第15章 悪役令嬢の孤独な戦い
善悪とは人々の主観に過ぎない。俺は幼い頃からそう教えられてきた。どちらも結局は、人々が自分たちの都合で決めるものだからだ。
前世でも、そしてこの世界に来てからも、俺は多くの差別を受けてきた。母はいつも「罵倒されても笑顔でいなさい」と言った。それは負けを認めることでも、侮辱を受け入れることでもない。ただ耐え忍ぶことが、生き抜くための知恵だった。
おかげで、この貴族学院での生活もなんとかやり過ごせている。嫌われ者としていじめられることにも、もう慣れてしまった。
今日は学期末のパーティーが王宮の大広間で開かれる。
生徒たちは朝から浮足立っていた。女子生徒たちは昼過ぎから着飾るのに余念がない。
俺が着るのは、実家から送ってもらった一着だけの正装だ。古着屋で買って気に入っていたロングコートを改造したもので、黒を基調とした制服に黒いネクタイ、そして独特なデザインの黒いコートを合わせている。少し派手で異様に見えるかもしれないが、辺境の貴族の間ではこういうスタイルが流行っているらしい。
男子生徒たちも気合が入っている。このパーティーは女子との距離を縮める絶好の機会だ。中には家財を売ってまでプレゼントを用意する者もいるが、その努力が報われることは稀だ。
なぜなら、女子のほとんどは、自分より地位が高いか、あるいは裕福な貴族との結婚しか眼中にないからだ。
「アランさん、少し変わった服装ですね……」
アミリアが俺の姿を見て目を丸くした。
彼女は先日買った純白のドレスを着ている。十六歳とは思えないほど発育の良い肢体が強調され、息を呑むほど美しい。ファンタジー世界だから成長が早いのか、それとも彼女が特別なのか。
「でも、アランさんによく似合っていますよ。……あっ」
彼女は近づいてきて、曲がっていた俺のネクタイを直してくれた。白い手袋をした手が器用に動く。
「あ、ありがとう」
俺はドギマギして視線を逸らした。こんなふうに美少女に世話を焼かれるなんて初めてだ。
アミリアも自分の大胆な行動に気づいたのか、顔を真っ赤にして俯いた。
俺たちは無言のまま会場へ向かった。
大広間にはすでに多くの生徒が集まり、優雅な音楽が流れる中で談笑していた。
「見てよあれ……」
「平民と黒髪男爵が、よくもまあパーティーに来られたものね」
「ふん、場違いもいいところだわ」
「気持ち悪い。同じ空気を吸っているだけで吐き気がする」
周囲から遠慮のない陰口が聞こえてくる。俺は慣れっこだが、アミリアの肩が震え始めた。彼女は蔑むような視線に耐えられず、床を見つめている。
俺は彼女の震える手をそっと握った。彼女は驚いて顔を上げた。目尻に涙が浮かんでいる。
「君には笑顔の方が似合うよ」
俺は微笑みかけ、手袋を外した手で彼女の涙を拭った。彼女は驚いたような顔をしたが、すぐに破顔した。
「ありがとうございます……アランさん」
アミリアは微笑み、俺の腕に手を回した。彼女は本来強い子だ。支えてくれる誰かがいれば、前を向くことができる。
俺も貴族の端くれだ。他家との交流は避けられない。ファザート家は領地経営や交易において他家の力を必要としていないが、孤立すれば格好の標的になる。だからこそ、男子生徒たちは必死になって女子生徒にアプローチし、コネを作ろうとするのだ。
ダニエルとラモンドも、このパーティーで男爵令嬢を見つけようと必死のようだ。俺がアミリアと一緒なのを見て、気まずそうに距離を置いた。
俺はしばらく辺りを見回し、イファン領に近い地域の田舎貴族たちを見つけて声をかけた。彼女たちはまだ相手が決まっていないはずだ。
「はあ? あんたみたいな男爵と知り合いになりたいわけ? 鏡を見てから出直してきなさいよ」
巻き髪のブロンド娘に鼻で笑われた。典型的な高慢ちきだ。
「身の程を知りなさいよ。その顔でよく話しかけられたものね」
肩までの茶髪の娘にも冷たくあしらわれた。
田舎貴族の俺が相手にされるのは難しい。ましてや黒髪となれば、門前払いも当然か。
さらに二、三人声をかけてみたが、結果は同じだった。
ふと視線を感じて振り返ると、セラフィナが冷ややかな目で俺を見ていた。
俺は思わず視線を逸らし、逃げるように別の方向へ歩き出した。彼女に話しかけても、どうせまたあの氷のような視線で軽蔑されるだけだ。男爵が伯爵令嬢に声をかけるなんて、身の程知らずもいいところだ。
だが、振り返ると彼女はまだ俺をじっと見ていた。無表情だが、その瞳には射殺さんばかりの力が宿っている。
「き、今日のセラフィナさんは、とてもお美しいですね……」
「……」
反応なし。表情一つ変えず、ただ冷たく見つめ返してくるだけだ。
完全に無視か。
「そ、それじゃあ、失礼します……」
「……あなたも」
「……」
俺は驚いて振り返ったが、彼女はすでに視線を外していた。
今の、返事してくれたのか?
