1 精霊帝の出奔
今日から私の名前はレーヌ・フォンテーヌ。
たった今、そう決めた。
何故新しい名前を作ったかと言えば、私は精霊界にはうんざりしていたからだ。
やれ精霊樹の植樹祭だ。新たな精霊の誕生祭だ。世界樹の保全祭だと祭り事にばかり駆り出され、その度に古臭い儀式を行わなければならない。
正直に言って、私はほとほと疲れ果てていた。
前世の方が良かった。
そう思うことも一度や二度ではない。
前世の私……公爵令嬢だった私は、貴族学院にもしっかり通い、優等生として過ごした。
でも、婚約相手だった王太子から何故か婚約破棄と断罪を受け、処刑された。
「でも処刑されるまでは幸せな生活だったな」
もし今度また貴族学院に通うことがあれば、私はきっと上手くやる。
「公爵令嬢としての頑張りが足りなかったのがきっと断罪の原因! 今度はもっと真面目に頑張ればいいんだ」
そう小さな声で言うと、「精霊帝陛下にご来客です! レンベルク国の商業都市フォンテーヌよりレビル・フォンテーヌ様です!」と謁見の間の扉が開かれた。
髭面の中年男性が私の前へと進み出て跪いた。
「精霊帝におかれましてはご機嫌麗しゅう。此度は私に直々のお話があるとか……どのようなお話でしょうか?」
「話の前に……みな下がれ! 私はレビルと一対一での大事な話がある!」
そう宣言し、側仕えと護衛の精霊騎士に下がるよう命じると、私はレビル・フォンテーヌに向き直った。レビルに近づき、私は耳打ちするように話し始める。
「レビル。貴方にはおりいって相談があります」
「は……! なんでございましょうか?」
「単刀直入に言います。私はこの精霊国を出て、そなたの娘となり、人間界で貴族として生活したいのです」
「はい……!? それはまたどうして……」
「理由は……そうです! 世界樹の思し召しです!!」
適当な嘘をつき、若干の後ろめたさがあったがレビルを真剣な眼差しで見やる。
「世界樹の思し召しですか……! 精霊帝のみに会話が許されると言われている世界樹の意思ならば、私から申し上げることはありません! かしこまりました……!」
これで精霊国に一番近い人間の国、レンベルク東の商業都市フォンテーヌに赴くことができる。そして1年後には貴族学院にもう一度行くのだ。
私は嬉しくて、つい笑顔になってしまいそうになる。
「私の名は今日からレーヌ・フォンテーヌ、貴方の今年で15になる娘です。良いですね?」
「は!」
「では今宵、私は内密に精霊国を出るものとします。貴方の宿へ夜に伺いますので、出立の準備をしておきなさい」
「は……! 世界樹の思し召しのままに……!」
∬
そうして私は再び貴族として、フォンテーヌ侯爵家の一人娘として貴族学院に入った。
前世と比べ、公爵からワンランクダウンしてしまっているのは痛いが、しかし頑張ればなんとでもなるだろう。なにしろ貴族学院に通うのはこれで二回目なのだ。
私は持ち前の真面目さを活かし、一生懸命に貴族学院での生活に取り組んだ。
それなのに……。
「フォンテーヌ侯爵家の娘、レーヌ・フォンテーヌ! そなたを地方追放とする!!」
かつて私を断罪し処刑した王太子――現在の王の息子であるラドビー王太子が、私に向かって堂々とそう宣言する。
「そんな! あんまりです!」
「ええい! うるさい、うるさい! 我が婚約者である公爵令嬢ニーア・ロードラントに対する無礼千万、到底許せたものではない!!」
「私はただ風紀委員として、言わなければならないことを言っていたまでです!」
抵抗するが、きっと無駄だろう。
公爵令嬢のニーア様はラドビー王太子のお気に入りだ。
だがしかし私は知っている。
ラドビー王太子、浮気されてますよ。
だがもちろんこんな公の場では言わない。
こんな場で公爵令嬢を侮辱するような物言いをすれば、私の命が危ない。
今はまだ地方追放で済んでいるのだから、これ以上食い下がるのは止めておいたほうが良いだろう。
「なんだ! 口答えする気か!」
「……いえ。過ぎた振る舞いでした。どうかお許しを……」
「ふん! 良いだろう! では即日にレーヌ・フォンテーヌは我が国の西の果て、ドルクへ追放とする!! いいな!」
「は……王太子様の申すままに……」
私はそう返事をし、私のレンベルク西の果てドルクへの追放が決まった。
∬
フォンテーヌへ寄ることも許されず、貴族学院の宿舎へ寄って荷物を纏めることすらも許されなかった私は、断罪の夜会での着の身着のままに乗り合い馬車で西の果て、ドルクへと追放された。
そうして3日が経ち、私は降りろと言われて降りた。
木製看板にはレンドルク村とある。幸いなことにドルク地方一番の村であると聞いたことのあるレンドルク村に降り立ったようだ。
ここでならば、地方領主の子女の世話役くらいの仕事にはありつけるかもしれない。
