知るお姫様
「う……っ」
うめきながら、エーファは長い眠りから覚めた。
何回か瞬きをして、今いるのが森ではなく、全く知らない場所だと彼女は気付く。
ここはどこだろうと思って、辺りを見回す。……どうやら、一人が歩けるか否かという、とても狭い寝室のようだ。あるのはベッドだけで、彼女はそこに寝かされていたらしい。
不意に、難しそうな扉が叩かれ、誰かが入って来た。……どうやら、開けるのも一苦労らしい。
明かりを背後にしていたので、顔がよく見えなかったが、扉が閉められると、それが誰なのかがやっと分かった。
「おばば……?」
エーファの問い掛けに、その誰か――――ミィーヌがにぃと微笑んで応える。そして、彼女に湯気の立っているマグカップを差し出しながら、口を開く。
「もうそろそろ目が覚める頃だと思っていたよ。 ほら、温かいミルクを持って来たんだよ、飲むといい」
エーファはそれを受け取るとうなずき、冷ますと少し飲んだ。
「……おいしい。 それで、おばば、私、どうしてここに?」
「王子が私を呼んだからと私が自分から言ったからだよ。 ひどく消耗していたみたいだから、ここに来て、休ませたのさ。 ……それにしても、すごい魔法を掛けられたねぇ」
苦々しそうに顔を歪ませながら、ミィーヌが言った。今まで見たことがない表情だ。よっぽどひどい魔法だったらしい。
「どんな魔法なの……?」
「魔法を掛けた相手に、怒り、恐怖、憎しみ――――いわゆるマイナスの感情を引き起こさせることでダメージを与え、眠らせる。 その間にその相手の全体を魔法で『支配』して、次に起きた時には意のままにする……そんな恐ろしい魔法じゃ。 王子があの剣で魔法を解いていなかったら、お前も危なかったんだよ。 その代わり、お前に負担がかなり大きかったみたいだから、五日間も立て続けに眠る羽目になったけどねぇ……」
リューグが来なければ、そんな魔法にかかっていたかもしれなかったのか。彼に感謝して、後で改めて礼を言おうと思いながら、エーファはもう一つ質問をする。
「ねぇ……おばば、ここはどこなの?」
それを聞いた瞬間、ミィーヌが表情を深刻そうなものから、照れ臭そうなものへと変え、くっくっくっと笑いながら、「ここかい?」と嬉しそうに聞き返す。
「ここは私とグレンの愛の巣の別荘じゃよ♪」
それから、あまり話をしなかったミィーヌが、ミルクを飲んだら、また休むよう勧めたので、エーファはまた眠ることにした。
その別荘は異空間にあり、その上、大賢者と賢者の知恵の集大成と言っても過言ではない魔法で隠されているので、魔王ですら見つけることができず、他と比べて安全だと言われたので、彼女は安心して休むことができたのだ。
そして、約半日後に目が覚めると、ミィーヌがまたやって来て、広間に案内された。
そこには隅に立っているゲイル、大きめのダイニングテーブルを挟んで、何やら話をしているリューグとグレンがいた。
「あ・な・たぁ~♪」
妙に上擦り、甘くとろけ切っている声で、ミィーヌがそう呼んだ。気付いたグレンの元に駆け寄った足取りも軽く、スキップさながらだった。
グレンも来ていたのかと思いながら、エーファはミィーヌを目で追う。
「おぉ……ミィーヌ!」
教育を施した時とは違い、威厳があまりなく、どこか安心したような声で、彼が嬉しそうに答えた。
そして、駆け寄って来たミィーヌを受け止め、強く抱き締めると、彼女の髪を優しく撫で始める。
「この間はごめんなさい。 せっかく色々なことを教えて下さったのに、私の頭が悪いばっかりに…………」
およよと泣き真似をしながら、ミィーヌが頭を下げ、必死に彼にしがみついた。
……どうやら、一緒にいた時に喧嘩してしまったらしい。
「いや、気にしなくていいんじゃ。 そんなことより、もっと大切なことがあるじゃろう?」
グレンが優しく微笑みながら(そんな表情はもう二度とお目にかれないだろうと、エーファは思った)、ミィーヌに言い聞かせるように話す。
