感傷に浸るお姫様
……憂鬱だ。
魔王にさらわれ、やたら高い塔に閉じ込められ、守りをドラゴンに固められるという、ベタな生活を強いられているお姫様、エーファ・ピアートの現在の心境がまさしくそれだった。
普段は元気いっぱいのお転婆なお姫様だが、さらわれてからというものの、明るく振る舞ったことは一度もない。
決して快適とは言えないが、食事や睡眠も十分に取れて、普段通りに過ごせる生活を彼女は送っている。
それなのに、どうして、憂鬱なのか、何がそんなにも不満なのか。その答えはたった一つ。
「王子様といい魔王といい、どうして……私を半年間も放置してるのよーっ!」
半年という長すぎる時間がエーファの悩みの種だったのだ。
普通なら、王子様に助けられるなり、魔王に無理矢理結婚を強いられるなりに、そんなに多くの時間はかからないはずだ、と彼女は考えていた。
だけど、いつまで待ったって、どちらの変化は起こらなかったのだ。
最初はこんなにも王子様が助けに来るのを待ち焦がれる予定なんてなかった。むしろ、さらわれた時は大して不安も抱かず、すぐに助けが来ると思っていたくらいだ。
エーファだってお姫様。婚約者の王子様ぐらいいるし、会う度に甘い時間を過ごすほど、仲だってとても良かった。
しかも、さらわれたのは婚約指輪をもらった次の瞬間。目の前で最愛の人がさらわれたのに、王子様がそれを見捨てるなんて、エーファには到底考えられなかった。
実を言うと、彼女には妹姫のサルーナがいるが、乗り換えられたなんていう考えには至っていなかったのだ。
元気いっぱいの姉とは正反対に、サルーナは病弱でいつも寝込んでいた。
そんな彼女の存在をいつどこで知ったのか分からないが、ある日突然、ある小国の王子がお隠れで、彼女に見舞いにやって来たのだ。
それから毎日のように、彼が見舞いに来るようになった。
最初は戸惑っていたサルーナだったが、彼がとても親切にしてくれたので、拒むこともしなかったのだ。
そして、いつしか、ふたりはお互いに恋愛感情を抱くようになり、時を重ねて婚約を結ぶと公に発表した。
エーファはちゃんと知っていたのだ。サルーナが心の奥底から、王子を深く愛していたことを。そして、相手も負けないくらい、彼女を愛し、大事にしていることも。
若干妹バカのエーファは、サルーナをちゃんと大事にしてくれる、と相手の王子を認め、自分の婚約者である王子様に仲睦まじいふたりを会わせた上、その関係を感服させた。
だから、エーファはサルーナに乗り換えるなんて、絶対に有り得ないことだと思ったのだ。
だとしたら、どうして助けに来てくれないのだろうか。その答えはいくら考えても出て来なかった。
王子様もそうだが、魔王もさらわれた時以来、姿を見せていない。
……翌々思い出してみれば、あの時、魔王の顔を見ていないと気付いた。
それでも、その姿ははっきりと目に焼きついていた。漆黒のマント、邪な笑いを浮かべた口元、影で隠された顔、まとったまがまがしい空気。……全部、忘れられるはずなんてなかった。
そんな魔王がどうして、姿を見せないのかも分からない。
さらわれた理由を考えてみても、答えは見付からなかった。
エーファが思い付いた理由は美貌、権威、能力の三つだ。
一つ目の美貌はベタな部分を考えても、ありがちな理由だ。特に、エーファのそれは他の国の姫と比べても一、二を争うものだった。顔はもちろん端正で、金色の長い髪がさらりとして美しく、二重のぱっちりお目目は海のように蒼くて綺麗な上、しなやかな肢体だって魅力的なはずだ(本人談)。
ちなみに、妹のサルーナも美しい容貌で、対照的に銀色の長く、美しい髪をしていた。
次に、権威。
エーファの住む世界は十九の大国と十一の小国で成り立ち、魔法や精霊などの不思議な生物がざらに存在していた。
そんな中で、彼女の大国、ピアートは王の統率力が高いので、国民や他の国から敬愛されている。そして、たくさんの国と友好同盟を結んでいたので、権威が比較的高かったのだ。
そして、最後に能力。実を言うと、ピアート王家の姫は代々、何かしら能力を持つように生まれてくるのだ。
エーファも同様、能力を持って――――いない。今はまだの話だが。
だけど、大したのは持たないだろうと、彼女は考えていた。サルーナでさえ、傷を少し癒す程度の治癒能力しか持っていないのだから。
いや、能力があると言えばあるが、別段取るに取らないものである。
一応、エーファは動物や不思議な生物と話をすることができた。そして、もし能力を持つとするなら、それが少し格上げされたものだろうと考えていたのだ。
もしかしたら、魔王は事情を知り、彼女に特別な能力を持つだろうと信じて、さらったのかもしれない。
彼女にしてみれば、全くの無駄なことだった。そんなことはあるはずないと思っているのだから。
いずれの理由にせよ、どうして、半年間も放置するのかが分からなかった。
ふと、エーファは首を横に振った。考えるのに少し疲れたのだ。
考えるのは後回しだ。あの時のことでも思い出してみよう。
そう思って、エーファはまた物思いにふけり始めた。
*
あれはある温かい日のことだった。
その一週間程前に、王子様と会って、「とても大切な話があるんだ。 できれば、王様に、舞踏会を開くよう頼んでほしいんだ」と言われたのだ。
それ以来、エーファは天にも昇る心地だったのをはっきりと覚えている。……上手く行っていれば、指輪をもらった後、舞踏会で公に発表して、めでたくゴールインだったのに。