そう思った私は、レンドルク村の地方領主の館へと向かった。
「もし、こちらで雇っていただけないでしょうか?」
出てきた今どき高価だろうに眼鏡をかけた30過ぎに見える使用人らしき女性にそう告げると、訝しげな目を向けられた。
それはそうだろう。夜会にでたドレスの着の身着のままなのだ。上等なドレスを何日も風呂に入っていなさそうな小汚く見える女が着ているのだから、おかしいのも頷ける。
「はい? どちらのご出身でしょうか?」
「フォンテーヌ出身です。フォンテーヌ侯爵家のレーヌと申します」
「まぁ! 東の果てのフォンテーヌ侯爵家ご出身で!? そんなお方がこのような場所にどうして……?」
「それが……」
私が事情を説明すると、使用人は「少々お待ちくださいませ」と言って中へと引っ込んでいく。そうして10分ほどすると、一人の男性を伴って先程の使用人が戻ってきた。
「こちら、ドルク地方領主のアルルオーネ様です」
そう紹介され、私は小汚いながらも精一杯の笑顔をアルルオーネ様に向けた。
「フォンテーヌ侯爵家、レーヌ・フォンテーヌと申します。以後お見知りおきを……」
「これはご丁寧に、アルルオーネ・レンベルクと申します」
アルルオーネ様はそう名乗った。
美しく長い白銀の髪を黒の髪結いで結った、20そこそこに見える深緑色の目の男性だった。
それにしても……え? レンベルク?
待った待った。レンベルク性は王家に名を連ねる者のみが名乗ることを許される性だ。
そんな人が何故こんな辺境の地で地方領主をしているのだろう?
「レンベルク様……? 失礼ですが、王家に名を連ねるお方でしょうか?」
「あぁ……そうです。ですが大したことはないのですよ。ただかつて、6番目の王子だったというだけです」
かつての第6王子? ということはラドビー王太子の父であり、私をかつて断罪した国王、ルドビー陛下の弟君ってこと!?
「まさか王弟殿下!? ……見苦しい姿をお見せしてしまいました。無礼をお詫び致します」
「いやいやいいさ。聞けば王都からこちらまであらぬ罪で追放されたのだとか。甥であるラドビー王太子が君にどうやら迷惑をかけたらしい。その汚れた身なりでは話もままならないでしょう。セリザナ。まずは彼女を風呂に入れてやってくれ。話はそれから伺おう。さぁどうぞ、上がってください」
アルルオーネ様はそう言うと、私を館に招き入れた。
そうして私は眼鏡の使用人――セリザナさんにお風呂に入れてもらった。
3日ぶりのお風呂は大変気持ちよく、歌い出しそうになってしまうのを堪えながら、私はお風呂を入り終えた。
「こちら使用人の着る服ですが、よろしければどうぞ」
「あぁ……有難うございますセリザナさん」
黒を基調とした服はぴったりの寸法で、着心地も悪くなかった。
私の薄い水色の髪には余り似合わないかもしれないが、仕方あるまい。
「青のドレスの方は、私の方で洗濯しておきますが、よろしいでしょうか?」
「はい。よろしくお願いします!」
私はセリザナさんに返事をする。
そしてセリザナさんが「アルルオーネ様がお待ちです」と私を応接室のような場所に案内してくれた。
「お待ちしていました、レーヌさん」
アルルオーネ様が私を歓迎し、ソファに座るように促した。
「ありがとうございます。失礼します」
そして座ると、対面に座ったアルルオーネ様が切り出した。
「それで、ウチで使用人として働きたいとのことですが……」
「はい! 是非によろしくお願いたします!」
「ふむ。そうですね、レーヌさんは貴族学院でスピリュエールはご取得なさっていますか?」
「いえ……卒業前に追放されましたのでまだ……」
スピリュエールとは貴族学院を卒業したものに与えられる杖のようなものだ。
これを使って数々の魔法を使うことが出来る。
だが実際には私はスピリュエールなしに魔法を使える事を知っていた。
あれはただの精霊による許可の証に過ぎないのだ。
精霊帝たる私には本来不要なものである。
「では座学の方は?」
「はい。それでしたら3年生の分まで問題はなく」
私は実質二度目の貴族学院だったので、勉学の方はかなり進んでいた。
3年生の授業単位も全て取得済みだ。だからあとは時間さえ過ぎれば順調に貴族学院を卒業出来る予定だったのだ。それも今となっては望めはしないが……。
「そうでしたか……でしたら私の方でスピリュエールを与えられるように手配いたしましょう」
「え? 本当ですか?」
「はい」
アルルオーネ様は私にスピリュエールを与えると言い切る。
でも一体どんな特権が使えたらそんなことが出来るんだろう?
貴族学院を卒業していない者にスピリュエールが与えられるなんて話は聞いたことがなかった。
「スピリュエールが得られましたら、客員貴族としてドルクでお迎え致しましょう」
そう言って、アルルオーネ様は微笑んだ。