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勇者姫【休止中】  作者: 幸月 美那
13/13

決心するお姫様

 エーファは夢を見た。

 小さい時の、なぜか今まで忘れていた出来事の夢だ。

 その中で、小さい頃の彼女自身の側に、エーファは立っていたのだった――――。


      *


 よく晴れた日。色々なものが植えられている花畑で、幼い彼女が歌を口ずさみながら、花を摘み冠を作っている。

「エーファ! 遊んでないで、早くこっちに来なさい! 今日は王子と初めて会う、大事な日だろう?」

 夢を見ているエーファは何をするでもなく、小さい自分自身をじっと見つめていたが、その声を聞き、思わず振り向く。

 そこにはまだ若い彼女の両親がいた。母親は不安そうな視線をこちらに向け、父親が困った表情をしている。声を掛けたのは父親の方だ。

「やーだー! ケッコンなんか何か分からないし、そんなものしなくたってどうってことないわ! だから、私、王子様とは会わないし、コンヤクもいらないって言ってきてよ、お父様!」

 手を止めずに、幼いエーファが答える。

 側にいる彼女は自分の言い分に思わず苦笑してしまった。

 父親の方はというと、困まったように視線を泳がせていた。幼いエーファを何度か呼んでみるものの、答えはもちろん返って来ない。結局、どうすればいいのか分からず、途方に暮れる羽目になった。

「どうしたんだい」

 ふと、彼にそんな声が掛かる。

 エーファは声が聞こえた方を見た。そこには一人の老女がいた――――それが誰なのか、彼女は思い出せなかったので、その老女を見つめる。

 腰が曲がっておらず、ぴんとまっすぐに伸ばされた背筋――――老女とは思えない程良い姿勢だ。

 長い白髪も上手く整えられていて、一つにまとめ、それを髪止めで止めていた。

 一重で小さめの瞳はアメジストのような紫色をしている。

 顔はというと、とても上品で綺麗だった。顔付きがほっそりとしていて、少し痩せて見えているものの、それが一層老女の美しさを引き立てている。その上、化粧も上手く施されていた。

 厳格そうであり、気高くもある姿を持つ老女。その姿を見ているうちに、エーファは少しずつ記憶を取り戻した。

 あの老女は――エーファの父親が王になる前、一時王座に就いていた先代の女王だ。その証拠に、頭に銀の王冠を被っている。


 先々代の王、つまりは老女の夫が亡くなった後、王位継承問題が生じた。もちろん、次に継承するのはその二人の息子であるエーファの父親と決まっていたが、その時点で彼が王位を継ぐのはまだ早すぎると、城中の誰もが感じていたのだ。

 その一番大きな理由は当時エーファがまだ幼かったこと。ピアート国では、小さい頃には時に父親の子育ても必要だろう、という考えがある。その考えから、彼がすぐに王を勤めるのは子育てに関わる時間がなくなるので非常にまずい、と人々は思ったのだ。

