旅立つお姫様
「……でも、どこに行くのが一番いいかしら?」
決心した後すぐに、エーファは行き先に困ってしまった。
当然、魔王の真正面に行く……なんてのはなしだ。それなら、王子様の所がいいのだろうか?
ふと、彼女の頭にサルーナの姿が思い浮ぶ。
「やっぱり……帰るのが一番よね」
結局、故郷に帰ることにした。真実を見極めるなら、それからでも遅くはないだろう。
エーファは懐から、護身用ナイフを取り出すと、部屋の外に歩き出した。
ちなみに、その扉に鍵は掛っていなかった。恐らく、外の護りにドラゴンのゲイルがいたからだろう。
階段を降りて行きながら、エーファはナイフを見つめた。
彼女にそれでゲイルを傷つけようなんて気は少しもない。あくまで、「念のため」だった。
ゲイルの突破方法は「説得」だ。相手はドラゴンなのだから、今こそ、不思議な生物と話す能力の使い時だろう。
だから、ナイフは襲い掛られた時の対処法に過ぎないのだ。
もし、本格的に戦うなら――――。
「弓がないと絶対無理。 ナイフじゃ狙いが外れちゃうもの。 ……護身用だし、倒せるはずないわ」
実を言うと、エーファは弓の腕前がすば抜けていたのだ。
少なくとも、ピアート王国中の弓士は彼女に顔負けだった。
噂では、「狙った獲物は絶対外さない! その名は「疾風の姫君」などと二つ名が付いている……らしい。
だけど、その噂は本当で、狙いを定めた物なら何でも、絶対に射止めていて、その早さはまるで疾風のようだった。
およそ十五分後。
やっとの思いで、エーファは階段を降りきって、外に出る扉の前で立ち往生していた。
そこの鍵は掛っていたのだ。開けることもできず、エーファは困り果てていた。
――――エーファ姫。
ふと、彼女の頭の中に、鈴のようでいてかわいらしい声が響く。
その次の瞬間、蝶と同じくらいの大きさで、姿は小さな男の子と変わりない、黄緑の服を着た、栗色の髪の妖精が現れた。
エーファはその妖精を見た瞬間、ぱっと顔色を変えた。
「ユタ!」
その妖精――――ユタは時々、外の様子など色々なことを教えた、彼女の味方だった。
ちなみに、その度に親しくなっていたので、今ではすっかり彼女と大の仲良しだ。
「助けに来たよ! やっと決心が付いたんだね! しばらくはボクも手伝ってあげるよ! で……問題は鍵だよね」
ユタが優しく笑ってみせると、鍵穴まで飛んで行くと、その中を覗き込んだ。
エーファは「ありがとう」とお礼を述べ、彼の行動を静かに見守る。
ゲイルの姿を見たのか、「おっかねぇーっ!」と叫んだ後、彼が「なるほど……」とつぶやいた。
「これ……魔法で鍵が掛けてあって、簡単には開かないみたいだね。 ボクが開けてあげる」
ユタの言葉を聞いて、エーファは彼が心配になった。ずっと前に、妖精の魔法では魔王のそれに敵わず、解いたりしようとすれば、負担が掛ると、彼から聞いたからだ。
「大丈夫、だいじょーぶ♪ ちょっと体が痛むぐらいだけだし、平気だよ!」
振り返り、にっこりと笑ってみせると、ユタが手を鍵の前にかざす。
そして、「えいっ」と叫びながら、その手を淡く光らせ、降り下ろした。
――――ガチャッ……。
すると、開錠の音が聞こえ、一人でに扉が開いたのだ。
それと同時に、ユタがふらりと少しよろめいたので、エーファは彼を支えた。
「ユタ……ありがとう」
えへへと嬉しそうに笑うと、彼がすぐに体勢を建て直す。
それを確認した後、エーファは何も言わず、扉の向こうをじっと見つめる。
すぐ近くでゲイルが目を細めて、こちらを見据えていたが、彼女は深く気にしなかった。
ここから出れる、久しぶりに外へ行ける。そう思うと、本当に嬉しかった。
だけど、これから、どうなるか分からないし、何が起こるか分からない。
エーファは不安な上、なぜか、外に出ると後戻りできないような気がしていた。
それでも……旅立つ。もう決めたことなのだ、決心は絶対に覆さない。
深呼吸して、エーファは外へ歩いて行き、塔の外へ出て、「ゲイル」と呼び掛ける。
すると、ゲイルがそれに反応して、目の前に立ちはだかり、牙を向いた。
「姫よ、ここから逃げ出すつもりか」
そして、彼女が自分と話せると察した後、低い声でそう尋ねて来る。
今まで――――旅立つ前の彼女なら、彼に恐れおののいて、すぐに踵を返していたかもしれない。
たが、揺るぎない決心をした、エーファは怯まず、「ええ」とうなずいた。
「私を倒すつもりか」
また、ゲイルが質問をする。今度は翼を広げ、すぐに彼女を捕まえられるよう、両腕を構えた。
