2 出来ることとやりたいこと
あれからレンドルク村の地方領主の館にて、アルルオーネ様から一室を与えられた私は、一夜をそこで過ごし、夜が明けた今、この御恩にどう報いれば良いかをベッドに横になって考えていた。
まずは出来ることとやりたいことを分けなければならない。
私がここドルクでやりたいこと、それはまずは生活基盤の改善だろう。
王都レンベルクでさえも、精霊国に比べれば遥かに劣る生活水準だったが、ここドルクはもっと酷い。風呂は毎晩のように薪で沸かさなければならないし、トイレは汲み取り式。排水路のようなものも全く整備されていない始末だ。これではいずれ病気になることも避けられまい。
「でも出来ることとなると、途端に選択肢が狭まるのよね……」
今の私はスピリュエールを持っていない。
試してみていないから分からないが、こんな地方では聖道教会へ行ってスピリュエールを借りることすらままならないだろう。
それはすなわち……。
「魔法が使えない……! でもスピリュエールなしでの魔法行使や魔道具作成なんてしたら精霊帝だってばれてしまうし……」
かと言って、精霊国の知り合いに頼るわけにも行かない。
私は万策尽きた想いで大きなため息をつく。
するとドアをノックする音が響いた。
「レーヌ様。お目覚めでしょうか? 顔を洗う布と水をお持ちしました」
私は急いでドアを開けると、洗顔に使う布と水を受け取った。
井戸水にしては清潔そうな水に見えた。これなら顔を洗っても問題あるまい。
「ありがとうございます。私もなにか出来たら良いのですが……」
「いえいえ、レーヌ様は我が家の客員貴族となられるお方。今は使用人の格好をされていますが、そんなことはさせられません! さぁ、お顔を清められてくださいな」
セリザナさんがそう言うので、私は有り難く顔を洗わせてもらう。
「それが終わりましたら、もうまもなく朝食となりますので食堂へお越しくださいませ」
セリザナさんがそう言い、私は「はい」と返事をした。
まずは朝食だ。
昨夜は3日間水くらいしか与えられなかった空腹に、いきなり料理を押し込んでは悪かろうと、スープを軽くとパンを一欠片頂いたのみだったのでお腹も空いている。
朝から豪勢に肉料理とは行かないだろうが、それでもお腹に何か入れなくては!
私は顔を洗い終えると、食堂へと向かった。
食堂へ行くと、アルルオーネ様が既にご着席で新聞を読んでいらした。
私は「おはようございます! アルルオーネ様!」と精一杯の笑顔で挨拶する。
「あぁ……おはようございますレーヌさん。昨夜はよく眠れましたか?」
「はい。おかげさまで」
「それは良かった」
アルルオーネ様は笑顔でそう応じると、新聞に目を戻した。
「それは……まぁ、王都新聞ではありませんか。ドルクでも発行されているのですね!」
「いえ、ドルクでは発行されていません。これは3日前の王都での新聞ですよ。毎朝とは行きませんが、行商人に週に1度届けて貰っているんです」
「そうなのですね! でもここドルクでも情報に触れられるなんて素敵です」
「ほぉ……レーヌさんは新聞を読まれるのですか?」
「はい。王都に居た頃は毎日のように読んでいました。たまに付いてくる魔法書簡を試すのがいつも楽しみで……」
「魔法書簡というと……これのことかな?」
アルルオーネ様が薄っぺらい魔法陣の記された紙を渡してくる。
「はい。これですこれです!」
私は魔法陣を眺め、そして言う。
「今回のは一等特別ですね。これは1回限りの収納魔法が印刷されていて、中にはパンが一つ入っているようです」
私がそう言うと、アルルオーネ様は「何故発動してもいない魔法の中身が分かるのですか?」と驚いた様子だ。
「ええと、私、貴族学院での勉強は1年時にはもう全部終わってしまっていたので、学院の図書館で魔法学と魔導工学の勉強を別でしていたんです。だから魔法陣を見て分かるんです。ほら!」
魔法書簡の発動だけならばスピリュエールは必要ない。
私は書簡をテーブルの上に置き、魔力を流して魔法書簡を発動させる。
すると書簡の上には、ぼわんと一つのパンが現れた。
3日前の新聞とのことだったが、パンは傷んでもいない様子でまるで焼き立てに見える。
きっと収納魔法が上等だったのだろう。
「これは……本当にパンが出てきましたね。凄いですレーヌさん。魔法学と魔導工学にまで精通していらっしゃるとは……こんな才女を何故ラドビー王太子は追放なさったのか……」
アルルオーネ様は目を見開き、私の方を見やる。
「あはは、真面目過ぎたんですかね……。ラドビー王太子の婚約者であるニーア様に、風紀委員として厳しくしすぎたみたいです」
私は真面目に風紀委員として取り組んでいただけだったが、それがニーア様とラドビー王太子の逆鱗に触れたのだろう。
でも深夜に男子寮に行ったり、街へ出かけたりするのは良くないよ。
仮にも王太子の婚約者ともあろう公爵令嬢がそれじゃあ風紀的にも締まりが悪い。
私としては当然の注意をやんわりとしただけなのだ。
「そうでしたか……まぁ追放されてしまったものは仕方がありません。ここドルクでその才能を活かしてください! その為にも、さぁ食事にしましょう!」
アルルオーネ様が話を切り替えるように新聞を畳み、私達は朝食を頂くことになった。
私は魔法書簡から出てきた焼き立てのパンと共に、卵焼きと豚肉の腸詰めを頂いた。
朝から腸詰めとはいえ肉を食べられるとは思っていなかったので、お腹いっぱいで大満足の私だった。
朝食を食べ終え、私はアルルオーネ様に聞くことにした。