父である王に舞踏会のことを話すと、察しが付いたのか、すぐに承諾をしてくれた。
当日、朝から張り切って、おめかしをして、一番上等で綺麗なドレスを着て、エーファは首を長くして、その瞬間を待ち焦れていたのだ。
そして、夜。舞踏会が開かれ、たくさんの貴族や他の国の王族もやって来ていた。
奇跡的に、サルーナも調子が良かったので、王子と一緒に出席できていたのを、エーファは思い出す。
少し無理をしていたのかもしれない、とエーファは思い当たった。さらわれる前に見た時は青い顔をしていたからだ。
幼い時から可愛がっていたせいか、サルーナから慕われていたのだ。そして、プロポーズされるかもしれないと話した時、彼女がまるで自分のことのように、喜んでくれた。
だから、無理をしてでも、出席したかったのかもしれない。公に発表する時、その場にいるために。
今は…どうしているのだろうか?思い出しながら、エーファは彼女が心配になった。
その瞬間は中々来てくれなかった――まるで、じらすかのように。
思わず、促したい気分になったが、エーファは色んな人と踊って、じっと我慢していた。
そして、舞踏会も終焉に近付いた時、やっと、王子様がワルツを踊ろうと誘って来たのだ。
いよいよだ。エーファはそう意気込みつつ、何とか踊り切れることができた。
そのすぐ後、王子様に庭へ手を引いて行かれた。噴水の前まで来た時。
「座って」
そう言われたので、どきどきしつつ、エーファはその通りにすると、じっと彼を見つめた。
その時の王子様はやけにかっこよく、エーファの目に焼き付いていた。漆黒の一つにまとめられた長い髪は月に照らされ、銀色に輝いて見え、緑の瞳には何か揺るぎないモノが映えていたのを、彼女は鮮明に覚えている。
王子様が目の前にひざまずくと、懐から小さな黒い箱を取り出して、彼女ににっこりと微笑み掛けた。
「エーファ姫、私と結婚して下さいませんか」
その言葉を聞いた瞬間、エーファは一気に嬉し涙を目に貯めた。彼女の出した答えはもちろん――。
「はい」
王子様が満足そうに、一層微笑むと箱を開けて、その手を取ると婚約指輪をはめた。
悪夢が訪れたのはまさしく、その次の瞬間だった――――。
――――バシャン!
水がはね上がったと同時に、エーファは背後から口元を押さえられ、抵抗できない、何か大きな力に自由を奪われたのだ。
叫びたくなる気持ちを抑え、落ち着こうと必死になりつつ、彼女は視線だけを動かして、背後の人物を見た。
漆黒のマントをはおり、顔は被ったフードと影で隠れて見えなかったが、邪な笑いを浮かべた口元だけは認識できた。そんな、まがまがしい空気をまとう人物こそ魔王。
「姫っ!」
叫んで、王子様が腰に掛けてあった剣を抜く。
その姿をあざ笑うかのように、魔王がくっくっくっと笑うと、エーファの口元を抑えていた、手を彼に向ける。
その手から緑の閃光――――魔法が放たれ、防御する暇もなく、彼が後ろに倒れた。
「何てことを!」
息をのむと、エーファは非難するように叫んだ。
ふっと笑い、魔王が今度は手を彼女の喉元に持って行った。
「………っ!」
目の前が黒くなったかと思うと全身に痛みが走り、エーファは身動きができなくなり、視界がぼんやりとしか見えなくなったのを感じた。魔法を掛けられたのだ。
同時に、王子様がむくりと起き上がり、体勢を立て直す。
「姫を離せ!」
エーファは魔王に強く抱き抱えられたのを感じた。
「断る。 姫はもらって行く」
王子様が「待て!」と叫んだのと同時に、魔王がエーファをマントの中に包み込み、また魔法を発した。
彼女は一瞬にして、景色が変わるのを見た。恐らく、瞬間移動の魔法だったのだろう。
連れて来られたのはもちろん、ドラゴンのいる、やたら高い塔だ。
ドラゴンが恐れおののいて、魔王を見ると頭を低くして、ふせた。
「ゲイル、姫を連れて来た。 これからはこの塔をお前が見張っておけ」
魔王がドラゴン――――ゲイルにそれだけ言うと塔の中に入り、最上階まで上がって行く。
そして、その部屋まで辿り着くと、天蓋付きのベッドにエーファを横たわらせ、すぐに去って行った。
「ぬわーっ!」
その瞬間、彼女は魔法から解放――――目をちゃんと見えるようになり、身動きも取れるようになった。……いきなりだったので思わず、奇声を発してしまったのだ。
暴れようかと思ったが、そんなことをしても無駄なような気がしたので止めておいた。
「あ……っ」
ふと、視界が揺らぐのを感じ、エーファは魔法の反動のせいか、意識を手放してしまったのだった。
*
そして、今日に至る訳だ。
エーファは一度も脱出を試みたことが「一度も」なかった。なぜなら、ただひたすら、王子様の助けを待っていたからだ。
……だが、エーファには結論がだんだん見えて来ていた。
半年間、何度考えても、思い出しても、答えはやっぱり見つからなかったし、何にも起こらなかったのだ。
考えるのも思い出すのももう止めにしよう。……そろそろ潮時かもしれない。
「……止める。 塔の上で王子様を待つお姫様なんて、もうやってられないわ!」
これからはもう、誰かの力には頼らない。これからは自分の足で歩いて行こう。
いくら待ったって、また同じ結果になるに違いない。それなら――――。
「何も起こらないっていうんなら、逆にこっちからやってやるわ!」
自分から踏み出すしかない。こう思い、エーファは旅立つことを決心したのだった。