学び取るお姫様
エーファはため息をついた。
「ぐごーぐごー」
そして、目の前にいる人物の間抜けないびきを聞いて、またため息をつく羽目になる。
彼の元に着いたのは約一日前。着いたその瞬間からみっちり勉強させられている。
時間を遡って一日前。魔法使いの魔法陣によって、彼の元に連れられて来た。何でも、彼の住まいは異次元に作られていて、魔法でしか来られないそうだ。
そう説明すると、魔法使いは「終わったら、迎えに来るからの」と言い残して、去って行った。
知識がとてつもなく多く、その量は彼女を凌いでいるというのが彼らしい。なので、彼は「大賢者」と言われている。
年齢は不詳だが、エーファは大体魔法使いと同じ位だと考えた。老人とは思えない程、背筋が真っ直ぐだが、髪は全部白く染まっていて、少し曇っているが引き込まれそうな蒼い瞳を持っている。それが彼だ。
着いた時「だけ」はお茶を入れたりして親切にしてくれたが、いざ勉強が始まると、彼はスパルタ教育を施した。
エーファはそれにくじけず、教えられたこと全部をすらすらと覚えて行った。
それを見て、彼が教えがいのある人物が久々に現れたものだと関心し、どこか満足そうに色々なことをもっと詳しく教え込んだ。
その時、彼がこう言った。
「さすが、ミィーヌランジェの弟子だけあるのぉ……。 まぁ、裏を返せば、わしの教育に着いて来れるのはミィーヌの弟子ぐらいしかいないだろうがなぁ」
エーファはその言葉を聞いて、びくりと体を震わせた。それ自体に反応したのではない。「ミィーヌランジェ」という名前に反応したのだ。
その名前は彼女が「おばば」と親しんでいる魔法使いの本名だった。中々他人に名前を明かすことがないと本人が言うのを彼女は聞いた。しかも、明かしても、大体の人に「ランジェ」と呼ばせているらしく、「ミィーヌ」と呼ぶのを許しているのはピアート王国の王族、家族、そして――――。
「あの、改めて聞きますけど、あなたは……?」
その時はまだ、大賢者と呼ばれていることしか知らなかったエーファは、躊躇いつつもそう聞いた。
「お? ふむ、そうじゃなぁ。 お前さんのことをわしはたくさん聞いたが、こちらのことはあまり話しておらんからのぉ。 それは『不公平』というものだ。 そうじゃろ、えぇ? ……さて、と。 改めて名乗らせてもらおう。 わしの名前はアーグレンニィム、ミィーヌの夫であり、大賢者じゃ。 呼び方はんー……そうじゃの、グレンと呼べばいい。 以後、よろしくのぉ」
その時以来、エーファは彼のことをグレン師と呼んでいる。
「ごぉーごぉー」
グレンのいびきが激しくなり、エーファは我に返る。
「……それにしても」
魔法使い――――ミィーヌの夫が「この人」だなんてとても信じられないと、彼女は思っていた。
大賢者とだけあって、確かにすごい人物ではある。けれど、その割には少し――――いや、大分「抜けている」のだ。
「……もっとすごい人かと思ったのに」
実を言うと、エーファはグレンのことをミィーヌから聞いていたのだ。
頬をほんのり赤らめながら、尊敬と深い愛情を含んだ声で、彼女が夫のことを話していた。その時だけは若々しい様子を見せていたので、エーファはとても賢い上に格好良くて、きっと威厳のあるような、素敵な人なんだと想像していたのだ。
目の前のこの人はというと、確かに威厳はあるものの、どこにいてもおかしくないような極々普通の老人に見えて、「大賢者」なる人物には思えなかった。時々ボケたりしたりするので本当に普通に見えるのだ。
「へっぶしゅ!」
目の前で考えられていたせいなのか、グレンが奇妙なくしゃみを一つすると、惚うけつつも目を覚ます。
「む? 知らぬ間にわしは眠っていたのか? ……年になるとこれだから困るわい」
そして、ぶつぶつと独りごちた後、欠伸も一つして、焦点の合っていない目でエーファをまじまじと見つめた。
