一息つけないお姫様
ふと、エーファは目を瞬いた。どうやら、いつの間にか眠っていたらしい。
ゲイルの背中に乗り、ピアート王国に旅立ってから、三日経っている。
その内の一日だけ、ゲイルが老夫婦の家に降り、エーファをゆっくり休ませてくれた。彼らとはどういうわけか、知り合いらしい。
そのおかげで、彼女は体の痛みなどを起こさずに済んだのだが、疲れだけは貯まっていた。
それで時々、無意識のうちに眠ってしまうことがよくあったのだ。
今ではしっかりとつかまっていなくても、安全に乗れるようになった、エーファは欠伸を一つした後、背伸びして、目を擦るとゲイルの背中を優しく撫でた。
意外にも、彼は撫でられたりするのが好きらしく、時々笑ったりしているので、何かあるごとに必ず、乗せてもらったお礼がてらそうしていたのだ。
「ゲイル、あとどの位?」
そう言いながら、エーファは随分と遠い所に幽閉されていたものだとしみじみ実感した。
「もう着くぞ」
早口に答えたゲイルが下を向き、飛び始めた。そうすることで、人のいない場所を見付け、混乱を招かないようにしていたのだ。
そして、数分後。彼が、ピアート王国の入り口である、白い大門の少し前に降り立った。
「あれ……」
彼の背中から降りながら、エーファは違和感を感じていた。
何だか、様子がおかしい。王国がいつもより静かだったし、大門周辺は人で賑わっているはずなのに……。
突然、エーファは走り出した。そして、門をくぐり、王国の中に入る。
「……っ!」
その瞬間、彼女はその目で恐ろしいモノを見て、思わず、顔を背けてしまった。
「こんなことって……」
そこはあの時――――彼女がさらわれてしまった時から、「時間」が止まってしまっていた。つまり、王国中の人々が石にされていたのだ。
あまりの恐怖に、エーファは震え、その場に座り込んでしまった。
すぐに、彼女は「それ」が魔王の仕業だと思い付く。
そのすぐ後に、エーファは胸の中に二つの感情が込み上がって来たのが分かった。
愛する王国の民を石にされた怒り。そして、そんなことを簡単にやってのけてしまう魔王への恐怖。
そのどちらの感情も彼女には抑えることができなかった。
「……エーファ姫!」
耳元で声がしたので、彼女は振り返ると、そこにはいつの間にかユタがいた。
……よくよく思い出してみれば、一緒に着いて来るかを聞いていなかった上、彼をあの塔に放ってきたのだ。
どうやって来たのかは知らないが、ユタには着いて来る意思があって、ここまで来たのだろう。けれど、そのことに怒っているのか、若干頬が引きつっている。
「大丈夫?」
それよりも、エーファのことを心配する方が大事だと思ったようだった。
彼女は首を振ると、無理矢理に立ち上がって、城へと歩き出す。
何も言わず、ユタがその後に続いた。
城でも、やはり「時間」は止まっている。
「サルーナ……」
次々と溢れ出る涙を止められず、エーファはその場に崩れ落ちると、ついには声を上げて泣いた。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ゴメンナサイ…………。彼女の胸はその言葉でいっぱいだった。
全部、自分のせいだ。王国の人々も両親もサルーナも皆、魔王が自分をさらいにさえ来なければ、こんな姿にはならなかったはずなのに。
「エーファ姫、大丈夫……?」
ユタが心配そうに声を掛けて来る。
大丈夫ではないし、涙も止まらない。そう思ったが、エーファは何も言わず、立ち上がって、庭に歩いて行く。
王子様が来なかったのはきっと、皆と同じように石になったからに違いない。彼女はそう考えて、見るのはつらいが彼の元に行くことにしたのだ。
黙って、ユタも着いて来る。心配なのか、彼女の隣を飛んでいた。
すぐに庭へ着き、噴水まで歩いて行ったのたが――――。
「な……んでっ?」
そこに王子様の姿は見当たらなかった。
なぜ、王子様はここにいないのだろうか?もしも、石化していないのだとしたら、彼はどこに行ったというのだろう?