彼女が頬を赤らめながら、納得したようにうなずいた。
「さて、席につくとしよう。 はて? お前さん達、どうしてそんな顔をしとるんじゃ?」
ミィーヌの肩を抱いて、ダイニングテーブルの近くに向かいながら、すでに座っていたエーファとリューグをふと見たグレンが、不思議そうに尋ねる。
仲睦まじい夫婦を見守っていて、見ているこっちの方が恥ずかしいと言わんばかりに、耳まで真っ赤に顔を赤らめ、それと同時に、こんなにも仲がいいのにも関わらず、どうして別居しているのか、疑問に思っている。そんな表情を、二人はしていたのだ。
それに感付いたのか、ミィーヌがあっはっはっと笑いながら、二人にその答えを教えた。
「ずっと一緒に住んでいると時々、知識の違いから喧嘩してしまうことがある――――それが嫌で別々に住んでいるんだよ。 そのおかげで大分喧嘩が減って、今でもこうして仲良くいられるんじゃ。 まぁ、お互いの時間が合わないのも理由の一つだけどねぇ。 ……さて、本題に入ろうか」
彼女の最後の言葉を聞き、全員が顔を強張らせる。
エーファは隅に立っているゲイルをちらりと見る。彼だけは冷静な様子で目を閉じ、何も言わずに耳を傾けているようだ。
「……魔王が本格的に動き始めた」
エーファはミィーヌの言葉にぴくりと反応して、ゲイルから目を離し、彼女をじっと見つめる。
「ピアートと同じように、五ヵ国が石にされてしまった。 ナティア、シェリミア、マナリュ、バレンチィーネ、クユーツ――――この共通点はピアートの友好国だということ。 恐らく、エーファを匿っているかもしれないと読んでいるんじゃろう。 このままだと全ての国が石にされてしまう。 ……かといって、今、私達が束になって、魔王に立ち向かっても、歯は全く立たないだろうねぇ」
その話を聞き、エーファはちくりと胸が痛んだように思えた。
自分のために、ほとんど関係のない人達を巻き込んでていると思うと、罪悪感を感じてしまったのだ。それと同時に、それなのに、今の自分は何もできないという悔しさが込み上げて来た。
「少しでも役に立たねばと思って、わしとミィーヌはお前さん達の力になることを決心したんじゃ。 ……今、頼れるのは剣だけ、それが使えぬなら、どうするのか決めねばならん」
ミィーヌに続いて、グレンが話をする。
「王子には剣の話をしておいた。 ……剣をここへ」
すぐさま、エーファは剣を取り出し、見せるようにそれを両手で持つ。そして、何も言わず、抜こうとしてみせる。
もちろん、剣は抜けることなく、まるで誰にも抜くことなどできないと見せつけるかのように、ジュッという音を立てて、彼女の身を焼いた。
「やはり抜けない……か」
苦痛に眉を潜めながら、彼女はグレンの言葉にうなずき、それをテーブルの上に置いた。
次に、リューグがその隣に剣を置く。そして、口を開いた。
「今は力がないんだそうです。 剣が僕に語り掛けて来て……姫を探せば、何とかなると言っていました。 きっと、姫がもう片割れの剣を手に入れると分かっていたんでしょう」
――その次の瞬間。
“その通りだ”
どこからか、ふわりと風が吹いて来て、彼が置いた剣の隣に、青年が現れた。
瞳はその刃の水晶と同じ蒼色で、見ていると吸い込まれそうだ。髪は金色でとても美しく、神々しい。顔付きは思わず見惚れてしまいそうな程、凛々しかった。
“よく見つけてくれたな。 おかげでこうして、人の形を取ることができた”
全員の頭の中に声が響いた。見ると、青年が口だけを動かしている。どうやら、それは彼の声で、何らかの力を使って、そうやって話しているらしい。
「タスク……?」
声に聞き覚えがあった、リューグがそう問い掛ける。
青年がうなずき、また口を開く。
