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神に導かれて

 その時、沈黙していたアティが、

「よかったら私たちの神殿をご案内します」

 と割り込み微笑んだ。

「おお、それはいい」

 パフラは歓び目を細めながらアティの頭をやさしく撫でる。

「お願いします」

 アメンヘテプはアティの申し出に瞳を輝かせる。

「では此方へ」

 パフラが杖をついて歩き出す。

 アティは時々よろめく老祭司を労るように付き従う。

「無理はしないで下さい」

 アメンヘテプはそう言ってラモーゼ、カフタを従え二人の後を追う。

 木造の簡素な建物から出た三人は神殿の中庭に出て驚嘆した。

「この神殿は……」

 アメンヘテプは改めて神殿を隅から隅まで見渡した。

 神殿と神殿を取り囲む長方形の壁は、石や煉瓦ではなく、堅いアカシアの木材で造られている。そして神殿の庭には、わき水で満たされた楕円形の石の器があり、その近くに神の祭壇があった。

(幼いころ母に連れられた秘密の神殿とそっくりだ)

 アメンヘテプはティイ王妃のヘブライの神殿を思い出す。

「どうぞこちらへ」

 パフラとアティが聖所へ向かったので、アメンヘテプも後に続く。

 総アカシア造りの聖所は簡素で、よく磨かれた柱や壁は木目が美しく、建物の中は乳香の香りで満たされていた。

 聖所には木の机や金の燭台が設けられ、聖所の奥の香壇からは乳香を焚いた白い煙が上り、さらにその奥には垂れ幕で仕切られた至聖所があった。

「ご神体は背後にそびえる燃える山、神の山です」

「燃える山」

 自分をここまで導いてきたのは、目の前に祭られている神、燃える山なのだとアメンヘテプは思った。

「わたしは神に導かれここまでやってきました。神は燃える山に登れとわたしに命じたのです」

 アメンヘテプが至聖所の前に歩み出ると、パフラとアティが神の前に跪き頭を下げる。

 王子も同じように跪き頭を下げようとする。

 そのとき、ラモーゼが慌てて、

「なりません異教の神ですぞ」

 アメンヘテプをとめようと声を上げたが、

「何を申す、エジプトもミタンニ国のイシュタール神をはじめ、多くの異教の神を祭っているであろう」

 そういって取りあわず頭を下げて祈りはじめた。

 至聖所は精妙な波動で包まれていた。

 小さな風がアメンヘテプの頬を天使の羽根が触れるように通り過ぎる。

 その時、アメンヘテプの心に神が語りかけた。

「山に登りなさい」

「神よ」

「急ぎなさい」

「すぐに参ります」

 心の中でアメンヘテプは神に答えた。

 アメンヘテプはゆっくり立ち上がり、ラモーゼ、カフタそしてパフラとアティの方に向き直る。

「今、神は、わたしに山に登れと命じられた」

 アメンヘテプの言葉に四人は驚きひれ伏した。

「神のご神託があったのですね」

 パフラの言葉に王子は黙って頷き、

「わたしはすぐに行かねばなりません」

 そう言ってその場から立ち去ろうとした。

「王子さま、お待ち下さい」

 慌ててパフラが立ち上がり、

「神の山に登る前に聖なる川で沐浴を」

 そういうと、巫女に新しい衣をもってこさせた。

「沐浴」

「神の山に登る前に身を清めなければなりません」

「わかりました」

 アメンヘテプは神官から伸びた髪や髭を綺麗に剃ってもらい、リネンの真っ白な腰布一枚を身につけた。それからアティをはじめ、九人の神に仕える少女たちに導かれ、神殿のすぐ近くに流れる聖なる川までやって来た。

 ナツメ椰子の森の中に流れるこの川は、神の山の雪解け水と湧き水の川だ。アシールの人々から精霊の水と信じられ、人の罪や穢れを清める川として信仰されてきた。

「涼しい」

 アメンヘテプは深く息を吸った。

「王子さま」

 少女たちが先に川に入りアメンヘテプを呼ぶ。

「うん」

 アメンヘテプが静かに川に浸る。すると少女たちは微笑み、王子を水が肩まで浸かる所まで招いた。

「水が冷たく心地いい」

 アメンヘテプは首まで水に浸かり心地よさそうに水を左右の手でかいた。

「精霊の水です」

 アティが水を手ですくい口に含む。

「美味しい」

 アメンヘテプも水を口に含みゴクンと飲み込んだ。

「聖なる水は母の水でございます」

 少女の一人がそう言って自分のお腹を手で触る。

 アメンヘテプはそれが子を宿した母の羊水を意味するのだと察した。

「まるで母の愛に抱かれているようだ」

 アティと九人の少女たちは、アメンヘテプの両隣に泳いでやって来て、王子の手をとり、そのまま大きな輪になって、ゆっくり回り始めた。

 繋いだ手を通じて心と魂が通い合う。欲と嫉妬と暴力と退廃が渦巻くエジプトでの暮らしで、人との関わり合いに、すっかり心がすり減っていたアメンヘテプにとって、心を守らなくてもいい、心を無条件に開き、心が通い合うという体験は、彼の心も魂をも深く癒やした。

「お帰りなさいませ」

 沐浴から神殿に戻った王子をパフラが迎えた。

「とても心地よかった」

 アメンヘテプは微笑み白い歯を見せた。

「神の水がわたしの全てを清めてくれたのを感じた」

 王子は光り輝いていた。

「神はあなたさまをとても愛されているのです」

 パフラやアティをはじめ巫女たちが微笑んだ。

「とても嬉しい」

 アメンヘテプは神への感謝に少しだけ目を瞑る。

「さ、恵みのパンを」

 アメンヘテプの前に精霊の水とパンが差し出された。

「これは美味しそうだ」

 並べられたエンマー小麦のパンは、形はでこぼこで、エジプトの洗練されたエイシや蜂蜜パンより見た目は劣ったが、メロンぐらいの大きさで、ふんわりして、所々のお焦げが香ばしく食欲をそそるのだ。

 アメンヘテプは胡座をかいて座り、差し出されたパンをちぎって口に含む。それから金のカップに注がれた精霊の水を、ゴクッ、ゴクッ、と一気に飲み干した。

「いかがですか」

「生き返りました」

「神の祝福を」

 アメンヘテプとパフラは胸の前で手を組み神に感謝の祈りを捧げた。



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