芸術革命
アケトアテンの主任彫刻師であるバクは、その日、工房にファラオの突然の訪問を受けていた。
バクの家系は代々王家に仕える彫刻師の家柄である。父親のメンはアメンヘテプ三世治世下で主任彫刻師として多くの伝統的な美術品を制作してきた。ところがバクは父の工房を継ぐと宮廷から信じられないオーダーが入ったのだ。
見たままに表現せよというのだ。
いったいどういうことなんだ。
バクは新しい神殿のためにファラオの像を制作するように命じられていたのだがどう制作すべきか思案にくれていた。
そんな時のファラオの訪問だった。
「芸術とは偽りなき精神の現れでなければならぬと思うが、バク、そなたはどう思う」
アクナテンはそう言って制作途中の太陽と睡蓮のレリーフを見つめた。
「仰るとおりで御座いますが、それをどう表現したらよいのか分かりません」
バクは予測不可能な新しいファラオに身を震わせた。
「これまでの伝統様式を捨てよ。ありのままに表現するのだ」
アクナテンはそう言ってバクの中年太りして女性のようにたれた胸や、太鼓のように大きく出っ張ったお腹を見つめた。
「か、畏まりました」
バクは芸術家としてファラオの求めていることを瞬時に察した。
「そなたなら、直ぐに余の気持ちを察してくれると思っていた」
アクナテンは微笑み目尻を下げた。
「まぁ、こんなところにいらしたのね」
その時、ネフェルティティ王妃が顎を少し上げバクの工房に入ってきた。
王妃は細やかな襞のあるリネンの薄い布だけを腰に巻き左の肩に掛けている。
「今、バクに伝統様式に拘るなと話をしていたところだよ」
アクナテンはそう言いながら恥ずかしげもなく王妃に弛んだお腹を誇張して見せた。
「あんなに痩せていらしたのに、こんなに大きくなってしまって」
ネフェルティティは王の妊婦のように大きなお腹を摩った。
「もしかしたら君の子供が生まれるかも」
「それなら嬉しいわ。産むのは大変なの」
ネフェルティティはその場に屈み込み、アクナテンのお腹に耳を当てる。
「どうかな。産まれそう?」
「やっぱり産むのは私じゃないと駄目みたい」
王妃は立ち上がって王の手を自分のお腹に触れさせた。
「え、もしかして子供ができたのか」
「四番目の子よ」
王妃は幸せそうに小さく頷く。
「おめでとうございます」
二人のやりとりを黙って聞いていたバクが諸手を挙げて喜んだ。
「アテン神様の愛の恵みですわ」
偶然、工房を訊ねてきたバクの妻タヘリも夫と手を取り合って祝福した。
「妹ちゃん、それとも弟くん」
王女にせがまれたのであろう、執事がメリトアテンとマケトアテンを工房に連れてきた。
「まだ分からないわ」
ネフェルティティはそう言って王女達にもお腹に触れさせた。
「きっと妹ちゃんだわ」
メリトアテンがお腹に耳を当てながら自信たっぷりに言う。
「何か返事があったのかな」
アクナテンは満面の笑顔になっている。
「テレパシーで感じたの」
「メリトアテンは私の若い頃に似て感が鋭い子だ。きっとお腹の子は女の子だろう」
アクナテンも椅子に腰掛けた妻の足下に跪きお腹に頬を擦り付けた。
「必ず生き生きとした作品を制作して見せます」
バクは新しい主であるロイヤルファミリーの家族愛に心を打たれた。
「陛下からお教え賜った私は弟子で御座います」
バクは両手を上げ頭を下げた。
伝統工芸という虚飾に満ちた作品ではなく、バクは被写体の本質を浮き彫りにした本物の芸術作品を生み出すのだと情熱を新たにしたのだった。
ロイヤルファミリーが工房を去ると、バクは早速に王と王妃のありのままの姿をパピルスにスケッチし、石材に刻み始めた。
バクはアクナテンの希望通り、長く伸びた頭、切れ長の鋭い目、妊婦のように出っ張ったお腹を意識しながら制作をした。
ネフェルティティの彫像も、襞のある透明のリネンを膨らみかけた腰に巻き付け肩に流した、見たままの姿をリアルに表現しようとしたのだ。
その後、バクの工房では理想化され神格化されたエジプトの伝統的な美術品は制作されなくなり、リアルで生き生きとした壁画や彫像が数多く生み出されたのだ。