「これ、何をサボっておる! さっさと続きをせんか! 罰として、試験じゃ試験!」
少し経つと焦点がようやく合ったようで、表情を眠たげなものから憤怒へと変化させ、早速、エーファを怒鳴りつける。
「……はぁい」
彼女は嫌々、返事をすると課題を出されるのを待った。
地図を机の上に広げながら、グレンがその姿を咎めるように彼女を睨んだ。ふと、そのやる気を出すのに良い方法が見付かったと言わんばかりに、表情をぱっと明るくした。にやりと笑うと、そっとつぶやく。
「――教えてやろう」
そのつぶやきはちゃんと耳に届いていて、エーファは彼の方をじっと見つめて、首を傾げる。
「何を……ですか?」
引っ掛かったというように、一層にやりと笑った後に、グレンが彼女を手招きした。
「もちろん、彼――――王子のことじゃよ。 彼がどこに行ったのか、そして、何を求めているのか、この試験で健闘した暁に教えてやろう」
はっと息をのみ、エーファはすぐさま、地図が広げられた机の前の椅子に座り、グレンをまじまじと見つめた。
満足したようにうなずくと、グレンが課題を言い渡した。
「では、抜き打ちの復習試験を開始しよう。 その真っ白な地図にそれぞれの国名をできるだけ書くんじゃ、名もなき大地を除いてな――――それが試験じゃ。 まず、この大陸に注目してくれ」
最後にそう言って、地図の中で一番大きな大陸を指差す。その大陸には三つの境界線が太く描かれていた。
ちなみに、名もなき大地とは地図の一番端にあり、その大陸の近くに存在している、小さな島のことだ。その呼び名が示す通り、そこについて、何があるかとか、人がいるのかなどという詳しいことは誰一人知らなかった。
「この大陸の名前とそれぞれの境界に分かれている郡の名前を言ってもらおう」
「セントリア大陸」
エーファは即座にその答えを口に出す。
そこは彼女が言った通り、セントリア大陸といい、いくつかの大国と小国の集まりを「郡」と呼んでいたのだ。
グレンが正解だとうなずき、大陸の真ん中にある郡を指差した。
「サーディ郡」
すぐさま、エーファは答えを口に出す。
うなずき、グレンが今度は真ん中にある郡――――サーディ郡の右隣にある郡を指差した。
「リューティ郡」
そして、またうなずき、次はその左隣の郡を指差す。
「イレント郡」
エーファの答えを聞き、彼が満足そうに微笑むと、彼女にペンを差し出した。
「よくやった、全て正解じゃ! ……さて。 前置きが終わった所で試験開始じゃ!」
エーファはそれを受け取り、地図をじっと見つめる。セントリア陸地には触れたものの、他の島々や大陸は触れなかったので、彼女は自ら復習を始めた。
まず、北にある陸地を見つめる。そこは年中、雪に覆われていることから、さながら「雪の大地」と呼ばれていた。そこにある国は全部合わせて四ヵ国だ。その内、ノイターとブティが小国、クユーツとミンティエラは大国だった。
彼女はそれぞれを正しい位置に書くと、次は西にある陸地を見つめた。
野原を多く持つそこは、何もかもが荒れ果てていることから、西の荒野と呼ばれている。そこにある国はヴェノ、グライーヴァ、イルタス、ヴァレンシアで、ヴェノ以外は全部大国だ。
そこのことを教わった時、グレンが言っていたのだが、魔王がそこにいるという噂が広がっているらしい。そして、それを後押しするように、エーファが閉じ込められていた塔はヴェノにあったので、その噂は本当に違いないとゲイルが話していた。
そんなことを思い出しながら、エーファはまた、それぞれの国を正しい位置に書き込んだ。そして、今度は南にある五つの島を見つめた。
その島々はどこか形が太陽に似ていることから南の太陽と呼ばれている。小国のトサンを囲んで、大国のシェリミア、ファーウェイル、キリュマ、ラシャがある。
エーファはまたそれぞれの国を正しい位置に書き、最後にセントリア大陸に取り掛かり、まずは真ん中にあるサーディ郡に注目する。
