6.変わるもの、変わらないもの
春は、変化の季節だ。
高校三年生になった俺たちは、新しいクラス、新しい環境に適応する日々を送っていた。
ユウも、何事もなかったかのように新しいクラスへ溶け込んでいった。
彼は相変わらず完璧な生徒で、優秀な成績を維持し、運動もそこそこでき、先生からの信頼も厚かった。
クラスメイトたちは最初こそ彼の正体に驚いたものの、すぐに彼を「普通のクラスメイト」として受け入れた。
──そう、去年と同じように。
俺のいたクラスでは、彼とクラスメイトの間に微妙な距離感が生まれたが、それはもう過去の話になっていた。
ユウは、どこへ行っても馴染める。完璧に「人間らしく振る舞う」ことができるのだから。
そして、たぶんこのまま卒業していくのだろう。
進学するのか、別の道を選ぶのかは分からないが、彼ならどこへ行っても問題なくやっていけるはずだ。
彼は、そういう存在だった。
俺も、新しいクラスではこれまでと変わらず過ごしていた。
適度な距離感で人と接し、誰とも深く関わりすぎることなく、誰からも浮くことなく。
去年と同じように──いや、ほんの少しだけ違うかもしれない。
*
昼休み、窓際の席で外を眺めながら、なんとなく物思いにふけっていた。
──「直樹、人間の感情って、結局なんなんだろうね?」
ユウがそう尋ねてきたのは、まだ去年のことだった。
彼は、感情が何なのかを知りたがっていた。
だが、それを説明することは、俺にもできなかった。
「感情は……そういうものだろ」
あのときは、それ以上考えずに流してしまった。
けれど、今になって思う。
──俺たちは、本当に感情を理解しているのだろうか?
ユウは「感情が分からない」と言っていた。
それは、単に「持っていないから分からない」という意味だったのだろう。
だが、俺たち人間だって、自分の感情を正確に説明できるわけではない。
怒りや悲しみ、喜びや不安。
それらの感情が生まれる理由を、完全に言葉にできるかと聞かれたら、自信を持って「できる」とは言えない。
俺たちは感情を持っているはずなのに、それを明確に説明することはできない。
ならば、人間は「感情を理解している」と言えるのだろうか?
結局のところ、人間は自分の感情ですら説明しきれない。
他人の感情だって、表に出たものを見て「こう思っているのではないか」と推測するしかない。
ユウが「感情があるように振る舞うことで人間らしく見えた」ように、
俺たちもまた、「他人の感情を推測しながら振る舞っている」に過ぎないのではないか。
……ユウと、人間の違いって、何なのだろうな。
*
ユウは変わらない。
どこに行っても、完璧なクラスメイトであり続ける。
去年、彼とクラスメイトの間にできた微妙な距離感も、時間が経てば過去のものになった。
そして、また新しい環境で、同じことを繰り返すのだろう。
俺はどうだろうか。
俺は、これまでと変わらず感情を抑えて生きている。
でも、それが「短所」だとは思わなくなった。
人間は、結局のところ、表に出たものしか受け取れない。
だからこそ、「どう振る舞うか」が大切になる。
感情を出すかどうかではなく、どう伝えるか。
それを決めるのは、自分自身なのだ。
俺は、去年までの俺と変わらないように見えるだろう。
けれど、俺の中で何かが変わっていたことを、俺だけは知っていた。
──だから、たぶんこれでいい。
*
俺は何気なく教科書を開きながら、隣の席のやつの手元を見た。
「シャーペン、新しくした?」
不意に口をついた言葉に、隣のやつがペンを回してみせた。
「ああ、こないだ壊れたからな」
「へえ、使いやすい?」
「まあ、悪くないかな」
軽く答えながら、隣のやつはペンを指で弾いた。
いつの間にか、チャイムが鳴っていた。
窓の外を見ると、風に揺れるカーテンの向こうで、雲がゆっくりと流れていく。
隣のやつが教科書を開く気配がして、俺もページをめくった。
(了)