第7章 家族との足並み
※この連載に書いてある文章はすべてノンフィクション(実話)です。
私にはありがたいことに私を待ってくれている家族がいました。しかし仲良しな分、私の行為による家族の心の傷は大きかったのです。まさかこんなことをするなんて、と母も父も姉も親戚も信じられない気持ちでいっぱいだったでしょう。私は入院中に何度も考えました。逆の立場なら私はどう思うか。
まず大号泣して、家族の苦しい気持ちに気づけなかった自分を責めて、何がそこまで家族を苦しめていたのか必死に考えるでしょう。入院している私は比較的ストレスから解放された環境で過ごしていたので、心の回復が進んでいきました。しかし、家族は(特に母は)そこまですぐに回復できませんでした。主治医の先生には、「あの日のことを家族と何回か腹を割って話せるようにならないと退院してもご家族が苦しいだけだ。あなたも相当辛かっただろうけれど、ご家族も相当な傷を負ったことを忘れてはいけません。」と言われました。私は大きく首を縦に振って「家族の心の回復を優先する。」と心に決めました。
入院して1か月ほど経って、外出を始めました。家族と何度も話し合いを重ねました。話し合いを重ねるたびに母と私は泣きました。
「大切な人を失いそうになるあの恐怖感は思い出すだけで本当に辛い。」
私は返す言葉が見つかりませんでした。しかし、自分の本心をちゃんと伝えるように努力しました。
「私は大学生になっていろんなことに挑戦したけれど、何もうまくいかなくて、自分に対するハードルも高すぎて、自分の存在意義が分からなくなってしまった。昔から自分の悩みを相談するのが苦手だから言い出せないことが多かったからその時は家族にも言えなかったんだ。」
家族は私にこう言いました。
「存在意義なんてそんな難しく考える必要ないんだよ。家族のためとか誰かのために、生きる、それでいいんだよ。」
「0か100かで考えてはいけないし、すべてに100で全力投球していたら誰でも疲れちゃうんだよ。6割、7割の気持ちで過ごしていいし、白か黒かじゃなくてグレーゾーンがあっていいの。」
「昔から度が過ぎることが多かった。恋愛に対しても、勉強に対しても、生活習慣に対しても。だから、キチキチしてなくてもゆるく生きていいんだよ。」
こんなに大切なことを教えてくれる家族が私のそばにいたのに私は家族に、他の人に頼れていなかったんです。それに「私はいつも独り。生きるのがしんどい。この世から消えたい。」と感じてしまうことがあったら、それは心身ともに休まないといけないサインなのだと気づかなければいけないんだとようやく気づきました。
家族仲が良かった分、心の傷は大きかった。
でも、家族仲が良かった分、お互いの存在がどれだけ大きいか改めて感じてもう一度支え合っていくことができた。私はありがたいことに誰からも見放されず、こうして今家族や友人たちにも支えられて生きています。
私は主治医の先生に話しました。
「私、教師になることにこだわり過ぎていたんです。教師は大変な職業だから何でも両立してやれないとって思って大学生になってからいろんなものに手を出し過ぎました。教師になるために何かしらの自信をつけたくて、裏付けがほしくて、キャパオーバーになったんです。でも、教師になるかは教育実習に行ってからでも決断できるし、厳しそうなら他の道だってある。だから、いろんなことをやるにしても6割の気持ちでやっていこうと思います。」
主治医の先生はうなずいてこう言いました。
「そうなんです。どんな人でも全部100%でやっていたら疲れちゃうんですよね。それに、自分の想定外のことが起きたときに柔軟に対応しないといけないと思うんです。こうできなければこういう方法に変えよう、とか。入院生活中に何があなたにそれを気づかせたの?」
「家族です。私の家族が教えてくれました。」
私ははっきりと答えました。主治医の先生は私の目を見てにっこり微笑んでくれました。
ー私は入院当初思ったんです。私は人として終わりだ、私のことを愛してくれている家族にも友人たちにも顔を見せられない、今までみたいに話せない。見放されても仕方がないことをしたんだ。奨学金ももらっているのに大学にも戻れないし戻りたくない。こんな風になるなら、死んだ方がマシだった。私はとにかく死にきれなかった自分を責めていました。しかし、私の本当の入院理由を信頼できる数人の友人たちに伝えても、誰も私を見放しませんでした。「生きててくれてありがとう。また元気になったら会おうね。」と言ってくれたのです。こんな奇跡は今後ないかもしれないと思いました。私は心底幸せ者だなと思って涙が止まりませんでした。
つづく
ゆるくテキトーに生きるって簡単なようですごく難しくて。肩の力を抜いて生きるってどうすればいいのか、退院した後も分からなくなることがたくさんあって生きることに疲れてしまいそうになる時間もありますよね。でも、それって永遠じゃなくて絶対に生きてて楽しいこともあるんですよね。そこに気付けたときに生きることの素晴らしさをしみじみと感じるんでしょう。きっと皆さまにもできるはずです、そう願っています★