 いつまでも続きそうなこの問題の成り行きを見兼ねて、先々代の妻、そして、今の王の母親である、あの老女が王位継承者に名乗りを上げた。

 そして、彼女は、姫君が十分に育つまでは自分が何とか女王を勤めよう、とそう言い添え、王座に就き、そして、王位継承問題は解決したのだ。

 しかし、城の者達と国民は不安に駆られた。なぜなら、女性が王座に就いて、上手くいったケースがそれまでになかったからだ。

 けれど、老女――――先代の女王は見事にそれを覆した。皆が驚く程、彼女は政事の才能に長けていたのだ。

 やがて、ピアート国が彼女の先代より豊かになり、他の国からも信頼を寄せられた。

 そうして、皆が満足する政事を行っている内に、彼女は人々から尊敬されるようになったのだ。


 エーファはそんな彼女を尊敬し、彼女のような女王になりたいと思っている「はず」だった。

 それに、エーファは彼女、つまり祖母を愛していた――――いや、今もそれは変わらない「はず」だ。彼女もそれに応えてくれ、エーファを深く愛してくれた。

 それなのに――――。どうして、今まで忘れていたんだろう。

 エーファは不思議で不思議で堪らなかった。


「お母様。 ……実はエーファが言うことを聞かず、王子に会わないと言っているんです」

 女王が無表情に、幼いエーファの方をしばらく見つめると、口を開いた。

「私におまかせ」

 そして、一歩足を踏み出した――――かと思うと、一瞬にして、幼い彼女の背後に移動していた。

 エーファは驚いたが、すぐにあることを思い出す。女王は素晴らしい魔法の使い手でもあったことを。

「エーファ、何をしているんだい」

 女王に声を掛けられ、幼い彼女が後ろを一瞬振り向く。けれど、その魔法に慣れているのか、驚きもせずにまた花冠作りを始める。

「お婆様に冠を作っているの。 庭師達はとても良いお花を育てるのね。 そう誉めたら、少し摘んでもいいって言ってくれたの。 だから」

 その言葉を受けて、あまり表情を変えない女王に変化が生じたのを、エーファは見た。

 女王が――優しく微笑んでいたのだ。幼い彼女をいとおしそうに見つめながら。

 けれど、すぐにその表情を無くした。

「私はいいから、その冠を王子におあげ。 それを作り終わったら、ちゃんと会いに行くんだよ、いいね?」

「でも…………」

 女王の言葉を聞いて、幼いエーファが手を止め、不満そうにつぶやく。

「エーファ、私がいつも言っていることを忘れたのかい? それに、お前が私にいつも聞かせてくれることもうっかり忘れているんじゃないかい?」

 心辺りがあるのか、幼いエーファがうううと唸った。

 そんな自身の姿を見つめながら、エーファは記憶がまた蘇って来るのを感じていた。

(そうだ、今の私があるのはお婆様がいたからだ。 お婆様は私に色々教えてくれていた。 そんなお婆様に、私は「お婆様のような女王になりたい」っていつも話していたんだ)

 あえて無表情でいるのは幼い自分に厳しく、そして、印象深く大切なことを教えるためかもしれない。エーファはそんなことも思った。

「……分かったのなら、話が早いね」

 そうつぶやき、女王が幼い彼女を軽々と抱き上げる。老女とはとても思えない身のこなしだ。

 突然抱き上げられ、幼い彼女が小さく悲鳴を上げると、顔を真っ赤に染めた。怒っているのではない、照れているのだ。

「お婆様、恥ずかしいっ! それに、言ってたことと違うわ、冠を作り終わってからって……」

 幼いエーファが抗議の声を上げる。けれど、女王の腕の中で暴れることはなかった。どうやら、嬉しい気持ちもあるらしい。

「――あぁ、そんなのはどっちだっていいんだよ。 大事なのは“気持ち”なんだからね」

 その両親の元へすたすたと歩を進めながら、女王が幼い彼女にそう諭す。

 幼い彼女が少し考えた後、納得したとこっくりとうなずいた。そして、その頬を赤く染めながら、小さな声で女王に問いかける。

「……お婆様、私、王子様と仲良くなれるかなぁ」

 ふと、足をぴたりと止めて、女王が幼い彼女に深くうなずいてみせた。そして、その顔を満面の笑みでじっと見つめる。

 女王のその表情は彼女を安心させようという思いから来るものなのだろう。二人の隣に立ちながら、エーファはそう思った。

「王子は――――お前の婚約者は賢くも優しくもあって、とても良いお方だよ。 エーファ、きっとお前なら、好きになれる。 実際に会って、私はそう思ったよ」

「……そうだといいな。 あのね、お婆様。 私、王子様と友達にはなりたいな」

 幼い彼女がはにかみながら、そう話した。

 友達どころか、女王の言う通り、好きになっている。エーファはそう思った。それより、さっきの小さい自分の反抗的な態度はどこへ行ったのだろう?もしかしたら、あれは恥ずかしさと不安から来るものだったのだろうか。

「大丈夫」

 女王がそう言って、幼い彼女の頭を優しく撫でた。それは恐らくその気持ちをエーファと同じように解釈したからだろう。

 その時ふと、エーファも幼い彼女も何だか胸が温かくなった。

(ありがとう)

「ありがとう」

 そして、エーファは心の中で、幼い彼女が口で女王に礼を述べる。

 それに対して何の言葉、女王が歩き出す。ただ、小さくうなずいて応えただけだった。


 そこで、エーファは場面が変わり始めたのに気が付く。

 その間に、彼女にリューグと初めて会った時の記憶が蘇る。

 エーファにとって、その記憶は大切な思い出だったので、頭の中に残っていた。

 けれど、残っていたものと今蘇ったものは少し違っていたのだ。内容こそは同じなものの、一人の存在――――女王がそれに加わっていた。

 狭い部屋に、二人用のテーブルと椅子が置かれていて、そこにエーファとリューグの幼いふたりが座り、何も話さず、緊張のため固まっている。その背後にも椅子が四脚置かれていて、そこにふたりのそれぞれの両親が不安そうな顔をしながら、ふたりを見つめ、腰掛けている――――それがエーファに残っている記憶だ。