エーファは首を横に振ると、ナイフを引っ込める。
「いいえ、私はあなたと話がしたいのです。 あなたが襲わない限り、攻撃は……しません」
彼女の言葉を聞いて、ゲイルがあざ笑うかのように、目を細めると、一瞬にして、彼女を捕えた。
「話……だと? ふ……笑わせる。 それだけで逃げ出せると思っているのか、愚かな姫よ」
エーファは抵抗しなかった。……が、だんだんと彼女の表情に苛立ちが浮かぶ。
「エーファ姫!」
そんな彼女をかばおうと、ユタがゲイルに向かっていったのたが……相手にもされなかった。
「もー、社交辞令止める! あのね、人がせっかく丁寧に言ってんのに、何早速捕まえてんのよ! しかも、さりげなく、バカにしないでよ! 誰に言ってると思ってんのよ、一国のお姫様よ? そこ分かって、発言してる訳? おまけに、ユタを蚊扱いしないでよ! 早く離しなさい!」
それを見た、エーファは思わず、怒りを爆発させて、一気にまくし立てる。
そんな彼女に気圧されたのか、ゲイルがすぐに言うことを聞き、彼女を下ろした。
「そう、それでいいのよ! どうして、最初からそうしないのよ! もう乱暴なことはしないでよね、そうしたら、私も何もしないから」
エーファがそう叫んだ後に、「蚊扱い」されたユタが文句を言っていたが、彼女には何と言っているかがさっぱりだ。
意外にも、ゲイルがうなずきつつ、彼の文句を最初から最後まで聞くと、「すまなかった」と謝っていた。
そんな様子を見て、エーファは違和感を覚え、少し考える素振りを見せた。
何だか、ゲイルはそんなに悪いドラゴンではないような気がしたのだ。自分から魔王に仕えていないような…………。
気になったので、エーファは思い切って、聞いてみることにした。
「ねぇ……どうして、あなたは魔王に仕えてるの?」
その質問を聞いた途端、ゲイルがぴたりと動きを止め、彼女から目をそらす。
追求はせず、彼女は彼が答えてくれるのを静かに待った。話しにくいことかもしれない。
ため息をつき、首を振りながら、ゲイルが静かに告げた。自分から仕えていない……と。
「詳しく聞かせて」
彼の答えに戸惑いつつ、エーファはそう頼んだ。
すぐにゲイルがうなずくと、口を開いた。
「昔は仲間のドラゴンと暮らしていたのたが突然、魔法でここに召喚された。 魔王が目の前にいて、これからは命令に従えと言われた。 最初は反抗しようと思ったのたが、その力に畏怖してしまった。 それで、今、不本意ながらも仕えている」
彼の言葉を聞いて、申し訳ない気持ちになった、エーファは「ごめんなさい」と謝罪して、口を開く。
「それ、私のせいよね……ごめんなさい。 だけど、私、どうしても行って、確かめなくちゃいけないの。 だから、お願い……行かせて。 魔王にひどいことされるかもしれないけど…………」
目を細めつつ、ゲイルが探るようにして、彼女を見つめた。
それに応えるように、彼女も真剣な眼差しで彼を見つめ返した。まるで、その決心を見せつけるかのように。
「……いいだろう。 ただし、条件がある」
納得してうなずいてみせると、ゲイルがどこか満足そうに口元を緩める。
「私を連れて行け」
ゲイルの言葉を聞いて、思わず、エーファは大きく口を開いて、驚愕してしまった。
「え……待って、もう一回言ってもらえる?」
そして、あまりに信じ難かったのか、もう一度聞きなおして確認しようとする。
彼女の様子を見て、面白く思ったのだろうか、今度はどこか楽しそうに目を細めて、ゲイルがさっきよりも大きな声でそう言い放った。
……聞き間違えじゃない。確かに、彼は「連れて行け」と言った。でも、どうして、いきなりそんなことを言い出したのだろうか?
エーファはそう思って、「どうして?」と尋ねた。
「決まっている。 『気に入った』からだ」
それだけか……とエーファは拍子抜けしてしまったが、「気に入った」と言われて悪い気はしなかった。
それに、味方は多い方がいいだろうし、この取引(?)はゲイルにとって良いもののはずだ。
「よろしくお願いしますッ」
うなずいた、ゲイルが後ろを向くと翼を広げて、「乗れ」と言った。
エーファは恐る恐る、ゲイルの背中に乗った。……とても乗り心地がいい。
「どこへ行きたい?」
ゲイルがそう尋ねた。
行き先はとっくの昔に決まっている。もちろん――――。
「私の故郷、ピアート王国へ」
返事代わりに、ゲイルが翼を大きく羽ばたかせると、一気に空へ飛び上がる。
彼にしっかりつかまると、エーファは故郷を思い、遠い空の彼方を見つめたのだった。