俺は首を傾げながら、アミリアの元へ急いだ。
アミリアの周りが騒がしい。人だかりができている。
会場の空気が変わり、異様な雰囲気が漂っていた。
生徒たちが遠巻きに見守る中、中央で何かが起きている。
「どうしたんだ?」
「最初は普通に話していたんですけど……」
アミリアが小声で説明した。
人垣の中心には、六人の美男子に囲まれたアリスがいた。その先頭にはヘンリー王子が立っている。
対峙しているのはアンジェラだ。彼女は悲痛な叫びを上げていた。
「殿下! 私がしたことはすべて、殿下のためを思ってのことです!」
ヘンリーは冷たい表情で彼女を見下ろしている。
「君の言い訳はもう聞きたくない。黙ってくれ」
「どうしてですか!? あの女が本当は何者なのか、殿下もご存じのはずです! なのに、なぜ受け入れるのですか!?」
詳しい事情は分からないが、ヘンリーの冷徹な眼差しを見れば、彼がアンジェラを完全に見限っていることは明らかだった。
俺は見守るしかなかった。アミリアが補足する。
「……アンジェラ様は、アリスさんが殿下以外の方とも関係を持っているのを見て怒ったんです。でも殿下に報告したら、『別に構わない』と言われてしまって……それで矛先をアリスさんに向けたみたいです」
ヘンリーは、愛する女性なら何をしても許すタイプだ。たとえ他の男と寝ていようと気にしない。
とんだ寛容さだ。俺なら絶対に無理だ。たとえ相手がアミリアでも許せるかどうか。だがヘンリーは、自分の「所有物」に対して独自の価値観を持っているらしい。
アリスはアミリアと同じ純白のドレスを着て、王子の背後に隠れている。か弱さを演出し、守られるヒロインになりきっている。
一方のアンジェラは、真紅のドレスに濃いめのメイクで、いかにも「悪役」といった風情だ。
アリスの周りには彼女を守る六人の騎士がいるが、アンジェラには誰もいない。たった一人だ。
ジュリアスが一歩前に出た。
「見ろよ、レダス家の令嬢も落ちぶれたものだな。誰も彼女の味方をしない。あんな性悪女、誰も近づきたくないってことさ」
アンジェラが周囲を見回すと、かつての取り巻きたちは一斉に背を向けた。
彼女を嫌っていた他の生徒たちは、ざまぁみろと言わんばかりに嘲笑を浮かべている。
「あなたたち、あの女が裏で何をしているか知らないの!? 全員を手玉に取っているのよ!」
アンジェラがアリスを指差して叫ぶが、彼らは動じない。
「知っていますよ」
クラウンが涼しい顔で言った。
彼は普段無表情で冷徹だが、アリスを見て一瞬だけ優しく微笑んだ。そのギャップに、周囲の女子生徒たちが黄色い声を上げる。
「彼女は僕を悩みから救ってくれた。だから僕が彼女を守るのは当然のことです」
まるで台本があるかのように、彼らは次々と愛の言葉を口にする。俺は既視感を覚えた。これはゲームのイベントシーンそのままだ。
茶髪のグランが前に出る。
「御託はいい……好きだと言えば済む話だろ」
緑髪のダヴィンスが腕を組み、顎をさすりながらニヤリと笑う。
「その通り。アリスは僕が出会った中で一番可愛い女の子だ。僕が一番彼女を愛していると断言できる」
アンジェラは言葉を失い、小刻みに震えているヘンリーを見た。
「違うよ、ダヴィンス。アリスを一番愛しているのは僕だ」
ヘンリーの言葉に、会場の女子生徒たちが静まり返り、次の瞬間、悲鳴のような歓声が上がった。
「聞いた!? 今の!」
「キャーッ! 王子様に言われたい!」
「羨ましい……でも、あの女の顔見た? いい気味だわ」
アンジェラは嘲笑の的となり、かつての部下たちからも見捨てられた。彼女は拳を握りしめ、視線を落とした。
「……殿下は、本気でそうおっしゃっているのですか?」
ヘンリーは冷ややかに彼女を見下ろした。
「僕にとって、アリスは代わりのいない女性だ。彼女に対する君の態度は許し難い」
アンジェラの取り巻きだった令嬢たちが、クスクスと笑う。
「今のって、婚約破棄宣言よね?」
「あの女もこれで終わりね」
彼女の立場は急速に悪化していく。侮蔑と嘲笑の嵐。
仕方がない。これは定められた運命だ。
……本当にそうか?
「……アランさん?」
アミリアが俺を見上げる。
アンジェラは何かを決意したように顔を上げたが、その瞳には光がなく、虚ろだった。心が壊れてしまったかのように、内側の空虚さが伝わってくる。
彼女が右手を掲げると、掌から黄金の光が放たれた。
それは彼女の家門の紋章だった。
「殿下をたぶらかした魔女よ……我が家門の名誉にかけて、決闘を申し込むわ!」
決闘の申し込みだ。
相手が紋章を顕現させれば、それは決闘の受諾を意味する。