“リューグ以外は初めてだから、改めて紹介させてもらおう。 私はこの剣の水晶の化身だ。 名が必要ならタスクと呼んでくれ。 ……残念ながら、私はまだ力を貸すことができない。 ただ、対の剣と「会えた」ので、辛うじて人の形を取ることができるようになっただけなのだ”
彼――――タスクの言葉を聞いて、ゲイルを除く全員が落胆した。両方とも剣が使えないとなると状況は厳しい、そう思ったのだ。
“だが、ほんの少しなら、手伝える。 「彼女」と話し、力を貸さないのはなぜなのか、聞くことぐらいはできるのだ”
事情が分かっている様子で、タスクが蒼い光を右手から発しながら、そう言った。姿を現す前から、話を聞いていたようだ。
彼がそのままの状態で、鞘に収まったままのもう一つの剣に触れ、目を閉じた。
どうやら、「彼女」とはその剣のことを指しているらしい。そして、恐らく、それも彼と同じく、化身であり、人の形を取って、姿を現すことができるのだろう。
五分後、タスクが目を開いた。全員が息を凝らして、彼の言葉を待つ。
“「彼女」は……姫の王子に会いたいという気持ちにひかれて、水晶の塔を開けたそうだ。 だが、姫に資質はあるが「何か」が足りなくて、力を貸すことができないんだとか。 「彼女」はそれが一体何なのか、全く分からないと言っている”
それを聞き、エーファは驚愕した。自分には何が足りなかったのだろう?少しの間それを考えたが、答えは出て来なかった。……考える時間がもっと欲しい。
ふと、彼女は複数の視線に気が付いた。全員が問うような目で、こちらを見ている。
何を聞かれているのか、エーファは分かっていた。これからどうするのか、そう問われているのだ。
答えを言おうと口を開いたが、何も言えなかった。やはり、考える時間が欲しい。
「ごめんなさい。 少し……考える時間をちょうだい」
思わず、ばつが悪く感じて、エーファは小声でそう言う。
彼女の答えを聞いて、全員が残念そうに肩を落とした。
「そうじゃな、ゆっくり考える時間も必要じゃろう。 ……それにしても、『彼女』はどうして、エーファの王子に会いたい気持ちにひかれたんじゃろうな?」
そんな雰囲気を打ち消すように、ミィーヌが口を開いた。
“「同じ」だったからだ”
すぐさま、タスクが彼女の疑問に答える。
彼の答えを聞いて、どういうことか分からないと言わんばかりに、全員が首を傾げる。
“私達は姫と王子と同じような関係にある。 水晶だった時から、片時も離れず、ずっと一緒だった。 もちろん性別はなかったが、どこか「愛」に似たような感情をお互いに抱いていたのだ”
片割れの剣を撫でながら、タスクがそう話した。彼の目はどこかいとおしそうに細められている。
“名もなき大地の不思議で強大な力を持つ水晶を基に、私達は作られた。 そして、その力の一部で人の形を取ることに決め、完成した後もずっと「愛し」合っていたのだ。 けれど、完成後間もなく、私達は別々に眠らされることになった。 その存在を知っていたのはもちろん、当時は静まっていた魔王がいつか本格的に動き出すことも、私達を作った職人は予測していたからだ。 それに、彼自身、私達を上手く使いこなすことができなかったのも、理由の一つだった。 別々に眠らせるのは魔王に悪用されないためだと、彼は話していた。 そして、両方ともなければ力を発揮できないなどのいくつかの難癖を自ら付けて、私達は泣く泣く別れて、離れ離れに眠ったのだ。 ……随分と長い期間だったから、姫の気持ちに「彼女」は同調したんだろうな。 それに、もしかしたら、王子が私を手に入れることを予測したのかもしれない”
話し終えた後ふと、タスクが手を止め、剣を持つ。そして、嬉しそうに目を細めるとそれを胸に抱き、そっと口付けた。
――――キィ……ン。
それに応えるかのように、剣が音を発する。心なしか、どこか照れ臭そうでいて、嬉しそうでもある音だ。そして、まるで彼との再会を喜んでいるかのようだった。