 蘇ったものは、女王がその部屋の隅に立っていて、無表情にふたりを見つめている光景が加えられていた。

 エーファはリューグと初めて会った記憶をはっきりと思い出して、くすりと笑う。

 最初のうちは緊張ばかりがあったものの、やがて、ふとリューグと目が合うと、何か温かい感情があの時芽生えたのを、彼女は今でも覚えている。

 彼も同じだったのだろうか、目が合い、しばらく見つめ合っていると、せきが切れたかのように、幼いふたりはお互いに言葉を交わし始めた。

 そして、しばらく話すと、庭へと出て、疲れるまで思い切り遊んだ。

 帰って来た時、ふたりは恥ずかしながらも手を握っていた。短時間で見事に、親密な関係になっていたのだ。

 幼いふたりのその姿を見て、その両親が歓声を上げ、喜んだ。

 エーファはそこまでを覚えていた。けれど、やはり持っていた記憶とは違う所を見付ける。

 彼女は見たのだ。女王が両親とは少し違う目で幼いふたりを静かに見守り、手を握っているのを見た時、心の底から嬉しそうな笑顔をしていたのを――――。


 ふと、場面が変わった。また花畑で、ぐったりとして、今にも眠ってしまいそうな幼いエーファを、女王が腕に抱いている場面だ。

 これは覚えていない。さっきの記憶のすぐ後の出来事だろう。エーファはそう思った。

 女王とエーファの距離は少し離れていた。辛うじて話が聞き取れるか否か――――という距離だ。

「エーファ、今日はよく頑張ったね」

 女王が幼い彼女の頭を優しく撫でながら、そう囁く。

 幼い彼女は余程眠いのか、返事は寝惚けた声の「うーん……」という言葉だけしか返って来ない。

 それにも構わず、女王が勝手に話し続けた。

「私はもうすぐ死ぬ。 こう見えても、老いているからね。 私は安心して逝けるよ、この国は安泰だからね。 今の王と王妃は立派にやっているし、エーファ、お前が女王になったら、きっとそれ以上に上手くやってくれるだろうと思うよ」

 エーファは思わず、唇を噛み締めた。この女王の言葉は「遺言」とさして変わらなかったからだ。

 どうして、こんな大事なことを言われている時に、幼い自分は寝入ろうとしているのだろう?女王の気持ちを受け取らなければいけないのに。

 エーファはそう思って、今からでもその言葉と“おもい”を受け取ろうと、女王の話に聞き入り始めた。

「エーファ、私には“見える”んだよ。 お前達にこの国を任せておけば、明るい未来が待っていることなんかがね、何も考えていない時にふと頭に浮かんで来るのさ。 ……おかしいね、私は魔法の才能に長けているらしいが、そんなことは今までできなかったのに…………。 これが死期が近付いて来たっていう私なりの証拠なのかね」

 女王が苦笑しながら、そう言う。その時、幼いエーファは寝息を立てて、眠ってしまっていた。

 そんな彼女をちらと見ると、女王が躊躇いながら、また口を開く。

「それでね、エーファ。 私はお前の将来をも“見て”しまったんだ」

 そして、ため息を一つつき、幼いエーファをいたわるかのようにしばらく撫でていた。

「……エーリィンルナファ、私の愛しい幼き姫君よ」

 つぶやくようにそう呼び、女王が悲痛そうな表情で顔を上げた。

 エーファはその話に耳をしっかりと傾けていたのだが、その瞬間、はっと息をのんだ。

 女王がこちらを見ていた。――――いや、「明らかに」エーファの目をじっと見つめていたのだ。

「私が見え……てるの?」

 答えが返って来ないのは分かっていたが、エーファは思わずつぶやく。

 心なしか、女王が小さくうなずいたように思われた。彼女を見つめながら、その名前をもう一度呼んだ。

「エーファ。 お前はいつか、重い荷を負うことになるだろう。 それは自分自身で取り除かなければならない荷だ。 くじけそうになるかもしれないが、お前はきっと乗り越えられる。 たくさんの仲間達が側にいて、お前を助けてくれるからね。 ――……そんなことが私には“見えた”んだよ、エーファ」

 女王の言う「重い荷」とは魔王とのことだろうと、エーファはすぐに分かった。そして、それと同時に、女王が「重い荷」の内容が何なのかを分かっているに違いないと、直感した。

「……私も少しぐらいはお前の役に立ちたい。 一つ、呪文を教えてやろう。 これは私の家に代々伝わってきた古い魔法だ」

「“ミュラ・ウィ・ナリエ”」

 女王がそっと呪文を口に出す。

 それはエーファの知らない言葉だった。「古い」魔法というぐらいだから、言葉も古代のものなのだろうか?