その疑問の答えを考えている内に、エーファは泣き止んだ。だが、いくら考えても、その答えは見付からない。
「おやおや。 姫様が妖精とドラゴンを連れてお帰りかい?」
突然、どこかから、しわがれた女性の声が聞こえて来た。
はっと顔を上げて、エーファは緊張した表情で辺りを見回す。
ガサガサという音が近くの茂みから聞こえたかと思うと、そこから、頭が全部真っ白で、漆黒の瞳を持つ女性の老人が現れた。手には小さな蒼い宝石のちりばめた杖が握られている。
「おばば!」
老人を見た瞬間、エーファは嬉しそうに声を上げて、飛び付くように抱きついた。
「元気そうじゃの、エーファ」
老人が器用に彼女を受け止めると髪を優しく撫でて、くつくつと笑う。
「さすが、おばばね! やっぱり、この国自慢の魔法使いだもんね!」
その老人の女性はピアート王国一の魔法使いだった。元々、彼女の家系が魔法使いのもので、先祖代々、王族に仕えているのだ。
彼女は「賢者」とも呼ばれていて、知らないことはほとんどないし、魔法以外に武器もほとんど使えないものはなかった。
エーファも彼女から、弓を教わったのだ。それで、彼女をとても気に入っていて、「おばば」と呼んで慕っている。
「で、おばば、どうして王子様がいないか……知ってる?」
魔法使いがふっと笑って、「答えは簡単さ」と肩を小さくすくめてみせた。
「私が彼に石化よけのものをあげたから、いないんだよ。 魔王が去るとすぐにどこかへ行ってしまったようだよ。 エーファ、良い事を教えたげようか?」
色々考える事があるなと思いつつ、エーファはこっくりとうなずく。
「実はねぇ、彼は舞踏会の少し前にやって来て、石化よけのものをくれって自分から頼みに来たんだよ。 まるで、あの日のことを“知っていた”ような口ぶりだったねぇ……」
意味ありげに、魔法使いがにやりと笑いながら、そう言い放つ。
「え……」
その様子も訝しく思えたが、エーファは彼女の言葉の方が気に掛った。
「知っていた」とはどういうことなのだろう?いや、まだ決まった訳でもないが…………。
自分がさらわれた理由には何か、「裏」があるのかもしれない。
エーファは無意識にうつむいて、考えているといつの間にか、隣に来ていた魔法使いに肩をぽんと叩かれた。
「今、考えるのはおよし。 何か知りたいのなら、彼の故郷に行ってみるといい。 けどねぇ……そのままで行くのは危ないから、良いモノをあげよう。 着いておいで」
そう言って、魔法使いが元来た茂みの中に入って行く。
少し躊躇した後、エーファはゲイルに伝言するよう、ユタに頼んだ後、茂みの中に入って行った。
そこには蒼く光る魔法陣が描かれていて、その真ん中で魔法使いが手招きしている。
エーファがそれに足を踏み入れると、彼女が地面に杖を強く叩きつけた。
すると、一瞬で景色が変わり、木だけで造られているものの、なぜか不思議な感じのする家の前に来ていた。
「うぇ……」
来たのは初めてではなく、そこが魔法使いの家だと知っている、エーファだが気持ち悪そうに座り込んだ。
彼女は瞬間移動(魔法使いのもの限定)が大の苦手だった。魔力が強すぎるせいか、体に影響が出てしまうらしい。
「相変わらずだねぇ」
呑気にそう言いながら、逆に楽しげな表情をしている魔法が彼女を抱き起こし、家の中まで歩かせた。
中はまたもや木造の丸いテーブルと二脚の椅子があり、隅の方に暖炉があり、そこに黒い大鍋が置かれている。
魔法使いがエーファを座らせた後、その反対側にあるクローゼットの元へ行くとそれを開けた。
「えぇと、どこだったかねぇ……」などとつぶやきながら、魔法使いが何かを探している姿を、エーファはテーブルに伏せて、じっと見つめていた。
数分後。
「あったあった」
魔法使いが弓と筒を両手に持って、クローゼット(その時には上半身が中に入っていた)から出て来た。
「エーファが修行していた時に作っていた弓矢だよ。 いつか必要になった時にあげようと思ってたんだけど、今がまさにその時みたいだねぇ……」