ふと、タスクが長い口付けの後、声を出さずに何かつぶやいていることに、エーファは気付く。何度も動く彼の口元をじっと見つめて、リルと言っていることが分かった。恐らく、「彼女」の名前なのだろう。
そんな姿を見て、エーファはいたたまれない気持ちになった。きっと自分に何かが足りないせいで、「彼女」――――リルは人の形を取ることができないのだろう。そう思ったのだ。
「……ごめんなさい、タスクさん。 私のせいで『二人』は――――」
“いや、気にするな。 ゆっくりでいいから、「答え」を見付けてくれれば、それで十分だ”
エーファの言葉を遮り、タスクが首を横に振って、そう言った。
エーファはやはり気まずく思いながら、小声で礼を述べた。
本当にどうしたらいいんだろう。その疑問が彼女から離れずにいた。
「答え」を見付けようとずっと考えている内に、いつの間にか、話し合いは終わり、誰もいなくなっていた。
その事を知らずに、彼女はうつ向きながら、考え事をひたすら続ける。
「――……ファ」
誰かが彼女の名前を呼んだが、彼女は全く聞いていない様子だ。
「エーファ!」
今度は肩を揺さぶられながら、先程より大きな声で呼ばれる。
「…………!」
そこで初めて、エーファはその声に気付いた。見開かれた瞳がその主を探す。
「お……おばば」
そこにいたのは唯一残っていたミィーヌだった。心配そうにエーファを見つめている。
「ご……っ、ごめんなさい。 もう話は終わったみたいね。 考え事をしてて、ちっとも気付かなかった……」
エーファの言葉に、ミィーヌが分かっているとうなずく。そして、話し合いの内容はそんなに大したものではなかったのだろう、それを話そうとはせず、今度は問うような目で彼女をじっと見つめる。
何か聞きたいことがあるのではないか。そう言われているのだ。
質問することを許され、エーファはふと浮かんでいた疑問を口に出した。
「ねぇ……おばば。 魔王っていつからいるの?」
まず苦笑いをして、ミィーヌが「すまないね」と謝って前置き、口を開く。
「私もよく分からないんだよ。 もう何年も姿を変えないで、魔王はずっと昔からいるみたいだね」
ミィーヌでさえ、分からないとは。エーファは驚きながら、魔王本人の口から聞いたことを彼女に話す。
「魔王が言ってた、私が生まれるまではずっと隠れてたって。 それって本当なの?」
「随分昔から存在していたらしいけど、確かに姿を見せることはなかったね。 それに、エーファが生まれるまで動き始めなかったのも本当の事じゃろう。 ……それにしても、今起こっていることを予測していた者が他にもいたとはねぇ」
エーファの問いにうなずいて応え、そう話したミィーヌだが、何故か複雑そうな表情をしていた。そして、取り残されていたエーファの剣をじっと見つめながら、何かを思い出しているようだ。
エーファはそんな彼女を不審に思いながら、剣を腰に掛ける。
その間も、目を離さず、彼女が名残惜しそうにそれを見ていた。
深く追及をせず、エーファはまた考え事をする。けれど、やはり「答え」は見付けられず、ため息ばかりが出る。
「ねぇ……おばば。 私、どうしたらいい?」
そして、思わず、その疑問を口に出してしまっていた。
彼女をじっと見つめた後、ミィーヌが首を傾げ、肩を小さくすくめながら、「さあね」と無表情に答える。
「それは自分にしか分からないと思うんだけどねぇ? ま、まずはやらなければいけないことをやってみたらどうだい?」
それだけ言い残し、ミィーヌがその場を去って行った。
「やらなきゃいけないこと……」
つぶやきながら、エーファはやらなければいけないこととは何だろうと考える。
一瞬も経たない内に、彼女の頭にゲイルが思い浮かんだ。
……そうだ、彼とはまだ仲直りをしていない。今の状態は嫌だ、元の関係に戻らなければ。
そう考え、エーファはすぐさま立ち上がり、その場を去ったのだった。