 偶然にも、女王が彼女の疑問にすぐに答えた。

「今は使われていない、解読が難しい古代の言葉だよ。 でもね、私は意味もちゃんと知っているよ。 “光よ、我と共にあれ”っていう意味だ」

 エーファは唱えてみようと思ったが、その時、幼い彼女がうっすらと目を開けたので、慌てて止めた。

 焦点が合っていないのか、瞬きを何度かすると、幼い彼女が眠たげに口を開く。

「お婆様、今……何か言った?」

 女王が首を横に振って、「いや」と否定して、嘘をつく。

 エーファはその意図がよく分からなかった。

「さ、もう一度眠るといいよ。 疲れただろう? 部屋に連れて行って、寝かせてあげよう。 ……忘れていいからね」

 幼い彼女がうなずくと、また寝息を立て始める。

 幼いエーファが深い眠りに入ったのを確認してから、女王が歩き出した。もちろん、エーファはその後ろに着いていく。

「……そう、忘れていいんだからね。 私が死んでしまったら、私と私に関わったことは全部忘れてしまいなさい――…………」

 女王が小声でそうつぶやいた。そして、何か呪文を歌うように唱え始める。その響きはまるで子守り歌のようにも聞こえた。

 その女王の言葉を聞いた瞬間、エーファはその場に立ちすくんだ。

 彼女はその時やっと、なぜ祖母である女王のことを忘れていたのを理解した。女王自身が幼い彼女に記憶を魔法で封じたからだったのだ。

 ふと、エーファはなぜ女王が先程嘘をついたのかも分かったような気がした。

 きっと、彼女自身に決して明るくはない未来を女王は教えたくなかったのだろう。幼い彼女にそんなことを知らせたら、何が起きてもおかしくなかったはずだ。

 けれど、女王はあえてそれを口にした。恐らく、成長したエーファが夢で幼い頃の記憶を取り戻すことすら見越していたのだろう。

 そして、記憶を封印したのは先程、幼いエーファが目を覚ました時に全部聞かれたかもしれないという可能性を想定したからだろう。

 そう考えると、エーファは何だか胸が苦しくなったような気がした。


 そこでまた、どこかの部屋に、幼い彼女とその両親が泣きながら、ベッドに横たわっている女王を囲んでいる場面に変わった。

「……この国を頼んだよ」

 苦しそうに息をしながら、エーファの両親の手を握り、女王が今までとは違う、か細い声でそう言っている。

 ――……死に際だ。エーファはとっさにそう思い付くや否や、また胸が苦しくなったのを感じた。

「死なないで、お婆様……」

 女王の近くに近付いている時、エーファは幼い自分が女王にすがりながら、そうつぶやいているのを耳にした。

 女王が震える腕で幼い彼女を抱き寄せる。そして、その顔をじっと見つめながら、何度も首を小さく振って「それは無理だよ」とすまなさそうに謝った。

「私が今日死ぬことはずっと前から決まっていた。 これは“運命”だ、避けることは絶対にできないよ」

 ……避けることは絶対にできない。幼いエーファがその言葉を聞いて、一層泣き始め、その命を少しでも引き止めようとするかのように、女王に強く抱きついた。

「エーファ……私の愛しいエーファ、泣くんじゃないよ。 ……代わりによくお聞き」

 左手でその体を優しく包み込み、右手で幼い彼女の涙を拭いながら、女王が口を開く。

「エーファ、この先、何があっても、決してくじけては――――負けてはいけないよ。 お前の周りにはお前を大切に思い、心の底から愛してくれている人達がいる。 その人達がきっとお前の助けになってくれるだろう……――」

