詰まった。彼女にとって、俺の実力は未知数なのだ。
「でも、どうして家の紋章が金色なの? 実家からの手紙で多少のことは聞いてたけど、五大貴族と肩を並べるほど発展したなんて聞いてないわよ」
姉さんは頬を膨らませて拗ねている。俺がイファン領の現状を詳しく話さなかったのが不満らしい。
その時、ドアをノックする音がした。ダニエルたちが来たのかと思ったが、姉さんがドアを開けると、そこに立っていたのはアンジェラだった。
「……」
部屋の空気が一瞬で重くなった。
俺はシリア姉さんとアミリアに席を外してもらい、アンジェラと二人きりで話すことにした。
「ファザート……。決闘を辞退して」
彼女は沈んだ声で言った。やはり、これを言いに来たか。
「今ならまだ間に合うわ。恥をかくことにはなるけど、大きな罰は受けずに済むはずよ」
彼女は俺から視線を逸らして言った。
自分の破滅を悟り、無関係な俺を巻き込まないようにしようとしているのだ。
アンジェラは力なく微笑んだ。
「あなたが私の代理人を続けても、あなたの人生まで終わってしまう……。私はもう後戻りできないけど、あなたは無関係だわ。お願いだから手を引いて」
彼女の声は震えていた。もはや八方塞がりだ。家族にさえ見捨てられたのだろう。
俺は少し苛立った。
「ご家族に相談は?」
彼女は首を横に振り、自分を抱きしめるように腕を組んだ。
「……勘当されたわ。当主である父上は減刑を嘆願してくれたけど、他の長老たちが許さなかった。王家や五大貴族と敵対するのは愚かだと。あの女が殿下を騙しているのは明らかなのに、私は何もできない。長老たちは、私に大人しくしていろと言うだけ。決闘が終われば、一族会議で処分が決まるわ……私の処分が」
彼女は自分の末路を理解しながらも、逃げようとはしない。待っているのは孤独な地獄だ。
俺と彼女は親しくないが、これはあまりにも不条理だ。自分の名誉を守ろうとしただけで、こんな仕打ちを受けるなんて。
もし俺がここで引けば、彼女は即座に処刑されるかもしれない。
「僕が売名のために代理人になったと思ってるんですか?」
アンジェラは驚いたように顔を上げた。
「じゃあ、どうしてあんなことをしたの? 馬鹿なの? 自殺願望でもあるの? 六人を相手に勝てるわけないじゃない。殿下に剣を向ければ、帝国全土を敵に回すことになるのよ。そんなことも分からないの!?」
必死にまくし立てる彼女を見て、俺は思わず笑ってしまった。
「高位貴族の方々は、男爵なんて皆そんなものだと思ってるんですね」
「誤魔化さないで。あなただって、女子生徒にいい顔をしてモテたかっただけでしょう?」
「そんなことには興味ありませんよ。ただ……気に入らなかっただけです。あなたも、王子たちも。まあ、僕にも譲れない信念があるってことです」
「馬鹿みたい。そんなくだらない理由で命を懸けるなんて。自分が白馬の王子様にでもなったつもり? これは現実なのよ」
彼女の言葉にカチンときた俺は、思わず彼女の顎を掴んで顔を上げさせた。
「いいですか……。その『くだらない理由』が、今の僕を作ってるんです。それがなきゃ、僕はあなたを助けたりしなかった。侮辱するんじゃなくて、感謝してほしいくらいですね」
アンジェラはハッとして、申し訳なさそうに俯いた。
「ご、ごめんなさい……。あなたが強いのは知ってるけど、彼らだって弱くはないわ。六対一で勝てるはずがない。たとえ勝ったとしても、私たちは帝国の敵として処罰されるだけよ。勘当された私には、もうあなたを守る力なんてないの」
彼女の声は消え入りそうだった。
「その件なら手は打ってあります。あなたはただ、観客席で証人として座っていてくれればいい」
「男爵家に何ができるっていうの? 相手は公爵家や侯爵家、しかも五大貴族よ。誰が私たちを助けてくれるの?」
「分かってますよ。何を言われても、僕は降りませんから」
アンジェラは諦めたようにため息をついた。
「分かったわ……。この恩をどうやって返せばいいのか……」
彼女は困ったように微笑んだ。
「じゃあ、こうしましょう。もし僕が勝ったら、夏休みに僕の領地へ遊びに来てください」
アンジェラは目を丸くした。
貴族の令嬢を領地に招くというのは、事実上の求婚に等しい。もちろん俺にそんなつもりはない。身分違いも甚だしいしな。
ただ、すべての問題が片付くまで、彼女には帰る家がない。王都にいれば命を狙われる危険もある。だから、ほとぼりが冷めるまでイファン領で保護しようと考えたのだ。
デジャヴだな。アミリアにも同じことを言った気がする。
「イファン領へ? ……それがあなたの望みなの? 分かったわ。あなたが勝ったら、あなたの街へ行くわ」
彼女は淡々と答えた。
俺が恩を売って公爵家とのコネを作ろうとしていると思っているのかもしれない。結果的にそうなるとしても、俺の動機は損得勘定ではない。
話が終わり、アンジェラが部屋を出ると、外で待っていたシリア姉さんとアミリアと鉢合わせした。
アミリアは普通だったが、姉さんはあまり良い顔をしていない。アンジェラは気まずそうに縮こまった。
「アンジェラ様、そんな顔をしなくてもいいわ。あなたには腹が立つけど、これは弟が決めたことだから」
アンジェラが驚いて顔を上げると、姉さんはふんっと鼻を鳴らし、優雅に顎を上げた。
「私はあなたの味方をするわ。弟が代理人を務める以上、負けるとは思えないし」
姉さんが手を差し出すと、アンジェラは戸惑いながらもその手を握り返した。
アンジェラは微かに微笑んだ。
「あなたはシリアさんね。弟さんのこと、ごめんなさい。そして、彼が代理人になってくれたこと、感謝します」
姉さんはそれほど怒っていないようだ。アミリアも後ろで嬉しそうにしている。
姉さんは男爵令嬢だが、学年トップの成績と圧倒的な美貌で、多くの高位貴族から求婚されている。その社会的地位は、爵位以上のものがある。
問題は、勝利した後に五大貴族の干渉を防ぐための後ろ盾だ。レダス公爵家を動かし、アンジェラを家に戻させる必要がある。
そろそろ、あの手紙を書く時か。