「アルルオーネ様。ここレンドルク村には、王都から派遣されてきた魔道具師はいないのでしょうか?」
「魔道具師ですか? いるにはいますよ。ここドルクでは、専ら井戸の水を浄化する魔道具の修理と作成が専門となっているようですが……」
「まぁ井戸水の……! それならば話が早いかもしれません。是非、紹介してくださいませ」」
私は一先ずトイレと排水周りの浄化の魔道具を作るつもりだった。
それを置いておきさえすれば、病気になって早死するのは避けられると思ったからだ。
幸い浄化の魔道具ならば水の精霊石と風の精霊石を組み合わせれば作れる。
それほど費用も掛からないはずだ。
「分かりました。今日中に館へ来るよう手配させましょう。セリザナ、頼めるかい?」
「はい。アルルオーネ様。魔道具師のアリア様とデンツ様の二人でよろしいですね?」
「あぁ頼む」
アルルオーネ様がセリザナさんに頼み、私は自室へと戻った。
そうして2時間ほど待っただろうか。10時過ぎに魔道具師が館へやって来たようだ。
「レーヌ様。魔道具師のお二人がご到着されました」
「ありがとうセリザナさん。まずはトイレに来てもらってください」
「トイレにですか? 分かりました」
セリザナさんは不思議そうな顔をするが頷く。
私も自室を出て、館のトイレへと向かった。
「浄化の魔道具を配置するのはここ! それとお風呂とキッチンの周囲! うん! 良さそう」
私は一人でどこに浄化の魔道具を配置するかを考えていた。
そこへ魔道具師の二人がやってきた。
「おう! 嬢ちゃんが俺達を呼んだのかい?」
「はい。レーヌ・フォンテーヌと申します。今後ともよろしくお願いします!」
「あぁ……俺は魔道具師のデンツ・マシーナ。こっちは娘のアリア・マシーナだ。一応貴族ってことでここらじゃ通ってるが、俺達はあまりそう思っちゃいない。あくまでも魔道具師として扱ってくれ!」
デンツさんがそう言い、アリアさんが「よろしく」と被っている帽子の鍔を抑えながら挨拶してくる。
「分かりました。それでお二人共、水の精霊石と風の精霊石はお持ちですか?」
「あぁ、それはもちろんあるが、一体トイレでなにをする気だ?」
「浄化の魔道具をこちらに設置して頂きたいんです」
私がそう言うと、二人共不思議そうな顔をしている。
デンツさんは後頭部に手を回すと頭を掻いた。
「こんなところに浄化の魔道具をかい? 理由を聞いてもいいか?」
「はい。レンベルクではあまり知られていませんが、トイレや排水周りに発生するカビや菌は病の原因なんです。その繁殖を抑える為にも本当ならば地下に排水溝を設置して、川に流すのではなく排水処理施設にて浄化して、再び川や海へと流すといった大規模な浄化機構を作る必要性があるのですが、さすがにいまそんな工事をいきなりするわけには参りません。ですから一先ず浄化の魔道具をと思ったのです」
私がそう説明すると、アリアさんが「父さん、私聞いたことある。精霊国ではそうやって排水を全部浄化してるんだって」とぽつりと口にする。
おぉ! 聞いたことがありますかアリアさん! アリアさんはきっと優秀な魔道具師なのですね!
「ほぉ……トイレや排水周りを全部浄化ねぇ……分かった!」
デンツさんが首を振り、アリアさんと共に作業に移ってくれた。
程なくして浄化の魔道具が組み上げられ、アリアさんがスピリュエールで起動句を詠唱し始める。
「水と風の精霊よ。我らに力を貸し給え! サーキュレーションオブウォーターアンドエアー!」
アリアさんのスピリュエールがぼわっと光り、水と風の精霊石に明かりが宿る。
そうしてアリアさんが魔道具を起動した。
うん! よく精霊の力が循環してる! これならば問題あるまい。
私達は場所をお風呂とキッチンに変え、同じことを繰り返した。
「ありがとうございました」
「おう、良いってことよ」
キッチンで魔道具を設置し終えたデンツさんがニカっと笑い。アリアさんが「どうも」と再び帽子の鍔を抑えながら言う。
「あぁ……申し訳ありません。代金の方はアルルオーネ様にお願いできますでしょうか?」
私はキッチンにいたセリザナさんに言うと、セリザナさんは「分かっております」と事前にアルルオーネ様から預かっていたらしい貨幣の入った袋を取り出した。
「浄化の魔道具を3つ設置だから、金貨3枚なんだが……面白いことを知れたからな。金貨2枚と銀貨5枚にまけとくよ」
デンツさんがそう言い、セリザナさんが支払いを済ませる。
「毎度あり! それじゃあ俺達はこれで失礼するぜ」
そう言って、デンツさんとアリアさんの二人は帰っていった。
「レーヌ様。今回は『特別』です。今後はこのような高価な買い物をされる際には事前に言っておいてくださいね。ドルクの財政はそれほど芳しいものではないのです」
セリザナさんがデンツさん達が帰ったあとに私にこそっとそう言った。
「そうだったのですね! すみません!」
「いえ、ご承知頂ければそれで良いのです」
健康のことを第一に考えていて、ドルクの財政がどうなっているかってことを全然考えて無かった! 日常的に使う魔道具とはいえ、浄化の魔道具は一家の井戸に一台というのが基本で、ドルクの財政状況からすれば結構お高い魔道具なのだろう。フォンテーヌや精霊国では当たり前のように各地に設置されているから考えが回らなかった!
とはいえ、これで健康面の心配は無くなったと言っていい。
新生活の第一歩としては、十分な滑り出しだ。
今後はドルクの財政のことも考えつつ、出来ることをやっていこう。