アメン神官団の分断
第十八王朝ハトシェプスト女王治世中、アメン大司祭ハプセネブは上下エジプト神官長といういわば、教皇、にあたる地位を与えられた。この時をもってアメン神官団は、教皇権力を持つテーベのアメン大司祭を頂点にしてエジプト全土にアメン神官団の巨大組織を形成したのだ。これは第十八王朝開闢いらい勢力拡大を計ってきたアメン神官団の野望が大きな成果を収めた瞬間だった。同時に王家とアメン神官団との緊張関係のはじまりでもあった。
アメン神官団の地位は世襲されることが多く、メンフィスやヘリオポリスをはじめとする地方神殿においても大司祭という高級神官についてその傾向はいちじるしかった。とりわけ、テーベの世襲高位アメン神官団は群を抜いていた。こうして地位や財産を独占してきた世襲高級神官らは、王権と張り合い政治や行政にも介入し始めたのだ。
これに対して十八王朝のトトメス四世は上下エジプト神官長をアメン大司祭から分離するなどの大きな改革を行った。アクナテンの父、アメンヘテプ三世もこの政策を引き継ぎ、上下エジプト神官長、の地位をアメン大司祭から外すと供に、アメン大司祭をも王の腹心の官僚を任命するなどしてアメン神官団の勢力伸長を抑えることに成功したのだ。
そして今、一枚岩と思われたアメン神官団も所詮、私欲に群がる俗物の集まりに過ぎなかったのか、アクナテンが国家神をアメン神からアテン神に切り替えると宣言するや、エジプト各地の神官達がアテン神への帰依を願い出たのだ。
さらに遷都の話が浮かんでくるとアメン神を捨てアテン神に切り替える神官の数はより多くなった。
頑なに王家に抗い続けるテーベのアメンの神官団の結束も揺らぎ始めた。
そんな時、真っ先にアテン神に帰依したのが神官メリラーだった。
メリラーは太后ティイに近い人物でアメンの神官であったころから気心が知れていた神官で、アメン神官団の中でも影響力があり、ティイでさえも一目置く人物である。
ティイはそのメリラーをマルカタの王宮に呼んだ。
「メリラー」
ティイは冠を被り、黄金で飾られた椅子に腰掛けていた。
椅子の側面には正義と秩序をあらわすマアトの法がヒエログリフで刻まれている。
「太后様」
メリラーはティイの前にひれ伏した。
長身で痩せているが、顔も体も日焼けして腕や太ももの筋肉は太く、この神官が長く世俗の世界で人々に神の教えを説いてきたのを窺い知ることが出来る。
「面をあげなさい」
ティイの穏やかなそれでいてよく通る声がした。
「はっ!」
目と目が合う。
ティイの切れ長の目から強い意志を感じた。
「ファラオはアテンに帰依したそなたをとても評価しています」
ティイは微かに微笑んだ。
「滅相も御座いません。当然のことで御座いまする。あの日、太陽が雲で覆われたとき、人々はエジプトの神々へ救いを求めました。しかし、唯一、アテン神だけがエジプトを救えたのです」
メリラーは市中にあって人々が苦しみに喘いでいた姿を思い出し涙を浮かべた。
「あなたは神殿から出で人々の元へ行きましたね」
「どうしてそれを」
「わたしはエジプトの隅々まで見ています」
太后ティイは頬を緩め白い歯をみせた。
「恐れ入りまする」
メリラーも頬を緩める。
「太陽が隠れ、空が暗闇に閉ざされたとき、毎日、カルナクの神殿に、多くの人々が救いを求めてやって来ました。それも日毎に多くなるのです。彼らは此度の災害で家を失い寝るところも食べるものも失ったのです。ですが、大司祭様をはじめ、高位高官の神官たちは門を閉ざし、神殿に避難所をつくるどころか、パンも水でさえも与えず追い払いました。私は大司祭メリプタハ様に直訴しましたが、相手にしてもらえず。惨状を見かねた仲間の神官たちと供に人々の元へ行ったのです」
「アクナテン王も心を痛めていました。王と王妃はすぐに避難所を作らせ食事と医療テントを手配しました」
「すぐに気づきました。市中に次々と避難所や食事や医療のテントが作られるのを。アメンの神官たちが見て見ぬ振りをしていたので、ファラオの施しに涙が溢れました」
「アテン神は愛と平和の神です。王と王妃はアテンの教えに従ったまでです」
「御意にございます」
「あなたがたのように、テーベのアメンの神官たちの中にも、心の目の開いた神官達がいると思います」
ティイはそう言って肘掛けを強く握り、椅子から顔をのりだした。
「はい。官位は低いながら高い志をもった者達が多数おります。彼らもアテン神に帰依することでしょう」
「真心をもった者達を集めなさい」
「畏まりました」
メリラーは丁寧に頭を下げた。
テーベのアメン神官団は何百年もの世襲で腐敗の極みに達している。善良な人々の純粋な心につけ込んで欺き貶めるのだ。メリラーに迷いは無かった。彼は愛弟子のパネシーと供にテーベに見切りをつけたのだった。