 幼いエーファに宛てた最期の言葉を言い終えた女王は、なぜか急に年老いたように見えた。光が消えたその瞳は虚ろになっている。

「……あぁ、この世界が平和になったところを……私はこの目で見たかった――――」

 誰に言うでもなく、女王がそうつぶやく。

 その場にいて、それを聞いた全員が、訳が分からないと言わんばかりに首を傾げ、お互いに顔を合わせる。

 違った反応を見せたのは幼いエーファだけだ。訳が分からないのは他の人々と同じなようだが、祖母である女王に、必死にこう言い聞かせていた。

「私がこの世界を平和にする! 私と一緒に見よう、平和な世界を! だから――――」

 エーファはそんな幼い自分をただじっと見つめる。

 彼女には分かっていた、その真意が分かり、女王の言葉を受け取れるのは自分だけだと。

 女王が言っていたのは当時のことではなく、「今」のことだろう。

 当時はまだ魔王も動き始めていなかったので、その世界は「平和」と言えなくもなかった。だから、その当時の人間には女王の言葉の意味が分からないのだ。

 しかし、エーファが目を覚ますと待っている「現実」はとても平和とは言えない。彼女が身を隠している間に、魔王が何をやっていてもおかしくなかった。

 エーファはふうと息をついて、目を閉じた。そして、考え事をして始めた。

 そう、魔王が動き出しているから、「今」の「現実」は決して平和ではない。自分が隠れている間にどれだけの人が殺されているだろう?

 彼女は女王である祖母の言葉も気になっていた。

 自分はいつか、重い荷を背負うことになる。その「いつか」とは紛れもなく、「今」のことだ。そして、女王はこうも言っていた。その荷は自分自身で取り除かなければならないと――――。

 ピアートを救えるのは自分だけ。

 女王の望んだ平和をもたらすことができるのはきっと自分だけ。

 魔王を倒せるのも――……きっと自分だけ。

 ならば――――。

「――――私、やるよ」

 エーファはそう言った。意志のこもった力強い声だ。

 そして、静かに目を開ける。その時にはもう、彼女は決心がついていた。

「今の私の言葉は嘘じゃない。 私がこの世界を平和にする。 そして、この目でそれを見るわ」

 ……その声は届いたのだろうか?

 ふとそんなことを思った時、エーファは、女王の周りの人々が息をのんでいるのに気付いた。

 何だろうと思って、彼女はその近くに寄る。

 見ると、女王がゆっくりと頭を動かしている。そして、顔が天井の方を向くと、ぴたりと止まった。

「お婆様……?」

 不安そうにそう言った幼いエーファの声は女王には届いていないようだ。……いや、もしかすると、もう誰の声もその耳には聞こえないのかもしれない。

 心配そうな人々をよそに、女王が天井を見つめながら、かろうじて聞き取れる声でこうつぶやく。

「……き……れ……い…………」

 どうやら、女王の目には天井ではない他の何かが映っているようだ。エーファは何となく、それが空だと直感した。

 ふと、女王が綻んで、嬉しそうな瞳で天井をじっと見つめる。

 そして――――。

 ――かと思うと、まるで糸が切れたかのように力がふっと抜け、目を閉じるとそのまま逝ってしまった。

 ……穏やかな顔だった。どこか嬉しそうに微笑んでいて、まるで眠っているかのようだ。

 ぴくりとも動かなくなった女王を、幼いエーファが無言で遠慮がちに揺さぶる。そして、応えが返って来ないと知ると、震える手で胸に触れると目を閉じた。

 ……やがて脈がないのを知った、幼い彼女が涙をいっぱいためた目を開け、そのまま泣き出した。

 それを合図に、その場にいる全員が女王の死を悟り、口を開くことなく涙を流し始める。

 だが、エーファだけは違った。

 悲痛な表情を浮かべながら、彼女は考えていたのだ。

 彼女はなぜか、女王が最期に“見た”のは平和になった世界だと感じて、しようがなかった。

 もしそうだとすると、自分に勝算があるのだろうか?そう疑問に感じていたのだ。


 ふと、エーファはその時見ていた光景が遠のいていくのに気付いた。きっと夢から覚めるのだろう。

 その途中、彼女は女王の葬式をちらっと視界の隅で見たように思えた。

 ふと、エーファはまるで体が空中に浮かんでいるような感覚を味わった。

 それと同時に、周りが暗くなって行く。もうすぐ目が覚めるのだろうと、エーファは思った。

 ……その前に。

(“ミュラ・ウィ・ナリエ”)