そして、エーファの前に来るとその二つを差し出す。
エーファは身を起こすと、じっとそれらを見つめた。
――ただの弓矢ではなさそうだ。弓は何の変哲もないように見えたが、どこか神々しかったし、筒の中に入っているであろう弓は、開けるまでもなく、普通とは違う矢だと分かる。
「おばば、これは……?」
エーファは手を伸ばしてみたものの、触ることができずにいた。……何だか触ってはいけないような気がしたのだ。
「その弓の土台はのぉ……とある場所にある『神木』なるもので作っておる。 弦と弓は腕の良い職人に作らせ、私が魔法で、弦には光、矢には決してなくなることのないものと、光、闇、火、水、風、地の属性を付加させたのじゃ」
すっと手を引っ込めると、エーファは弓矢から目をそらし、うつ向く。
「おばば、そんなすごいの……扱える自信がないわ」
弓矢をテーブルにそっと置いた魔法使いが、彼女を優しく抱き締めた。
「自信を持つのじゃ、エーファ。 どんな者にしか武器を作らないと、私は言った?」
しばらく黙っていたエーファだったが、ぼそりと答えをつぶやいた。
「……『資質』がある者」
魔法使いがこっくりとうなずき、また話し始める。
「そうじゃ。 お前にはその『資質』がある。 だから、その弓矢を使える。 私が保証しよう」
エーファは顔を上げると、まじまじと魔法使いの顔を見つめた。
その視線を受け止めるかのように、魔法使いも彼女をじっと見つめる。
「――分かったわ。 おばばを信じる」
満足そうに口元を歪めると、魔法使いが彼女から離れて、もう一度弓矢を差し出した。
エーファは恐る恐る、手を伸ばして、その弓矢をつかむ。
「…………ッ!」
その次の瞬間、エーファは声にならない叫びを上げた。弓矢から大きな力の奔流を感じたのだ。
一瞬、どうしていいのかと混乱したが、彼女はそっと目を閉じた。そして、その奔流――――力を受け止め、自分自身の中に吸収する。
しばらくして、彼女は手を伸ばすと弦に触れた。
――――キイィ……ン。
まるで、彼女と共鳴するかのように、普通ではあり得ない、高い音を弦が発する。
それを確認すると、エーファは目を開け、満足そうに微笑みながら、弓矢を撫でた。
「使えそうよ、おばば」
納得したというようにうなずくと、魔法使いも微笑む。
「さすが、私の弟子じゃ。 これで旅先何があっても大丈夫じゃな。 この弓矢で助からない時はいつでも私が力になろう」
エーファは早口に礼を言うと立ち上がり、外の方を見つめた。
「……行かなきゃ」
彼女の言葉を聞き、魔法使いが外に出て、一瞬にして魔法陣を描いた。
エーファも外に出て、魔法陣に入ると、来た時と同じように王国に着いた。
一瞬よろめくと、彼女は城を出て、ゲイルの元へ急いだ。見送りのため、魔法使いもその後に続く。
彼女の姿を見ると、ゲイルが乗れと言う代わりに、身を屈めた。
すぐさま、エーファは彼の背中に乗るとしっかりつかまって、魔法使いを見つめた。
「色々ありがとう、おばば」
何も言わず、魔法使いがゆっくりとうなずく。……心なしか、どこか複雑そうな表情を浮かべている。
「困った時は私の名前を呼ぶのじゃよ」
空高く、ゲイルが飛び上がった。それと同時に、エーファは大きく手を振る。
「本当にありがとう、おばば! ……ゲイル、次の行き先はナティア王国よ」
王子様の故郷の名前を告げると、彼女はもうかなり小さくなった魔法使いのを見つめた。
……今度はどこか不安そうな表情だ。何か言いたげだったが、口を固く閉ざしている様子が彼女には見えた。
魔法使いが何を伝えようとしているのか、エーファには少しも分からなかった。
けれど、やはり彼女の決心は揺らがない。何があっても、前に進んで行く。
見えるかどうかは分からなかったが、エーファは魔法使いに笑ってみせた――大丈夫だと言うように。
すると、それに気付いたのか、魔法使いがうなずくと口元を緩め、大きく手を振った。
手を振り返した後、エーファは魔法使いから目を離し、何も言わず、じっと前を見つめたのだった。