サーディ郡にあるのは小国にカイヲとマナリュ、大国にエクリプスとクリエイドだ。中には学問が優秀だったり、魔法がすば抜けて使えたりする国がある。
また同じ作業を繰り返すと、今度はイレント郡を見た。
比較的平和で住みやすいと周りから評価されているそこには、小国のニロップとロムボ、大国のリュホーヌ、スフィム、ナティアが位置していた。
正しい位置を書き終え、エーファは最後にリューティ郡を見つめる。
そこには権力の強い国が集まっている。スキューニ、コーフェ、ロレングは小国ながらも権力を持っていて、大国のポシェル、バレンチィーネ、ニルチフ、ピアートも絶大な権力を振るっていた。
全ての国の位置を書き終え、エーファは息をつく。そして、これだけのことをよく短期間で覚えたものだと、自分で関心した。
「ん、終わったのかね? どれ、見せてみなさい」
彼女の様子を見て、そう言うと、グレンが地図を手に取ると、彼女の答えを確認し始める。
数分後、地図から目を離し、エーファの前に腰掛けると、グレンが満足そうにうなずいた。
「完璧じゃ! よくやった……本当によくやったぞ! 王子のことを約束通り教えてやろう」
エーファはぱっと顔を上げ、話を一言も聞き漏らすまいというように真剣な面持ちで、彼をじっと見つめる。
「彼はのぉ、魔王を倒せるかもしれないという剣を探しに行っておる。 その剣は名もなき大地にあって、中々見付けられないという場所にあるらしい。 ……実は、その剣のことを教えたのは他でもない、わしなんじゃよ」
どこかばつの悪そうな顔をして、グレンがそう語った。
「父親の罪に気付き、罪悪感を感じた彼は、お前を魔王から救おうと必死になっていた。 そんな彼を見かねて、わしは剣のことを教えたんじゃよ。 そのことを聞くなり、彼はすぐに名もなき大地に旅立ってしまったんじゃ。 ――まだ、一番重要な話が残っていたというのに」
「それはどんな……?」
エーファは固唾を飲むと、そう尋ねた。
「その剣はのぉ……『片割れ』でしかなくて、一つでは真の力を発揮することができないんじゃ。 それと対になる剣が名もなき大地に眠っておる。 二つで一つの剣……それが――――」
「私が探しに行きます!」
グレンが最後まで言い終わらない内に、エーファは勢いよく立ち上がり、叫んだ。
彼はというと、驚いたようにしばらく口をパクパクさせた後、「じゃ……じゃがの」とやっとの思いで話し始めた。
「対の剣には一つ難癖があるんじゃよ。 王子が探しに行った剣の方は水晶に刺さっていて抜くのが難しいが、手に入れた者なら誰でもその力を貸すという――――もちろん、対の剣があればの話じゃが。 だがの、お前さんが探しに行くと言った方は、手に入れるの『だけ』は簡単じゃが、剣が認めない限り、その力を発揮しない……らしいぞ!」
「そんなこと、構いません!」
反対する彼に、エーファはまた叫んで、反論する。
「もう魔王に対峙するって決めたんです! それに、おばばに道具のことだって教えてもらったし、その対の剣を探すのだって、それと同じことです! 認めてもらうのは……何とかします! だからっ!」
エーファは必死になって、そう訴え、グレンを真剣な眼差しでじっと見つめた。
それに応えるように、彼も彼女の視線を受け止め、探るようにその瞳を見つめ返す。
「……分かった。 そこまで言うなら、探してみなさい」
そして、苦笑しながら、折れたようにそう言った。
「はいっ!」
エーファは心底満足そうにそう答えると微笑んだ。
「さて……と、そろそろ勉学に戻るとするか!」
そして、そんなグレンの一言にも、嫌そうな素振りを見せずにうなずくと、一生懸命に彼の教育を受けたのだった。
その間に、エーファは勉学が終わったら、すぐに名もなき大地に旅立つことを決め、数日後に必要なことを覚え終え、実際にそこへ向かうことになる。