5.仮面の下
ユウに対するクラスの空気は、あの日を境に静かに変わった。
だが、それを気にしている様子もなく、ユウは変わらず俺に話しかけてきた。
そして俺も──今まで通りに接していた。
だが、それは「ユウを信じていたから」ではない。
むしろ、クラスメイトと同じように、俺もどこかでユウを恐れていた。
ただ、俺は負の感情を隠して接するのが習慣になっているだけだった。
だからこそ、何事もなかったかのように振る舞うことができた。
それ以上でも、それ以下でもない。
*
放課後、帰り道。
駅へ向かう道を並んで歩いていた時、ユウがふと口を開いた。
「直樹、ちょっといいかな」
珍しいことに、彼は少しだけ言葉を選ぶような間を置いた。
いつもなら、最適な言葉がすぐに返ってくるのに。
「……あの後、クラスのみんなとの関係を修復しようとしたんだ」
ユウは淡々と話し始める。
「謝ったし、できる限り今まで通りに接した。でも……完全に元通りにはならなかった」
その言葉に、俺は少し驚いた。
「表面上は変わらないし、話しかけてくれる人もいる。でも、何かが違うんだ。元に戻ったようで、戻らない」
「……そうか」
俺は頷きながらも、それが意外だった。
クラスの誰もがユウを尊敬し、親しみを感じていたはずなのに。
「どうしたらいいと思う?」
ユウが俺に問いかける。
まるで、答えを探すように。
それが、俺には妙に引っかかった。
──ユウが、人に助言を求める?
少なくとも、今までの彼なら「どうするべきか」を考え、実行していたはずだ。
それが、俺に意見を求めるなんて──。
俺は、ふと疑問がよぎる。
「……そもそも、お前はどうしてあんなことをしたんだ?」
ユウは、少しだけ目を伏せた。
「……クラスの対立を収束させるのが最善だと判断したからだよ」
「……そうじゃなくてさ」
俺は言葉を選びながら続ける。
「あの場で、お前が『正しい』ことを言ったのは分かる。でも……お前なら分かっただろ? みんな、もうやめたがってたんだよ」
ユウは、それ以上何も言わなかった。
「ユウ、お前……分かってなかったのか?」
ユウは、少しだけ息を吐いた。
「……僕には、感情が分からないんだ」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
「……何言ってんだよ。お前、あんなに感情豊かだったじゃん」
驚きと戸惑いが混じった声が出た。
「楽しそうに笑って、冗談も言って、好き嫌いだってあったし……。普通に、感情があるようにしか見えなかったけど?」
しかし、ユウはゆっくりと首を振った。
「それは……『感情』とは言えないんだ」
*
「僕は『感情の再現』を目的のひとつとして開発された。でも、実際には感情が宿ることはなかった」
「……どういうことだよ?」
「人間の表情、声の抑揚、身体の動き、選択の傾向……あらゆる情報を学習し続けた。その結果、人間と区別のつかないレベルで『感情を持っているように振る舞う』ことはできるようになった。でも、本当に感情を持っているわけではないんだ」
「じゃあ、お前が今まで見せてきたものは……」
「すべて、正解の再現だった」
*
「昔はトラブルが多かったよ」
ユウは、少しだけ遠くを見るような目をした。
「小学生の頃は、僕はまだ感情の調整がうまくできなかった。人間の『普通』が分からなかったんだ。だから、何かを言っても『冷たい』とか『怖い』とか言われることがよくあった」
「……想像できねえな」
今のユウは、誰よりも「人間らしい」。
まるで、そんな時期があったとは思えないほどだ。
「でも、僕は学習した。何が好意的に受け入れられるか。どうすれば『普通』に見えるのか。そうして、適切に調整する方法を身につけた」
「……適切に、ね」
「そう。たとえば、好きな食べ物や苦手なものを適度に設定することで、共感を得やすくなることも分かった。スポーツで適度にミスをするのも、完璧すぎると周囲との距離ができるから」
俺は、驚きながらも納得した。
ユウは、本当に徹底的に「人間」を計算していた。
──だが、それなら。
俺は、ふと考える。
──それなら、俺にこの話をするのは、不自然じゃないか?
ユウは常に「正解」を選び続けるはずだ。
感情がないことを打ち明けるのは、自分にとって不利なはずなのに。
「……なあ、ユウ。お前、どうして俺にだけそんな話をするんだ?」
俺がそう問いかけると、ユウは一瞬、驚いたように目を見開いた。
まるで、その問い自体を考えたことがなかった かのように。
「……それは」
ユウは、小さく言葉を詰まらせた。
少し考えた後、静かに口を開く。
「……直樹が、僕に対する態度を変えなかったから」
ユウの言葉に、俺は少し息を呑んだ。
「みんなが距離を置く中で、直樹だけは変わらず接してくれた。それは……少し、救われたような気持ちになったよ」
「……」
「僕は、感情を持っていたわけじゃない。でも……もし感情があるとしたら、それに近い何かを感じたのかもしれない」
──俺が、ユウを救った?
そんなこと、思ってもみなかった。
もしかすると、この答えもまた、最適解として選ばれただけのものなのかもしれない。
それでも──。
今のユウの言葉は、不思議と俺の心に深く響いた。
計算の上で出された答えかもしれない。
でも、俺には本音のように感じられた。
「計算」の結果ではなく、「自然に」出た言葉だったように思えた。
ユウの仮面の下には、確かに何かがあった。