 そう思って、エーファは祖母が伝えた呪文を心の中で試しに唱える。もちろん何も起こなかったが、なぜか温かい気持ちになったように彼女は思えた。

 少し経って、何かが蒼く光った――――まるで、その呪文に反応するかのように。


――――……懐かしい。 その言葉は今じゃ聞かないから、一層懐かしいわ。


 ふと、一人の若い女性がエーファに現れた。水色の腰まで伸ばしている長い髪で蒼い瞳の女性だ。その胸には鞘に収まった剣をしっかりと抱いている。


――――初めまして。 私はリル、この剣の化身よ。 ……そういえば、この姿で会うのは初めてね。


 そう言って、女性――――リルが抱いている剣を見せ、微笑みかけた。

 なぜ、自分の夢に剣の化身である彼女は出て来られたのだろう?

 話を聞いて、そう疑問に思ったエーファの心情を読み取ったのか、リルがそうねぇとつぶやきながら、答えを選んでいた。


――――私がその言葉にひかれたっていうのもあると思うわ。 でも、はっきりとは分からないわ。


 でもねぇと、彼女が話を続ける。


――――今まで分からなかったことが分かるようにもなったの。 ……不思議ねぇ。 その呪文が何か力をくれたのかもしれないわね。 ねぇ、どうして、あなたに私が力を貸せないか、知りたい?


 唐突に切り出された疑問に、エーファはこくりとうなずく。

 リルの話によると、呪文の影響と思われる何らかの力で、どうして自分あの剣が使えないのかが分かるようになったらしい。その答えは知りたかったものだ。その答えを聞くことで何かが変えられるのなら――――変えたい。

 エーファはそう考えながら、リルが口を開くのを静かに待った。

 

――――それはね……あなたがまだ“弱い”から。 心も力も“強く”ならなければ、あなたに私は使えないし、私もあなたに力を貸せないの。


 リルの言葉を聞いて、エーファははっと息をのんだ。それと同時に、途方に暮れた。

 リルを――――剣を使えないのは、自分が“弱い”から。では、どうしたら、自分は“強く”なれるのか。それが分からず、途方に暮れたのだ。もちろん、変えられるなら変えたいという気持ちは諦めていないし、変わってもいない。

 そんな思いを感じ取ったのか、リルが音もなく、エーファの目の前に立った。そして、剣を脇に置くと、そっと彼女の両方の頬を両手で包み込んだ。

 ――――温かい……。なぜか分からないが、エーファはリルの両手がとても温かく感じられた。

 お礼代わりに彼女の手を握り返したくなって、エーファは右手を彼女のそれに重ねる。


――――ねぇ……「私」を感じる?


 ふっと微笑んで、唐突にリルがそう尋ねる。

 感じるとはこの両手の温もりのことだろうか?そうだとすれば、自分は「彼女」を感じている。

 エーファはゆっくりとうなずく。

 彼女の応えに、リルがくすっと笑った。


――――私も「あなた」を感じるわ。 じゃあ、この剣はどうかしら? 本物じゃないけれど…………。


 そして、そう言いながら、脇に置いた剣を手に取るとエーファに差し出す。

 エーファは一瞬ためらったが、剣をつかむとリルがそうしていたように胸に抱く。

 ……剣もリルの両手と同じようにとても温かく感じる。そして、「神木」を抱いた時と同じような感覚を味わった。


――――ドクン、ドクン…………。


 剣が脈打っている。

 この感覚はそう……同調だ。


――――ねぇ……「私」と同じように、「剣」を感じるでしょう? それどころか、それ以上のものを感じているんでしょう? 私とその剣は一心同体のようなもの。 「私」と「剣」を感じられるのなら、きっと剣を扱えるわ。 ……いえ、それどころか――――。

 

――――……それどころか、私はあなたに期待すらしているのよ。 あなたなら絶対この剣を扱える、そう思うの。 だから、できることを――――。


 最後まで聞き終らないうちに、エーファはリルの姿がだんだん見えなくなってきたのに気付いた。

 そして――――。


      *


 ――――エーファは目が覚めた。

 しばらく横になったまま、身動きもしなかったが、ふと我に返ったかのように目を瞬くと、起き上がり、そのまま部屋を出る。

 エーファが向かったのはミィーヌの所だ。

 少し慌てた様子なのを不思議そうに見ているミィーヌに、彼女は開口一番、こう話したのだった。

「ねぇ、おばば。 もし……心も体も鍛えられる場所があるなら、そこを教えて!」

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